二人の軌跡
ここ数日、赤騎士団長カミューは鬱だった。
はっきりと周囲に露見するような振舞いはせぬものの、ロックアックス城内の赤騎士団長執務室を訪れる部下たちは確実にそれを察知した。
ぼんやりと窓辺に意識を飛ばし、しどけない溜め息をつく。かと思えば疲れたように頬杖をついて、虚ろな視線を机上に這わせる。日頃、隙を見せぬ凛とした彼だけに、そんな危なげな頼りなさを醸す姿は妙に扇情的である。
結果、執務室を出て行く騎士たちは、案じる顔を隠さぬもの、前屈みでそそくさに立ち去るものに二分されることとなった。
さて────
本日も溜め息混じりに一日のつとめを終えたカミューは、副長が礼を取って退出するなり机の引出しを開けた。中から取り出したのは小さな冊子。綺麗な装丁のそれをパラパラと捲り、また大きな息を吐く。
憂いに満ちた美貌の青年騎士団長────
華麗な剣技と明晰な頭脳で赤騎士の頂点に立つ彼が、悩める乙女モードに入る要因はただ一つ。親友にして最愛の伴侶でもある青騎士団長マイクロトフ以外ない。
カミューは改めて最初から冊子を眺めやる。そこには彼自身の几帳面な文字が細かく並んでいた。
『3回────最悪の初体験としか言いようがない』
評価12点『2回────どうしてああ勢いばかりなのか』
『3回────慣らしの段階で達ったので実質2回』
『1回────珍しく少なかった。体調でも悪かったか』
週間評価23点『4回────この前の挽回か。勘弁してくれ』
『1・5回────「程々」ということも学ばせねば』
週間評価25点『1回────わたしの体調が悪かったのを考慮か』
『2回────ほんの少し進歩が窺える』
『4回────前言撤回。死ぬかと思った』
週間評価28点『3回────体力バカ。こっちは2回が限度だ』
『2回────意外なことに良かったような……』
週間評価46点『2回────最近あまり暴発しないようだ』
『2回────困ったことに感じてしまった』
『3回────不覚にも3回目を誘ってしまった』
週間評価75点『3回────先週は何かの間違いだったのか……』
『2回────どうしてこう波があるのか不思議だ』
『4回────遠征前だから大目に見てやるか』
週間評価62点『7回────二日寝込んだ。蹴飛ばしてやりたい』
週間評価−12点『2回────反省が窺える。仕置きが過ぎたか』
『2回────何処かで訓練してきたのか……?』
『1回────おかしい、良かった』
週間評価81点『2回────何ということだ、失神してしまった……』
『3回────わたしが先に……信じられない……』
週間評価94点
冊子を捲るたびにカミューは鬱に磨きが掛かるようだ。
「……まさか、こんな日が来ようとは……」
彼はぽつりと呟いた。
長く親友だった男と恋仲になっておよそ半年、色恋とはとかく縁のなかったマイクロトフをリードするのは自分の役割だと信じて疑わなかった。
体躯の差から自分が下になることは早々に諦め覚悟していたものの、男同士の行為というものは噂に聞く以上に難しいものだった。ましてマイクロトフは想像を絶する不器用・突進・絶倫男なのだ。
仮にも不自然な役割を演じている恋人を思い遣る余裕のひとつもなく、欲情一色で覆い被さってきたマイクロトフに、初体験は散々だった。激痛・流血・気絶と三拍子揃った初夜に、『二度と御免だ』と思ったカミューである。
だが、所詮は彼も恋する若者。
愛しい男に捨て犬のような目で見詰められれば、ほだされるのは時間の問題だ。毎度やれやれと溜め息をつきながら、その腕に身を委ねるのだった。
毎度苦しい交合のあまり、悪態をつきたいのは山々なのだが、大きな図体をしてマイクロトフは彼の一言に過剰反応する為それも叶わず、已む無く記録をつけはじめた。
冊子は悪口雑言で埋め尽くされているものの、実のところそれほど怒っていたわけではない。マイクロトフの不器用さは最初から考慮のうちだし、行為に不慣れなのはお互い様なのだ。
亀の歩みではあるし、後退も多いが、恋人の努力は認めるし、多少の進歩も感じる。要するに、カミューの冊子は『嬉し恥ずかし・愛のあゆみ日記』なのだった。
ところが────
ここ最近はどうだろう。マイクロトフの格段の上達ぶりに圧倒されて、赤面ものの記述が並んでいる。こうなると複雑なもので、リードしているという自負が揺らぎ、突然カミューは不安になった。
このままではマイクロトフに溺れ、我を忘れてしまうのではないか。幾ら女性の立場で抱かれていても、泣き縋るような真似は出来ない。それは矜持が許さない。
行為の間に声を洩らすことさえ躊躇してならないのに、マイクロトフはその決意を打ち崩そうと執拗に弱味を攻め立ててくる。完全な立場の逆転が仄見えてきて、恋人の上達ぶりを喜ぶべきか否かに悩む。
部下たちの首を傾げさせる赤騎士団長の憂鬱とは、実に私的な問題なのであった。
夜半過ぎの、秘めやかなノックの音。
いらえを待たずに室内に入り込んできた男と、出迎えようとして扉口で鉢合わせた。明かりを落とした部屋の中、漆黒の瞳が情熱的にカミューを見詰めている。
燃えるような眼差しに射抜かれた途端、カミューは男の腕にきつく抱き寄せられた。息も詰まるような抱擁の合い間に耳元に吹き込まれる低いバリトン。
「────先に湯を使ったのか?」
湯上りの火照った肢体を包む薄いローブに掌を這わせながら、マイクロトフは小さく言う。
「……一緒に入ろうと思っていたのに」
「────冗談じゃない」
なまじ計算されていないだけに、男の言葉はひどくカミューの羞恥をそそる。薄闇にさえ紅潮した頬を見透かされそうで、彼は慌てて顔を逸らせた。
細い顎を包み込むように捉えた大きな掌が、ぐいと彼を上向かせる。被さるように降りてきた唇に呼吸を奪われた。忍びやかに侵入した舌がいとおしげに歯列を割り、躊躇いがちに応える舌を吸い上げ、濡れた音を立てた。
「……っ……」
ローブの上をゆっくりと伝う掌に官能をくすぐられ、声にならない吐息を洩らす彼にマイクロトフは甘く囁く。
「────声を殺すな、カミュー」
だが、頑なに唇を噛み締めて息を殺すカミューに苦笑して、彼は実力で望みを果たし始めた。
仰のく白い喉元を降りていった唇が、薄紅を散らしながら鎖骨を掠めていく。襟元を咥えてなめらなかな胸元を暴いたマイクロトフは、そのまま淡い隆起に舌を寄せた。熱い息遣いと濡れた柔らかな感触に、硬く勃ち上がり色を深める素直な反応────マイクロトフは仄かに笑みを浮かべた。
片腕でしっかりとカミューを抱き寄せながら、もう片手がするりと前に回る。
布の上からやんわりと刺激され、たまらず膝が砕けた。体勢を崩したところを強い腕が掬い上げ、そのまま壁に押し当てられた。壁とマイクロトフに挟まれ、カミューは心許なげに琥珀を瞬かせた。
「……怖がらなくていい」
穏やかな声が囁く。
言われて初めて自分の中にあるささやかな怯えを知り、切羽詰った気持ちに襲われた。ローブの裾を割って太腿に触れる手の熱さに足が震える。
「────あっ……」
そっと握り込まれると、耐え切れず声が溢れた。柔らかに弄る刺激は容赦なく快楽を暴き立て、次なる期待に張り詰めたそこは淫らな涙を滲ませた。身悶えて愉悦の海から意識を保とうと足掻くカミューを、マイクロトフはくちづけひとつで陶酔させる。押し寄せる波の如き悦びは、いつしかカミューを飲み込み、攫った。
解放を求めて絨毯に埋まった爪先に力がこもる。ローブのはだけた上体は切なげに打ち震え、マイクロトフの背に回った指は衣服の上から男に爪を立てた。
そこで────刺激は中断した。半端に留め置かれて息を荒げるカミューは、不安を隠さず男を見る。だが、慕わしい顔は優しげに笑みを含んだままだ。
今し方までカミューを翻弄していた指先が口元へ当てられる。僅かに濡れたそれに、己の情念を突きつけられるようで、いたたまれず顔を背けようとすると、強引に唇を割って指が差し入れられた。
「────っ」
「大丈夫だ、ちゃんと良くしてやるから」
諭すような口調に、カミューはおずおずと舌を絡めた。自らを開く指に潤いを与える行為は耐え難い羞恥を誘う。胸に疼く微かな恥辱感も、だが自虐を伴った快楽のひとつとなるのだ。
「ん……っ、ん────」
くぐもった息を吐きながら口腔を探る異物を舐め、たっぷりと唾液を絡ませる。頃合を見たマイクロトフが指を引き抜くと、銀糸が細く伝い落ちた。
僅かに壁から身を隔てられると同時に、濡れた感触が走った。ゆっくりと、だが確実な質感をもって穿たれたカミューは、弱い吐息を洩らした。
体内にマイクロトフを感じるたび、そんな行為にさえ甘んじる己の情の深さに切なくなる。ただそれが彼であるというだけで、こんなにも脆く肉体は屈する。柔らかく体内を解す指は、堪えるカミューの堰を切って立て続けに甘い喘ぎを導き出した。
「……熱いな、カミュー……────」
ひっそりと耳朶に届く声にさえ、もう答えを返せない。今にも崩れ落ちそうな身体をマイクロトフにしがみつくことで必死に支えながら、カミューは幾度もかぶりを振った。
マイクロトフはカミューの弱味をすべて握っている。増えた指が道を開きながら確実に彼を追い上げる。
追い詰められ、終に潤んだ瞳で懇願した。
「マイクロトフ、もう────」
「……ああ」
微笑んだ男はカミューを解放するなり、膝でしなやかな脚を割り開いた。殊更敏感になった箇所を擦られ、細い悲鳴を上げたカミューは、そのままマイクロトフが自身の下衣を寛げるのに目を見開く。
「なっ……────こ、ここで…………?」
「今すぐ欲しい」
短く言って膝裏を掴んだマイクロトフは、彼の片脚を抱え上げた。
「ま、待て────……そんな……」
「いいから、おれに掴まっていろ」
躊躇いを一蹴したマイクロトフは、逞しい欲望をあてがうと、一気にカミューを貫いた。
「っ……────ああ!」
突き上げられて、柔らかな髪が舞った。仰け反る首筋に噛み付くようなくちづけが落ちる。
「あっ、痛……」
壁に擦られる背中の痛みに微かにうめくと、即座に気づいたマイクロトフが腕を入れて庇ってくれた。
男を迎えた痛みは一瞬だけで、最初から凄まじい快楽の渦がカミューを巻き込んだ。自身だけが淫らに衣服を乱されていることも、禁忌を忘れて迸る嬌声も、すでに脳裏から押し遣られ、与えられる悦びを受け止めることしか出来なくなる。
「マイクロトフ────マイクロトフ……!」
切ない絶叫と共に失墜を仄めかすと、マイクロトフは弾んだ息で同意した。
「いいぞ、カミュー……────」
「あ……────あ!」
一際激しく揺り動かされ、カミューは啜り泣きながら歓喜を極めた。それを見届けたマイクロトフは、更に幾度か抽挿を繰り返し、それから押し潰すように彼を抱き締めて欲望を吐き出した。
途端に足から力が失われ、壁伝いに崩れ落ちる。それを支えながらマイクロトフもまた床に座り込んだ。ぐったりと弛緩したカミューは、息も整わぬまま男を睨み据えた。
「信じられない奴だ、こんなところで────」
恨みがましく訴えるのに、苦笑が答える。
「そんな涙目で怒ってみせても可愛いだけだぞ、カミュー」
「…………………………」
軽く往なされて憮然とするが、快楽の余韻で溢れる生理的な涙を止めることが出来ない。カミューは男を押し退けようとした。笑いながらそれを止め、軽いくちづけの合い間にマイクロトフが言う。
「────おまえが悪いんだぞ?」
「どうしてわたしが……」
「今日は一緒に風呂に入ろうと決めていた。なのに……さっさと一人で済ませているし」
カミューは当惑して目を見開いた。
やや拗ねたような顔つきでそっぽを向く屈強の騎士。先ほどまで自分を翻弄していた男が見せる妙な子供っぽさに呆れ、それからゆっくりと安堵に包まれる。
「だからといって……こういう真似をするのか?」
「もう一度洗えばいいだろう?」
何が何でも決意してきたことを通そうとする姿勢に苦笑を禁じ得ない。この男の持つ二つの顔に惹かれていることを改めて感じるカミューだった。
「……しばらく立てそうにないよ。おまえが運んでくれるのかい?」
「おまえの望むまま、何処へなりと」
揶揄で返すマイクロトフに、カミューはゆっくりと手を伸ばした。
年下の恋人に優位に立たれるのは釈然としない。
だが、すべてにおいて自分が先んじる必要もないだろう。マイクロトフに主導を握らせ、忘我を味わうのも悪くはないかもしれない────そんなふうに考えてみる。
恋愛など、悩み出したら底がないのだ。ならば、何も悩んでいないマイクロトフに対してあれこれ考えるのは損かもしれない。
────所詮、理屈は情熱に捩じ伏せられる運命にあるのだから。
男の首に両腕を回して頬を寄せた。その愛情溢れる仕草に驚いたマイクロトフが照れ臭そうな笑みを見せる。
「……断っておくが、浴室でする気はないぞ?」
先手を打って宣言すると、マイクロトフは不敵に笑んだ。
「風邪を引くといけないからな、朝はちゃんとベッドで起こしてやる」
「……『朝は』────?」
どうやらマイクロトフにとって先ほどの交わりは前戯でしかないらしい。
強靱な欲求にほとほと弱り果てながら────
それでもカミューは恋人の温もりという名の幸福に包まれていた。
後編 →
青のオヤジ度減少作戦のため、
無口にしてみました(笑)さて、ここで問題です。
後編の展開を予想してくださいv
正解者の方には
未公開SSのURLを……
え、いらない? そう……(苦笑)