最後の王・111


扉を開けた白騎士が、豪華な全身用の姿見の前に佇む男に呼び掛ける。
「ゴルドー様、そろそろ出立なさいませんと……」
「分かっておる」
軽く返して、彼は改めて鏡に映る己が姿に見入った。
マチルダ騎士の頂点に立つ白騎士団長、数千からなる武人を束ねる誉れ高き存在である筈の身。
ハイランドからの独立を果たした指導者マティスと、騎士団の基盤を作った親友アルダ───二聖人の関係を模して王と騎士団長は国を支える両輪、どちらも不可欠な、対等の間柄であると謳われてきた。
───けれど。
対等などであるものか。
白騎士団長の座は、アルダの血が絶えて後、武力と才覚で勝ち取るものとなった。一方で、王は世襲だ。マティスの血を継ぐ者が、資質の如何に拘らず、生まれたときから栄誉に片手を乗せている。
騎士団長は王に終生の忠誠を捧げるよう義務付けられ、片や王は、少しでも意に添わぬ相手を放逐する権利を持っている。これのどこが対等か。何を指して、欠くべからざる両輪と称すのか。
アルダは領主家に代々仕える執事の子だった。マティスは彼を友と呼び、周囲もそう認めたが、そこには初めから埋めがたい立場の差異があった。年頃の近さも手伝って、兄弟さながらに親しく育ち、常に行動を共にしてきたけれど、アルダにとってマティスは、友である前に平伏すべき主家の若君だったのだ。
その力関係が、二百年を経た今なお、かたちを変えて続いている。終生を通じて影の尽力に徹したアルダのように、騎士団長は飽く迄も王の添えもの、容易く挿げ替えが利く、使い捨ての存在に過ぎない。
それに気付かず、栄職と喜び、伏してつとめてきた歴代の白騎士団長たち。自分は違う───気付いたからには、更なる上を望まずにいられようか。
ゴルドーは鏡の中の己を睨み据えた。
突如として皇王制廃止を言い出した皇子の真意は分からない。細り果てた皇王家の系図に限界を認めたか、あるいは「騎士になる」という幼少時からの願望を実行するのに最適だとでも思ったか。
後の国家統治は騎士団に移行するという。そこはゴルドーの構想と一致するが、皇子の描く騎士団にゴルドーの席がないのは明らかだ。即位したが最後、白騎士団長解任権を振り翳して迫ってくるのは間違いない。
何故だったのだろう、そうゴルドーは自問する。
頭を上げず、ゆっくりと、地を這うように進んできた。実直の裏に抱いた野望を、決して見顕されぬよう努めてきた。なのに何故、マイクロトフに対してだけは自制が利かなかったのか。
生まれながらの覇者、マチルダで唯一の王位継承権保持者。にも拘らず、帝王教育は捗々しく進まず、指導教諭一同、手を焼いていた。そのくせ武芸にはやたら熱心で、暇さえあれば騎士の鍛錬を覗き、いっぱしの剣士気取りで稽古に励んでは──これまた腹立たしいことに──並ならぬ才の煌めきを披露してみせた皇太子。
王座を約束されながら、己の価値感のみを重んじるマイクロトフ。父王の死後、最後の親族として自らを見詰めた真っ直ぐな瞳が恐ろしかった。あの眼差しに、「矮小な男」と侮蔑されている気がした。
抑えようと努めても、嫌悪はどうしようもなく溢れ出し、終には言動にも現れるようになっていった。
それでは悟られてしまう───耳打ちした部下も居た。敵意を晒せば警戒させてしまう、上っ面だけでも友好を繕わねば計画が破綻する、と。
だが、出来なかったのだ。
顔を見るたび殺意は増した。言葉には辛辣が、態度には不自然なまでの慇懃が滲み、思惑を知らしめる要因となってしまった。
悔いが残らないとは言えないが、それも流れだったとゴルドーは思う。予想以上に歳月を費やした結果、あれこれと誤算も生じたが、マイクロトフの死に様をさまざまに思い巡らせる日々は、それなりに心地好かったのだから。

 

幾年もの間、配下の騎士中で最も従順だった駒、白騎士団・第三隊長を鏡の中で一瞥する。
「まだ何か? 言いたいことがあるなら、この場で済ませるが良い」
「ならば言わせていただきます」
白騎士隊長は眦を決した。
「あのような男に、本当に任せてしまって宜しいのですか」
「カミューが気に入らぬか」
「何を考えているのか、今ひとつ読めません。独断ぶり一つ取ってみても、仕上げを委ねて良い人物とは思えません」
第二隊長のことか、と独言を洩らしてゴルドーは部下へと向き直った。
「マイクロトフに寝返ろうとした男を始末した、それの何処が不満だ?」
「彼が握っていた事実は断片に過ぎず、皇子側に洩れたところで充分に手を打つことが可能でした」
「……だが、カミューはそれを知らなかった」
「だからこそ、独断に過ぎるのではありませんか。その場は適当に往なし、ゴルドー様の意を仰げば良かったものを、安直に口を封じて、あまつさえ現場を皇子側の騎士に見られた───結果、このような土壇場の決行を強いられたのではありませんか。しかも、死んだと公に出来ぬゆえ、我が団の第二隊長位は空位のまま……、ただでさえ式典に参席する白騎士は位階者のみと限られているというのに、貴重な味方枠を補充出来ぬまま臨まねばならないのですぞ。あの男に優れた判断力があるとは、わたしにはどうしても思えません」
勢い込んで訴える男を尻目に、ゴルドーは顎髭を撫でながら窓辺に向かった。柔らかな朝風に揺れる木立ちを見下ろして、ゆっくりと口を開く。
「忘れておるようだな。カミューを雇ったのはワイズメルだ。契約には、わしとの繋がりを伏せるようにとの特記事項があった。裏切者がマイクロトフの許に駆け込めば、僅かなりともそれが侵されるのだ。間髪入れず口を封じた判断は間違っておらぬ」
「ですが……!」
騎士隊長が一歩踏み出す。硝子に映った様を見遣り、ゴルドーは低く言った。
「戦場の傭兵は、取った敵の首級の数で報償を争うのだ。カミューには、主契約を遵守するため行った殺しについて、追加金を求める権利もあった。なのにあやつはそれをせず、逆に「迷惑を掛けた」と詫びてみせたのだ。殊勝かつ律儀なものではないか」
くすくすと含み笑う。
「まして「子飼いになりたい」とは……可愛い注文だ、精々目を掛けてやろうぞ」
「所詮は金で動く傭兵です。いつ寝返るか、知れたものではありません!」
辛くも激昂を抑えたような諌言を、ゴルドーは冷ややかに退けた。
「抜け目なく、躊躇なく、腕も立ち、おまけにあの容姿だ。使い方ひとつで何者にも勝る武器となる。おまえが見付けてきた連中はどうだった? 簡単に敗れ去り、尻尾を巻いて逃げたというではないか。その者どもが契約から間を置かず仕事を終えていれば、ワイズメルがカミューを送り込んでくることもなく、こんなギリギリで博打を打つ必要も生じなかったのだぞ」
「それは───申し訳なく思っておりますが」
「あの男にしてもそうだ。第二隊長の地位までくれてやったというのに、マイクロトフ如き若造ひとりの始末に幾度も失敗った挙げ句、己の無能を棚に上げて裏切りに走るとはな。まあ、所詮その程度の男だったのだ。多くに関わらせなかったのは幸いだった。グラスランド行きの命令書が偽物だったと知れば、もっと早くから地金を見せていただろう。与えた以上の要求をされかねず、そうなれば口を塞ぐのにおまえの手を煩わせたやもしれぬ」
人を見極めるのは至難だと小声で付け加えたゴルドーに、未だ釈然としない顔で騎士は詰め寄る。
「それでもあの傭兵は御信じになるのですか」
うんざりした口調でゴルドーは応じた。
「わしにもあやつの真意は量れぬ。マイクロトフと同世代とは思えぬ底知れぬ何かを感じる。だが、それも経験に培われた才のひとつなのだろう。ましてここまで計画に立ち入らせたからには、手の内に囲い込んでしまった方が安全だ」
その点は認めざるを得えないといった顔で白騎士隊長は押し黙った。そんな男にゆっくりと歩み寄り、ふとゴルドーは調子を変えた。
「横事を気にせず、己のつとめを果たすが良い。例のものは用意したな?」
はい、と騎士は携えた品を掲げ持った。戦闘時、弓術を担当する騎士が使うものの一種である。予め数本の矢を番えておき、指先一つで連続射出が可能なそれは、騎士団が使う武器の中でも最新鋭の品であった。
「騎士が持ち込む武具に制限を設けないのは、式時作法の穴よな」
ゴルドーは満足げに弓を凝視して、それから騎士に目線を当てた。
「おまえの指摘通り、一人に任せ切るのは万全とは言えぬだろう。良いか、カミューが失敗したときには、それでマイクロトフを射殺せ」
「ですが、ゴルドー様……」
騎士は表情を曇らせた。公衆の面前で命令を実行した場合、己の進退はどうなるのかと憂う顔だった。察して、軽く首を振るゴルドーだ。
「案ずるな、「皇子を暗殺しようとした刺客を射んとしたが、不運にも手元が狂った」とすれば良いのだ。マイクロトフさえ死ねば、後はわしの手でどうとでもなる」
「しかし……堂内には当然、弓兵の配備も行われている筈です」
「だったら、カミューが警備騎士に射られるよりも先に矢を放たねば辻褄が合わなくなるな。青騎士どもに遅れを取らぬよう、心して掛かれ」
ふふ、と忍び笑うゴルドーとは裏腹に、騎士の顔は依然暗かった。
「あの男が変心し、決行せぬまま逃げたら如何なされるです」
「姿に似ず、肝の座り方は歴戦の騎士さながらだ。怖じて退く恐れはなかろうて」
だが、とゴルドーは男の肩に手を置いた。
「そのときも、おまえの出番よ。共に式に臨む中でも、真の部下、一番腕が立ち、度胸があるのはおまえだ。もしものときの始末を任せられる者はおまえだけなのだ」
「……光栄です。けれど、それでは力づくの支配権奪取と取られるのは間違いありません。赤や青の騎士どもが動きます。対して、仲間の数は───」
「確かに堂内警備を青騎士団に譲ったのはまずかったな。とは言え、数は問題にならぬ。わしには最後の手段がある」
言いながらゴルドーは片手を目の高さまで上げた。
「……土魔法。敵を沈めるくらいは造作もない。だが……、そうはなるまいて。国賓連中の席が近い上に、招待客が多数いる中では、警備騎士もそうそう思い切った行動には出られぬ。その躊躇が付け入りどころだ」
それでもなお釈然としない面持ちを残す部下の肩を、再度掴んでゴルドーは笑んだ。
「ここまで尽くしてくれた忠義、徒疎かにはせぬぞ。共に国を掴もうではないか」
優越をくすぐるように囁くと、漸く騎士は思い切ったように背を伸ばした。ゴルドーを見詰めた後、丁寧に一礼する。
「……何事も仰せのままに」
白騎士団長ゴルドーは、礼を取る部下を見下ろしたまま薄く唇を歪めた。
───使えるうちは重用してやる。存在が、我が道の枷となるまでは。

 

 

 

 

 

澄み切ったオルガンの音が、壁ひとつ隔てた控えの間にも流れ込み始めた。宰相グランマイヤーが、室内隅の置き時計を見ながら威儀を正す。
「皆様、そろそろ御席の方に御移りください。ご案内申し上げます」
「いよいよか。それじゃ行くとしよう」
グスタフ国王が一同を促すように声を張り、次いでマイクロトフに片手を挙げた。
「見届けさせて貰うぜ、皇子。あんたと、あんたの仲間たちの戦いを」
他の国賓たちも、同様の眼差しでマイクロトフを一瞥しつつ、フリード・Yが開けた扉の先、グランマイヤーを先頭にして、順に消えていった。
それと入れ替わるように、足元まで黒衣で覆われた二名を連れた司祭長マカイが、更に二人の青騎士に伴われて廊下側から入ってきた。
「殿下、御時間です。フリード殿はこちらに」
呼び掛けに応じて進み出たフリード・Yは、マカイが両手で持っていたマントの下半分を受け取った。
マイクロトフの若々しい広い肩を、天鵞絨の温みが覆う。布の両端を、金糸を縒った細紐で、マカイは手早く礼服に止めていった。最後にフリード・Yが手を放すと、濃紺のマントは重々しく床に落ちて波打った。
「此度の申し出、よく承服してくれた。改めて礼を言う」
仕上がりを検分している司祭長に呼び掛けると、苦笑が浮かんだ。
「もう仰いますな。昨日、昼のうちにグランマイヤー殿からも「是非ともよしなに」との一筆を頂戴しました。わたしも聖人の御子孫を見守るつとめを受けた身です、覚悟は決めました」
すまない、と今いちど頭を下げるマイクロトフだ。その横で青騎士隊長が目を細める。
「万事、打ち合わせ通りに願います」
「……力を尽くします。ではマイクロトフ殿下、わたしはこれで」
部屋を出て行く司祭長の姿に、マイクロトフは戸惑って瞬いた。マカイは二人の司祭を従えて、この部屋から本堂へと進む筈だったからだ。
説明を求めるように騎士隊長を見遣ったが、彼は両肩を竦めて「ちょっとした変更です」とだけ答えた。
「聞いていないことばかりだ。何やらおれを除け者にしていないか?」
「気の所為です」
「他にも変更箇所が残っているなら、\めて言ってくれ」
「今ので最後です、……わたしの記憶では。団長は、こちらの司祭お二人の後に続かれれば宜しい。先頭の司祭長殿が欠けただけです、変更という程のものでもないでしょう」
先導役と称された黒装束の二名が頭を傾ける。フードを被っているから分かりづらいが、控え目な会釈であるらしい。その仕草がマイクロトフの注意を引き、結果的にそれ以上の問答を断ち切った。
青騎士団副長が、最後の確認とばかりに、立ち並ぶ騎士を指しながらフリード・Yを呼んだ。
「この者たちを君に付けよう。思うように使ってくれて構わない」
ごくりと喉を鳴らして若者は強張った。
「でしたら……、証言者を扉口まで誘導していただけますでしょうか。わたくしが逐一続き部屋まで呼びに行くより、迅速に進むと思いますので」
「任せてくれたまえ、フリード殿」
副長が再びマイクロトフに視線を戻した。騎士隊長と肩を並べて軽い礼を取る。
「ではマイクロトフ様、わたしたちも席の方へ移ります」
「観衆の多さに呑まれそうになったら、畑の野菜が並んでいるとでも思われれば宜しいかと。後は……マントを踏んで転ばれぬよう、お祈り申し上げる」
仲間を送り出そうと威厳を掻き集めていたマイクロトフは、騎士隊長の言葉に破顔した。兆し掛けていた緊張が、良い感じに溶け去っていく。大きく頷いて、朗らかに返した。
「後世までの語り草とならぬよう、重々気をつける」
青騎士団副長、そして騎士隊長が姿を消した。
閉ざされた扉の前に二人の司祭が並んで進む。
フリード・Yが、マントの裾を丁寧に広げて整えた。
依然、忍びやかな楽曲が続いている。楽の音が止まったときが式典の始まりだ。司祭長の言上の後、扉が堂側から開かれる。戦いの火蓋が切って落とされるのである。
カミュー、と胸のうちで呼び掛けた。

 

この堂の何処かに居るなら、見届けてくれ。
真実を掴むために全霊を懸けた我らの姿を。
そして聞き遂げてくれ。
おまえに捧げる、精一杯の陳謝を。
───想いと願いが、どうかおまえに届くように。

 

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長い前振りもこれにて終了。
次回より本番に入ります。

 

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