重なっていた唇が離れると、くぐもった吐息が零れた。熱い息を惜しんで、更に再びくちづける。
水滴の流れ落ちる窓硝子に押し当てられた上衣の背がしっとりと濡れ、カミューを微かに震わせた。
気づいて抱き寄せた肢体はすでに温みを帯びていて、先ほどまでの冷え切った肌とは思えなかった。
絡めた舌を吸い上げながら、存在を確かめるように衣服の上に掌を這わせる。布を通しても伝わる体温がマイクロトフの胸に染み渡り、情熱を掻き立てた。
「カミュー……好きだ────」
くちづけの合い間に狂おしく囁くと、がっしりとした背に回った指に力がこもる。それこそ聞きたい応えのような気がして、マイクロトフは薄茶の前髪を梳いて唇を落とした。
弄る掌に寛げられた袷から覗く肌は、窓の外に降りしきる雪の如く白く、室内に灯る燭台の輝きに淡い陰影を浮かべている。微かに仰け反った喉首が無防備に目前に曝され、欲望のままにくちづければ、薄い唇から切なげな息が洩れた。
逞しい片腕でカミューを支えると、しっかりとした質感が腕にかかり、細身ではあるがしなやかな筋肉が感じられた。マイクロトフは寛げたローブの袷に忍び込ませた掌で、恋人の肌の感触を楽しんだ。
「待て……、待ってくれ」
不意に急いた口調でカミューが言う。
怪訝に思って薄く染まった頬を覗き込むと、彼は自身の胸元を這う手を掴んで引き寄せ、起用に口で手袋を剥ぎ取った。体温を直に感じようとする姿に微笑んで、唇を寄せると、カミューは咥えていた手袋を落としてそれに応えた。
再び衣服の中に伝う指先が、胸元の隆起を探り当てる。そっと指に挟んで刺激を与えると、カミューはマイクロトフの服を噛むことで声を殺そうとした。
「……どうしておまえは────」
そうやって自身を偽ろうとするのか。
苦痛も悦びも、可能な限り包み隠そうとするのだろう。
何を隠す必要があるだろう────心をも分けた唯一の相手に。
マイクロトフにはカミューに隠すものなど皆無だ。にもかかわらず、彼はすべてを曝け出すことを未だ躊躇っているように見える。
不意にマイクロトフは隠されたカミューの貌を暴きたい欲求に駆られた。露になった肌の熱をゆっくりと舌で拾い上げながら、時折強く吸い上げる。薄紅散る白い肌を満足げに眺め、カミューを窺った。
火照った頬、見返す潤んだ瞳に胸を抉られる。マイクロトフは性急に床にカミューを引き摺り下ろし、そのまま彼に被さった。
「マ、イクロトフ……?」
荒くなった仕草に眉を寄せるカミューに薄く微笑むと、ローブを開き切って胸に顔を埋めた。
すでに鼓動は早い。脈々と波打つ命に触れている気がして、頬を押し当てたまましばらく規則正しい息吹に耳を澄ませた。
目前に、さっき触れた突起が緩やかに上下している。惹かれるようにくちづけると、呼気に煽られた其処は僅かに色づきを増すようだった。
脇腹を撫で下ろしながら、マイクロトフは唇で慈しみ始めた。途端に甘い吐息が忙しなく零れ出る。舌先で丹念に転がすと、それは明白な快楽の色を為していった。
しかし、それでもカミューは自身の肩口に顔を伏せて、少しでもマイクロトフの視線に曝されないよう虚しい努力をしている。
もともと嬌声を殺そうと努めるカミューだが、今宵は二人の足跡が一年を見た夜なのだ。少しくらいは自制の殻を破って欲しいと思う。マイクロトフは執拗に刺激を与え続けた。
指で軽く挟み込んだまま舐られた隆起は、室内の冷気に触れることでいっそう紅を増す。それと共にカミューの体温は激しく熱していった。冬の凍てついたヴェールに抱かれて冷えていた肌が、本来の体温を取り戻し、更に愛されることによって灼熱を纏い始めたようだった。
「────火傷をしそうだ……」
揶揄じみた睦言に、カミューは緩やかに視線を向けてきた。
「……寒い夜には悪くなかろう?」
「────寒くなくても、だが」
ローブの裾を割って差し入れた掌が、しっとりした内股を撫で上げていく。仄かに汗ばみ始めた下肢のすべらかさは、同じ男とは思えない優しさだ。マイクロトフは感嘆を込めて身を起こし、暴かれた肢体を眺め下ろした。
まじまじと見詰められることをカミューは拒む。開かれたローブを手繰り寄せようとする手を掴み、マイクロトフはゆっくりと首を振った。
「……おまえのすべてを見たいんだ」
「────もう見慣れただろう?」
「足りない」
普段は衣服に包まれて、一分の隙もなく秘められた白い肌。清廉で潔癖な香りに守られる彼が、欲情に濡れて肌を染めるのを知っているのは、今は────そしてこれからも自分ひとり。
ささやかな抵抗を示すカミューを押し広げ、その内股に鬱血を残した。それは降り積もった処女雪に刻まれる足跡の如く、痛ましくも妖艶な烙印に見える。決して他者には見えない場所に印すくちづけの跡は、マイクロトフの優越を煽った。
なだらかな腰骨の線を辿る掌、幾度となく触れる唇は、だが核心を逸らしたままだ。期待を込めて育ったカミューは、はぐらかされて焦れた涙を零していた。
「────っ……」
追い詰められた息を洩らし、カミューは下肢を味わっているマイクロトフの黒髪に指を埋めた。立てられた膝裏は激しく打ち震え、爪先が絨毯を掻く。
「マイクロトフ────」
苦しげな響きが言葉にならない要求を訴えていたが、マイクロトフは敢えて応えなかった。すると溜め息じみた苦笑を浮かべ、カミューはゆっくりと呟いた。
「……おまえも意地が悪くなってきたな……」
息を切らせたまま、掴んだ髪を掻き毟るに至って、マイクロトフは譲歩することにした。
この意地っ張りな年上の恋人は、どれほど切羽詰まったところで簡単には望みを口にしない。素直になれない彼を歯痒く思う反面、そんな意地が愛しくもある。
今宵初めて其処に指を絡めると、恋人はたとえようもない甘い吐息を吐いて身を仰け反らせた。柔らかく擦り上げれば、溢れ落ちた雫が指を濡らした。
「……っ、あ────」
耐え切れずに口の端を吐いた声に誘われ、マイクロトフはひとたび丁寧に密を拭い取ったそれを口腔へ導いた。
「…………あ、……ああ…………」
声とも息ともつかないくぐもった響きが立て続けにマイクロトフを襲った。
普段の凛としたカミューとは異なる、夜の顔が見え隠れする。身悶える肢体はしどけない芳香に満ち、どれほど野性を煽り立てることか。
衣服に掛けられた指の強さに、失墜が近いことを教えられる。マイクロトフは今一度たっぷりと舐ってから彼を解放した。快楽の頂きは同時に迎えたかった。
半端にされた愉悦に困惑する間を与えず、マイクロトフはカミューの口に指を与えた。薄い涙の幕に覆われた琥珀がぼんやりとそれを一瞥し、指は形良い唇に呑み込まれる。猥りがわしい濡れた響きと、それを立てる清潔な口元の落差に眩暈すら覚えた。
充分に湿った頃を見計らい、マイクロトフは指を引き抜いた。伝う唾液の糸が尖った顎に落ちるのを舌先で拭い、下肢に指を進める。一瞬走った緊張の竦みを、再びくちづけることで解しつつ、カミューの体内に忍び込む。
「────っ……」
もう幾度夜を過ごしたかわからない。それでも、身の内に他者を迎える行為には葛藤があるのだろう。カミューはきつく目を閉じて仰のいた。
潜り込ませた指で丁寧に道を開きながら、マイクロトフは幾度も名を呼んだ。そうすることで恋人の身も心も解れることを知っている。次第に力の抜けた身体が、熱く溶け出したところで指を引き抜いた。
「マイクロトフ……、ベッドに────」
ささやかな懇願。だが、叶えられそうにない。
「駄目だ」
寝台までの僅かな距離は、果てしなく遠い道程に思える。裸身となる間ももどかしく、かろうじて上着だけを脱ぎ捨てて、カミューの片足を抱え上げた。
開かれたローブが作った粗末な褥の上、マイクロトフは一気に身体を繋げた。洩れる微かな苦鳴をくちづけで塞ぐ。
「……う、────」
「────つらいか……?」
動きを止めて囁くと、カミューは身を震わせているにもかかわらず小さく首を振った。
閉ざされた目元から溢れる涙を見るたびに、色々な感情が沸き起こった。
愛しさ、切なさ────憐憫に似た思いもある。
情を確かめ合うためにカミューが味わう苦痛を許し難いと呪いつつ、彼が払う犠牲の重さは想いに匹敵するのだと歓喜さえする。渾然とした感情のままに、彼は流れる涙を舐め取った。
うっすらと開かれた瞳と間近に出会う。熱にうかされ、常よりも色を深めた琥珀の双眸。途切れることなく零れる涙も、今の彼は意識していないようだ。濡れた瞳が訴える苦痛が薄れていくのを見守った上で、マイクロトフは改めて低く問うた。
「……もう……、大丈夫か……?」
ようやく思考がはっきりしたように、カミューはやや目を見開いて、それから儚く微笑んだ。自身を気遣う男の声に促されたように、強張っていた四肢から力が抜けていく。
マイクロトフをきつく拒んでいた体内までもが柔らかく収斂し始めた。マイクロトフの中に渦巻く様々な想いは、そこで情熱と変貌した。
彼はわかっているのだろうか────
そのすべてがマイクロトフを引き寄せて止まない。
飢餓させ、狂わせ、奪わせる。
何処までも満ちることのない渇望が、永久を誓わせるのだ。
心を繋いで一年、それはこれから訪れる幾つもの季節の中で、ほんの束の間のときかもしれない。けれど、紛れもなく二人で積み上げた大切な記憶となる日々である。
慣れない行為にカミューを傷つけた夜もあった。
快楽を探り当てて歓喜した夜も。
様々な記憶の糸が絡み合い、混じり合いながら二人の歴史を編み出していくのだ────これからも絶えることなく。
「マイクロトフ……────!」
深々と貫かれたカミューが細い叫びを上げた。紛れもない官能を滲ませた嬌声に、マイクロトフは彼の半身を抱き上げた。乱れたローブの上に向かい合わせに座り、涙に濡れた頬を優しく撫でる。
「……カミュー」
そっと揺すり上げれば、彼は縋り付くようにマイクロトフの首に腕を回し、耳朶に熱い息を届けた。
「カミュー……────」
互いの身体に挟まれた熱を掌で包み、律動に合わせて絞り込むと、激しく打ち振られた柔らかな髪が耳元で微かに抗議する。
「熱……、い────」
掠れた声が言った。
マイクロトフは燃え上がるような背を支える片腕に力を込める。
「熱いんだ、……マイクロトフ……────」
「────わかっている」
快楽の極みは近い。それはマイクロトフも同じだった。抽挿は勢いを増し、それと同時に洩れる喘ぎは自制を失っていった。殺そうにもこらえきれない悦びが、カミューを攫ったようだった。
マイクロトフもまた、望みを果たした充足を覚え、自らの下肢の上に舞う恋人を心ゆくまで堪能した。やがて絶え入るような悲鳴を上げて失墜したカミューは、そのまま背後に崩れかけた。ぐったりした身体を支えたマイクロトフは、ほぼ同時に彼の奥深く愛情を放った。
荒い息を吐きつつ見遣れば、カミューは腕の中で意識を飛ばしていた。彼が極まって落ちたのは初めてだ────ふと思い至ってマイクロトフは目を見開いた。
隠している顔を暴きたいとは思ったが、これは予想外というべきか。恋人をそっと解放し、その身を慎重に横たえてやる。
幼げに閉ざされた瞳から伝う愉悦の涙、微かに開かれた唇から洩れる細い息。じっと見守るマイクロトフは至福に包まれた。
「────そんな顔も持っていたのだな……」
小さく呟いて、傍らに身を投げた。脱ぎ捨てた自身の上着を引き寄せて、未だ火照る裸身を覆う。冷気から守るために胸元に引き寄せ、汗に濡れた髪を撫でつけた。
こうしていれば、温かい。
窓の外は雪景色。けれど互いの体温に包まれる二人には、凍れる寒さは無縁である。
カミューの語った言葉を理解し、マイクロトフは小さく微笑んだ。
────今宵はこのまま眠りにつこう。
明日、白銀に照らされた恋人はどんな顔を見せるだろう。
それは新たな一年への扉となる、綺麗な笑顔であるといい────