金森修『サイエンス・ウォーズ』
「サイエンス・ウォーズ」とは、科学者と「科学論者」――「科学論」という耳慣れない言葉については後述――の間で、主にアメリカで一九九〇年代半ばに戦わされた激しい論争(その余波はその後にまで及び、また日本の一部にも波及してきているようだ)を指すらしい。私はごく最近までこの「戦争」について何も知らなかったし、「科学論」という分野についても比較的浅い関心と知識しかもっていない。にもかかわらず、そしてまた、「世間をいま現在賑わしている流行の話題には、どちらかというと距離をおき、あまり迂闊に乗らないようにする」という日頃の性向にもかかわらず、一部で「話題の書」となっているらしい本書を刊行後まもない時期に読んだのは、いくつかの理由がある。
第一。ここでいう「科学」とは基本的に自然科学のことであり、自然科学と人文・社会系の学問の間には種々の相違があるが、それでもなおかつ、広い意味での学問としてのある種の共通点もないわけではない。私はどちらかというと、自然科学と社会科学を安易に並列して、前者における方法やそれを取り巻く議論を後者にも性急に当てはめようとする傾向に対して批判的だが、それは両者を万里の長城によって隔てられたものと捉えるからではない。両者の共通性と異質性とをきちんと視野に収めながら議論するのは極めて難しいことだが、それでも、ともかく「科学」の最前線を歩んでいる自然科学を取り巻く動向について学び、それについて考えることは、社会科学者にとっても無意味なことではない。そして、この「サイエンス・ウォーズ」はそうした観点からみた場合に、いくつかの重要な問題を提起しているのではないかと感じられた。
第二。いわゆる「科学論」には種々の潮流があり、決してその全体を一色に塗りつぶすことはできないが、ともかくその中の比較的有力な潮流として、「ポストモダニズム」、「社会構成主義」、「反実在論」といったもの――これらの概念の内容およびそれらの異同についても後述――があるらしい。そして、これらは社会科学や歴史学においてもここ数十年ほど、かなり流行しているものである。従って、自然科学を取り巻く言説におけるポストモダニズム論争は、社会科学や歴史研究に携わる者にとっても無縁な問題ではない。
そして第三に、直接の対象を離れて、論争というもののあり方についても考えさせられるところがある。本書の「まえがき」に一八世紀フランスの宗教をめぐる激しい論争のことが言及されているが、論争というものが、穏やかで理性的なものとして展開されるのではなく、激しい罵り合いという様相を呈すること――しかも、それを行なっているのは、高度の知性を誇る知識人たちである――は、昔も今も、そして自然科学の世界でも社会科学の世界でも、珍しいことではない。この点も私の関心を引く。
以下では、これらの点を順次取りあげてみたい。但し、第二点は「ポストモダニズム」論と「社会構成主義」論とに分けて考えるので、全体としては四つの項目ということになる。
一
私自身の感想を述べる前に、この「戦争」の概要について、私が本書から知り得た範囲内で、簡単にまとめておく。というのも、このテーマについての私の知識はごく断片的なものに過ぎず(1)、私の理解はずいぶん偏っているかもしれないので、そうした偏りを明らかにするためにも、とりあえず私としてはこのように了解したということを明示しておいた方がよいと考えるからである(なお、主要な知識源は本書にあるが、自己流の解釈をまじえており、著者の議論の忠実な紹介ではない)。
科学――以下では、ただ「科学」といえば自然科学を指すものとする――を対象とする研究として、科学史、科学哲学、科学社会学といったものが従来からあったが、近年、それらが合流して一つの学問分野をなそうとする動きがあり、それが「科学論(science studies)」と呼ばれているようである。これは科学を対象とする研究だが、それ自体は歴史学・哲学・社会学などの視点からなされるものだから、いわば「外から」科学を眺めるという性格をもっている。もっとも、対象としての科学について何らかの理解をもっていなくてはこうした研究は遂行できないから、その意味では、「科学の内から」の視点も大なり小なりもっていることになる(よくは知らないが、先ず自然科学の訓練を受けてから人文社会系に転身する研究者が多いようである)。このように、「内から」と「外から」の両方の要素をもっていることが、「内側」そのものである科学者たちにとっては、ある種「ヌエ的な奴らだ」という印象を与えることは想像に難くない。誰でも、自分の専門領域について「外から」論評されることに対しては、「分かりもしない奴が勝手なことを言って」という感想をいだくものである。それが純然たる素人の放言であることが明白な場合には、ただ無視しておけばよいが、なまじ「内側から」の理解ももっているようにみえる場合には、そう簡単に無視できないだけに余計始末が悪い。こうした事情から、科学者が「科学論」に対して大なり小なり身構えるのは、自然なことといえるだろう(こういうものの言い方はやや揶揄的な響きがするかもしれないが、それは私の本意ではない。私自身にしたところで、自分の専門であるロシア・ソ連史に関して、中途半端な知識をもった人が、なまじある程度知っているだけに自己を過信して勝手な論評をする場面に出会うと、どうしても苛立ちを感じてしまう。これが良いことか悪いことかは別として――おそらく、その文脈により、またその感情をどのように発揮させるかによって、良くも悪くもなるだろう――これは自然な感情だと思う。自然科学者にしても同様である)。
こうして、「科学論」が隆盛するにつれて、科学者の側からの反撃が次第に高まってきた。その際、「科学論」の中の一つの有力な潮流として「ポストモダニズム」「社会構成主義」があり、またその一部にやや安易な科学批判や科学用語の濫用があることから、その点が集中的な批判の対象となった。そうした中で、『ソーシャル・テキスト』という雑誌――ポストモダニズムの系譜に属するカルチュラル・スタディーズの牙城の一つ――が「サイエンス・ウォーズ」という特集を組んだとき、物理学者であるソーカルという人物がある論文を投稿した。あたかも科学者が「科学論」に味方するかにみえるこの論文を受け取った編集部は喜んでこれを掲載したが、実は、この論文は明らかな物理学上の間違いを意図的にまじえたものであり、編集部にその間違いを見抜く力量があるかどうかを試そうという狙いで投稿されたものだった。ソーカルがそのことを暴露したことにより、同誌編集部は面目を失墜したが、同時に、狭い専門家以外には見抜けないような間違いを意図的にまじえた論文を異なる分野の雑誌に投稿するということが知識人の倫理として正当化されるのかという、もう一つの論点が発生した。ソーカルは続いて、『知の欺瞞』という本(ブリクモンとの共著)を書き(2)、ポストモダニズムの潮流に属する知識人たちが自然科学について基本的な理解を欠いていながら科学用語を乱発したり、全く間違った理解に立った「応用」をしていることを厳しく摘発した。こうしてソーカルの一連の著作によって、多くのポストモダニストたちは大きな打撃を受けた――もっとも、「科学論」の全てがここでの批判対象に該当するわけではない――が、他方では、このような「叩き方」は論争の仕方として「汚い」のではないかという問題も派生して、議論は拡散し、ある面では泥仕合化した、というのがおよその事の顛末のようである。
比喩的に表現するなら、次のようにいえるかもしれない(この比喩は、私が勝手に思いついたものである)。ボクシングの選手が相撲取りから批判されて怒り、ボクシング・リングの上で対決することになった。相撲取りも格闘技のプロであるとはいえ、ボクシングには全く不慣れだから、リング上でさんざんに叩きのめされた。しかし、観客としては――相撲取りに反感をもっていた人たちは快哉を叫んだろうが――ボクシングのプロがアマを一方的に叩きのめすのをみて、何か後味の悪い感じを懐かされた。もっとも、ボクサーには次のような言訳があった。「私は何も好きこのんで、相撲取りをボクシング・リングに引きずり上げたわけではない。先に口を出したのは向こうなのだ。相撲取りが生意気にも、自分はボクシングについて一家言あるなどということを言わなければ、私はリング上で対決しようなどとは言い出さなかったろう。ついでにいえば、今回はリング上で私が勝ったが、相撲の土俵でなら相撲取りが強いのかもしれない。そのことについてまでどうこう言うほど、私は高慢ちきではない」。
このようなボクサーの言い分は、かなりの程度正当なようにみえる。だが、それで全てが片づくわけではない。世の中にはスポーツ評論家という職業もある。たとえば、引退した元野球選手が野球評論家になった場合、その人は、歳のせいで体があまり動かなくなっているから、野球の実技に関しては現役選手に劣るだろうが、それでも評論家として発言するのを誰も怪しまない。ということは、実技が十分伴わない人が評論するという行為が正当なものとして認められているということである。だとしたら、相撲取りがボクシングの実技の力量がないままにボクシングについて論評することも、そのこと自体が許されないとはいえないのではないか。もちろん、その批評の内容および形態がどの程度妥当かということは争われてよい。ただ、ともかく、実技の力が伴わないからということだけで排除するなら、プロ選手以外の人は何も言えないということになりかねない。
比喩はこのくらいにして、実質論について考えてみよう。なお、以上にみた「戦争」の構図はさしあたり科学者vs「科学論者」という形をとっている(実際には、科学者にしても「科学論者」にしても決して一枚岩ではないから、このような対置は過度の単純化だが、その点は今はさておく)が、私はもう少し視野を広げて、《科学者‐科学論者‐一般社会の三者関係》という形で考えてみたい。このように「一般社会」という項を入れてみるなら、科学の専門家でない人が科学のあり方について関心を寄せ、時にはその暴走に懸念をいだき、ある種の批判を試みたりするということ自体は当然であり、「素人が口を出すな」などといって封じるべきでないことは自明である。それは、何よりも現代科学の社会的影響の大きさによる。費用もそれこそ天文学的な規模にのぼる――ということはつまり、そのかなりの部分が国民の税金によってまかなわれる――し、核開発・遺伝子研究・生殖技術・臓器移植などといった例をみれば明らかなように、人類の存続や人間存在の根幹にまで関わりかねないような影響力をもっている以上、それに対して、科学者以外の人々――一般市民、経済人、政治家、官僚、ジャーナリスト等々――が関心を寄せ、ときには科学の暴走に歯止めをかけようとするのは当然のことである。おそらく科学者たちも、以上の範囲内であれば、「外からの」発言を――内心「うるさいな」と感じることはあるにしても、少なくとも表向きは――敢えて否定しようとはしないだろう。それどころか、自分たちの存在意義を社会にアピールし、自分たちだって人類に危険をもたらすような暴走をしないよう努めているのだということの理解を訴えて、積極的に一般社会への広報活動をしたりしているようだ。より微妙なのは、純然たる「素人」からなる一般社会ではなく、科学の「外」と「内」にまたがるような位置にある「科学論者」との関係である。
ここで、「科学論者」と科学者の関係を彼らの議論に内在して考えるという、本書の主要テーマに触れることになる。これはこれで非常に重要な問題であり、私自身も哲学上の認識論などとからめて考えてみたい誘惑に駆られないではない。だが、この問題について本格的に論じるのは、自然科学についても「科学論」についてもさしたる知識をもたない人間にとっては、あまりにも大きな冒険である。そこで、将来いつかこの問題を考えることがあるかもしれないが、とにかく今のところは敢えてこの難問への深入りは避け、とりあえず、「内」と「外」の境界線上の存在はとかく「ヌエ」「コウモリ」という風に見られがちだといった程度の常識論を確認するにとどめて、先に進んでみたい。
さて、そのような「ヌエ」的な存在は、どちらの側からも胡散臭く見られる、その意味で辛い役回りだが、それでもそのような役割を果たす人たちがいるということは確かに必要なことだと思われる。というのも、純然たる「素人」たちはいくら科学の暴走を憂えたり、批判的な監視の姿勢をとろうとしても、内在的な理解をもてない以上、その議論は空回りしがちであり、誰かがそれを補わなくてはならないからである。もちろん、科学者自身が、自分たちのやっていることについて広く一般社会に啓蒙的に説明するということも行なわれているが、それだけでは十分でない。というのは、科学の暴走可能性とかそれへの監視とかいうことが問題になっている以上、その「監視」の対象であり、いわば利害当事者である科学者たち自身の提供する情報だけに全てを頼るわけにはいかないからである。このようにいうのは、何も、科学者=性悪説とか科学否定論とかに立つということではない。科学および科学者というものを全体としては大いに尊重するとしても、ともかく何らかの危険性が可能性としてあり得ると考える限りは、当事者以外の人の眼が必要だということは自明である。そして、純然たる「素人」=一般社会にはその点に踏み込む能力がないとしたら、その中間に立つ人としての「科学論者」たちに重要な役割があるということになる。
こういうわけで、「科学論」には大きな役割が期待されるのだが、ではその期待に「科学論」が本当にうまく応えてくれるのかということになると、話はそう簡単ではない。そもそも歴史学・哲学・社会学などの分野で主に活躍している「科学論者」たちが――たとえ元来は理系の教育を受けたことがあるにせよ――現代の自然科学の発展にどこまでついていき、どの程度正確な認識をもっているのかということが疑問にさらされうるからである。現代における専門細分化の進行の結果、たとえば同じ物理学者(あるいは化学者、生物学者等々)の間でさえ、ちょっと専門分野が違うと、細かい点まではそれほどよくは分からないといったようなことがあるだろう。特定の専門分野の研究に専ら従事している人はそれでもよいが、「現代社会における科学のあり方」といったテーマに取り組む人は、科学の様々な分野に口を出さざるを得ないから、たとえある範囲内ではかなり高度の知識をもっていても、そこをはみ出したところでは精度が落ちるといったことにならざるを得ないだろう。また、研究の最先端においては、専門家の間でさえも「何が正しいのか」の考えが分かれていることが珍しくないから、そうした事柄について非専門家が何かをいった場合に、それが「全くの見当違い」なのか、「岡目八目で、意外に的を射ている」のかは一概に確定できないというようなこともあるかもしれない。
結局のところ、この問題について、議論の余地ない最終的結論――異なる位置にある人たちの間での完全な見解の一致――を求めることはもともと無理であり、論争とか対立は不可避であるように思われる。その上で、論争ができるだけ理性的に行なわれ、それを通して徐々に合意が形成されていくことが望ましい、というようなことが一応言えばいえるだろう。だが、これは――「理性」を働かせることを職業とする研究者たちの間でさえも――言うは易く行なうに難いことである。科学者も「科学論者」も人間である以上、それは無理からぬことなのかもしれない。こうして、この問題は、論争のあり方(この小文の第四項のテーマ)につながっていく。
この項の最後に、ここでの議論の対象となっている自然科学の場合と対比して、社会科学ではどうなのかという点に、簡単に触れておきたい。ここで社会科学論――その自然科学との異同――を全面的に展開するわけにはいかないが、ともかく、両者の間に一定の共通性と異質性とがあることは当然である。体系的に論じる準備はないが、すぐ思い浮かぶ相違点として、社会科学は今のところ自然科学ほどの巨額の予算を食うわけでもないし、その社会的影響も、核兵器開発や遺伝子研究などに比べると、ごく限られたものだという事情がある。それだけに、自然科学のように広い社会的関心を集めて「科学論」の俎上にのぼせられることもないわけである。それでも、一部の社会科学は、かなりの予算を必要とするようになって、そのために政府や財界にどのように売り込むかということを意識せざるを得ないとか、政策提言と密着したタイプの研究においてはその社会的効果ということが問題にならざるを得ないという点で、自然科学の状況を完全に他人事としてみることはできないだろう。
もう一つ、人文社会系の学問の多くは、十分「科学」化していないという事情がある。そのため、多くの社会科学者は、一方において「科学」化したいという欲求をもちながら、他方において、「科学」化のもつ陥穽への警戒心ももつというアンビヴァレンスに引き裂かれる(3)。これは、問題状況を自然科学の場合よりも複雑にする。既に十分「科学」化しているなら、そこにはらまれる問題や危険性は自然科学におけるのと同種のものということになるが、それと同時に、まだそこまで達していないので、危険性を意識しつつもそれに近づこうとせずにはおれないというディレンマに悩まされるのである。
以上とは別に、やや個別的な点だが、本書第U部の「科学の人類学」という論文で紹介されているような視点は、社会科学にもある程度まで適用可能かもしれないという気がする。研究者がどのようにして実地の研究を進めているのかを「人類学」的な手法で観察し、記述し、分析するという作業は、これまで系統的になされることは滅多になかったが、「研究の楽屋話」とか研究者の回想などの形で断片的な情報が記録されることはよくあり、これはこれでしばしば興味深いものである。それらを体系化していくと、何か面白いことが出てくるかもしれない。これは今後の課題であり、ここではこれ以上立ち入らないことにする。
二
次に、「科学論」の全てではないまでもかなりの部分に影響しているらしい――そしてソーカルらによって批判の槍玉に挙げられている――ポストモダニズムというものについて、その社会科学や歴史学におけるあらわれということを主に念頭におきながら考えてみたい。私は知的ファッションの盛衰にあまり敏感なたちではないので、片目で斜めににらむ程度のことしかしていないが、「ポストモダン」という言葉がここ数十年ほどの間に至る所でしきりに使われるようになった――気の早い人たちは、「もう既に流行遅れだ」と考えているようだ――ことは一応承知している。折りに触れてその種の言説に接するたびに私が感じるのは、面白い問題提起だと思う反面、やや奇矯な表現や行き過ぎた結論に疑問を覚えもするというアンビヴァレンスである。「サイエンス・ウォーズ」においては、その一つの側面が大きくクローズアップされて批判されたようで、その批判はやや一面的であるにもせよ、ともかく一旦はそれを受けとめてみる必要があるように思う。
一口にポストモダニズムといっても、非常に雑多な要素や潮流からなるようであり、そのおよその輪郭を捉えること自体が難しい。そのうちの、ある程度まで内容がはっきりしている議論については次項で取りあげることにして、ここでは先ず、より漠然とした「雰囲気」に関わるようなことを考えてみたい。
全てではないにしても一部のポストモダニスト――これはこの潮流のすぐれた代表者たちよりもむしろエピゴーネンたちに著しいのかもしれないが――の言説には、往々にして、「鬼面人を驚かせる」といった感じの奇矯で意味不明な表現を用いて人を煙に巻くといったところがあるようにみえる。そのことと直接重なるわけではないが、彼らの文章の分かりにくさの一因として、しばしば現代科学の最先端に関わる用語をちりばめ、「よく分からないが、高級で、知的らしい」といった雰囲気を醸し出しているということがある。一般読者は現代科学用語の正確な意味など分からないから、そうした言葉にぶつかると、ただ恐れ入るしかない。
もしそうした科学用語の使用が不正確な理解に立脚していたとするなら(これがソーカルらの指摘だが)、それは何を意味するだろうか。先ず、ポストモダニストたち――少なくともその一部――は、自分が使う言葉を自分でよく理解していなかったということになる。よく知らないことについて「知ったかぶり」をするという態度は、実生活においてはよく見受けられるものだが、知的職業に携わる人としては恥ずべきことである。これは当たり前でいながら忘れられがちなことだが、それを改めて思い出させたという点だけでも、この論争にはそれなりの意義があったのかもしれない(なお、ここで直接問題になっているのは科学用語の使い方ということだが、科学用語をよく分からないままに乱用するような人は、それ以外の様々な言葉についても同様の使い方をするかもしれず、そのことが彼らの文章の分かりづらさの一因ではないかという疑惑もかけられる)。
問題はそこにとどまらない。最先端の現代的科学用語というものは、大多数の読者にとっては、「何だか分からないが、知的に高級で、すごいものらしい」という印象を引き起こしがちだから、そうした用語の乱発はいわば「箔つけ」効果をもつ。それがどうしても必要だというならまだしも、自分がよく分かってもいないのに「箔つけ」のためにそうした言葉を使うというのは、自分が権威主義的メンタリティーの持ち主だということを自己暴露している。ところが、ポストモダニストの大半は、権威ということを批判の対象とし、「反権威」を気取っているのだから、つまりは、「口先で反権威を語る権威主義者」ということになる(金森は四〇‐四一頁で、デリダに関して鋭い指摘をしている)。ラカン、クリステヴァ、ボードリャール、ドゥルーズ=ガタリ、デリダ等々、錚々たるポストモダニストたちがそろいもそろって、いい加減な科学理解に立脚して科学用語を濫用していたというソーカルらの指摘がもし当たっているなら――狭義の科学の文脈に関わる限り、どうも当たっているらしくみえるが――日本でも大きな影響力をふるっているフランス系のポストモダニズムというものは、かなりの打撃を受けるし、それをありがたがっていた人たちは深刻な反省を迫られるだろう。
私自身、何度か、ある種のポストモダニストの文章を読んで、「何をいっているのだか、さっぱり分からない。こんなにも文章の意味が分からないというのは、よほど私の頭が悪いのか、この文章の筆者の方が悪いのか、どちらかだろう」という感想を懐かされたことがある。だから、そういう印象をもったのが私だけではないと知ると、多少ほっとする面がある。
そうではあるのだが、こう片づけただけでは済まない問題もまたあるのではないか、と私は感じる。「サイエンス・ウォーズ」は、先の比喩で相撲取りがボクサーに叩きのめされたように、ポストモダニスト――そのうちの不用意な部分――が叩きのめされる形でひとまず幕を下ろしたようだが、それでもって全てが終わってしまうと考えるなら、話はあまりにもあっけなく、面白くない。
私自身は、できることならば、文章は平易かつ明快に書いた方がよいと考えている。難解・高級を装うもったいぶった文章というものは、往々にして愚劣である。このように考えるという意味で、私の体質は、どちらかといえば「合理主義者」に近い。しかし、あらゆることが合理的に割り切れるとは限らず、すっきりと明快に表現できるとは限らないというのも、また現実である。特に、自然科学よりも複雑微妙な対象を扱う人文社会系の学問においては、どうしても晦渋な表現になることが避けられない場合がある。これまで他の人によって指摘されてこなかったような新しい問題を提出しようとするときには、ごたごたした印象を与える晦渋な文章でしかとりあえず表現できないという場合もある。偉大な学者で悪文の書き手という人たちも大勢おり、彼らの学説は、何十年もかかって後継者たちによって咀嚼される中で、徐々により明晰な表現を与えられるものである(4)。これを単純に無意味として切り捨てると、大事な問題を見落とすことになりかねない。
言い換えれば、分かりにくい文章というものは、「難解だからこそ高級だ」などとありがたがるべきではないが、やむを得ずそうなっているケースもありうることを念頭におくなら、そうあっさりと切り捨ててよいとも限らないということである。ところが現実には、往々にして、「合理主義者」はポストモダニストの晦渋な文章を――ひょっとしたらそこに何らかの大事なものが隠されているかもしれないのに――単純なナンセンスとして切り捨て、後者の側は、前者にも通じるような明快な形で表現すべく努力することを怠るという傾向があるのではないか(5)。この辺も、論争の進め方という問題につながっていく(この小文の第四項)。
もう一つここで考えてみたいのは、政治的「左翼」性との入り組んだ関係である。何が「左翼」かということは、現代社会ではそれほど自明ではない。そもそも、数十年前から「正統左翼」(マルクス主義)に挑戦する「新左翼」――これ自体、様々な潮流に分かれるが――が登場して、「左翼」が多様化していたし、その上にソ連・東欧の社会主義圏の崩壊という事態が重なって、「何が左翼か」はますます分かりにくくなってきた。また、かつて知識人の多くは、「左翼であることが正しく、右翼であるのは恥ずべきことだ」という発想をもっていたが、いまではそれも疑問にさらされている。何らかの組織に属しているとか、ある種の代表的なイデオローグ(たとえばグラムシとか、トロツキーとか、アルチュセールとか、その他その他)に依拠しているとか、特定の政治問題に一定の関与をしているということでもって、直ちに「左翼だ」とか、「正しい」ということが簡単にいえるものではない。「サイエンス・ウォーズ」の立て役者の一人であるソーカルは、ある時期サンディニスタ革命政権下のニカラグァで数学教師をしていたとのことだが(七七頁)、そういった事実を挙げるだけで、だから「左翼だ」、だから正しい、といった結論を示唆するのは、あまりにも単純な発想である(念のためいえば、金森はそのように単純な書き方をしてはおらず、その記述は微妙なニュアンスに富む)。では、どう考えるべきか。
ポストモダニストの多くは、既成の権威に対する挑戦的姿勢を特徴としており、一応それは「左翼的」な態度だといえる。そればかりか、その挑戦の対象は、正統的「左翼」が疑わなかったような対象――近代合理主義、理性中心主義、人間中心主義、科学、組織、歴史の進歩、社会主義その他その他――にまで及んでいるから、正統左翼以上にラディカルだともいえる。敢えて単純な言い方をすると、広い意味で「新左翼」的ということになるだろう。
しかし――これは「新左翼」全般についていえることだが――あまりにもラディカルな態度というものは、何もかもを否定することになり、それでは現実に生きていくことができないから、どこかで妥協するということになる。そして、どうせ妥協するなら「毒食わば皿まで」ということで、実際には、ずるずるべったりに体制順応的になることが少なくない。そればかりではない。ポストモダニズムを説く人の多くは、学者・評論家・ジャーナリストなど、広義の知識人であり、彼らは、そうした言説を生産し、流通させることで、大学教授などの職を得たり、収入を得たり、名声を獲得したりしている。知識は権力だというフーコー流の言い方は、ポストモダニスト自身にも返ってくる。あらゆる権威を批判する人たちが、そのような言説のおかげで権力や富を得ているのである(6)。
他方、ポストモダニズム批判の側に立つ人々はどうか。これは大きく二つに分かれるだろう。一つには、近代社会の正統・主流的な立場――政治や経済の世界であろうと、学界であろうと――にいて、ポストモダニズムがそれに挑戦することに反撥する人たちがいる。これは体制派・保守派そのものということになる。もう一つには、ポストモダニストの「新左翼」的傾向に反撥する「正統左翼」的な立場がある。彼らは、現存の政治経済体制に対しては批判的だが、その批判の武器として啓蒙理性・科学・マルクス等々を尊重し、「新左翼」がこれらまで疑おうとするのを許せないとする。ということは、彼らにとってこれらは疑うことの許されない聖域・権威とされているということであり、そのことによって、彼らが実は権威主義的な体質をもっていることが暴露される。
もちろん、ポストモダニストにせよ、それに反撥する人たちにせよ、その中には多様な人々が含まれるから、ここに書いたのは話を分かりやすくするための単純化だが、ともかくおよその傾向としてはこのように考えることができるのではないか。とすると、ポストモダニストはラディカルな左翼性と、そのラディカルさが現実には貫き得ないものであるが故の無原則的妥協性や、口先の反権威主義と裏腹の隠された権力志向といったものの両義性をかかえているということになるし、他方、反ポストモダニストは、体制派・保守派と、主張は左翼的だが体質は権威主義的な正統左翼とからなる、ということになりそうである。
このような錯綜した配置の中で自分自身の位置を模索するのは容易なことではない。私自身はもともと「新左翼」的な立場から出発したから、その「ラディカルな」発想は比較的理解しやすいが、同時に、その限界性についても敏感にならざるを得ない。だからといって、いまさら体制派・保守派やら旧態依然たる正統左翼やらに転向する気にもなれない。全ては疑いうる、だが現実に全てを疑い尽くすことはできない――このようなディレンマにつきまとわれながら、とぼとぼと歩み続けるしかないのかもしれない。
三
前項では緩やかなポストモダニズム一般、とりわけそこにつきまとう「雰囲気」のようなものについて考えたが、次に、これよりは相対的に輪郭のはっきりした概念群として、「(社会)構成主義(あるいは構築主義)」、「反実在論」、「反本質主義(あるいは非本質主義)」、「(認識的)相対主義」などについて考えてみたい。もっとも、これらの概念の厳密な内容、それらの間の異同、ポストモダニズムとの関連――おそらく、これらの概念はポストモダニズムの専売特許ということではなく、近代合理主義にも包摂される側面があるだろう――また自然科学における「構成主義」と社会科学における「構成主義」の異同(7)等々といった前提問題があるのだが、それらについて本格的に検討するのは、あまりにも大きな作業になってしまい、ここで展開することはできない。ここではただ、それらの間にある程度までの重なりがあり、共通の展望の中で論じられる部分があるという一般的な確認に立って、その範囲内で――そして私自身の専攻と関係して、自然科学よりも社会科学の方に力点をおいて――考えてみることにしたい(8)。
人が何かを認識しようとするとき、「○○は××である」といった判断がなされるが、この判断は、「○○」とか「××」という概念の使用に依拠しており、その概念はほとんど全ての場合、言語――数式などの人工言語を含む――によって表現される。ところで、言語というものは社会的存在であり――純粋に一個人にしか通じない言語は言語たりえない――また概念というものはその言語を使って人間が組み立てたものである。ということは、認識という作業は必ず、「社会的存在としての人間が言語を介してつくりだしたもの」という性格を帯びており、「生のままの現実」「客観的実在」「本質」等が意識に直接与えられるというようなことではないということになる。人間たちが一定の社会的文脈の中で構成ないし構築した概念とそれらの織りなす枠組みが、認識を枠づけている。ここから、認識という作用およびそこで駆使される概念は社会的に構成されたものであり(構成主義)、客観的な実在や本質の直接的反映ではない(反実在論および反本質主義)、そしてその構成のあり方はそれぞれの社会的文脈によるから普遍的・絶対的なものではない(認識的相対主義)というような考えが導かれる。
このような考えは、どの程度、人々に受容されるだろうか。日頃、「認識とは何か」という哲学的な問題についてあまり考えたことのない人――これは非知識人ということではなく、学者であっても認識論に関心の薄い人を含む――にとっては、受容しにくいかもしれない。自分が犬を認識し、赤い色を認識し、日本人に特有な行動様式(たとえば終身雇用とか年功序列とか)を認識し、女性的な感性(たとえば他者への配慮の深さ)を認識するのは、まさにその対象を把握しようとしているのであって、対象があるからこそ、それに対応した認識が生まれるのだ、もちろん、万全な認識ではなく歪んだ認識になることもよくあるが、その歪みを自覚的に矯正していけば正しい対象認識に接近できるはずだ――こういう風に考える方が自然かもしれない。これは、素朴ではあるが、それだけにある種の健全な力強さをそなえた発想であり、簡単には退けられない。
しかし、「認識とは何か」ということを一旦反省し出すと、そうした素朴な発想をそのまま維持することはできなくなるということも、かなり多くの人が認めるところだろう。様々な犬の間の差異を捨象して、それらを「犬」と一括する一方で、「犬」と「オオカミ」の間に線を引き、「犬」という概念を立てるのは、生物学的な事実が直接に強いることというよりは、われわれが対象をどのようにみるかにかかっているのではないか。「赤」と「橙」の境は人により時によって異なるだろうし、世界中の言語の中には「橙」に当たる言葉をもたない言語もあるから、その場合には、日本語で「橙」と呼ぶ色も「赤」のうちに含まれるなどの事情を考えれば、「赤」という色を取り出すのは、その言語を共有する集団の約束事によるのではないか。ましていわんや「日本人」となると、国籍で切るのか、血統で切るのか、身体的特徴(顔つきや髪の色)で切るのか、言語で切るのかといった様々な切り方があり――「日本人」の場合、それらの切り方がかなりの程度重なりがちだという事情が、それらの違いへの感覚を鈍いものにしているのだが――どの切り方でどのように枠づけるかは、明らかに社会的構成の問題である。ある地域の人々が話す言葉を「方言」とみなすか「独立した言語」とみなすかも純言語学的な差異によるというよりは政治的な事情(その地域が独立国をなしているかどうか)に左右されるから、「一つの言語(を話す集団)」という単位も自明なものではなく、やはり社会的構成の産物である。「女性」概念についていえば、これがジェンダーを念頭においているならその社会性は明白だし、生物学的に規定されるとみなされているセックスでさえも、ときとして一義的でない場合がある。更に、「ある集団に特有な行動様式」とか「特有な感性」ともなると、それらが絶対的な本質であるよりはむしろ社会的に構成された概念だということはより一層明白である、その他その他。
このように考えると、「構成主義」的な発想は、かなりの説得力をもっている。実際、様々な分野で、形を変えて類似のことが指摘されている(9)。以下に列挙するのは非常に異なった分野の例であり、厳密にはそれらの間に種々の差異があるから、こうした羅列は暴論だという批評が向けられるのは承知の上だが、ともかくわれわれが日常的に使う様々な概念が絶対的なものではないとする限りでは、それらの間にごく緩い意味での共通性があると想定することは一応許されるだろう。
もともと言語というものは、ある言葉=シニフィアン(能記)がある対象=シニフィエ(所記)を指示するという関係を基礎につくられているが、それらの対応関係は決して一義的ではなく、むしろ恣意的である(ソシュール)。そして、言語体系に代表される象徴体系は、そのもとにある人々の世界の受容の仕方を規定しているが、これはそれぞれの集団ごとに異なり、それらの間での優劣をいうことはできない(文化人類学者のいう「文化相対主義」)。西欧世界は「東方」をある型にはめて理解しようとしてきたが、それは対象自体の認識というよりはつくられたイメージである(サイードのいうオリエンタリズム)。様々な集団とりわけ「国民」が自己の結束を固めるために「古来からの伝統」を誇ろうとするが、その伝統というものは、実際には、往々にして近代に創造(あるいは発明)されたものである(ホブズボーム)。そもそも民族というものは「想像の共同体」である(アンダソン)。ジェンダーも社会的に構成された概念であり、人は女として生まれるのではなく女になる(ボーヴォワール、その後のフェミニストたち)等々。とりとめなく列挙したが、近年の人文社会系の研究においては、こうした発想はほぼ常識化しているといってよい。それはそれとして確認すべき点だが、実は、そういうだけでは済まない問題もまたあるのではないかという疑問が提示されており、そこに問題の複雑さがある(10)。
たとえば、文化人類学は「文化相対主義」を基本的な立脚点としてきたが、それは認識の面でも価値の面でも深刻な疑問にさらされる。認識面というのは、「他者」の文化が自らのそれと異質だという前提に立つなら、文化人類学者はどうして「他者の文化」を認識することができるのか、認識できるという主張は「異質」だという主張と矛盾するのではないかという問いであり、価値面というのは、あらゆる文化は等価だとする立場に立つならおよそ価値判断ができなくなり、実践的な決断が不可能になってしまうではないかという問いである。これに対しては、文化人類学者の間でも様々な議論があるようであり、門外漢である私に大したことがいえるわけではないが、この問題に答えようとしたクリフォード・ギアツの論文が「反・反相対主義」と題されているのは意味深長である。それは、相対主義を積極的に擁護するというよりは、一部にみられる安易な反相対主義に反論することで暫定的に相対主義の立場を維持しようとするものであるようにみえる(11)。「相対主義」という言葉には何通りかの意味があり、そのうちのあるものは、ドグマ的な教説を批判するという点で積極的な役割を果たしうるが、ある場合には、「何でもあり」という安易な態度や、全ては等価なのだから決断は不可能――あるいは純粋の恣意による――ということになって、実践的にはナンセンスなものになってしまう(12)。相対主義は、それをどのように唱えるかによって、「進歩的」「ラディカル」にもなれば、「保守的」「現状容認」にもなるかのようである。
フェミニズムやマイノリティーなどの運動がしばしば「反本質主義」「構成主義」を唱えるのも、これと同様の両義性につきまとわれる。「反本質主義」の立場は、批判の武器――従来の社会で支配的だったステレオタイプ的イメージを解体する――としては確かに鋭利だが、積極的な結論を導きにくい。積極的な主張を敢えてするなら、たとえば「女性」とか特定民族とかに固有のアイデンティティーを奪還すべき目標として想定することになりやすいが、それは自ら幻想的なアイデンティティーの固定化に加担し、「反本質主義」に背く結果になってしまう。一部には、そうした固定的アイデンティティーを全否定して、むしろ流動性・多層性・柔軟性などを強調する立場(クレオール、ディアスポラ、越境、両性具有、異種混淆などへの注目)もあるが、これも実際には、クレオール性とかディアスポラ性とかをある種のフェティシュ(物神・呪物)化しているのではないか、あるいはもしそうでなければ、およそどこにも拠り所のない極めて心細い立場に身をおくことになるのではないかといった疑問が出てくる(13)。
歴史学の分野でも、伝統的史学が重視してきた実証主義的手法への批判という形で、テキストをどう読むかという問題が盛んに論じられている。それは、ある種の古い通念を批判し、解体するという限りでは積極的な役割を果たすだろうが、もしテキストに「外部」はないという命題を文字通りの意味で受け取るなら、「史実」というものはそもそも存在せず、「史実」を追求しようとする歴史学というものは成り立ち得ないということになりかねない(14)。歴史における「構成主義」は、伝統的に支配的だった通念を揺るがそうというラディカル派やフェミニストなどから提起されることが多いが、これも実は両刃の剣である。たとえば、ホロコーストについての社会構成主義というものを考えてみたらどうなるかという問いを出した人がいるということが、金森の著書で紹介されている(二八〇頁の注88)。あらゆる概念やそれに関する言説・テキストは社会的に構成されたものであり、その「外」に「事実」などないという発想を徹底すれば、ホロコーストもまたある人たちの頭の中の観念であって、「史実」ではないということになり、「ホロコーストは幻だった」という議論に接近しかねない。南京大虐殺についても同様のことがいえるだろう。このようにいうと、「それは構成主義を正しく理解しないものだ。それは歪曲され、パロディー化された構成主義だ」という反論が返ってくるかもしれないが、では、「本物の構成主義」と「パロディー化された構成主義」との間の線はどのようにして引かれるのかという再反問が提出されるだろう。
このようにみてくると、「構成主義」「反本質主義」「相対主義」などの発想は、確かに大きな意味をもつものであり、様々な分野で広く説かれたのにはそれなりの理由があったが、それだけで完結するものではなく、むしろ近年の傾向としては、それ自体への疑問を登場させ、反省を迫られているように思われる。
やや金森の著書から離れて論じてきたが、ここで本書に戻ると、その第U部第一論文は「普遍性のバックラッシュ」と題されており、第三論文は「社会構成主義の興隆と停滞」と題されている。「バックラッシュ(巻き返し)」という表現は、いかにも「戦争」「喧嘩」にふさわしい感じで、私としてはあまり好きになれないが、それはともかくとして、ある時期に知的世界を席巻した「反本質主義」「構成主義」に対抗して「普遍性」の復権を説く考えが再登場し、「構成主義」が行きづまりをみせるという成り行きは人文社会系の学問でも様々な形で進行しており、それは本書で紹介されている「科学論」を取り巻く状況とある程度共通性をもつように思われる。
では、構成主義は全面的に間違っていたのだろうか。昔ながらの素朴な実在論や本質主義に戻った方がよいのだろうか。このように問うなら、そこまで言い切る人はあまりいないようだ。むしろ、多くの人によってとられるのは、「構成主義/反実在論/反本質主義/相対主義には強いヴァージョンと弱いヴァージョンとがあり、強いヴァージョンを唱えるのはナンセンスだが、弱いヴァージョンは正しい(15)」という風な議論である(金森の著書の各所にそのような見解が紹介されている。八二、一三三、二四〇頁など)。これは確かに穏当な考え方であり、結論的には私自身もそういう考えに惹かれる。ただ、それはどのような性質の議論なのかということをやや突っ込んで考えておく必要があるように思う。「強いのはいけないが、弱いのならいい」というのは単なる折衷論ではないのか、それに「強い」と「弱い」の境はどのようにして引かれるのか――このような疑問が直ちに思い浮かぶ。
「強いヴァージョンの反実在論」を論駁するために、ソーカルは、もし物理法則は単なる社会的因習に過ぎないと信じているのなら、高層ビルの二一階の窓から飛び降りてみたらどうかと問いかけているという(七五頁)。これは「実在論」の見事な証明のようにみえるが、実は、数学的意味での証明ではない。確かに、二一階の窓から飛び降りるなら、九九・九九九九九……パーセントの確率で死ぬだろうし、死んだらもう取り返しがつかないのだから、誰もそんなことはしない。だが、これは「ある程度以上に危険なことはしない方がよい」という世間的常識によるのであって、「百パーセントの絶対的確実さ」が純論理的に論証できたということではないのではないか。
別の例だが、独我論――これは極端な形の反実在論の一種といえるだろう――はどのようにしたら論破されるかという問題を考えてみよう。確かに、いくつかの論破法はある。「自分という観念は他者との関係でしかあり得ないのだから、他者抜きの自己という観念自体が自己矛盾だ」、「『他者など実は存在しないのではないか』という文章自体が、社会性を帯びた言語によって表現されており、この文章は他者によっても理解されうるものとして提示されている」、「君が独我論を説くのは、誰かを説得しようとしてのことだろう。ということは、他者の存在を君自身が前提しているのではないか」等々。しかし、これらは確かに説得的な議論ではあるが、どうしても疑えないとまではいえないような気がする。より確実なのは、もし独我論を貫くなら日常生活を送ることは不可能となり、精神異常に陥るということである。「普通に」日常生活を送っている人は、誰もが他者との交わり――たとえ間接的なものにもせよ――の中で生きており、それ抜きの自我というものは考えようもないからである。ということはつまり、独我論を論破する最強の武器は、純粋の論理であるよりもむしろ、精神異常を避けて「まともな」日常生活を送るという経験そのものだということではないだろうか。
あるいはまた、政治的「左翼性」との関わりで先に述べたことだが、極度にラディカルな立場(強いヴァージョンの批判主義)は何も積極的な指針を提示することができず、結局はずるずるべったりな現状肯定に帰結しやすいという指摘について考えてみても、やはり同様のことがいえる。シニシズムや完全な放恣に陥るのではないかとの指摘に対し、「それでどうしていけないのか」と問い返すなら、純論理的な回答はなく、「それはまともな人間の生き方ではない」とでも答えるしかないだろう。私自身、「それは恥ずべきことだ」、「そういう風でありたくはない」と感じるが、それはあくまでも「そう感じる」ということであって、それが絶対に正しいということが純論理的に証明されるということではない。
結局のところ、「強いヴァージョン」が否定されるのは、純粋の論理の力によってではなく、「精神異常に陥ることなく、まともな社会生活を送れるかどうか」という「健全な常識」が最大の拠り所ということになるのではないだろうか。常識論とか折衷論というものは、理論志向の強い人にとっては軽蔑の対象とされる。だが、実は、折衷論・常識論によらずしては、「強いヴァージョン」を完全に否定することはできないのではないか。それはそれでよいのかもしれない。自ら進んで精神異常になりたいと思う人はおそらくいないだろうから――この点もまた疑おうと思えば疑えないわけではないが、これ自体、「健全な常識」によって前提とするしかない――折衷論としての「健全な常識」を受け入れることで「強いヴァージョン」が否定されるなら、それでよいのかもしれない。だが、「健全な常識」はそれほど堅固な線引きを提供してくれるものではない。とすると、境界線は流動的なものであるほかないのではないか(16)。こうして、議論は堂々巡りの様相を呈する。
四
最後に、特定のテーマに関わりなく一般に論争というもののあり方について考えてみたい。これまでも触れてきたことだが、多くの論争はどちらか一方が全面的に正しいとか間違っているというよりもむしろ、双方にそれなりの理があるにもかかわらず、往々にして議論が極端化した形で提起されることで、すれ違いが生じ、「泥仕合」と化しやすい。そうしたことを考えるなら、当該論点をめぐる見解の実質上の差異だけを問題にするのではなく、論争がどのような形で行なわれるのかという問題を独立に立てる必要があるように思う。理性的で建設的な論争となってもよいはずのものが、それ以外の要素に引きずられ、不毛な結果になってしまうというのは非常に残念なことだが、現実にはそのような形で論争が展開されることが珍しくない。このことは、私自身にとっても大きな関心事である。
私はこれまでの研究生活で、おそらく日本人としては異例なほど多くの論争をする機会があった。それは私の神経がタフだからではなく、いわゆる「日本的人間関係」なるものに疎く、この国の風土で論争をすることがどんなに精神的に消耗させるものであるかをよく知らなかったための無謀さの産物というようなところがあった。そして、そうした経験を積み重ねる中で痛感させられたのは、どうして論争が論争として成り立たないのだろうかという苛立ち、もどかしさ、そしてそのような「論争ならぬ論争」に巻き込まれてしまったことへの悲しさと辛さだった。一つ一つの例についてあれこれいうつもりはないが、特に、ソ連・東欧の社会主義崩壊の余波を受ける中で社会主義総括をめぐる論争に巻き込まれたときに、理性的な分析を職業とする人たちの間でさえ感情論と偏見が優越し、冷静な議論がなかなか成り立たないという事実に直面し、ほとんど絶望的な思いを懐かされた。私が社会主義圏の崩壊という事実をできるだけ冷静に分析の俎上にのぼせよう――もちろん、価値判断や感情的な要素を無にすべきだということではなく、そうしたものがあるということを前提した上で、それに過度にとらわれることによって無意識のうちの偏見に引きずられることをできるだけ抑制しようと努めるということである――と試みたのに対し、ある種の人たちからは、「社会主義・マルクス主義への時代遅れの未練論」、また別の人たちからは、「社会主義を捨て、批判精神を失い、資本主義賛美論に走っている」という、ともに見当違いな非難が浴びせかけられ、つくずくうんざりさせられた(17)。
本書の対象である「サイエンス・ウォーズ」においても、学者たちの間の論争が、生臭い利害(大学のポスト争いとか、研究補助金の争奪戦とか)や政治的な思惑ともからみ、また「敵をやっつけるためには、できるだけ強く叩くのが上策だ」といった発想からの誇張を大量に含んで展開されたようだ。これは、強い調子の自己主張を良しとするアメリカ的な風土によって凝縮されたという面もあるだろうが、日本でも、度合は異なるにせよ同様の傾向がないとはいえないだろう。
一般論的にいえば、理性的な論争を進めようとする際に留意すべき点を挙げるのは、それほど難しいことではない。思いつくままに列挙するなら、何よりもまず、自らの側を反省することに力点をおき、相手方から学ぶという態度を保持することが望ましいだろう。そのためには、相手の主張を戯画化して安易な勝利を博すという態度をとらないことが肝要である。論争が個人間ではなく流派間でなされている場合には、「身内」ばかりをほめ、「敵」をやっつけるというのではなく、むしろ「自派」の側の欠点と「敵方」の長所に対してこそ敏感であるべきである。いま述べたことと関連するが、論者間の共通点を確認し、相違点を誇張しない方が、論争の感情的エスカレートを防ぐのに役立つ。多くの論争は、同じ事実を見て、「コップの中に水が半分しかない」と言うか、それとも「水が半分もある」と言うかの対立といったような面がある。たとえば科学技術に関わる様々な事故や犯罪に関して、「主犯は科学者ではない」と言うか、それとも「科学者は主犯ではないまでも、従犯だ」と言うかという対立があるようだが(前注1の藤永論文と村上論文)、これもいま述べたのと同じ構造をもっている。この場合、確かに、そのように異なった表現をとるということのうちに各論者の立場の相違が示されており、その相違をごまかす必要はない。ただ、だからといって、相違点を誇張するなら、論争は不毛なものになるおそれが大きい。
また、何らかのことを主張する際に、「反対するなら論証してみろ」といって相手に挙証責任を負わせるのではなく、自らが挙証責任を引き受けようとすることが望ましい。何事についても論証というものは極度に難しいものであり、挙証責任を相手に押しつけるのは安易な勝利を博そうという態度に通じる(18)。「○○でないということは論証されていない」といったタイプの議論は非常によく見受けられるもので、そのようにいうことで何となく「だから○○だ」ということがほのめかされたりするのだが、これは安易な議論である。
まだいくらでも挙げられるだろうが、こういった風な留意点を列挙するのは――誰もが一致して賛成するとは限らないにしても――相対的には容易なことである。だが、実際問題としては、そうした留意点を守る人は――高度の知性を誇るはずの学者たちの間でさえも――悲しいことにごく稀である。論争当事者というものは、どちらの側も党派的になりやすく、それに伴って感情的になり、冷静な態度を忘れるというのは、学者も人の子だということを思えば自然だということなのだろうか。もちろん、多くの人は、寛容・公平さ・冷静さ等々の重要性を口では認める。ところが、いざ現実に論争が展開されると、大多数の人は、「自分の側は寛容の精神を発揮し、冷静かつ防衛的に議論しようとしているのだが、相手の側が寛容や公正さを無視した攻撃を仕掛けている」という言い方をして、まさに「寛容」を旗印にしつつ、激しい泥仕合を展開したりする。
やや金森の著書から離れすぎたかもしれない。本書で取りあげられている「戦争」のうちで最もセンセーショナルな話題となったソーカルの「トリック論文」(故意に間違いを混入させたもの)についていうなら、彼の主張の当否と関わりなしに、論争の作法として、明らかなルール違反だというべきだろう。これは何も、彼に叩かれた側を弁護しようとしていうのではない。叩かれた側にどんな弱みがあるにしても(このことについては、この小文の前の方で触れた)、このような叩き方をすることは、およそ理性的な論争を成り立たせる上での基本的なルールを破壊するものだということである。この点に関する金森の議論は行き届いた丁寧なもので、説得力がある(九一‐九四頁)。一部には、「トリック論文には先例がある」とか、「ポストモダニストの方が先に暴論を吐いたのだ」というソーカル弁護論があるが、これは、「人が悪いことをしたから、自分も悪いことをしてよい」というようなもので、本質的な弁護論になっていない。
金森の「戦争」描写のあり方についても感想を述べておきたい。もっとも、私は自分自身がこの「戦争」をよく知っているわけではないから、その描写がどの程度適切なものかを十分正確に評価できる立場にはいない。そのことを断わった上で、大まかな印象を述べるなら、次のようになる。
一般に何らかの論争を紹介する文章というものは、ひたすら無難さを優先して、当たり障りのない「中立性」を装うか、あるいは露骨に党派的な立場に立って「敵」をやっつけるという感じの文章になるか、そのどちらかである場合が多い。そうした一般的傾向に照らして金森の著書を読むなら、彼は自分自身のスタンス――「科学論」の側に身をおく――をはっきりさせながらも、ひたすら「敵」(ソーカルら)をやっつけようとするのではなく、「味方」(「科学論者」たち)の側の一部に潜む欠陥――それが「敵」から厳しく指摘されている――をも明示し、自己反省を進めることを提言している。これはバランスのとれた態度であるようにみえる。あるいは、それでもバランスをとりきれずに「勇み足」を犯したような個所もあるのかもしれないし、その「勇み足」が許せないという受け取り方もあるのかもしれない(一部に、そのような感じの金森批判があるようだ)が、その辺は私には判定できない。ただ、仮にそうした「勇み足」があるとしても、それは、殊更に偏頗な態度をとったことの当然の帰結ということではなく、努めて冷静にバランスをとろうとした上でなおかつ免れなかった「勇み足」であるように感じる。論争的なテーマである以上、批判もあるのは不可避だが、私としては好感をもって読んだ。
(1)本書の他には次のようなものを参照した。藤永茂「科学技術の犯罪の主犯は科学者か?」『世界』一九九八年一月号、村上陽一郎「科学論の現在(承前)」『図書』一九九八年四月号、同「クーン主義と科学者」『世界』一九九八年一一月号、和田純夫「科学者と科学論者のずれはどこからくるのか」『世界』一九九九年七月号、平川秀幸「書評: ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞』」『科学』二〇〇〇年一〇月号、佐々木力「『サイエンス・ウォーズ』と日本の現代思想」『UP』(東京大学出版会)二〇〇〇年一一月号、金森修、佐倉統、茂木健一郎「サイエンス・ウォーズから考える」『UP』二〇〇一年二月号、東北大学数学科・黒木玄ホームページ(URL: http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/index-j.html)。また科学史研究者である梶雅範氏(東京工業大学)から個人的なご教示も得た。但し、そのご教示を私が誤解している可能性もあるから、この小文の中にありうべき誤りに対し梶氏には責任がない。
(2)この本には邦訳もあるが(岩波書店、二〇〇〇年)、この小文を書いている時点で、私はまだ読んでいない。基本的な関連図書も読まずに感想を書き留めるというのは、もし当該テーマを正面から論じようとするのであれば到底許されない態度だが、ここではソーカル論自体が目的ではないし、さしあたっての私の関心に関わる限りでは、金森の著書および前注に挙げた諸文献(その中には、ソーカル支持派と批判派の双方の立場のものがあるが、評価は別として、内容紹介にはそれほどの食い違いがない)程度の紹介でとりあえず私なりの考えをまとめられると感じた。将来、この本を読むことがあるかもしれず、それによって私の考えが変わることがあるかもしれないが、その場合には、それについて別個に書くことにしたい〔その後、この本を読み、別個に読書ノートを書いた。関心があれば、あわせて参照されたい。二〇〇三年九月の追記。更にその後、関係する小文として「番外 ド・マン論争とソーカル論争」も書いた。二〇〇四年一一月〕。
(3)この問題については、クーン『科学革命の構造』に関する読書ノートで触れた。
(4)ややかけ離れた例だが、私は子供時代にはじめてストラヴィンスキーの作品を聴いたとき、心底びっくりし、これは純然たる雑音の塊りであり、絶対に音楽ではないと思った記憶がある。それから数十年して、いまやストラヴィンスキーは完全に「普通の音楽」の一つとなっている。これは多分、ただ単に私個人が聴き慣れたというだけのことではないだろう。いまではテレビのコマーシャルのバックにストラヴィンスキーが流れていることさえもあるくらいで、殊更に「音楽通」ではない大多数の人たちにとっても、好き嫌いはともかくとして「普通の音楽」になっているようにみえる。かつては純然たる雑音の塊りであり、絶対に音楽ではないと思えたものがいつの間にか「まともな音楽」として受けとめられるようになるという現象と、かつては奇矯でナンセンスなたわごとと思われた言説表現が、時間の経過とともに「まともな文章」として受容されるようになるという現象とは――その間の関係を論理的に解きほぐすことは難しいが――ある種の平行性をもっているように思う。もちろん、あらゆる出鱈目なもの――そのように受けとめられるもの――が「まともな」ものになるのではなく、長い年月の間に選別が働くのだろう。
(5)佐々木力は、「事態を単純にとらえて二分法を用いれば、闇に面するオブスキュランティストよりは、光を目指す『啓蒙主義者』の方がはるかによい」と書いている(前掲論文、六頁)。もしこのようにあっけない二分法が成り立つのなら、そもそも喧々囂々の議論が起きることもなかっただろう。にもかかわらずこのような二分法が成り立つかに考える人が少なからずいるということこそが、むしろ問題である。
(6)ここに書いたことと完全に重なるわけではないが、テリー・イーグルトンのポストモダニズム批判(『ポストモダニズムの幻想』大月書店、一九九八年)も、ある程度共通の点を指摘しているように思われる。また、あまりにもラディカルな問いを立てたが故の絶句とその後の緊張弛緩という点に関して、立岩真也『私的所有論』についての読書ノートも参照。
(7)あまり大した見識があるわけではないので思いつきに過ぎないが、自然科学においては、「実在」を人間がどこまで捉えられるのか、またどのように捉えるかについては論争の余地があるにしても、ともかく客観的な「実在」があること自体を全面的に否定するのは相当難しいようにみえる(観測という行為が観測結果に影響するという関係にしても、客観的な「実在」があるという前提の上で、それをどう測るかという問題であり、「実在」そのものの否定ではないだろう)。おそらく、そこまで否定してしまったら、そもそも自然科学というものが成り立たなくなってしまうだろう。これに対し、人文社会系の学問においては、そもそもの研究対象の大部分がもともと人間によって構成/構築された制度だったり概念だったりする――つまり、認識主体から独立した「実在」ではない――という点で、大きな違いがあるように思われる。しかし、では両者は完全に無縁かといえば、そうも言い切れない。これは突っ込んで考えるべき論点だが、当面そこまで立ち入ることはできない。
(8)用語についての簡単な補足。金森は本書で「社会構成主義」を「反実在論」として説明している。おそらく、自然科学においては「実在」との関係が問われるために「反実在論」といわれることが多いのだろう。これに対し、社会科学においては、種々の概念が「本質的なもの」か「構成/構築されたもの」かが問われるために「反本質主義/非本質主義」の語が使われることが多いように思われる。また、社会科学においては「構成/構築」が社会的な文脈の中でなされることは自明なので、「社会」という修飾語を冠することなしにただ「構成/構築主義」ということが多いようである。英語でも、constructivism, construcitionismの二通りの言い方があり(本書では前者が採られている)、日本語でも「構成主義」と「構築主義」とがあるが、それらの対応も一義的ではない。
(9)この小文を書き終えて間もない時期に刊行された上野千鶴子編『構築主義とは何か』勁草書房、二〇〇一年は、様々な人文社会系の分野での構築主義(この本では、用語法として「構成主義」よりも「構築主義」の語が主に使われている)の意義を説く諸論文を集めている。いくつか示唆された点もあるが、とりあえず、本稿は以前に書いたままの形で維持しておくことにする(この注は二〇〇一年四月の追記)。
(10)この点に関する私自身の萌芽的な問題提起として、塩川伸明「帝国の民族政策の基本は同化か?」『ロシア史研究』第六四号(一九九九年)、同「集団的抑圧と個人」江原由美子編『フェミニズムとリベラリズム』勁草書房、二〇〇一年所収。
(11)Clifford Geertz, "Anti Anti-Relativism," American Anthropologist, vol. 86, no. 2 (1984). この問題についての簡単な私見は、塩川伸明『現存した社会主義』勁草書房、一九九九年、四一‐四八頁に述べた。できれば別の機会にもう少し掘り下げてみたい。
(12)種々の「相対主義」の腑分けおよびそれに基づいた価値相対主義の批判として、井上達夫『共生の作法』創文社、一九八六年、一〇‐二二、一九四‐二〇三頁。
(13)この問題について私は前注9に挙げた二論文で触れたが、なお不十分性を感じている。更に考えを練る必要があり、機会を改めて論じたい。
(14)ゲオルク・G・イッガース「歴史思想・歴史叙述における言語論的転回」『思想』一九九四年四月号、遅塚忠躬「言説分析と言語論的転回」『現代史研究』第四二号、一九九六年、小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』第一〇九編第九号(二〇〇〇年九月)など参照。カー「歴史とは何か」についての読書ノートでも、この問題に不十分ながら触れた。漠然たる感想だが、現場の科学者たちの多くが「科学論」からの構成主義的な問題提起に反撥するのと同様、現場の歴史家たちは「言語論的転回」を歴史学に適用すべきだとの提言にどちらかというと消極的態度をとることが多いようにみえる。これは興味深い平行現象である。なお、この小文を一通り書き終えた後に気づいたが、西川正雄「御託宣と歴史学」『岩波講座世界歴史』第二四巻付録月報、岩波書店、一九九八年(言語論的転回に触れ、上野千鶴子批判を含む)も参照〔その後、笹倉秀夫「社会科学の新動向にみる最近の歴史学」『歴史科学』第一五一号(一九九八年)も読んで参考になった。二〇〇三年五月の追記〕。
(15)その際、「弱いヴァージョンは正しいのだから、それを積極的に肯定しよう」という風に論じるか、それとも「弱いヴァージョンは常識であり、それ故、わざわざいうのは余計なことだ」という風に論じるのかという選択の余地がある。前者は論争相手と共通の土俵を確認するものであるのに対し、後者は論敵を一蹴しようとする態度である。これもまた、論争のあり方という問題(この小文の四で論じる)につながる。
(16)「強いヴァージョン」と「弱いヴァージョン」の線引きの一つの候補として、次のように考えてみることもできるかもしれない。即ち、「強いヴァージョン」とは、「真実というものは存在しない。それを求めるのは無意味だ」と断言する考えであり、「弱いヴァージョン」とは、「真実がどこかにあるかもしれず、それを求めることは必要だが、現にそのようなものとして提出されているものに対しては、本当にそうなのかという疑問を突きつけることが必要だ」とする考えだ、という区別である。前者はそれ自身断定の一種であり、これも独断的ではないかとの批評にさらされるのに対し、後者は疑問の提示という形をとっており、より穏当なものといえそうである。だが、では永久に疑問ばかり出し続けていればよいのかという問題が更に出てくる。
(17)不毛な議論につきあわされたという消耗感が強いので、あまり詳しく触れる気になれないが、とりあえず、塩川伸明「『二〇世紀』と社会主義」『社会科学研究』第五〇巻第五号(一九九九年)七四頁参照。『現存した社会主義』のいくつかの個所でも、ある程度触れた。
(18)私はこのことを、塩川伸明「現代道徳論の冒険――永田えり子『道徳派フェミニスト宣言』をめぐって」『三田社会学』第三号(一九九八年)、五八‐五九頁で問題提起したことがある。
*金森修『サイエンス・ウォーズ』東京大学出版会、二〇〇〇年
(二〇〇一年一‐二月)