「グリンヒル公主を殺したのは、グラスランドのカラヤという部族の民だ。彼らなりの理由があるが、そいつは後で説明する」
いきなり衝撃的な一石を投じておいて、だがゲオルグは、周囲の反応に構う気配を見せなかった。自身でも状況を整理するように、殊更ゆっくりと続ける。
「カミューは報復を遂げるためにマチルダ───叶うものなら、騎士団内部に潜入しようとしていた。村を襲った騎士の名すべてを記憶していたからな、そいつを頼りに全騎士団員の中から標的を探し出す気だったんだ」
襲撃者たちは、村を制圧した直後、カミューが潜んでいるとも気付かず点呼を始めた。よもやそれが、将来の報復の手立てになるとも知らず。
「全部で二十四人、無論、その中の誰が逃げ果せたかは分からない。だが、死亡した団員の名は何かしらのかたちで記録されるだろうし、消去法で割り出せると踏んだのだろう」
「……当時、彼は十四歳でしたか。恐ろしい記憶力だ」
青騎士隊長が洩らし、本人の口からその才能を聞いていたマイクロトフでさえ、改めて感嘆しそうになった。
「唯一の懸念は同名の騎士が居た場合だったろうが、結果を見ると惑わされずに済んだらしいな。とにかくあいつには団員名簿や侵攻の記録を調べられる位置に潜り込む必要があった」
フリード・Yの脳裏に、皇子の部屋に積み上がっていた書の束が浮かぶ。「巣」などといった、冗談混じりの遣り取りで呼ばれたそれは、カミューにとって標的に近付く足掛かりであったのだ。苦いものが込み上げた。
「さて、そこでカラヤ民族の登場だ。彼らもまた、意図するところあって、グリンヒル公都内に複数の戦士を送り込んで情報を集めていた。そこで知ったんだな、公主ワイズメルがマチルダに送る刺客を探していると」
「なっ……」
一同は一斉に息を呑んだ。
とんでもないところから縺れた糸が一つ解けようとしている。誰もが身を乗り出して、食い入るようにゲオルグに注視した。
「ワイズメルも、とんだ迂闊だ。複数の側近貴族に探させていたのはともかく、内密を徹底させられなかったのだから。刺客探しを命じられた貴族の一人が、カラヤの戦士に声を掛けた───あの学問隆盛の公都では武人風の人間は目立つからな。勿論、戦士は適当な理由をつけて断わったが、それはグラスランドで待つ族長へと報告されていたんだ」
どうだ、といった顔つきでゲオルグは総勢を一望する。
「さっきも言ったが、おれと別れた後にカミューはグラスランドに行った。マチルダ入りする前に今いちど故郷の亡骸を見るつもりだったのか、他の意図があったのかは分からないが、とにかくそこであいつはカラヤの村に立ち寄った」
「それでは、もしや……」
「そうだ、族長はカミューの目的を知って情報を流した。以上が、おれがカラヤ族長から聞き齧った、カミューがマチルダに潜入するまでの経緯だ。おまえさんたちの話では、この国の宰相がワイズメルを信用して護衛の推挙を依頼したらしいが、そいつが裏目に出たな。ワイズメルには正に願ったりの申し出だった。護衛という名を隠れ蓑にした刺客を送り込めるのだから」
「そんな……、ワイズメル公が……グランマイヤー様まで裏切られていたなんて……」
憤慨を通り越して、フリード・Yは呆然とする。信頼が利用されていたなど、あの善良なグランマイヤーが知れば、どれほどの衝撃だろう。
「宰相の依頼を受けてから刺客を送ることを思いついたのか、あるいは渡りに舟だったのか。ワイズメルが出した策か、ゴルドーなる人物の方から持ち掛けたか。そのあたりは判断しかねる。だが、直接カミューに暗殺の指令を与えたのがワイズメルなのは確かだ」
膝の上に乗せた手をわなわなと震わせて、マイクロトフが低く呻く。
「───ワイズメル公か」
公女テレーズの優しい笑顔が過り、次いで砕け散った。
「ワイズメルが「協力者」か。おれにテレーズ殿を嫁がせようとしておきながら……ゴルドーと組んで、おれを殺そうとしていたのか」
慕わしき友、公女テレーズまでもが踏み躙られたように思えて、吐き気を覚える。それは怒りと失意が綯い交ぜとなった複雑な嫌悪感だった。
一方、二人の騎士団位階者は、今ひとつの可能性に思い至って、暗い視線を交え合う。しかし、ともあれゲオルグの話の先を聞こうと暗黙の了解に達し、背を正した。
蒼白になって戦慄いているマイクロトフを一瞥し、ゲオルグは眉を寄せた。
「……そうか、公女と結婚話も進んでいたんだったか。娘を嫁がせるともなれば、ワイズメルを疑おうとするものはないだろう。ゴルドーという男にしてみれば、これ以上ない味方だったな」
「……確かに」
口惜しげに赤騎士団副長が声を震わせる。
「協力者としてワイズメル公の名は挙がりましたが、その一点が障りになりました。実の娘御を目眩ましの駒の如く使うなど、考えるのも憚られましたし……」
「刺客───まあ、実際は余計な目的まで抱えた刺客だったが、カミューが皇子を亡きものにすれば、ゴルドーとやらがマチルダの最大権力者となるのだろう?」
「然様ですな。忌ま忌ましいが、あの男を宰相殿が抑え切れるとは考え難い。そればかりか、下手をすると宰相殿を消してでも全権を手中に納めかねない人物だ」
吐き捨てるように青騎士隊長が答える。それからふと瞬いて、放心気味に呟いた。
「……そうか。カミュー殿は、団長よりも先にゴルドーを始末すると言っていたらしいが……そうすることで宰相殿に後の権力を委ねようとしたのかもしれない」
あっと小さく声が上げ、フリード・Yが勢い込んで応じた。
「そう、きっとそうです。傲慢で利己的なゴルドーが全権を握れば、国は良い方向には向かいません。阻もうと騎士の皆様が尽力なさっているのを見て、脅威を取り除こうとしてくださったのに違いありません」
ゲオルグは黙して彼らの言葉を聞いていたが、ふむ、と首を捻った。
「あの馬鹿は、柔軟なのか頑固なのか、さっぱりだな。目的の途中でそんなところまで配慮するくらいなら、どうしてあと一歩、おまえさんたちの主張に歩み寄らなかったんだか。皇子を殺して報復を完成させるより、死者の潔白を証明する方が遥かに困難で、やり甲斐もあったろうに」
まったく同感だと言わんばかりに、ぶんぶんと首肯するフリード・Yだ。
「査察で村を巡っていたとき……カミュー殿は考えておられたのではないでしょうか。今のマチルダ国内は穏やかな平和を保っております。御自身の村の悲劇を過らせて、国が揺れるような事態は避けたいと思ってくださったのです、きっと」
「……王たるものが失われても、国は揺れるぞ。それが制度の廃止によるものではなく、暗殺なら」
ふう、と溜め息をついて青騎士隊長は首を振った。
「ゲオルグ殿が言われた「歪み」というものが分かってきた気が致しますな。カミュー殿の中には相反する意識が存在する。凝り固まった復讐心と、おそらくは彼本来が持つ、他者の厚意に応えようとする誠心。まあ……、後者の手段がゴルドー抹殺というのは少々過激だが、時間も余裕もない身では致し方ないといったところでしょうか」
「誤解が解けて復讐心が消えれば、我々の知る彼のみが残る……とも言える」
穏やかに笑んで赤騎士団副長が後を引き取る。そうあって欲しいと心から願いながら、一同はゲオルグに視線を戻した。無言の要求に男は頷いて語り出す。
「……既に引っ掛かる点があったかもしれんが、今は先を進めるぞ。おまえさんたちはカラヤという部族について、どの程度知っている?」
マチルダとは無縁と思われたグラスランドの部族。やや戸惑いながら、マイクロトフが代表して答えた。
「一般的な知識の範囲に過ぎませんが、古くから勇猛果敢な戦士を輩出してきた部族だとか……。ティントやサウスウィンドウがグラスランドへ攻め入った時代には、抵抗勢力の中心的存在だったと聞いています」
ゲオルグは満足気に笑み、どっかと背凭れに寄り掛かった。
「ここ十数年、デュナン周辺諸国との間に表立った争いは起きていないが、カラヤは今もグラスランドにおける有力部族だ。グラスランドで名のある部族は、すべて族長を軸として、強固な結束を誇っている。それが強みであり、同時に弱みでもある。分かるか、皇子?」
マイクロトフは頷いた。
絶対的な力を持つ指導者の存在。民が一枚岩として\まるための要であるが、逆にこれが失われれば、部族は一気に揺らぐ。
特に闘争に生きる部族にとって、指導者の資質は死活問題だ。無能な長が民を率いるようになれば、あっという間に争いの中に飲み込まれてしまう。
ゲオルグはひとたび息をついた。追想に漂うように目を閉じる。
「これまで「族長」と一括りに語ってきたが……昔、熱で倒れたカミューを世話してくれたのは先代カラヤの長だ。少し前に命を落として、今は娘が跡を継いでいる」
「娘御───」
目を瞠って赤騎士団副長が呟く。
「すると、此度カミュー殿に力を貸したのは新しい族長殿の方ですか」
「そうだ」
そこでマイクロトフははっとした。記憶の片隅からふわりと浮き上がるものがあったのだ。話を中断させるのを憚りつつ、質さずにはいられなかった。
「ゲオルグ殿、その新族長……もしや、ルシア殿という名ではありませんか?」
ゲオルグは驚いたように目を見開き、怪訝そうに首を傾げた。
騎士たちも不可解を湛えた眼差しでマイクロトフを見詰めている。国交を持たぬ地の、しかも代替わりしたばかりの一部族長の名までは聞き及んでいなかったからだ。
「よく知っているな……カミューから聞いたのか?」
マイクロトフは曖昧に頷くにとどめた。
直接聞いた、とは言い難い。眠るカミューが夢うつつに洩らした女名。もう随分と前のような気がするのに、あのとき覚えた小さな痛みは今も鮮明だ。
己の知らぬ女性の名を、眠りの中で零した青年。何処かに残してきた想い人の名ではないか、そんなふうに誤解して、何とも不可思議な情感と直面した。
思えば、あの頃から始まっていたのかもしれない。
カミューが無意識に呼ぶ「誰か」が疎ましく、無性に遣る瀬なかった。あれは、兆した想いがそうさせていたのだろう。彼の心を独占したい、そんな幼い、生まれ立ての恋情の発露だったのだ。
「マチルダへ来る前に……数日間、村に滞在したと言っていました」
同じ地を故郷とする同朋の一人に過ぎない、そう聞いて安堵した。だが、もっと留意すべきだったのだ。何故あんなにも苦しげに名を呼んでいたのか───ルシアなる人物が、単なる同朋以上の重きを占めていたからだったのに。
ゲオルグは短く嘆息した。
「全てを嘘で固めていると、何処かで綻びが出るものだ。あいつは巧みに真実を織り交ぜる。結果、無理のない設定、疑われ難い環境が整う。まったく、妙な策士になったものだ」
それから気を取り直したように咳払いする。
「さて、ここからが本題その一だ。何故カラヤの民がワイズメルに害意を抱いたか────報復だ。先代族長は、ワイズメルによって殺されたんだ」
「何ですって?」
一斉に男たちの表情が険しくなる。何事か言い掛けた騎士を制して、ゲオルグは語り接いだ。
「ルシアから聞いた話だから、多少の偏りはあるかもしれん。しかし彼らは、血の気は多いが、確証も掴まずに一国主を暗殺するような無謀な民ではない。前族長はワイズメルによってグリンヒルへと誘い出されて殺された。復讐のため、ルシアはワイズメルを襲ったんだ」
そこでゲオルグは、遠い記憶に住まう男を過らせたかのように唇を噛んだ。
「先代族長は豪放な人物だった。戦いとなれば、率先して飛び出す勇敢な武人。その一方で、「異邦の文化を学びたい」と丁重に請われれば、疑いもなく赴く程度には礼節にも厚かった。闘争とは無縁の学術国家に危険があるとは、彼も思わなかったのだろう」
「騙し討ちですか……卑劣な真似をする」
青騎士隊長が顔を歪める傍ら、フリード・Yが瞬いた。
「でも、ゲオルグ殿。そんなことをして、グリンヒルに何の利があるんです?」
「それまでグリンヒルとカラヤに交流はなかったし、私的事情による殺害とは考え難い。やはり、「頭」を潰してカラヤの力を削ぐ……というあたりだろうな」
「侵略を目論んでいたと仰るのですか? グリンヒルは学術国家、強力な軍がありません。力を削いだところで、相手は生粋の戦士一族という話ですし、いざ事が起きれば、他のグラスランド部族が応援に駆け付けてきた過去の歴史もあります。まったくもって無意味と思われるのですが」
「相対的に考えてみろ、侍従殿」
騎士がちらりと目線を向けて言う。
「ワイズメルはゴルドーと通じていたのだぞ。たとえグリンヒル本軍が弱小でも、奴にはもっと大きな戦力が約束されていたも同然だ」
えっ、とフリード・Yばかりかマイクロトフも目を剥いた。
「騎士団を……使おうとしていた、と……?」
次いで、皇子の拳が激しく卓に打ち付けられる。
「マチルダ騎士を、対カラヤ戦に使おうとしていたというのか!」
「断定してしまうのは早急だぞ、皇子。密約の証がない以上、まだ推測に過ぎない」
軽く諌めながら、ゲオルグの面差しも硬かった。
「さて、問題だ。先代カラヤ族長は比類なき武人だった。そんな男を、たとえ自国に招き寄せたにしろ、ワイズメルは如何にして殺したか」
ちらと二人の騎士団員を見遣り、弱く息を吐く。
「……察したようだな」
「そうであって欲しくないと祈っていたのですが」
赤騎士団副長は前置いて、ポツと言った。
「公はカラヤ族長殿を毒殺したのですな」
刹那、マイクロトフとフリード・Yは愕然とした。
手持ちの札を出し合っていたときには、語る必要なしと判断したゲオルグ・プライム。意向を違えたのは、赤騎士団副長が持ち出した懸念を重く受け止めたからだと主従にも分かったのだ。
屈強で、病が忍び寄る隙もなさそうだったマイクロトフの父とカラヤ族長。両者の死は、数年の刻こそ挟んでいるが、非常に似通っている。しかも後者はワイズメルによる謀殺とされ、前者にも──現段階の事実として──同じ名がちらついている。
もし、ワイズメルから贈られた酒に、族長にも含ませた悪意が潜んでいたなら。
絡み合った糸が一気に緩む。信じられないほど黒く淀んだ、陰湿なる野望の片鱗が浮かび上がってくるのである。
「……団長」
低く青騎士隊長が呼び掛ける。今にも叫び出しそうな様相の皇子を案じたのだ。
マイクロトフは動揺と混乱の境地にあった。昨夜から続いた失意と衝撃、それらすべてが頂点に達しようとしていた。
急使によって父の異変を知り、遊学を切り上げて故郷へと駆け戻った。
迎えた父は、既に物言わぬ骸だった。離れていた半年間で驚くほど伸びた背丈、逞しさを増したマイクロトフの姿を見届けることなく、父は旅立ってしまっていた。
母に続いて、最後の肉親まで失って。
天命と思えばこそ耐えた。耐えるしかなかった。だが、そうでなかったのだとしたら───
マイクロトフは、迫り上がる嘔吐感に口元を覆った。
「殿下!」
従者が取り縋り、赤騎士団副長も腰を浮かせる。
「どうぞ横になられませ、続きはまた改めて……」
しかし、きつく首を振ってマイクロトフは闇色の瞳を光らせた。
「大丈夫だ、気分が悪い訳ではない」
───これは怒りだ。
混じり気のない、生まれたままの純粋な怒り。
「父上は……毒殺されたのか」
カミューが抱いてきた憎悪という感情が初めて分かったような気がした。
愛するものを理不尽な暴力によって奪われる痛み。それを行った相手への吐き気を伴うような激憤。
想像するしかなかった感情が、立て続けに襲い来る。そこに殺意と呼べる暗い炎がちらつくことも、マイクロトフは初めて知った。
ゲオルグが厳しい面持ちで言う。
「何度も言うが、逸り過ぎるのは禁物だぞ、皇子。一度は「毒にあらず」という見解が出ているのだから、まだ可能性の一つでしかない。だが……どうだ、副長? おまえさんの懸念、そう突飛なものでもなくなってきただろう」
はあ、と騎士は沈痛な声で応じた。
「それに……陛下の死因が毒殺と確定すれば、今ひとつ可能性の扉が開きますな」
「どういうことですか?」
瞬いて問うたフリード・Yに、彼は真剣な眼差しを与えた。
「最大の焦点は、ゴルドーとワイズメル公が結んだ時期だよ。我々は、最近───ゴルドーが殿下を亡きものにせんと企てた時点からとしか見ていなかったが、これがずっと以前、つまり先代皇王の御代から結託していたと仮定してみるが良い」
「ええと、それは……」
「騎士団の武力投入を前提に、グラスランドの有力部族長を暗殺した。ゴルドーとワイズメル、共通の狙いがグラスランドで一致するとしたら……?」
「……まさか!」
若者は短く叫んだ。マイクロトフも、千々に乱れ飛んでいた思考に冷水を浴びせられたように思った。
青騎士隊長が腕を組む。眉間には今まで以上に深い皺が刻まれていた。
「既に一度、侍従殿が挙げておりましたな。陛下の命令を装って騎士をグラスランドへ送り、水場確保の目的でカミュー殿の村を潰した人物……ここにゴルドーが納まれば、正にすべてを一本に繋げられる」
当時、ゴルドーは誰もが認める正しき騎士だった。白騎士団副長の要職を努め、血の繋がらない兄弟にあたる王に忠実に仕えていた。
しかし彼には秘めた思惑があった。皇王を退けてのマチルダ全権掌握という野望が。
グラスランド侵攻という考えが何処から生じたのかは分からない。国土を広げない限り、マチルダに今以上の繁栄はないとでも考えたのかもしれない。ともあれ、ゴルドーの中で、マチルダとグラスランド双方を手に入れる計画が同時進行するようになった。
先ず、カミューの村の事件だ。
皇王の名を騙った命令書でグラスランドへ騎士を送る。
結果的には失敗に終わったが、もし侵攻路が確保されていたなら、企てが発覚しないよう、その時点で皇王を亡きものにしていた。皇王暗殺がグラスランドの陰謀であると捏造すれば、大義を掲げて攻め入ることが出来るのだから。
しかし計画は頓挫した。複数名の死者を出したために、戦法を再考せねばならなかった。
だから皇王の目に止まらないようにと、死亡の日時や死因まで偽装して、次なる機会を待った。
およそ一年の後、ゴルドーは突如として攻めに転じ、皇王を殺し、次いで皇子をも消してマチルダの頂きに立とうと動き始める。
協力者は隣国の主、アレク・ワイズメル。親しき「隣人」からの贈呈品に毒が仕込まれているとは夢にも思わず、王は斃れた。
ここでマイクロトフに申し込まれたテレーズとの結婚話にどんな思惑がはたらいたのかは謎である。皇子を護る宰相以下を油断させようとしたのかもしれない。
皇子の味方を装い、誰にも怪しまれぬ位置にいるワイズメルは、ゴルドーにとって切り札にも等しい存在だった。
「飽く迄も仮定の域を出ないが、充分に筋は通るかと」
腕を組みながら騎士隊長がむっつりと締める。
「そうなると、カラヤ族長の暗殺は何処に絡んでくる?」
皇子の疑問には赤騎士団副長が推察を説いた。
「一度目はともかく、少なくとも今度のグラスランド侵攻計画にはワイズメルが重要な役割を占めていたのでしょう」
「族長を誘い出して毒殺し、部族を無力化させたところを攻める……陰険な策だ、確かにゴルドーならやりかねない」
ゲオルグは騎士隊長に頷き掛けて、次いで空を仰いだ。
「皇子暗殺に合わせてグラスランド侵攻を開始する───前回の狙い同様、大義も出来る。おまえさんが言うように、抵抗戦力の主たるカラヤの族長が消えれば、戦局は有利に傾く」
「カミュー殿が用いようとした戦法でもありますな。大きな事件が重なれば、必ず有耶無耶になる部分が出てくる。殿下の暗殺をグラスランド戦の騒動で覆い隠す、それも目論見の一つだったのかもしれない」
「……だが、皇子の強運に邪魔された。ゴルドーが手を焼いているうちに、ワイズメルの方は役割を果たし終え、「機」は微妙にズレてしまった」
マイクロトフは沈痛を堪えながら回想した。
身辺に不可解な事件が生じ、それが己を狙う害意だと悟ったのは何年も前からだ。
しかし、特に攻撃が頻繁になったのは、ここ半年ばかりのこと。即位が間近に迫ったからだと考えてきたが、必ずしもそうではないのかもしれない。
初めは単なる暗殺計画だったものに、目眩ましの意図を含んだグラスランド侵攻という第二の野望が絡んでいったのだとしたら。
本来、カラヤ族長とマイクロトフ暗殺は、ほぼ同時期に果たされねばならなかった。盟友に先んじられてしまったゴルドーには、確実に皇子を始末してくれる優秀な暗殺者が必要だった。
そこにカミューが納まる。生じたズレを取り戻すための秘策。己に疑いの目が向かないよう、皇子の味方を装う駒。
ゲオルグは更に補足した。
「カラヤの新族長ルシアは若い娘だ。父親亡き後の部族を\めるには力不足と侮り、カミューが「契約」を果たすのを待って侵攻を開始しても充分だと考えたのかもしれない。ワイズメルは読み違えた。蛮族と蔑む民が、報復によってここまで強固に結束するとは想定していなかったのだろう」
副長は少し思案して、慎重に切り出した。
「報復を想定していなかったということは……公としては、毒殺とは分からぬよう計らったのでしょうか。如何なる毒が使われたか、お聞き及びですか?」
それには残念そうに首が振られる。
「こんなふうに絡んでくるとは思わなかったし、そこまで詳細を問う必要がなかったのでな。ただ、族長が死んだのは村に戻ってかららしい」
「遅効性の毒物ですか……」
「グリンヒル内で死亡すれば、暗殺の疑わしさが幾倍にも跳ね上がる。選択としては自然だろう」
考え込んでしまった副長からマイクロトフへと視線を移したゲオルグは、やや穏やかさを取り戻した調子で諭した。
「いいか、皇子。確証がない以上、ここまでの話はすべて仮定でしかない。ただ……今現在、おまえさんたちは完全に手詰まり状態、打開するすべも見えずにいる。どのみち行き詰まっているなら、仮説を前提に動くのも一つの手じゃないか?」
それが誤った仮定であっても、裏付けるかたちで調べていくうちに、ひょっこりと真実に辿り付く可能性も無きにしも非ずだ。ゲオルグの言うように、袋小路で右往左往しているよりは余程建設的である。
「殿下……」
赤騎士団副長の促すような眼差しに、マイクロトフは強く頷いた。
「たとえ父上の毒殺までは証明されずとも、ワイズメルとの結託を明白に出来れば、少なくともゴルドーを追い込む材料にはなるな」
「はい。それに……進む方向さえ定まれば、部下たちの力を借りることも可能です」
眦を決してマイクロトフは言い放った。
「……よし。外している三人にも、今のゲオルグ殿の情報を説いて役割の分担を決める───それで良いか?」
自らとは比べものにならないほど知識や経験に勝る騎士団位階者たち。当然、座を仕切るには至らぬと弁えるマイクロトフだ。丁寧に問うと、赤騎士団副長と青騎士隊長は皇王からの下知を受けたかのような厳粛な礼で応えた。
不意に、ゲオルグが首を捻った。
「時に……皇子、おまえさんはワイズメルの葬儀に出るのか?」
公女テレーズは正式な婚約者、世の常識なら、その父の葬儀参席は当然だろう。しかしマイクロトフは即位という慶事を控えており、ゲオルグの問いはそこを衝いたものだった。
「グランマイヤーと話してみないと確実とは言えませんが、おそらく代理の人間が参席することになると思います」
隣国主アレク・ワイズメル。確定した裏切り行為だけでも憤りは耐え難い。けれど今は故人、彼に対する怒りと等しく、残されたテレーズへの哀憐は深い。
亡きワイズメルを送るというより、テレーズを慰めるため、グリンヒルに赴きたくはある。けれどマイクロトフには、それも難しかった。
「……そうか、即位前に弔事の穢れは負えないという訳だな」
ゲオルグの独言めいた同調に、赤騎士団副長が補足のように説いた。
「本来は弔事を優先すべきでしょうが、前皇王陛下の御逝去と同時に、殿下の御即位日は決定しているのです。これを動かすことは叶いません」
マチルダ皇国で、王の死去によって新王が立つのは初めてだ。まして王位継承者が未成年だったこともない。そのため、宰相をはじめとする政策議員らは国法の書に隅から隅まで目を通さねばならなかった。
結果、マイクロトフが成人となる十八の誕生日、その日が即位日と定まった。四年も前からの重大な決め事を、他国──たとえ縁戚として繋がる筈だった国であっても──の弔事で動かすことは出来ないのだ。
「すると、誰が代理になる?」
「定石から行きますと、やはり宰相グランマイヤー様ではないかと」
ふむ、と腕を組んでゲオルグは意味ありげな笑みを佩いた。
「おれなら別の人選を勧めるな」
赤騎士団副長は瞬くなり、即座に返した。
「……ゴルドー、ですか」
マイクロトフが驚いて目を瞠る。
これよりゴルドーの陰謀を仮定に動くのだから、僅かな期間であっても当人が不在となるのは好都合である。
少なくともその間、彼はカミューに代わる暗殺者を手配することも出来ない。それだけ一同は、解明に全力を注げるのだ。
「ゴルドーも協力者の死の真相を得ようと考えるでしょうし、カミュー殿が消えたと知れば、素直に城を空けるかどうかは疑わしゅうございますが……しかし殿下、もしも叶えば、この上もなく優位に立てますぞ」
赤騎士団副長の促しに、マイクロトフは強く頷いた。
「グリンヒルから知らせが入り次第、グランマイヤーを通して、そのように促してみよう」
ゲオルグ・プライムの参入によって袋小路に道が生まれた。暗いばかりだった前途に、次々と陽が射してくるようにも思えた。男たちは感謝を込めて深い礼を払ったが、当のゲオルグはあっさりしたもので、長い話に渇いた喉を冷めた茶で潤すばかりであった。
ふと、青騎士隊長が首を捻る。
「……それにしてもうちの副長は遅いですな。議員閣議も始まった刻限ですが」
閣議の前に皇王印の製作者を質してしまおうと宰相を訪ねた青騎士団副長。疾うに戻ってもよさそうなのに、未だ何の連絡もない。
赤騎士団副長が微笑んだ。
「何ぞグランマイヤー様に言い遣ったのかもしれぬ。わたしもひとたび失礼させていただきたいのですが」
皇子と剣士、双方を見詰めながら彼は言う。
「これより先、究明のためには騎士を使わねばなりませぬ。つとめの調整等、少々時間を頂戴したいのです。こちらの二人にも今の話を説かねばなりませんし、夜にでも全員を揃え、そこで最終的に行動方針をさだめるというのは如何でしょうか」
「それが良いだろう、二度手間も防げるしな」
ゲオルグが賛同し、マイクロトフもまた一礼した。
「宜しく頼む」
遣り取りを見届けた青騎士隊長が、軽い調子で呼び掛ける。
「では、団長。我らもそれまで、騎士のつとめに励むと致しましょう」
「……?」
「予定では、我が第一部隊には午後より街の巡回任務が入っています」
「ああ……そうか。ゲオルグ殿、構いませんか?」
振られた剣士は苦笑混じりに頷いた。
「それで、おれは周囲に対してどういう役どころを演じれば良いんだ? カミューが消えたところへ突然現れた「護衛」は、騎士の目にどう映るだろう」
これには赤騎士団副長が応じた。
「敢えて触れ回る必要もないとは思われますが……剣の師が弟子を訪ねて来られても、そう奇異ではないでしょう。けれど生憎、当人は城を離れてしまっていた。よって、戻りを待つついでに、弟子の代役を勤める気になられた───そんなところで宜しいのではないかと」
ふむ、と腕を組んで了解を示すゲオルグだ。
名高き「二刀要らず」が滞在するようになったと知れば、騎士たちは騒ぐだろう。そこは極力抑えねばなるまいと、赤騎士団副長は思案するのだった。
次の集合は、第一部隊が巡回から戻った後、終課の刻限と決まった。先ずは赤騎士団副長が退出して行き、次いで青騎士隊長がマイクロトフに礼を取る。
「わたしは昼まで先日の査察の報告書を作成します。団長はその間、ゲオルグ殿に城を案内して差し上げては?」
「そうだな、そうしよう」
「殿下、ゲオルグ殿にはどちらで休んでいただきましょう? やはりこの部屋に?」
フリード・Yの問いには胸が揺れた。返答に詰まる間に答えたのはゲオルグ当人である。
「この状況で、あいつが城に忍び込んで皇子を襲うとは思えない」
それに、と幾分語調を低めて続ける。
「ただでさえ精神的な抑圧を受けているのだからな。周りの警備を厳重に固めて、せめて夜くらい一人にしてやれ」
「ゲオルグ殿……」
気遣いに胸が詰まった。マイクロトフは唇を噛み、言葉にならない感謝の代わりに深く頭を下げる。
ゲオルグは察してくれたのだ。これまでカミューの居た位置に別の人間が据わる。それが改めてカミューの消失を突き付け、耐え難い痛みを誘うのだ、と。
ふとした拍子に襲い来る弱気と向き合い、乗り越えるためには、孤独な時間も必要なのだと───
「では、殿下。ゲオルグ殿には隣の客間を使っていただきましょう」
フリード・Yが明るく言った。
「殿下がゲオルグ殿を案内なさる間に、わたくしが部屋を整えておきます」
「宜しく頼むぞ、若いの」
軽く手を挙げて穏やかに笑う壮年の剣士。
彼との出会いは天の恵みだ。大いなる慈悲に、マイクロトフは心からの感謝を捧げた。
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