煩雑なる事後記録/後編


名残惜しそうな眼差しに送られて店を出た二人は、そのまま向かいの宿屋へと歩を進めた。
こちらもまた、出てきた酒場と似たりよったりの寂れぶりだ。もっとも、ここ暫くの間は騎士や無頼漢が入り乱れ、それなりに繁盛したと言えるだろうが。
主人がたいそう恐縮しながら部屋代を合計する間、マイクロトフが不思議そうに首を傾げていた。
「それにしても、同じ宿とは……よく連中と鉢合わせなかったものだな」
「二階の一番奥まった部屋を用意して貰ったからね。彼らが店に顔を出す少し前を見計らって到着する。後は連中が解散し、この宿に泊まる者が部屋に入ったら城に戻る、その繰り返しさ。どのみち変装していたから、もし鉢合わせても、直ちに騎士とは悟られなかったと思うが」
「成程……」
そこでカミューはふと考えた。店主に薬品箱を要求し、番犬のように立ち尽くす男を見上げる。
「部屋に残してきた物がないか確認する。ついでに、傷に絆創膏でも張ってやるよ」
「負傷などしていないぞ?」
「……擦り剥けている」
余程気前良く殴打を見舞ったのか、マイクロトフの大きな拳は薄赤く染まり、左手には微かではあるが血が滲んでいた。
「素手で闘ったのなど久しぶりだからな、勝手が違って気付かなかった」
騎士団長ともあろう男が、些少とは言え、拳の裂傷にも気付かぬほど我を忘れて乱闘に勤しむというのは如何なものか。頓着ない笑みを横目に、首を捻らずにはいられない。
宿屋の主人は数日分多めに支払いを済ませたカミューに平伏せんばかりの様相だった。無論、ほんの僅かな延長滞在を厭う理由もない。マイクロトフとしても、どんなところから店を観察していたのか気になるのだろう、促したカミューにおとなしく付いてきた。
部屋には未だ灯が残っていた。格別広いとも言えない室内を眺め回し、彼はヒソと言う。
「……ここに籠もっていたのか?」
「そうだよ。普段はともかく、今宵はあの人数でね」
「おれたちには気付かなかったのか? 連中が来る少し前に店に入ったのだが」
「時間的には見ていた筈だ。人の出入りには十分に留意するよう命じていたが……服装で目を眩まされたかな、早めに着いた一派とでも見誤ったのだろう、見張りは疑念を持たなかった」

 

もしも自分が窓から街路を見下ろしていたら。
如何なる装束に身を固めていても、即座に見分けたに違いない。この世で唯一と選んだ男の輝きは、どんなときにも見誤ることなど有り得ない。

 

それに、とカミューは笑いを噛み殺した。
「とにかく、わたし以外は立ち詰めで待機だ。少しばかり洞察力が鈍っても責められないよ。そんな訳で……、『決行』予定の刻限をどれほど待ち遠しく思っていたか、想像して貰えるだろう?」
マイクロトフはしみじみ考え込み、申し訳なさそうに首を振った。
「本当におれの短慮がおまえたちの邪魔をしてしまったのだな……すまなかったと後で騎士たちにも伝えてくれ」

 

芋洗い状態の部屋で忍耐に忍耐を重ね、終に痺れを切らせて急行した店の扉は内側から固く閉ざされていた。異変でも生じたのかと店主を案じ、已む無く突入を命じようとしたところで施錠が解かれた。
駆け込んだ騎士らはさぞ仰天しただろう。カミューとて平静を装ったものの、内心は呆然といった心地だった。
転がった丸太のような男たちの群れ、最奥にて仁王立ちになったマイクロトフ。青騎士隊長の興味深げな瞳がなかったら、何をしていると詰め寄りたい心地だったほどだ。

 

「……手を出してみろ」
「手当てするほどの傷ではない。舐めておけば十分だ」
言いながら口元に運ばれた手を、カミューは横からそっと奪った。そのまま滲む血を舐め取ると、マイクロトフは狼狽えた声を上げた。
「い、いや、違う。舐めて欲しかった訳では……カミュー」
「黙っていろ」
上目で様子を窺いつつ、擦れた肌に慎重に舌を這わせる。触れるか否かといった動きが、たちまち男の官能を震わせるのを確かめた上で、軽く伸び上がって伴侶の唇を塞いだ。
自身の血の味をどう感じたか、マイクロトフは衝動めいた激しさでカミューを抱き竦めてきた。無頼の男らを薙ぎ倒した強い腕が呼吸を奪う勢いで絡みつく。
「……悪かったよ、マイクロトフ」
苦しい息の間から囁くと、マイクロトフは怪訝そうに力を抜いた。緩められた抱擁に身を預けたままカミューは続けた。
「もっとも、半分以上はわたしの所為ではない気もするけれど。妙な噂を耳に入れて、すまなかった」
「カミュー……」
「それに、一瞬ではあったが考えた。おまえが噂を信じたのかと」

 

互いというものがありながら、別の誰かに心を寄せた、そんな埒もない噂話を認めたのかと憤慨した。すぐに冷静は取り戻したが、今も微かに後ろめたさが残っている。
何があっても互いを信じる心に偽りはない。メルヴィルが代弁した通り、それはカミューも同じ気持ちだ。もし逆の立場なら、カミューも笑って噂を往なしてみせただろう。
だが、まるで頓着しないかと言えば別である。確かに経緯は気になるし、今回のような場合は──認めるのは実に癪だが──内容的に胸を刺す。如何に信じていても、疑心や妬心とは無縁たり得ない、それは人の業というものだ。
あの凄まじい暴力も、あるいはマイクロトフの欝屈した情念の発露だったのかもしれない。そう思うと、叩きのめされた連中に幾許かの憐憫も沸くカミューだった。

 

「違うぞ、カミュー。おれがもう少し……」
熱を帯びた声音に堂々巡りを予感して、カミューは朗らかに調子を変えた。
「店の御主人に聞いたよ、無頼漢崩れを演じて連中を欺いたそうだね」
するとマイクロトフは憮然と頷いた。
「メルヴィルが、な。おれの役柄は『無口で陰気な連れ』だ」
堪らず吹き出す。
「絶妙だな。おまえに芝居をさせればボロが出ると見越しての配役だ」
「カミュー……」
低い唸り声と共に、抱き締める腕に力が増した。
「しかしメルヴィルは実に見事な役者だった。まったく、おまえと似ている」
「わたし?」
「あのとき……おれも一瞬本気にしたぞ。本当に奴らを焼き殺すのではないかと。誤解と言うなら、おれも同罪だ」

 


愛しい男の腕の中、赤騎士団長は密やかに笑む。
巧く取り繕っていたけれど、青騎士隊長メルヴィルも失笑を堪えていた。ならば、あの鋭い男をも欺くのに成功したのだろう。
あれは演技などではなかった。少なくとも、半分ほどは。
部下に連行される男たちは青騎士団長の温情で命を救われたと思っているだろう。それは、ある意味で正しいのだ。
白騎士団・第一部隊の管轄地では赤騎士が立ち回りを展開する訳にはいかない。一味が店を出たところで偶然顔を合わせた同類を演じねばならなかった。騒ぎが広がり、人の目についた場合も想定して、騎士の装束を解いて『つとめ』に臨んだ。
生かして街の外へ追い遣る、所謂『護送』の道も一応は想定しておいたが、無法者は当然の如く抗っただろう。もし戦いが始まれば、騎士の訓練された剣が容赦なく敵を断罪した筈なのである。
逃げる者まで追うつもりはなかったが、身内意識の低そうな寄せ集めの一派、仲間の亡骸を引き摺って逃亡を図るとも考えられない。果ては幾つかの死体が残される。
喧騒の後にも周囲に白騎士の姿はなく、店前に放置された死体に動転した店主が二本先の通りを巡回中の赤騎士の許へと助けを求めに駆け込む───それがカミューの立てた筋書きだった。
死体発見の報告が赤騎士団管轄地に届けば、後は何とでもなる。商人の口さえ噤ませてしまえば、多少騒ぎが大きくなったところで巧く納められる自信がカミューにはあった。
武力を持たぬ商人まで刃に掛けるのは躊躇われるので、自然、適当に脅し上げて放免することになったろう。だが、真に人を支配しようとするなら恐怖よりも敬愛の方がずっと確実で強い力だ。
詰まるところマイクロトフの乱入は、図らずも一味の命を救い、より安全に商人の口止めを果たしたという訳である。
青騎士二人に論じたように、早急に第一隊長ローウェルに脚本の変更を伝えねばならない。彼もまた、新たな筋書きを苦笑混じりに歓迎するに違いない。

 

「……御蔭で、万事穏便に事が済ませられたよ」
小さな呟きはマイクロトフには届かなかったようだ。知らぬうちに他者にまで強運を分け与えた男が、笑いながら言い募る。
「メルヴィルにも驚いた。背を狙われたのは迂闊だったが、おれを庇って飛び出してきたときには息が止まったぞ。脅しつける演技には更に肝が冷えた」

 

あのとき、カミューの位置からは得物を取り出した頭目格は見えなかった。背後から斬り付けられたにしろ、マイクロトフならば十分に対応可能だったかもしれない。
だが、青騎士隊長には迷いがなかった。襲い来る刃と上官の間に閃光の如く割って入った。逆に痛撃を見舞ったのは卓越した闘争本能の賜物だ。その鮮やかな手並みも賞賛に値するが、寧ろカミューが興味深く見守ったのは、マイクロトフが口にするところの『脅迫の演技』であった。
薄い笑みを浮かべて敵に刺さったナイフに力を込めた男。あの一瞬、メルヴィルの真の姿がちらついた。

 

「……あれは演技ではなかったと思うよ」
これもまた、聞こえぬほどの小声で返す。

 

騙し討ちや不意討ちといった策は騎士には厭われる戦法だが、いざ戦場に立てば、そんな危険は茶飯事だ。だからあの場で頭目格が取った行動は際立った卑劣とも言えない。
マイクロトフが述べるように、カミューも本質的にメルヴィルと自身が同類であるのを認めていた。双方共に、唯一絶対と決めた男の窮地には幾らでも冷酷になれる人間なのだ。
もしもメルヴィルより早く男の攻撃に気付いていたら、同じように動いていた。得物がナイフではなく剣である分、カミューの迎撃の方が敵には致命的であったろう。
メルヴィルは心底から憤ったのに違いない。一度は投降を示しながら上官の背を狙った敵に、欠片ほどの温情を施す気もなかった。突き刺した刃が敵の腕にあったのを、いっそ無念に思ったかもしれない。
仕留め損ねた敵を前に怒りを抑え切れなかった、おそらくはそれがあの脅迫劇なのだ。マイクロトフが止めなければ彼は間違いなく無頼漢の腕を落としていた。死に至るか否かは運次第、即死でない分、相手は底知れぬ恐怖を舐めねばならない。
刹那でメルヴィルは己を取り戻した。けれど、上官の命に直ちに従うには腹立ちが勝ったのだろう。それが分かったからこそ、芝居に乗った。温情溢れる青騎士団長───メルヴィルが描いた図式を忠実になぞったカミューなのだ。
彼はマイクロトフを『人が好い』と揶揄混じりに論じるが、その懐の深さ、広さに惹きつけられているというのが本音の筈だ。
マイクロトフの温かさこそが、メルヴィルという複雑難解なる男を心から跪かせている大いなる力なのである。

 

「演技ではない? どういうことだ?」
不思議そうに尋ねる男には、そんな意識はないらしい。己の光が、敵に回せば難儀な男を平伏させている───気付かぬ鈍さも魅力の一つと言えるかもしれない。沸き上がる愛しさを込めて、今ひとたび男の唇を塞ぎ、カミューは逞しい腕から逃れ出た。
「副長といい、第一隊長といい……おまえも良い腹心を得た、という意味さ」
もっとも、と苦笑が零れる。
「ディクレイ殿の小言には真綿で首を締められているような気がする、メルヴィルに至っては、ちくちく針を刺されているようだ───おまえはそう感じているかもしれないけれど」
「そこまで推察しているなら、少しは慰めてくれても良いのではないか?」
言うなり、マイクロトフは再度カミューを抱き締めた。そのまま寝台に向かわんとする無言の圧力を悟り、やや厳しい顔を作ってみせる。
「却下だよ。どう言って城を出てきたかは知らないが、『夜食を用意していた』と言うからには、つとめが残っているのだろう? ディクレイ殿が気を揉みながら待っている筈だ」
「う……」

 

それに、と琥珀が煌めく。
突然辞したメルヴィルの思惑も気になる。
よもや深い関係まで察知されているとは思いたくないが、それもマイクロトフが相手では微妙に不安なところだ。
いずれにしても『不毛な陳謝の応酬、再び』くらいは期待されていそうだし、迂闊に乗ってやることもないだろう。
彼の言の通り、マイクロトフの無事はこの目で確かめた。脚本の変更通知といった事後の始末も残っている。
恋人とゆっくり抱き合うには慎重を求められ、且つ忙しい職務───それが騎士団長という立場なのである。

 

カミューは吐息混じりに囁いた。
「……次の休みは?」
目の前に積まれた骨肉を持って行かれたような面持ちで拘束を緩めようとしていたマイクロトフが、はたと考え込む。
「何事もなければ四日後だが」
「では、何事も起こさぬよう、誠心誠意つとめるといい」
未だ怪訝いっぱいの男の腕の中、赤騎士団長は誰にも見せぬ瞳を艶やかに輝かせた。
「合わせて休暇を取るとしよう。今回の行き違いの詫びも兼ねて、懇切丁寧に慰めて差し上げるよ、マイクロトフ」

 

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赤とイヤミ君、
狐と狐の化かし合いの内訳の図。
大局では赤の勝ちに見えますが、
青との関係を握られている部分で大敗(笑)

読み手様的には雪崩れ込みラブvを
期待されていたかもですが、
やっぱ宿屋に情事の痕跡残しちゃマズイ気が。
ゆえに、うっちゃり。すみません。

青の乱闘騒動話は、これにて終了。
次の騒動をお待ちください〜。

 

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