年に一度の騎士試験は厳かな中に満ちる活気をもって若い少年たちを迎えた。
数日に渡る筆記試験を経て、最終日に設けられた実技試験に至る頃には秀でた二人の従騎士の成績に騎士団は沸き立った。
僅かな差ながら首位を守るグラスランド出身のカミュー。勤勉な努力によってそれを追う、騎士となるべく生まれ育ったマイクロトフ。
剣を交える勝負で逆転が成り立つか否か。騎士叙位を目指す受験生ばかりか、新たな騎士を迎える各騎士団の要人たちにも興奮があった。
当事者の二人も流石に今日ばかりは親しく言葉を交わすこともなく、自身の精神統一に余念がないだろう───そうした周囲の憶測を裏切って、今日もカミューは朗らかにマイクロトフに接していた。
「次の相手は……ロニー・レイだね。左利きだから勝手が違うだろうけれど……自分の間合いを守れよ、マイクロトフ」
「……ああ」
世話好きの母親みたいな奴だとうんざりしながら、いちいち耳を傾けている自分にも嫌気がさす。決勝で戦おうと口にしたのはカミューの方なのだ。マイクロトフは自分の腕にまったく不安を持っていないし、カミューとて今更本気で彼の勝利を案じている訳ではあるまい。
なのに何故、こうも踏み込んでこようとするのか。自分は他者に一切踏み入らせようとはしなかったというのに。
だいたい、いい加減に気付いても良さそうなものだ。これほど長い時間を過ごしてきた相手が、決して自分に温かな感情を持っていないことくらいは───。
大方の予想通り、すべての従騎士仲間を打ち負かし、決勝の舞台でカミューと対峙したマイクロトフは、悶々とした感情を押し殺して試合に集中することに努めた。
下段に剣を構えるカミュー、その姿から穏やかで甘い気配が消える。これまでの稽古では感じなかった、殺気じみた野性が垣間見えた。琥珀の瞳は獲物を仕留めるために油断なく光り、ほっそりした身体から滲み出るような闘気が窺える。
これまでの試合、カミューは遊戯のように相手を翻弄し、実力の半分も出さずに勝ち抜いてきたように見えた。だが、最終戦において終に彼は纏った殻を脱ぎ捨てたのだ。
打ち鳴る剣が立てる音は爽快で、且つ不穏を孕んでいた。一瞬でも気を抜けば試験試合以上の手傷を負いかねない鋭い切っ先にマイクロトフは焦った。これまでカミューが自分にさえ本当の力を見せていなかったことに憤り、自分が持ち札をすべて曝していたことに苛立った。
カミューはマイクロトフの癖を熟知していて、大剣ダンスニーを翳す僅かな防御の隙を突いて攻撃を仕掛けてくる。拮抗した力と技のぶつかり合いは長時間に及び、見守る誰もが手に汗を握っていた。
やがてカミューに微かな疲労が滲んだ。体格差と根本的な体力の違いに勝負はマイクロトフ優位に傾いた。それでも決めようとした剣はするりとかわされ、抜目のない剣先が間合いに滑り込んでくる。マイクロトフはカミューの底知れぬ力に圧倒されつつあった。
「……っ!」
幾度目か激しい金属音を上げた剣に、ふとカミューが表情を歪めた。飛び退る彼が反射的に右手に目を遣ったのをマイクロトフは見逃さなかった。
痛めたのか───自らも息を乱しながら思う。
好機だった。勝負は水物、相手が本調子でなくなるなど、良くあることだ。命を懸けた勝負という訳でなし、これも運だろう。
マイクロトフは剣を握り直し、攻撃に転じた。想像通り利き手に力が入らないのか、完璧だったカミューの防御に隙が生じていた。
この剣を振り下ろし、カミューの剣を叩き落とす。それで膝でも折らせることが出来れば、これまでの溜飲も下がるというもの───刹那の思考は命じたが。
次の瞬間、剣先は鈍った。攻撃に手段なく身を曝すカミューが僅かに微笑んだのだ。それまで彼を包んでいた闘気が消え去り、穏やかで幸福そうな眼差しが真っ直ぐにマイクロトフを射貫く。
それは間近に対峙する彼にしか見えなかっただろう。だが確実に覇気を削がれたマイクロトフは、防御として上がったカミューの剣に呆気なくダンスニーを弾かれた。
「そこまで!」
無情な宣告と、沸き上がる歓声。
暫しマイクロトフは何も考えられなかった。勝利を告知されたカミューもまた、薄い困惑を浮かべて彼を見遣ってくる。
その年の騎士試験・最終試合は長く語り継がれる名勝負として賛美されること確実であったが、当の二人には重苦しさの残る結末だったのである。
「マイクロトフ、いいかい……?」
寄宿舎としてあてがわれた一室で寝台に寝そべり、厳しい目で天井を睨んでいたマイクロトフは、試験の興奮も冷めやらぬ士官学校生の中からひっそりと姿を消した自分を追い掛けて彼が顔を出すのを予感していた。
ノックの後に控え目に呼ばわり、続いて答えを待たずに室内に入ったカミューは寝台の隙間に腰を落として溜め息をついた。
「その……、何故わたしに勝ちを譲ったりした? あの勝負はおまえのものだったのに」
応えぬマイクロトフに、彼は再度息を吐いた。
「おまえのことだから気付いたのだろうが……、わたしが手を痛めたのはおまえの所為ではないし、あのまま決めても何ら恥じることなどなかったんだ」
それでも無言の相手に焦れたのか、カミューは困り果てたように続けた。
「まあ……それがおまえの剣士としての誇りだったのかもしれないけれどね」
そこで殊更明るく話題を変える。
「おまえは青騎士団を希望しているんだって? さっき皆が話しているのを耳にしたんだ。水臭いじゃないか、教えてくれてもいいようなものを」
「…………」
「青騎士団か……おまえが青騎士団なら、わたしもそうしようかな」
朗らかに言って退けた声にマイクロトフは起き上がった。
「……どういうつもりだ、カミュー」
「え?」
「おまえにとって騎士団の所属はその程度の意味合いしかないのか」
次第に抑え切れない激情が溢れ出し、声音に険が混じる。
今宵初めて正面から交わった視線。そこにある憤怒を感じ取ったのか、カミューはふと眉を寄せた。
「何故、勝ちを譲ったか……だと? あんなふうに笑ってみせて、おれを油断させる気だったのだろうに」
「そんなつもりは───」
「おまえの思惑通り、見事にやられた」
「マイクロトフ!」
珍しく雄弁に言葉を発するマイクロトフと、その好戦的な口調に戸惑ったのか、カミューは鋭く遮った。
「そんな訳がないだろう? わたしはただ……、嬉しかっただけだよ」
「嬉しかっただと?」
「本気で剣を交えて、おまえの強さを実感して……こんな男と親友でいられることが嬉しいと……」
親友という言葉をやや面映ゆそうに口にしたカミューにマイクロトフは目を伏せた。
「……冗談じゃない」
ずっと胸に蟠っていた感情は自制を待たずに迸った。
「親友だって?
おれは一度だってそんなふうに思ったことはない」
「マイクロトフ……?」
彼はカミューを見ようとはせず、一気に言い放った。
「最初から友人なんかじゃなかった! あんなところに出くわしたばかりに、気付いたらおまえの従者呼ばわりされて! おまえはおれを使って妙な連中を牽制するのが目的だったんだろう? 誰にでも適当に合わせられるくせに、おれを選んだのは利用するのに都合の良い人間だったからじゃないか。望みは果たしただろう、おまえは同期一の腕を持つ騎士の名を与えられた。もういい加減にしてくれ、おれはおまえの顔を見ていると落ち着かないんだ!」
マイクロトフは力任せに寝台を殴りつけた。
怒鳴っているうちに混乱した。自分が何に一番腹を立てているのか、分からなくなったのだ。
利用されたことが悔しいのか、あるいは自他共に認める剣で最高位を取れなかったことが嘆かわしいのか。
それとも───こんなくだらないことに神経を尖らせている自分の未熟さが忌ま忌ましいのか。
長い沈黙が落ちた。
片膝を抱えて顔を埋めたマイクロトフに、やがてひっそりした声が言う。
「……わたしは他人が怖かった」
殆ど感情の窺えない掠れた口調。
「多分……この見てくれの所為だろうね、昔から優しくしてくれる人間は必ず見返りを求めてきた。だから、極力他人と深く関わろうとは思わなかったんだ」
部屋に流れる空気は寂寥を含み、紛れもないカミューの悲哀を伝える。
「あのときの白騎士も……故郷を離れたわたしを色々と気遣ってくれて。それでほんの少しだけ気を許したんだ。恋人もいるという話を聞いていたし……でも……」
マイクロトフの感情は次第に冷えた。まんまと誘い出された無防備が愚かだったのではなく、それほど彼の孤独が深かったのではないかと思えてきたのだ。
「……でも、無償という訳ではなかった。自分の甘さを憎んだよ。そんなとき、おまえが───」
そこで長いことカミューは口を閉ざした。次にもたらされた告白は、マイクロトフにも切なく聞こえた。
「おまえだけだったんだ……何の見返りも求めずに、わたしの傍に居てくれたのは」
「………………」
「……長いこと、すまなかったね」
衣擦れがして、カミューが立ち上がる気配がした。漸く顔を上げたマイクロトフは、今度こそ息が止まるほど驚いた。
カミューはいつものように笑っていた。
形良い唇を綻ばせながら───だが、その頬には一筋の涙が流れていたのだ。
「嫌われているとも気付かず、付き纏って悪かった。さぞ不快だっただろう………本当にすまなかった」
最後に小さく頭を下げると、カミューは踵を返した。
力なく落ちた肩はいつもよりずっと細く見える。しなやかな後ろ姿が扉の向こうに消えた後も、マイクロトフは身じろぎひとつ出来ずに彼の残像を見送り続けていた。
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