煩雑なる事後記録/前編


唐突に出ていった部下たちに呆気に取られた騎士団長らであるが、店主の驚きはそれに勝った。ちょうど追加の酒肴を運ぼうとしていたらしい彼は、慌ててテーブルに駆け寄ってきた。
「な、何かお気にでも───」
『触りましたか』と口中で呟き、それから怪訝そうに眉を顰る。店に残ったのは騎士団長二名、何事かに腹を立てて出ていくには配役がおかしい、そう悟ったのだろう。
カミューは微笑んで首を振った。
「夜食が用意してあったのを思い出したとか。無駄にせぬよう、先に帰城しました」
「それは……お引き留めしてしまって、かえって申し訳なかったような……」
「とんでもない。どうぞお気になさらずに」
相変わらず穏やかな笑みを絶やさず、カミューは慎重に推察を進める。
『団長の夜食』とメルヴィルは言った。ならば無駄になる筈がない。用意を申しつけたとしても、この季節、料理人たちは作り立ての温かな料理を出すよう心を砕くものだ。
相手が騎士団長なら尚のこと、完全に仕上げた状態で要求される瞬間を待つなど、有り得ない。必要がなくなったと知れば、下拵えされた食材は他の夜勤騎士の夜食にでも充てられる筈なのである。
「……何を期待したのだか」
ポツと呟くと、マイクロトフと店主は不思議そうに互いを見合った。
「ああ、いえ、何でもありません。食事を無駄にせぬよう心掛けるのは良いことです」
にっこりした瞳の端に、店内の至るところに散った料理の残骸が映る。あの人数に出した割には量的に少ないようだが、やはり勿体無い。食器の破片が混入していたのでは家畜の餌にもならないし、あの場で連中に食べさせるのも至難だっただろう。
「……これは戦時下だとでも思って諦めるしかないな」
悄然とした口調にマイクロトフは更なる羞恥を募らせたようだ。本当にすまない、と店主に幾度も頭を下げている。これ以上の言及はかえって店主を恐縮させるばかりだと考えたカミューは、朗らかに話題を変えた。
「それにしても剣もなく……よくもまあ、二人で片付けたものだね」
店主はここぞとばかりに身を乗り出す。
「凄かったでございますよ。あの青騎士様はのんびり見物してらしたけれど、こちらなんぞ、もう震えるばかりで……」
「見物?」
「メルヴィルには店主殿と戸口を守れと命じたのだ。一味を逃がさぬようにな」
マイクロトフの補足に店主は大仰に首を振る。
「そりゃあ、マイクロトフ様の御力は信じておりましたが、あの人数を目にしては……とてもああはどっしり構えちゃおられませんでした」
しかしカミューの意見は別にあった。優美に腕を組みつつ、彼は視線を宙に泳がせる。
「戸口を張っていたのはメルヴィルか。さては我々を締め出したな」
踏み込もうとしていた騎士らを無視していた男を思い出したのか、店主がぎくりと強張った。が、やがて青年の白い貌に浮かんだ苦笑を認めて力を抜く。

 

乱闘が何処まで進んでいたかは不明だが、複数名の騎士が乱入すれば展開は異なっていただろう。
敵が二人──否、メルヴィルが見物に徹していたならマイクロトフ一人か──といった図は、侮りを誘い易い状況と言える。どれほどマイクロトフに有利な状態が続いていても、いつかは逆転するといった目算が男たちには働いていた筈だ。
だが、大勢の騎士に乗り込まれれば別である。進退窮まった敵が、暗器でマイクロトフに襲い掛かった頭目格のように、捨て身の逆襲に出る可能性は高い。
してみれば、メルヴィルは彼なりの遣り方で上官を護ったのだろう。周囲には分かりづらい、しかし彼にとっては最大なる忠節で。

 

「……それにしても、やはり酷いな。カミュー、すまないが待っていてくれ。少しだけでも片付けておきたい」
不意に言ってマイクロトフが立ち上がった。そのまま店の奥へと足を進め、倒れた椅子の一つを取り上げる。
「マイクロトフ様! 宜しいのです、放っておいていただければ……」
「そうはいかない、せめて壊れたものを纏めておくくらいはしておく」
「いいえ、そのような……!」
「やらせておきなさい、御主人」
身を屈めて品々を検分する男の広い背を眺めながらカミューは可笑しげに店主を押し止めた。自らも立ち上がって袖を捲る。
「己の行動には最後まで責を持つ、それが騎士の教えです。モップはありますか?」
「モ、モップって……カミュー様!」
「実はわたしも気になって仕方がなかったのです。朝まで待ったら、床に完全に血反吐が染み込んでしまう」
店主は目を白黒させて、しなやかな二の腕を曝した美貌の騎士団長と、慌ただしく店内を行き来している屈強の騎士団長とを見詰めていた。
「モップをください、御主人」
しかし、再度カミューが笑んだところで魂を抜かれたようだ。ふらふらと奥に向かい、戻ってきたときには粗末なモップと水入りのバケツを持参していた。
マイクロトフが胡乱な目を向けてくる。
「……おまえまでそんなことをしなくて良いぞ、おれがやる」
カミューは明るく言い返した。
「本日、わたしは何のはたらきも為していないからね。騎士団長の誼みで付き合うさ」
バケツにモップの先を突っ込む横で、店主は放心気味だ。店の添書に『青騎士団長の乱闘の舞台となった』、挙げ句『赤騎士団長がモップをかけた』が加えられるのだから無理もない。最後に箝口を命じたら、さぞがっくりすることだろう。
マイクロトフは、折れたテーブルや椅子の脚、更には割れた食器の破片といったものを次々と店の隅に積み上げている。そちらはたいそう大雑把な作業である上に、当人が大股で闊歩しているので、邪魔せぬようにと配慮したのか、店主はカミューの横から離れようとしない。そんなつもりは皆無なのだろうが、カミューは仕事ぶりを入念に観察されているような気まずさを覚え、自然、口が軽くなる。
「御主人は、お怪我は?」
「あ、ありませんです、カミュー様」
「メルヴィルはちゃんとつとめを果たしたのですね」
すると店主は僅かに複雑そうな顔をした。
「何か?」
「いえ……少々変わった方だと思いまして」
モップの手を止めたカミューに、彼は急いで付け加えた。
「決して悪い意味では……ただ、団長様の雑用係とは難しいおつとめなのだな、と……」
「雑用係?」
はい、と首を傾げる。
「そう仰ってました。無頼漢崩れのフリは巧みだし、マイクロトフ様へのお振舞いなど拝見しても、他の騎士の皆様とは随分違うものだな、と……」
「彼は第一部隊長ですよ」
吹き出しそうになりながら誤解を訂正してやる。
「青騎士団の第三位階者です。我が赤騎士団で言うなら、ミゲル騎士の直属の上官にあたる立場になりますね」
店主はあんぐりと口を開いた。驚きぶりから、彼がメルヴィルを一種の特殊工作員のように考えていたのが知れる。実際、配下の赤騎士隊長らと比較しても、何処となく一線を画す気配を持つ男だ。あながち的外れでもなかろうとカミューは思った。
「そ、そんなに偉い方だったのですか……」
「別に偉くもありません。そうした意味では騎士団長も同じです」
点々と飛ぶ血痕と破損物の破片とを丁寧に拭い去りながらカミューは言う。
「腹を立てれば後先も顧みずに乱闘を始めるし、床の汚れが気になれば掃除もする……必要とあらば、ならず者とて装ってみせる。騎士も街の民も然して変わりはありません」
ただ、と微笑んで付け加える。
「我々の行動の根底にはマチルダ領民を護るといった絶対的な信念がなくてはならない。ただその一点だけが民と騎士とを分けるのです」
「カミュー様……」
「一部の騎士の不心得から、この近隣が害を被った。ならば他のものが手を差し伸べねばなりません。しかし、騎士団には騎士団なりの秩序というものがある。だからこそ、我らは隠密に動かねばならなかった───」

 

白騎士団員の怠慢を憂いつつ、なすすべもなく日々を過ごしていた街人たち。この店が商人一派の集会所に当てられる不運に見舞われたのは、やはり目の前に宿屋があるという立地の偶然だった。
方々からならず者を集めるには、それなりの環境が要る。通りに面した一室を早々に拠点として押さえたカミューだが、他の部屋は先程連行した男たちが陣取っていた。
店主は、ある日突然扉を押した美貌の青年の正体を知るなり驚愕し、次に歓喜した。長く待ち望んだ救援の手が、どの色彩の騎士であるかなど、問題ではなかった。
騎士団間の縄張りの図を曝すのはカミューとしても本意ではなかったが、策を果たすには偽らざる事情を説く必要があり、幸いにも誠実な男は固い沈黙で応えたのである。
全身を耳にした店主が、着々と固まる計画を逐一報告していたとは、よもや一味も考えなかっただろう。だが、ふらりと訪れた二人の青騎士に計画を台無しにされるとは、もっと想像していなかったに違いない。

 

「御主人。これは言うまでもありませんが……以前お願いしたように、今宵の騒ぎも含め、一切に於て内密を守っていただきます」
「え?」
即座に曇る男の顔からは、青騎士団長の雄姿を街中に触れ回りたいといった感想が見て取れた。カミューは小さく首を振る。
「ここに至る事情は説明しましたね? あなたの沈黙がなければ、わたしはマイクロトフを護れない。彼もわたしも、本来この場に居るべきではない人間です。お分かりいただけますね?」
「カミュー様……」
如何にも無念そうに、けれど終には店主も納得顔で頷いた。おおまかな作業を終えて満足そうに額の汗を拭っている青騎士団長に目を遣りながら小さく言う。
「今夜、店でならず者同士の諍いがあった。争った者たちについては何も知らない───もしも詮索されたり、取り調べを受けたときにはそのように答える。最初の御命令通りに致せば宜しいのでございますね?」
ええ、と静かに微笑んでカミューは最後の血糊を拭った。仕事の出来を一顧してから小首を傾げる。
「……わたしの技量ではこんなものかな。やはりミゲルに任せた方が綺麗になったかもしれない」
部下が聞いたら胸中複雑であろう感想を呟きつつ、モップを清めて店主に差し出す。恭しく押し戴く男から、丁度そちらも作業を終えたふうのマイクロトフに視線を移して軽く呼び掛けた。
「マイクロトフ、そろそろ失礼しよう。宿屋に支払いを済ませて、それから城に戻る。御主人、長きに渡る御助力に騎士団を代表して御礼申し上げます」
今宵、これ以上この店で為すべきことはない。そうしてカミューは、僅か二人の観客を前に、華やかに過ぎる最敬礼を披露したのだった。
「何しろ一人でふらふらするなと念を押されているのでね。随従を果たして貰うよ、青騎士団長殿」

 

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お邪魔虫が消えた後に2人がすること、それは

お掃除

……でした。綺麗好きって素晴らしい。

 

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