偽装の裏側


最初の鳥の囀りが窓外に響く早暁。
未だ眠りの底に漂う想い人の温もりの傍らで目覚める刹那は、マイクロトフにとって至福のときである。
剣の道を志してから今日まで、常に死は人生の道連れだった。
だから、薄闇から差し込む朝日は昨日を生き延びた者に与えられる祝福である、いつしかそんな感傷を抱くようになった。そして今では、その一瞬をこの世でただ一人と決めた相手と迎える喜びをも知っている。
ロックアックスに居た頃は、所属の違いもあって、カミューと同じ戦場に立つ機会は滅多になかった。
けれど今、新都市同盟軍という新たな旗の許で一つの未来のために共に剣を揮っている。そのためだろうか、以前にも増してカミューが近しく、慕わしく思えてならない。
短夜に溢れんばかりの想いを伝え合い、そのまま安らいだ眠りに落ちる。
翌朝、満ち足りた心地で瞳を開ければ、そこに彼がいる。共に昨日を生き、そして今日も肩を並べて生きる伴侶が。
艶やかな美貌を幼げに歪めて眠る、愛おしいばかりの青年が───

 

共寝の翌朝であってもマイクロトフは己に課した鍛練を忘れない。暫し寝顔を堪能した上で、想い人を起こさぬように静かに寝台から抜け出してきた。
だが、この日は何処かいつもと違った。意識は覚醒したものの、ひどく身体が重く、瞼すら思うに任せない。
微かに困惑しながらマイクロトフは苦笑した。
昨夜は久々の交情とあって、情熱は苛烈を極めた。体力には絶対の自信を持つ自分がこうなら、カミューの疲弊は如何ばかりだろう。
恨み言くらいは覚悟せねばならないかもしれない───含み笑いながら身を起こそうとして、初めて気付いた。己が、しっかと抱きかかえられていることに。
行為の後、カミューを腕に納めたまま眠ることはあっても、逆は殆どない。そうして抱き締められると、たまらないほど安らぐけれど、幼子に戻ったようで気恥ずかしく感じるからだ。先手を打つように腕を回すマイクロトフの心を知ってか、カミューはいつも優しく微笑みながら身を任せてくれる。
こんな状況で目覚めるのは珍しく、戸惑いを覚えたものの、これもまた一興と思い直した。
同じように鍛えられた剣士の肉体でありながら、堅く引き締まったマイクロトフの筋肉とは明らかに違う。脆弱はまったく感じられないのに、カミューの身体は何処か柔らかく、なめらかだ。
しなやかな腕に拘束されて朝を迎える、そんな日があっても良い。唇を綻ばせ掛けたマイクロトフは、だがそこで奇異を過らせた。
しなやかな腕───にしては、やけに硬い。
それに自分が掌を当てているカミューの胸元、これまた妙に広々としてはいまいか。
重い瞼を叱咤するが、相変わらずまともに開こうとしない。なおも力を振り絞って身体を捻ったところで愕然とする。
腰に、もっと正確には、『あらぬ場所』としか言いようのないあたりに鈍痛が走ったのだ。
それは未知の、不可解な痛みであった。
強いて挙げるなら、訓練時に大声で怒鳴ったりした際、開き過ぎた口元に残る違和感に似ている気がする。
マイクロトフは混乱しながら昨夜を反芻した。
それほど奇天烈な体位を試みた訳でもない。それに、どんな無茶をやらかしたところで自らのそのような場所に影響が及ぶとも思えなかった。
そうだ。
これはまるで交情の翌日、カミューが訴える弊害と同じではないだろうか。
と言うことは昨晩、盛り上がった勢いで──まったく記憶にないのだが──いつもと逆の行為に走ってしまったのか。
これは少なからぬ衝撃であった。開いては閉じていた瞼がぱっちりと上がりっ放しになる程度には。
その結果、更なる衝撃がマイクロトフを襲った。
漸く確かな像を結んだ想い人、自らを抱き締めて眠っているのは───

 

「な、何故……」
思わず洩らした声が、またもや彼を呆然とさせる。今度こそ跳ね起き、再び不快な痛みに貫かれて呻きながら、マイクロトフは戦慄いた。
自身の身体を撫で擦り、それが紛れもなく想い人の肉体であるのを確信した彼は、慌てて眠っている方の自分を揺り起こす。右に左にと揺らされた男は、いとも不機嫌そうに唸った。
「もっと優しく起こして欲しいな」
穏やかな眠りを邪魔されて洩れる、いつもなら甘く響く筈の抗議の呟きは、だがひどく太かった。呟いた当人も気付いたのか、唇に自嘲が浮かぶ。
「ああ……声が変わってしまっている。少し無理をし過ぎたようだね」
「か、変わったのは声だけではないぞ、カミュー」
「そうかい? 疲れているからね、酷い顔だろう」
苛立ったマイクロトフは強く言い募った。
「それどころではない、大変なのだ! カミュー、しっかり目を開けて、おれを見ろ!」
声音に徒ならぬ気配を感じ取ったのか、やっと向き直った彼は瞬きを繰り返し、最後にこれ以上ないほど漆黒の瞳を見開いた。
「確かに、それどころではないな」
カミューの自失は滅多に見られないが、それが自分の顔だからか、たいそう間抜け面に見える。マイクロトフは引き攣り、沈痛な口調で言った。
「……そうなのだ。身体が入れ替わっている」
マイクロトフの身体をしたカミューは暫し押し黙り、やがて小さく溜め息をついた。
「これはなかなか貴重な体験だよ、マイクロトフ……」

 

直情径行な青騎士団長の唇には不似合いな、静かで哲学的な響きであった。

 

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最中に入れ代わらなかったのが
青赤者としてのせめてもの良心……。

 

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