パンドラの蒼き箱・4


騎士生活も半年を過ぎた頃、久々に騎士士官学校の同期が集う催しが設けられた。思い出話に花を咲かせながら近況報告をし合う集まりに、だがカミューの姿はなかった。
貸し切られた酒場に足を踏み入れると同時に白い美貌を探した自分に舌打ちし、マイクロトフは仲間たちが四方山話に興じる輪に混じった。
彼は希望通り青騎士団に叙位された。一方カミューは赤騎士団に所属した。部隊が異なるだけでも疎遠になりがちの騎士団において、他騎士団の所属であるということは日常的な断絶を意味する。努めて機会を持とうとせぬ限り、広大なロックアックス城内で顔を合わせることもない。
ずっと望んでいた筈なのに、あの夜以来マイクロトフの感情は歪んだままだ。
姿を見たくないと思い続けていた。なのに、気付けば彼を探している。似た背格好の騎士に足を止めたこと数知れず、あの頃は不快でたまらなかった端正な面差しが夢に過ることさえあった。
噂だけは耳にした。相変わらず要領良く立ち回り、先輩騎士に目を掛けられていると聞くと、庇護してくれるならば結局は誰でも良かったのだと暗い失意が胸を刺す。

 

あの綺麗に透き通った涙を、今は他の誰かに見せているのか。
マイクロトフに向けていた絶対的な信頼と情愛を委ねる相手を見つけたか。

 

そこまでくると、叫び出したい激情に駆られる。もともと感情を抑制するのは苦手な方だが、こればかりは至極難解な、焦りと苛立ちを伴った不可解な感情だった。
「そういや、カミューはどうしているだろうな」
ふと一人が呟いたのに意識を引き摺られた。見れば若い騎士たちは懐かしげに目を細めている。
「声は掛けた筈だが……来なかったな、あいつ」
「誰だったか、赤騎士隊長のお一人にえらく可愛がられているって噂だったが……妙なことになっていないといいがなあ」
そこで一同はマイクロトフを見た。視線の意味するところを掴みかねて首を傾げる。
「てっきりカミューはおまえと同じ青騎士団に進むとばかり思っていたよ」
「……そんなくだらない理由で所属を決める訳がないだろう」
言い切ったマイクロトフに仲間たちは嘆息して首を振った。
「わかってないな。『くだらない理由』ってのはおまえの価値観だろう? カミューが同じだとは限らないじゃないか」
「だよな。カミューにとって、おまえはたった一人の特別な人間だったしな」
「特別───」
眉を寄せたマイクロトフは一斉に非難の眼差しを浴びた。
「何だよ、自覚くらいあったんだろう? おい」
「おまえ……まさか、カミューがおまえを虫除けに使っていたとでも思っているんじゃないか?」
図星されて絶句すると、仲間は顔を見合わせて再び嘆息した。
「……騎士になった途端に絶縁するから、妙だとは思っていたんだ。やれやれ、難儀な奴だな」
「あのなあマイクロトフ……おれたち、カミューのことが好きだったんだぜ?」
思い出を愛おしむように一人がうっとりと言う。
「綺麗で強くて頭が良くて……何処か神秘的でさ。親しくなりたくても、一見開かれて見える扉が高すぎて近寄れなくてな」
「笑っていても、一度だって心からじゃなかった。だけどおまえの前でだけは素で笑うんだ」
「最初は何となく悔しかったが、カミューが心を開くなら、やっぱりおまえだろうと意見の一致をみた。才能も資質も伯仲してなけりゃ容易く気を許さない……それくらい誇り高い奴だったからな、カミューは」
「おれは───」

 

あの顔が、肢体が、軽やかな言動が、笑顔が気に入らなかった。見ているだけで胸がざわついた。長く視線を交わしていると、耐え難い苦さが込み上げた。
向けられる微笑み、掛けられる声に応じたくなくて。
ましてあのとき───万全の体調を失った彼を力任せに打ち倒せなくて。
勝負に満足して笑んだカミューを敗者とするには忍びなくて───そうして対等でありたいと望んだのは自分ではなかったか。

 

マイクロトフは呆然とした。
そう言えば、あの夜カミューが口にしたように彼を『嫌い』だとは一度として思わなかったのではないか。
ならば、これまで彼に覚えた疎ましさはいったい───

 

「それにしても、予想通り……遅かったなあ」
仲間が茶目っ気たっぷりな口調で断罪した。
「ずっと気にしていたんだぜ? おまえの初恋ってやつをさ」

 

 

───恋か。
この想いは恋だったのか。
不快と思われた感情は、自らの欲望を制御するための無意識な自衛だったのか。あまりに無防備に身を曝すカミューに対し、慣れない自制を働かせた弊害だったという訳か。

 

今となってはすべてが明らかだ。
カミューの傍に居るのは苦しかった。だが、彼を失った今はもっと苦しい。
顔が見たい、しなやかな身体を抱き締めたい、甘く柔らかな声で呼ばれたい───それが真実本心だった。
お開きになった会の後、殊に親しかった数人と二次会に繰り出したマイクロトフは、もう想いを隠さなかった。これまで胸に蟠っていたものを残らずぶちまけ、親身に耳を傾ける仲間たちから激励を受けた。
「ま、色々あるさ。おまえがそういう無器用な奴だってことはカミューも知ってるだろうし」
「だが、おれはあいつに酷いことを言って……」
「謝り倒すしかないだろう? カミューが根負けするまで、気合いを入れて頭を下げろ」
方法的にはたいして実のない激励だが、ついでに彼らは同性と情を交わすための手段など講じてくれた。実践に至るかどうかも怪しい知識だけは豊富となったマイクロトフが酒場を出る頃には夜はすっかり更けていた。
未だ楽しげにあれこれと講義を重ねていた仲間たちだったが、ふと一人が足を止める。
「おい、あれ……」
指した路地を見遣った一同は息を飲んだ。そこには件の赤騎士隊長に伴われたカミューがいたのだ。
「なあ、あれって……穏やかじゃない雰囲気だよな」
言われるまでもなく、全員が同意見だった。こちらに背を向けているので表情は窺えないが、カミューの足取りは覚束なく、さながら男に抱きかかえられるようにしている。
「カミューの奴、酔っているのか……?」
「確かあの先には……」
所謂、連れ込み宿と称されるようないかがわしい場所があった筈だ。このロックアックスで数少ない暗部である。
「な、何とかした方がいいな」
息巻いて一歩進み出た仲間をマイクロトフが片手で制した。
「おれが行く」
否とは言わせぬ強い口調。一同は眩しげに彼を見上げた。
「そ、そうだな。汚名返上には絶好の機会だぞ」
「格好良くカミューを救い出して、惚れさせるのも手だな」
「頑張れよ、マイクロトフ。気合いだ、気合い!」
拳を握って檄を飛ばす仲間に送られ、マイクロトフは早足で輪を抜けた。追い掛ける二人連れは仲間が推測したように怪しげな宿に吸い込まれていく。その頃にはカミューは殆ど引き摺られるような様子で、あるいは意識がないのではと思われる有り様だった。
宿屋の主人はマイクロトフを見るなり顔色を変えた。それほど彼の怒りは凄まじく、放つ闘気は自制の域を超えていたのだ。無頼な連中を数多く相手にしてきたであろう主人もすっかり恐れて、命ずるままに二人が向かった部屋を教えた。
「カミュー!」
マイクロトフは扉を蹴破って侵入を果たした。既に獲物を寝台に沈め、衣服を剥ぎ始めていた赤騎士隊長が目を見開く。
「な、何だ貴様は!」
「おれは青騎士団所属マイクロトフ。栄えある騎士隊長ともあろう御方が、部下をこのように扱っておられるとは心外です」
「な……何を言う、無礼な! これは合意に基づく行為であって……」
「彼は酔い潰れているように見受けられますが?」
寝台の上から物憂げに視線を向けてきたカミューに胸が突き破られるようだった。どれほど彼に会いたかったか、改めて痛感したのだ。
「赤騎士団長に報告申し上げても宜しいでしょうか」
「き、貴様に何の権利があって……」
権利、と復唱したマイクロトフは胸を張った。
「彼とおれは───契り合った仲なのです」
赤騎士隊長は絶句した。
青騎士団のマイクロトフと言えば、家柄も申し分ない前途ある騎士だ。縁故から騎士団上層部に強固な後ろ楯も持っている。地位から見れば格下だが、敵に回せば穏やかならぬ人物なのだ。
そんな男の情人を寝取ろうとしたなど、知れ渡るのはたまらない。騎士隊長の決断は素早かった。情事の最中に踏み込まれた間男さながらの勢いで逃げ去る男にマイクロトフは力を抜いた。
「丁度通り掛かったら、おまえが見えたから……間に合って良かった、大丈夫か?」
ゆっくりと歩み寄って弛緩した肩に手を掛けようとした刹那、恐ろしい勢いで振り払われた。
「誰と誰が、何を契り合った仲だって?」
剣呑とした声が叫ぶ。続いてマイクロトフを睨み付けた琥珀の瞳は熱っぽく潤み、いつも甘かった吐息に酒気が溢れていた。
「ご苦労なことだね、嫌いな人間まで助けに走るとは。その騎士道精神には敬服するよ」
聞いたことのない嘲笑混じりの揶揄。自分がカミューにつけた傷の深さを見せつけられたようで、後悔に唇を噛む。仲間に助言された通り、夜通しかかっても陳謝を受け入れてもらう覚悟で切り出したが───

 

 

「カミュー、おれはずっとおまえの詫びようと……」
「詫びる? 何か行き違いがあっただろうか? わたしには何も思い当たる節はないけれど?」
立て続けに吐き出される言葉に感情は窺えず、寝台の横に立ち尽くしたマイクロトフは拳を握り締めた。
「……すまなかった、カミュー」
「だから何が? ああ……、騎士試験の後のことを言っているなら、別に気にしていないよ。おまえは正直な気持ちを口にしただけで、負い目を持つ必要はない」
「違う、そうではないんだ」
「ついでに言わせてもらうと……、今夜のことも無理矢理って訳じゃない。前に話しただろう、そろそろわたしも求められる『見返り』に応じるべきじゃないかと思っただけさ」
「嘘を吐くな」
マイクロトフは厳しく遮って睨み付けた。

 

酔いに逃げねば応じられないほど嫌だったくせに。
飛び込んできた自分を見た瞬間、紛れもない安堵を過らせたくせに───

 

「おまえはそんな奴ではない」
「へえ。おまえがわたしの何を知っていると言うんだい?」
挑戦的に問われて口籠る。確かに何一つ彼を理解しようとはしなかった。それ以前に、自分の感情さえ見極められなかった大馬鹿者なのだから。
ひとたび唇を噛み締め、それからゆっくりと告げた。
「……知っている。とても綺麗な涙を流すこと」
カミューは虚を衝かれたように瞬いた。酒気に濡れた瞳に向けて、心を込めて言い募る。
「だが……笑顔はもっと綺麗だということも」
「マイクロトフ……?」
「随分間の抜けた話だが……、やっと分かったんだ」
彼は両腕の中にカミューを取り込んだ。一瞬びくりと震えた肢体は視覚が宿した記憶と変わらずほっそりしていた。
「おれは……ずっとおまえが好きだったんだ、カミュー」
耳元に囁いた告白に、カミューは更に打ち震えた。
抵抗がないのに気を大きくして、そっと身体を寝台に倒しても───

 

カミューは何も言わなかった。
重ねた唇はひどく酒臭く、絡めた舌から酔いそうだった。
───けれど。

 

やがておずおずと背に回されたしなやかな腕が、何よりもマイクロトフを陶酔させた。そして、仲間から受けた講義が意外な早さで役立つことに密かに感謝したのだった。

 

 

 

*      *      * 

 

 

 

「……だからと言って、告白した直後に最後までするかな、普通。それもあんないかがわしい宿屋で……初めてだったのに」
歳月を経て、今も傍らに横たわる青年騎士が憮然として指摘した。あえかな美貌はあの頃と変わらぬどころか、いっそう鮮やかに輝いている。
「そ、それはおれも思ったが……何しろあの時は無我夢中で」
「どうせ、なし崩しに勢いでわたしを黙らせるつもりだったんだろう?」

 

実際、カミューは抗弁の余地を失った。
自らの過ちで泣かせた分まで、これからは大切にしようと固く誓ったにもかかわらず、マイクロトフは早速その夜カミューを大泣きさせた。机上の理論があてにならないという現実を痛感した苦い記憶である。
不馴れな行為が傷つけるまま、細い悲鳴を上げる唇を塞ぎ、遠回りした情熱をぶつけた。以来、マイクロトフの立場は非常に弱い。恋人に頭が上がらない関係が今も継続している。

 

「……まさか、おまえが受け入れてくれるとは思わなかった」
そこでカミューは不貞腐れてそっぽを向く。結局のところ、そんな勢い任せの行為に抗えなかった自分を恨めしく思っているのだろう。
だが、酔いの所為などではない。彼にマイクロトフを必要とする想いがあったからこそ、あの夜は成立したのだ。だから過去を振り返るとき、決まってカミューは口を噤むことになる。
「好きだ、カミュー……」
「要するに、おまえのアレは好きな子を苛める子供の心理だったと認めるんだな?」
「み、認める……」
「まったく、忌ま忌ましいよ。そんな奴に振り回された挙げ句、こんなふうに捕まるなんて」
そうぼやいて、カミューは溜め息をつく。むっとした表情が、やがて親愛溢れる苦笑となり、花のような笑みに変わるのを、いつもマイクロトフはたまらなく幸福な気持ちで見守るのだ。

 

 

綺麗な貌が好きだ。
細身でありながら天才的な剣技を繰り出し、腕の中では柔らかく蕩ける肉体が慕わしい。
何でも器用にこなすくせに、自分にだけは疎く鈍く、醸す魅惑にまったく無頓着なところが可愛くてたまらない。
そして───

 

「もう一度……最後までしてもいいか、カミュー?」
恥ずかしげもなく要求すると、カミューは困ったように微笑んだ。
「……お手柔らかに頼むよ。明日もつとめがある」

 

逸らされることなく見詰め返す眼差しの強さを、この世の何よりも愛している───。

 

 

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久しぶりに昔の作をとっくり眺めて。
……やっぱ凄いですな、特に文章が(涙)
オフ本再版に踏み切れない要因の一つ、
「過去から目を逸らしたい」を痛感したッス。
それでも合同誌やゲスト原稿など、
短編なら多少いぢれなくもないけど、
長いものときたら……もう泣くしか(苦笑)
そんなこんなで痛みを噛み締めた再録でした。

 

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