家族の肖像 序章


マチルダ騎士団領の居城・ロックアックス城。
平時には静寂に包まれた格式ある石造りの城内、巡る回廊の一番奥まった場所に騎士たちが神聖視する一室がある。
広間というには狭く、一度に多くの騎士が入室出来るという部屋ではない。一見したところでは教会のような設えの其処は、かつては新たな騎士として叙位されるものが訓戒を授かるためにだけ使われていた。

 

デュナン大戦でひとたび秩序が崩れ、崩壊した騎士団が再興された後───
その部屋は騎士たちの聖域となった。
扉を開くと、正面に向かう通路がある。左右には木のベンチが置かれており、ごく稀に腰を落として物思いに耽る騎士の姿が見られた。戦いに赴くとき、自身の在り方に悩みを抱いたとき。そして輝ける日々を思い返すとき、騎士たちは其処を訪れる。
彼らは正面の壁に掲げられる一枚の肖像画に見入り、静かに心で語り掛けるのだ。

 

───我らが救国の指導者、と。

 

 

 

 

彫刻を施された重い扉を開いたとき、青騎士カーマイアは先客を認めて眉を寄せた。が、すぐに表情は和らぎ、歩み出す。一番前のベンチの背に寛いだ様子で両腕を投げ出し、正面の絵を見遣っているのは、知己の赤騎士第五部隊長だった。
ベンチの横で足を止めると、彼は軽く手を上げた。
「……よう」
本来なら所属の違う、また位階にも差のある二人である。城内で言葉を交わすことは滅多にない。それでも彼らの間には温かな感情が流れている。それはひとつの想いを共有する仲であるという、共犯めいた交流でもあった。
「よくお会いしますね」
カーマイアが言うと、赤騎士隊長ミゲルは薄く笑った。
「……ここ、だからな」
そして再び正面を仰ぐ。

 

 

一枚の肖像画の中、見返してくる二対の瞳。片時も胸から離れず、薄らぐことのない鮮やかな記憶。それは今の彼らを守る大いなる力だった。
描かれているのは、一代前の二人の騎士団長である。愛剣を片手に椅子に座る青騎士団長マイクロトフ、そして椅子の背に優雅に手を掛け、寄り添うように並び立つ赤騎士団長カミュー。険しく精悍な眼差しで騎士を奮い立たせ、端正で柔和な笑顔で慰撫する。彼らが在りし日そのままの構図は、稀代の絵師が精魂を込めて仕上げた芸術だった。
騎士団が再興に向けて動いていた頃、ロックアックスを訪れた絵師は、街で誇り高き二人の騎士団長の噂を漏れ聞いて、矢も立てもたまらず肖像画の作成を申し出た。当の二人はやんわりとそれを断ったが、部下たちが密かに受諾したのだ。騎士団を救い、騎士たるものの道を示してくれた、マチルダの歴史に刻まれるであろう指導者の姿を絵画の中にも残したかったからである。
───こうして思い出のよすがとなるとは夢にも思わずに。

 

 

「どうだ、正騎士の生活は?」
「ええ、何とか。訓練は楽しいですし……充実しています」
「何よりだ」
ミゲルは苦笑して自らの隣を指した。促されて腰を下ろし、久々に味わう解放感に手足を伸ばす。
彼はカーマイアにとって特別の存在だ。他に知るもののないマチルダで、騎士となるべく送った苦闘の日々を支えてくれた恩人だと思っている。その交流は哀しい記憶と共に開かれたが、失うものがあれば得るものもあるということを若いカーマイアは自身で知った。
「なあ、話をしてくれ」
ミゲルがぽつりと呟いた。何の、と訊くまでもない。別々の道を歩んできた二人は、時折そうして互いの温める思い出を分け合ってきた。日々、前を見据えて自身の誇りと剣を磨く彼らであるが、見詰める未来にもうあの二人はいないのだから。
カーマイアは、しかしミゲルの沈んだ表情に気付いた。
「……どうかなさったんですか?」
真摯に尋ねると、苦い笑いが返る。
「考えていたんだ……おれはとうとう最後までマイクロトフ団長には敵わなかったな……、と」

今でもミゲルは二人で話すときには彼らを『団長』と呼ぶ。現在の忠節の在り処にかかわらず、彼の中でそう呼ぶ存在は唯一なのだろう。

「マイクロトフに……?」

そして、騎士団において彼らに尊称を使わないのはカーマイアだけだ。無論、人前では他者に倣う。彼とかつての騎士団長らの関係を知ったものの前でだけは、本来の立場を保つことを許されるのである。

 

 

騎士団の中枢にのみ伝えられた立場───
青騎士カーマイアは亡き前青騎士団長の養子であった。

 

 

「いつだって覚悟はあったんだ」
淡々とミゲルは切り出した。
「あの人の盾となるだけの覚悟は。なのに、おれは間に合わなかった」

デュナン大戦に勝利して、束の間の平和が訪れた。だが、北方に広がる大国ハルモニアの侵攻を受けて、都市同盟は再び武器を手に立ち上がらねばならなかった。
騎士団の再興を終えて一旦はマチルダを離れた騎士団長たちにも開戦の報は届けられ、彼らは信念に基づいて戦いに馳せ参じたのだ。そして───

 

 

ミゲルは幾度その場面を反芻したのだろう。両手で顔を覆う姿を、カーマイアは痛ましい思いで見守った。
彼が忠誠と崇拝と、そして密やかな恋慕を捧げ尽くしたカミュー。そのカミューを庇って敵の前に我が身を曝したマイクロトフ。
二人が一本の大槍によって落命する様を、ミゲルは生涯忘れることは出来ないはずだ。いっそ二人の死に立ち会わなかった自分は幸福だったのかもしれないとさえ思う。
憧れと深い愛に包まれた日々の終焉を目の当たりにしていたとしたら、それは気も狂わんばかりの絶望だったに違いない。
自身の目で見ていないからこそ、二人の死は何処か現実味がない。今でもひょっこりと現れて、あの懐かしい笑みと温かな抱擁で包んでくれるのではないかと虚ろな願いに揺れるときがある。
「……二人はミゲル隊長が盾になることなど望まなかったと思います」
カーマイアは静かに言って、二人の絵姿を見た。思い出とまったく変わらぬ雄々しさと鮮やかさで見詰め返す二親が賛同してくれているような気がした。
「貴方だけじゃない……他の誰であろうと、自分たちの代わりに命を落として欲しくない、そう願っていたはずです。おれの知っている二人はそういう人間だった」
ミゲルは顔を上げ、再び肖像画を凝視した。それから微かに同意を示す。
「……そういえば、昔そんなことを言われたことがある。おれが盾になって死んでいたら……カミュー団長の逆鱗に触れて、殴られていたかもしれないな」
死体なのに? そう訊くと、彼は頷き微笑んだ。
「知ってるだろう、あの人は怒るとそれは怖いんだぞ」
「───ですね」
カーマイアは柔和に笑んでいる肖像を見上げた。
「……一度だけ、カミューに打たれたことがあります」
興味深げに見返す瞳に、少し考えてから付け加える。
「怖くはなかったけれど……悲しかったなあ……」
「悲しい?」
遠い記憶を探った青年騎士は、当時は理解し得なかった感情をあらわす言葉をようやく見つけた。
「……カミューはね、怒るととても綺麗だったんです。それが本気の怒りであればあるほど。あのとき……マイクロトフは違うと言ってくれたけれど……でも、やっぱり怒ったんだと思います。殴られたとき、カミューは恐ろしいほど綺麗だった。そんな顔をさせてしまったことが、おれは悲しかった……」
「惚気か?」
軽く吹き出しつつも、ミゲルにも思うところがあったらしい。足を組んで両手で抱え込みながら静かに促した。
「聞かせてくれ、おまえが持つ思い出を……」

カーマイアは一度だけ目を閉じて、記憶の旅に踏み出した。

 

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サブちゃんに
「製作裏話を語っちゃ駄目!」
と激しく念を押されたので、
連載中は簡単な後記に努めることにします。
どうやらあまりにインパクトが強過ぎる模様(笑)

まずは余裕っぽく成長した息子と先輩のひととき(笑)
次回は青と息子の触れ合いvのひとコマです。

 

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