四人の顛末
「きゃああああ! ちょっと、大変────!!!」
手にした冊子をぶんぶん振り回しながら、甲高い悲鳴を上げた少女に一同がのろのろと顔を巡らせた。
常ならば同盟軍の中でも『綺麗どころ』と呼ばれてもいい筈の乙女たちは、色濃い隈で目許をくすませ、幽鬼の形相で声の主を恨めしげに睨む。
「ちょっと、ニナちゃん……大声出さないで。三日連続貫徹明けの耳にはツライわ……」
ずり落ちたままの眼鏡を直す気力もないのか、エミリアが机にへばりついた状態で訴える。床にへたり込んでいるリィナとアイリの姉妹に至っては、作業によってあちこちについた墨汁の跡を落としてもいない。────そう、同盟軍本拠地内において『マチルダ・サークル』を称して、怪しげな本を出版し続ける邪な乙女のユニットは、昨日怒涛の修羅場を終えたばかりなのである。
「……今回は死んだわ……お願い、寝かせて……」
「アネキ……白い川が見えるよ……」
「リィナさんもアイリちゃんもしっかりして! それどころじゃないのよう!!」
その身体の何処にバイタリティーが溢れてくるというのか、仲間と同じだけ徹夜を重ね、幾度となく印刷を請け負うマルロ青年とやり合って締め切り延長をもぎ取ったニナは、やけに元気だった。
「その!苦労の結果が〜〜〜!! あああ、どうしよう!」
「何だよ、どうしたってんだよー……」
ずりずりと床を這いながらアイリがしゃがみ込んだニナに近寄る。
「あ、新刊だー。早いな、間に合わせてくれたじゃないか」
「間に合ったは間に合ったけど、出来が問題なのよ〜」
ニナは悲痛な声で宣言した。
「乱丁なの! それも物凄いの! ねえ、どうしよう? 即売会は明日なのに!!!」
「乱……丁……?」
ようやく事の重大性がぼんやりと頭に浮かんできたのか、エミリアとリィナがよろよろと集まってきた。ぶるぶる震えている少女の手から冊子を受け取り、頭を突き合わせて吟味する。
「駄目、何も目に入らないわ……ニナちゃん、何処が乱丁なの?」
リィナがしばしばするらしい目を擦りながら問う。だが、ニナが答える前にエミリアが気づいた。
「あら……ホントだ、これは凄いわ……」
妙に脱力した彼女の声に、ニナが激昂する。
「あ────もう!! 何を呑気そうに……エミリアさんの個人誌なのよ、もっと驚いてください!!」
「……ええ、一応驚いてはいるけど……」
「驚く気力も不足してるんだよね」
アイリが弱々しく言うと、改めて紙面を覗き込む。
「えーっと……何処がどう乱丁なんだよ?」
「つまりね……混じっちゃってるの」
「何が?」
「だから!」
ニナは半泣きで叫んだ。
「バカップルの前半とエロ話の後半でひとつの話になっちゃってるの!!!」
────沈黙。
重い沈黙を破って切り出したのはアイリである。
「ニナ……『エロ話』って、他に言い様ないのかよ」
「あっ……ご、ごめんなさい、エミリアさん……」
「いいのよ、ちょっと生温かったけど……一応エロを目指したつもりだし」
年長者らしく穏便に流したエミリアだが、『せめてシリアス甘々えっち話』くらいにしておいて欲しかったな、という本音が表情から窺える。
「ね……、問題は違うんじゃない? 二つの話が混じっているって……」
当事者から外れたリィナがひとり冷静に分析した。言われてはっとした乙女たちは、慌てて本題に立ち戻る。
「それで、バカップルの後半と……アレ話の前半も繋がってるの?」
「────くすっ、何だかリバシね……」
さり気無く煩悩をくすぐられながらもニナは即座に我に返った。
「あ、ううん、それが変なの。その部分がなくなっちゃってるんです。おっかしいなあ、マルロ君……これまで一度もこんなことなかったのに」
「やっぱりノンブル付けに手が回らなかったのが原因かしらね」
溜め息をついたエミリアにリィナが平身低頭で詫びる。
「ごめんなさい……私の挿絵が終わらなくてページ数が決まらなかった所為だわ……」
「いいのよ、お互い様だわ────気にしないで。それにしても、やっぱりノンブルは重要なのねえ……」
「感心してる場合じゃないわ、エミリアさん!」
ニナは拳を振るわせた。
「そりゃあ……掟破りの再三に渡る締め切り延期、たった一日で印刷を終わらせるよう頼んだりしたわ! でも……血の滲むような労力で書いた原稿が真っ二つになって無理矢理繋がって(ぷっ)いるのよ? おまけに半分はなくなっちゃってるし! これはもう、クレームつけなきゃおさまらないわ!!」
「……まあまあ、ニナ。クレームつけたってどうなるもんでもないし。第一、ここにはマルロしか印刷引き受けてくれる奴はいないんだし……」
宥めに回ったアイリだが、ニナは悔し涙を浮かべている。
「だってアイリちゃん! どうするのよー!! 即売会は明日なのよ? ううん、正確には今日なのよ〜〜。今更刷り直したって間に合わないし、お客様に嘘つくことになっちゃう〜〜〜!!!!」
「……刷り直す前に、今頃マルロ君……倒れていると思うわ」
ほうっと溜め息をついたリィナががっくりと項垂れる。
「仕方がないわ、この際合同誌だけの販売にすれば問題解決じゃない?」
気楽に正論を口にしたエミリアだが、ニナが差し出したペーパーには『合同誌及びマチルダ・ハンター(注:エミリアのペンネームである)個人誌の二冊同時発行!!!』の文字が大きく踊っている。
「今更ペーパーの刷り直しも出来ないのよ〜〜」
「このトークペーパーを楽しみにしてくれてるお客さんもいるんだよなあ……」
「今回だけペーパーなしというわけにはいかないわよう〜〜」
「困ったわね……この前の即売会も当日中止になったばかりだし……流石に二度連続は胸が痛むわ」
「あ、ごめんなさい。この前は私の原稿が間に合わなかったのよね……」
「いいえ、その分エミリアさんは今回合同誌+個人誌のノルマを頑張ったんですもの。確かその前の前の前は私が落として中止になったし」
「ああもう、傷の舐め合いやってる場合じゃないわ!!」
ニナは仁王立ちになって戦慄いた。
「この始末をどうつけるか! それが問題なの! とりあえず乱丁本を配布して後から交換に応じるか、潔く即売会を中止するか。クレームはその後だわ」
リィナが小首を傾げた。
「後から交換……と言っても、これを読んだ後に元の正しい話を読んでも────」
「なーんか変だよね」
アイリが同意する。
「それに、乱丁本を売るのは良心が咎めるわ。この前の演劇鑑賞会の売上もあるし、いっそのこと私の本は無料配布ってことにしたらどうかしら」
提案したエミリアに、三人は大きく目を見開いた。
「エミリアさん……何て太っ腹な……」
「そりゃ……そりゃあのあぶく銭があるから懐は痛まないけどさ」
「締め切り前のエミリアさんの努力は? 同盟の才媛と呼ばれながら、お風呂に入る暇もなく、髪をひっ詰めて目許にメントール塗りまくって、手は原稿を書きながらお皿に顔を突っ込んでご飯食べてた────あの日々はどうなるの?!」
「ニナちゃん────」
「駄目よ! 私にはあのエミリアさんが忘れられない! あんなに頑張ったのに自腹切りなんて────」
「………………忘れて、お願い……」
「そうね、言われてみればその通りだわ……あの鬼気迫るエミリアさんを思えば、無料というのはちょっとね……」
「私が良いと言っているのよ……だから忘れて……」
「そうだよな、ベッドまで辿り着けずに床で寝ていたエミリアさんに、タダはないよな」
「………………………………」
打ちのめされて言葉も出ないエミリアの横で、三人は再度熟考に入った。
「何とか別の道を探しましょう」
「最後まで全力を尽くして煩悩をまっとうするのが同人女のつとめ!」
「あ、いいわね〜〜アイリちゃん。今度それ使わない?」
若い乙女の勢いに負ける形でエミリアも相談に加わった。
「ねえ……ちょっと思ったんだけどさ」
アイリがふと呟く。
「これ────ひとつの話としてイケないかな?」
「え…………?」
頭を突き合わせて文字を追いかけ、よくよく考えた上で最初に言葉を発したのは製作者本人だった。
「……いやだ、いけるかもしれないわ……」
「そうねえ……幸いバカップルのマイクロトフさんは上達したところで切れているし……」
「これなら後半のマイクロトフさんが巧くてもおかしくないかも!!」
目の前に道が開けていくような気がして、四人は一気に高揚した。
「最初の駄目さが後半を盛り立てる……かもしれないよ」
「ちょっとした違和感も『あ、芸風変わったかな』で押し切れる……んじゃないかしら……」
「恋に悩める乙女なカミューさんが上手いこと共通してる……みたいな気がするわ」
「幸いエロが後半だからインパクトで違和感を吹っ飛ばせるわよ、絶対!!!」
互いを洗脳し合った後には晴れやかな笑顔が広がる。
「いける、いけるわ! タイトルはどっちになってる?」
「ええと────『悩める赤騎士団長』。ああ、駄目ね……バカップルのタイトルが使われているわ」
「んー……それじゃタイトルだけ上に紙を貼り付けて直しちゃいましょう!」
「────これから?」
「やるからには完璧を目指す! それが我がマチルダ・サークルの信念よ〜〜」
ここまでくると、積もり積もった徹夜の疲労と睡眠不足によって正常な判断を保つのは難しい。一番勢いのある意見に引き摺られるのは道理というもので、乙女たちはニナの指導のまま紙と筆記用具を用意した。
「手書きか……とほほ」
「アイリちゃん、愚痴らない! タイトルはどうします?」
「そうねえ……『二人の軌跡』なんてどうかしら? 夜の営みの進歩と関係の進化をかけあわせて」
「ああっ、リィナさん! それいきましょう、それ! じゃあ、流れ作業で。私とアイリちゃんが紙を切るから、リィナさんタイトルお願いできます? エミリアさんはそれを糊貼りしてください! 疲れたら交代ってことで、よろしく!!」
「へ〜〜い」
「頑張りましょう……」
「結局、今夜も徹夜なのね……同人の道はつらいわ……」
泣き言を山ほど垂れながらの作業は夜を徹して行われ、マチルダ・サークルは無事に即売会を迎えることが出来た。
とにかく愛する騎士団長たちが出ていればご満悦の同盟軍内同志たちは、エミリアの作品の細かい違和感には目を瞑ってくれたようだ────いや、気づかなかっただけかもしれないが。
余談。
行方不明となった原稿の半分であるが、これは印刷所の輪転機の後ろから束になって発見された。
乙女たちの締め切り破りに付き合って、同様に徹夜を重ねて疲弊したマルロ青年が、いざ作業に入ろうとしたところで貧血を起こしてエミリアの原稿をばら撒いてしまったらしい。
慌てて拾えるだけ拾い集め、通し番号の入っていないお約束違反の原稿を念入りにチェックして、そこそこ通じる話を作り上げてしまったのが真相であった。
後にマルロは語っている。
『僕が男同士の性行為に詳しいのは、別に男が好きだからではありません。仕事だったからです』
無論、怪しい言い訳として即座に却下されたのは言うまでもない────
← 前編
怒る? 今更ですよね★
ちなみに、ここまでの修羅場は未体験。
いつか踏み込みそうな想像の世界(笑)
今回もまた、
巧いままでは終われないうちの青
を守ってしまいました。
次こそは!!……というわけで、懸賞ですが。
前半と後半の話のカラーの違いが
ヒントだったのです。
完全回答は流石になかったので、
『邪ユニットの本』
を挙げられた方にURLをお送りします(笑)
メール回答の方々はのんびりお待ちを……。