『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』への様々な論評に接して
最初のアップロードは2001年10月
第1回改訂:2002.2.13.
第2回補足:2004.3.20.
第3回補足:2009.4.28.【10年後の付記】
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1999年秋に刊行した拙著『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』(勁草書房)は、やや厚すぎる分量の本であり、また現代日本の一般的な知的状況からいえば「季節はずれ」のテーマを標題に掲げたものであるにもかかわらず、何人かの方から論評してもらえるという幸運に浴した。
本書のテーマたる「社会主義」が「季節はずれ」だということは、同書「はじめに」にも自ら記した。もちろん、そこには、短期的な流行の盛衰に追随しがちな知的風潮への抗議の意図も込められていたが、私のような変わり者の一匹狼――あるいはむしろ、あるところで聞きかじった卓抜な表現を借用するなら「一匹羊」――がささやかな抗議の声をあげてみたところで、流行の趨勢というものはそう簡単に覆せるものではないということも分かっていた。実際、私としては(旧)社会主義圏研究が社会科学の様々な領域と種々の接点をもっていることを問題提起して、専門外の諸分野の人々との対話の糸口でもつかめればという願望を秘かに懐いていたのだが、それらの分野から応答が返ってきたのはむしろ稀であり、全体としていえば、「このような標題を書名としてつけるだけで、無視されてしまうかもしれない」という危惧が当たっていたような気がする。しかし、それだけに、そうした中で敢えて本書について何らかの論評をして下さった方々には、本当に有り難いことだと感謝したい。
これまで私の目に触れた論評を、狭義の書評以外のものも含めて一覧表にすると、次の通りである(小さな形式上のことについて一言。ある時期以降、私は自分の文章に人名が出てくるとき、一切敬称をつけないという流儀をとってきた。しかし、この小文の場合、わざわざ拙著を論評するという労をとって下さった方々への謝意の表明という性格があり、そうした方々を呼び捨てにするのはどうも落ち着かない。そこで、私の文章としては例外になるが、人名に「氏」をつけることにする)。
稲葉振一郎氏、インタラクティヴ読書ノート・別館(1999年10月)。
杉山光信氏、『エコノミスト』1999.11.30.
丹藤佳紀氏、『読売新聞』1999.12.19.
大嶽秀夫氏、『朝日新聞』1999.12.19.(今年の3点)
富田武氏、『図書新聞』2000.1.1.
川原彰氏、『読書人』2000.1.21.
杉山光信氏、『みすず』2000.1月号(1999年読書アンケート)。
竹森正孝氏、『ロシア・ユーラシア経済調査資料』2000年5月号。
大江泰一郎氏、『ユーラシア研究』第23号(2000年)〔後に、一部加筆の上、『ロゴスとカオス』第20号,2001年に再録〕。
鹿野政直氏、「思想の百年・経験と情景」第54回『東京新聞/中日新聞』2000年12月6日夕刊〔後に、一部補筆の上、鹿野政直『日本の近代思想』岩波新書,2002年に収録〕。
上垣彰、中村裕の両氏、ロシア史研究会・ソビエト史研究会合同例会における合評会。2000年12月16日。
恒川恵市氏、『レヴァイアサン』第28号(2001年春)。
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一番早い時期に紹介して下さったのは、稲葉振一郎氏(社会政策・社会思想)である。この紹介は過褒の言葉を含んでいて、私としては赤面してしまうが、ともかく全く未知の人であり、専攻分野・所属などの面でまるで接点のなかった人が、こうやって注目して下さるということは大変有り難いことである。これは、「季節はずれ」の仕事がやがては報いられることもあるのではないかと考えつつ仕事をしている私を、大いに勇気づけてくれた〔稲葉氏はその後、『経済学という教養』東洋経済新報社,2004年でも拙著に簡単に言及してくださった〕。
稲葉氏の他にも、専門を異にする人たちがわりと早い時期に書評を書いて下さった。社会学者の杉山光信氏、政治学者の大嶽秀夫・川原彰両氏、ジャーナリスト(現代中国論)の丹藤佳紀氏などである。どれも比較的短いもので、具体的な批評の要素はあまりないが、ともかく私としては、専門を超えて広い交流の可能性がないかということを考えて書いただけに、注目して下さっただけで有り難いことだと感じた。
専門外からの発言ということでは、日本近代史の鹿野政直氏が――本書よりもむしろ前著『社会主義とは何だったか』『ソ連とは何だったか』の方に力点をおいたものだが――近代日本思想史の一こまとしての社会主義論という文脈で取りあげて下さったのは非常に幸いだった。私の仕事が鹿野氏の評価に値するものかどうかは別として、「社会主義」というテーマは近代日本思想史の中でかなりの重さをもっているのではないかと考えてきただけに、それが自分だけの勝手な思いこみではないことを確認してもらったような気がして、励まされた。なお、同じく近代日本史の安丸良夫氏も、発行元の出版社に丁寧な感想の手紙を寄せて下さった〔安丸氏はその後、『現代日本思想論』岩波書店,2004年でも拙著を取り上げて論評してくださった〕。
この項では、専門外の方々による論評のいくつかにまとめて触れたが、政治学者の恒川恵市氏の書評は、それらのうちで最も長く、また実質的な批評の要素を含んでいる。これについては、その批評に私なりに答えねばならないと思うので、この小文の4で独立に取りあげることにする。
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専門に近い人たちの間では、何人もの方が論評して下さった。これらの評者はみな私の知り合いである。ということは、そこには「仲間ぼめ」の要素が含まれる可能性もあるということであり、それをどのように受けとめるべきかはやや微妙な場合がある。また、個別の論点で具体的な批判や疑問を出して下さった方々もいるが、それらの一つ一つについて応答するのはやや細かすぎる話になるおそれもある(既に個人的に応答したものもある)。そうしたことを念頭におき、ここでは比較的一般性をもつと思われるいくつかの点に簡単に触れるにとどめたい。
富田武氏の書評は、短文であるにもかかわらず、さすがに行き届いたもので、要領を得た紹介かつ批評となっていると感じた。
大江泰一郎氏の書評はかなり長く、私への批判の要素を含んでいる。ただ、どちらかというと、異なる見地を単純に対置したような観がある。氏の観点は、単純にまとめると、一種の文化決定論――厳密にいうと、「文化」一般ではなく、「法文化」だが――であるように私にはみえる。私も「文化」(法文化を含む)という観点の重要性は認めており、その一環として大江氏の仕事にも多くを学んだつもりだが、それはあくまでもone of themとしてであり、また「文化」という要因を過度に固定的にみることには疑問を呈した。今回の書評は、そうした私の態度が氏にとって受け入れがたいものだったことを示している。意見の違いがあること自体はごく自然なことであり、殊更にどうこう言うべきことではない。ただ、今回の氏の文章は、一種の信条告白のような性格を帯びており、こういう風に断定的なものの言い方をされると、私としてはどう反応していいのか戸惑ってしまう。確かに、大江氏が取り組もうとしているのは重要な論点だとは思うが、あまりにも力みすぎており、かつてのとは異なった意味での一種の教条主義に陥らないかという懸念を感じないでもない。もっとも、これは余計なお世話かもしれない。ともかく重量級の書評である。
ロシア史研究会・ソビエト史研究会合同例会(拙著の合評会)における上垣彰、中村裕両氏の報告は、どちらも力のこもった丁寧なものだった。中村氏は、私の叙述における不用意な個所をいくつか指摘して、私が自分の考えを練り直すきっかけを提供してくださった。これは非常に有り難いことである。ただ、そのほとんどは個別的論点に関わるものなので、ここでは立ち入らないことにする。
上垣氏は、拙著の全体構図を分かりやすく図式化して示して下さった。また本書の「仮想論敵」として、「社会主義への未練論」と「結局のところ、社会主義も社会主義研究も無意味だった」とする立場の2つを挙げ、私がいわば二正面作戦をしていると指摘したが、これも適切なものだと思う。ただ、上垣氏自身の考えとして、この二つのうち前者はあっさりと切って捨てることができるのに対し、後者の方はもっと手ごわいと述べたのは、私自身の考えとは異なる。私は両者をともに重要かつ有意味な論争相手とみなしているが、上垣氏が両者の重みに差をつけるのは、おそらく氏自身がどちらかというと後者の方に傾いているからではないだろうか。氏が提出した他の論点の多くも、そのような角度から理解できるように思う。もちろん、それはそれで一つの選択であり、私はそれを尊重する。ただ私自身の観点とは微妙に異なるという印象をもつ(おそらく、竹森正孝氏の書評は、これとは対照的な観点からのものということになるだろう)。
上垣氏のもう一つの論点として、理論的なエレガントさを尊重する観点から、本書にはそれが不足しているのではないかという批判がある。これは、後で取りあげる恒川恵市氏の批評と似たところがある(上垣氏は経済学理論の立場から、恒川氏は政治学理論の立場からの議論だという違いはあるが)。この点については、恒川氏への応答と重なるので、そこで考えてみたい。
公けにされた論評以外に、私信や電子メールで感想を送って下さった人も多い。それらのうちで、私の印象に残っているのは松井康浩氏の私信である。氏は、本書終章の図式において、「総力戦と大衆動員」という要素と「共同体の過剰解体」という要素が別々に呈示されているが、前者が後者を一層促進したという関係があるのではないかと指摘した。これはその通りであり、機会があれば、その点を私の図式において補足したい。
宇山智彦氏も電子メールで長い感想を送って下さった。氏は中央アジア史の専門家だが、ややもすればロシア中心もしくは抽象理論中心になりがちな社会主義論を、中央アジアを含む民族・地域研究とも結びつけて展開したいというのが私の狙いの一つにあったので、そのような分野の人から応答があったのも非常にうれしかった。
その他、2001年8月初頭、関西地域を中心に活動している「比較経済体制研究会」の夏期研究大会に呼ばれて、本書の延長で簡単な報告をした際〔この報告はその後、「歴史的経験としてのソ連」『比較経済体制研究』第9号(2002年)として公表された〕、コメンテーターをつとめた森岡真史氏(経済学)は、本書にも触れながら、独自の問題提起をして下さった。
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先に触れたように、恒川恵市氏の書評は専門外からのものとして最も長大であるばかりでなく、専門の内外を問わず最も論争挑発的に批判を提出している。恒川氏は私と研究対象地域が異なる(ラテンアメリカ政治)だけでなく、手法や理論的観点も大きく異なるが、そうした人がわざわざ他分野の大著を読んで、丁寧な論評を加えるというのは希有のことであり、その意味で大変ありがたいことである。先ずもって、その労をとって下さったことそれ自体に対して、深い謝意を表したい。氏の書評の前半は拙著の要約的な紹介にあてられている。細部で小さな違和感がないではないが、基本的には手堅いものであり、これも感謝すべきことである。
その上で、後半部の批評には、やむを得ないことながら、空回りしていると感じるところが多く、異議があると言わないわけにはいかない。いくつかの点が列挙されているが、順に答えてみたい。
第1に、(旧)社会主義圏はそんなに特殊なのか、ラテンアメリカなどの発展途上諸国と共通するところもあるのではないかという指摘がある。これはある意味では力点の置き方の違いである。(旧)社会主義圏と発展途上諸国とを単純に同一視する傾向に私がどちらかというと批判的なのは事実だが、だからといって、全面的に特殊で何の共通性もないとか、両者を比較の視座で論じることが無意味だなどとは一度もいっていない。それどころか、拙著の各所で、共通性の要素とか比較可能性についても論じている。確かに、近年一部で盛んに行なわれている「比較民主化論」に対しては、それが一種の流行と化していることを念頭におき、辛口の批評をしたが、それも全面否定ということではなく、これまでのところやや安易なものが多かったのではないかと指摘したにとどまる。それに対して、私よりも比較民主化論に近い立場の恒川氏がこのような応じ方をするのは、心理的には分からないではないが、どこに違いがあるのかを正確に見定めることなしに単純に反撥している観があり、きちんとした応答になっていない。しかも、あたかも塩川は(旧)社会主義諸国と発展途上諸国との共通性を全面否定しているかのようにとれる書き方になっており、これは読者の誤解を招く。
第2に、文化の扱い方が体系的になっていないという指摘がある。これは、対象そのものが単一指標によるすっきりした体系的図式化を許さないものだという認識に立った意識的な選択であり、そのこと自体、本書の中で断わってある。
第3に、第3章(個別性)の中で共通性についての復習が出てくるとか、文化や近代化についての一般論などが含まれていて、読みにくく、読者は混乱するという指摘がある。これも、第2点同様、やむを得ざる事情による意識的選択であり、そうせざるを得ないことの説明もしてある。確かに、私の力不足もあって、読みにくくなっている面はあるだろうが、それは構成自体の混乱ではない。
この第3点の続きとして、第4・5章では共通性と独自性が同じ章で扱われているということが、あたかも欠陥であるかのように指摘されている。しかし、前半部において分析的に分けた要素を後半部において総合的に叙述に利用するという構成は、これも意識的・論理的に設定されたものであって、これは論理の混濁や破綻ではなく、むしろ整合性を物語る。恒川氏はさらに、第4章における転換の6類型を「説明されるべき現象」と捉えて、それが前の方に出てこないことに不満を述べているが、私はこれを「説明されるべき現象」と設定しているわけではない。従って、この不満は評者の勝手な思い込みに由来したものである。
このような批判を述べた後に、恒川氏は、「論文構成のスタイルは個々の研究者の『好み』の問題」だと付け加えている。この文章には説明がついておらず、趣旨不明だが、あるいは、評者と私の間の「好み」の違いを意識して、自分の「好み」を一方的に押し付けまいと自戒したのかもしれない。もしそのような意識をもっているとしたら、それは非常に貴重である。だが、残念ながら、その自戒が十分生かされていないのではないかと感じないわけにはいかない。実際、上記のほとんどの点は、氏の「好み」を私に当てはめようとするところから生じたすれ違いである。
こうした個々の点の批評とは別に、恒川氏はその書評で、「論理にあいまいさがある」といった趣旨のことを何度か述べている。これは私には非常に意外な批評だった。言葉づかいの問題として、氏は「論理」と「理論」とを混同しているのではないかという気もする。というのも、氏の不満の多くは、「論理」というよりはむしろ「理論的エレガントさ」にかかわるように思われるからである。
周知のように、恒川氏はアメリカ政治学の理論を精力的に日本に紹介してきており、比較政治研究における「理論」重視型の代表者の一人である。そうした行き方にはそれなりの意義もあるだろうし、私も、恒川氏および氏と同種の仕事をしている人たちの業績から私なりに学んでいる。しかし、私自身のスタイルはこれとはかなり対照的なものである。既成の理論や最新流行の理論に寄りかかることを自らに禁じ、自前の見取り図をつくりあげることが狙いだったことは本書に明確に述べてある。そのために、通常の「理論」的著作を見慣れた人の眼には、「理論不足」と映るだろうが、それは意識的選択であり、いわば確信犯である。と同時に、そのような「理論」へのもたれかかりを避ける以上、それに代わって武器とするのは論理だけである。ある意味では、本書は過剰なまでに論理に頼って構成されているのである。本来歴史家である私としては、ここまで論理に頼った本を書くのは「論理過剰」と批判されるのではないかという危惧をもっていたが、「論理不足」という評が出てこようとは思いもよらなかった。
もし誰かが本書について、「理論が不足している」というなら、私としては、「私はもともとあなたの好むような理論を出そうとは思っていませんでした。ただ、とにかくそれが本書にあるかないかと問われるなら、あまりないということを認めるにやぶさかではありません」と答えるだろう。しかし、「論理が不足している」といわれるなら、「本書は終始一貫、徹底して論理性を重視して書かれているのです。もしあなたがそれを読みとれなかったのなら、それはあなたが本書をその内的論理に即して読もうとしなかったからです」と反論せざるを得ない(先に言及した上垣氏は、拙著における「理論」面での弱さを批判したが、「論理」が不足しているなどとは言わなかった。さすがに専門が近いだけに、より的確な評価だと思う)。
こういう風に「論理」と「理論」を区別すると、では、お前は「論理」というものをどのように理解しているのか、それは「理論」とどう違うのかといった問いにさらされるかもしれない。このような大問題について立ち入った詳論をここで展開する能力も準備もないが、さしあたり考えているのは次のようなことである。本書の各所で述べたとおり、本書のように広大かつ複雑な対象を取りあげて議論をすることには、大きなアポリア(哲学的難問)がつきまとう。一方では、できる限り明快な整理と図式化を心がけねばならないが、他方では、その図式化が過度にエレガントさを重視したものになると、現実離れが甚だしくなるというディレンマである。変数をどこまで絞るか、どの範囲の事柄を「無用な夾雑物」として捨象するか、定量的に捉えられない事象をどこまで視野に入れるか等々の問題がこれと関係する。
抽象化による図式化――その一つの極点は数理モデル化――というものは、知的興奮をもたらしてくれるものであり、それなりに有意味な構築物であるが、ただそれはあくまでも多くのものを切り落とし、多面的現実から離れることによってだという限界があることを忘れるわけにはいかない。他方、実証的歴史研究の立場からは、図式化や比較論などには目もくれず、ひたすら具体的事実の叙述に徹するという行き方もあり、これはこれで意義がある――私自身の慣れ親しんだ行き方でもある――が、やはり限界もある。こういう難しい選択の中で、本書ではそのどちらもとらず、一つの冒険的な選択として、両者の中間的なところを狙った。その結果、ある意味では中途半端な結果になっているかもしれない。だが、それは、安易な解決がないアポリアに直面する中での苦しい意識的選択であり、一方に徹すればもっと楽になるだろうと思いつつも、敢えてそのような安易な道はとるまいと決断したのである。それは、一方における「上空飛翔」型抽象理論、他方における「地を這うような」実証史学の両極が交わることなくバラバラに並存している状況に一石を投じたかったからでもある。
こうして、本書では、ある程度までは図式化・抽象化をしながらも、それを敢えて徹底的に押し進めようとはせず、「理論的エレガントさ」を最優先はしないという行き方を意識的にとった。本書の中には、抽象のレヴェルの比較的高い個所と低い個所とがあるが、それは、行き当たりばったりに書いていたらいつの間にかそうなってしまったというような偶然性・没論理性の産物ではなく、それぞれの論点に即して、この場合にはどの程度の抽象レヴェルがふさわしいかを考えた上でのことであり、またそうした抽象度の高低を適宜組み合わせることで、上記の両極の間を何とか架橋したいという戦略的考慮に基づいたものでもある。そうした手法をとるという姿勢は本書の全体にわたって貫かれており、本書はそのような意味での首尾一貫性をもった作品になっているはずである。
やや自己弁明的な書き方になってしまったかもしれない。本書はあまりにも野心的な狙いを追求したために、私の力量がその目標に追いつかず、数多くの欠陥・限界を免れていないことは、自分自身よく承知している。だが、恒川氏はそうした欠陥を具体的に指摘しているわけではない。氏が挙げている批判点は、先に記したように無い物ねだりか無理解かのどちらかであって、痛いところをつくものになっていない。
こういうわけで、恒川氏の批判に対して受け入れがたい点は多々あるが、それは、ある意味で不可避のことであり、目くじらを立てようという気はさらさらない。評者と私は、ただ単に異なった対象地域を研究しているだけでなく、それにどのように接近するか、「比較政治」という学問分野をどういうものとして理解するか、「理論」とか「論理」という概念をどのように解釈するか、ひいては社会科学や科学一般をどういうものとして考えるかなどといった様々な次元にわたって、幾重にもわたる差異がある。そうした異なった学問観に立って仕事をしている他人同士の間で話がよく通じないというのは、よくあることであって、異とすべきことではない。私自身、これまで様々な人との対話・論争の過程で、基本的な前提のところで議論がすれ違い、話が通じないで苛立たしい思いをさせられるという経験を何度もした。自分が当事者でない論争を横から観察するときにも、「話がすれ違っている」と感じることは非常に多い(論争・対話というものの難しさについて、このホームページの中の「読書ノート」に収録した
金森修『サイエンス・ウォーズ』へのノート参照)。
日本の学界では、仲間内での馴れ合い的な社交儀礼はきちんと守られるのが通例だが、分野や視点が大きく隔たっている人たちの間で、その隔たりにもかかわらず――従ってまた、大いなる誤解の可能性にもかかわらず――敢えて対話を企てようとするのは、滅多にみられない態度である。恒川氏がそのような態度を示したことは、真に尊敬に値することであり、その批判の当否にかかわらず、私としては大いに尊重したい。
【10年後の付記】
拙著刊行から10年を過ぎ、私自身も拙著からやや距離をおいて新しい模索を進めようという心境になりつつある時期になって、意外なところに反響があるのを見出した。渡辺幹雄氏の『ハイエクと現代リベラリズム――「アンチ合理主義的リベラリズム」の展開』(春秋社、2006年)の「付章二」に、拙著へのかなり長い言及がある(迂闊なことに、私はそのことに長いこと気がつかず、同書の刊行後2年以上経ってから、偶然のきっかけで目にすることになった)。
この本は、同じ著者がその10年前に出した『ハイエクと現代自由主義――「反合理主義的自由主義」の展開』(春秋社、1996年)の増補改訂版であり、新たに付け加えられた「付章二」のうちの「6 ポスト社会主義――求む、冷静な市場論」という個所で拙著が取り上げられている。
渡辺氏はその付論でかなり丁寧に私のハイエクへの言及を紹介し、過褒ともいうべき評価を与えてくれている。「〔塩川のハイエク論は〕そんじょそこらのにわかハイエキアンなどとは比べものにならないほど正確なハイエク理解であると同時に、ハイエクにグローバリゼーション、ネオ・リベラリズム、はたまた市場原理主義の咎を帰して喜んでいる能天気な学者もどきに対する警告でもある」、「満腔の賛意を表したい」、「塩川氏のように正確なハイエク理解を示す研究者を見ると、一介のハイエク研究者として慚愧に堪えない」(同書、550-553頁)。このような褒め言葉を引用していると、面映ゆく、気恥ずかしくなってくるが、それはともかく、ハイエク研究者からこのように注目してもらうことができ、過度の賛辞は多少割り引くにしても、基本的に肯定的に受け止めてもらえたことは大変ありがたいことである。
専門を超えて大胆な問題提起をするときによくありがちなことは、一つには単純に無視されるということ、もう一つは、「基本的なことが全く分かっておらず、頓珍漢だ」という手厳しい評価に遭うことである。拙著は、ある人々からは無視されたが、ある人々からはともかく取り上げてもらうことができたし、その反応は、ときに批判を含むにしても概して暖かいものだった。渡辺氏の評価はそのなかでも最上級のものである。未知かつ全く専門を異にする人(世代も相当開いているらしい)から、このように思いがけない形で評価をしていただけるのは、著者としてつくづくありがたいことである。
(2009年4月28日)