遺志


このところ夜を恐れるようになった。
正確には、眠りにつくのが怖いのだ。
恐怖───その響きを反芻しながら自嘲気味に口元を歪める。
自身にはおよそ縁遠く、不似合いな言葉だと思っていた。
剣に生きることを決めたときより、死は常に身近に息衝いていて、それは同時に人である限り決して避けられぬさだめと弁えていたから。
己の価値観を貫くために他者の命を摘む。剣士とはそうした存在なのだと分かっていても、一瞬前まで対峙していた命が地に吸い取られていくことを忌まわしく思わなかったことはない。
それでも迷いや後悔を持たぬよう努めてきた。
何程の痛みを抱えようと、何程の死を積み上げようと、それがより多くの命を生かす戦いであると信じて剣を振るい続けてきた。
変わらず人の生死には敏感であったけれど、その分、自身の生命への感覚は希薄になるようであった。
だから死地にあっても恐れを知らず、無心で活路を切り開くことが可能だったし、その闘気は味方を護り、生かすための絶対の力となった。
世に恐るものなき、勇猛なる騎士団長。
人はそう呼び、讃える。
彼らは知るまい───闇の訪いを嫌悪し、夜毎悪夢にうなされる怯えた少年のような今の身を。
丁寧に設えられた寝台の上掛けを捲り上げ、暗い眼差しで敷布を睨み据えた。
眠らねば身体が持たない。それは十分に分かっている。
けれど眠りはもっと大きなものを彼から奪う。これまで培ってきた心の強靱、胸の奥に棲まう柔らかな情感が醸す平安、武力以上に彼を支えてきた諸々を、僅か数刻が打ち砕く。
厳しい表情のまま寝台に身を投げ、そのままきつく目を閉じた。

 

───ああ、どうか。
見たくない、これ以上は耐え難い。

 

疲弊した体躯が泥のように溶け、意識が仄暗い惑乱の底に滑り降り始めても、彼はただ唯一を祈り続けていた。

 

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