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沖縄と日本国家 国家を照射する〈地域〉/山本英治 (東京大学出版会2004年7月20日) |
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著者は、1931年生のヤマトンチュで、1971年の九学会連合・沖縄総合研究調査から現在まで沖縄調査を継続してきた地域社会学・アジア社会文化論の研究者で、1995年『沖縄の都市と農村』を共著として刊行し、2004年7月「30年あまりの総決算」として本書を世に問うた。 目次を次に掲げる。 |
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はじめに 序章 問題提起と分析視点 1.問題提起 2.「世界システム論」と「システムと生活世界論」(世界システムのなかのウチナー/公的システムと私的生活世界) 3.分析視点の提示――〈地域〉の視点(ウチナー的特質/〈地域〉の視点) 1章 ヤマト公的システムとウチナーの周辺化 1.琉球処分の認識・評価/伊波普猷の国民的統一論とその批判/金城正篤と安良城盛昭の民族統一論をめぐる論争 2.日本資本主義体制・天皇制国家への組みこみのための琉球処分/ヤマトへの組みこみの起点としての琉球処分 3.ヤマト公的システムによる編成/旧慣温存と差別政策/ヤマト公的システムとウチナー社会の変容 2章 軍事基地化のなかのウチナー 1.銃剣とブルドーザーによる軍事基地化/米軍占領下のウチナー/軍事基地化の進行 2.安保体制・地位協定のもとにおけるウチナー/日米安保体制の再定義/米兵優遇の地位協定 3.法的システムによる強制使用と知事の代理署名拒否/基地確保のための公用地暫定使用法と駐留軍用地特措法/大田知事の代理署名拒否と裁判における敗訴/軍用地関連法をめぐるヤマト政府とウチナー 3章 基地問題と基地闘争――反撃するウチナー 1.基地のなかのウチナー/アメリカの世界戦略としての基地/基地周辺対策事業交付金/停滞する基地返還 2.深刻な基地問題の多発/生命・生存を脅かす基地問題/くり返される悪質な米兵犯罪 3.基地反対闘争の展開――〈地域〉からの闘い〈地域〉住民運動としての基地闘争/第1波 島ぐるみ闘争/第2波 政治性をもつ闘争とコザ騒動/第3波 運動の展開と法廷闘争/第4波 私的生活世界とヤマト公的システムとの激突/反戦地主の闘い 4章 施政権返還と沖縄開発――ヤマト化するウチナー 1.日本復帰運動と施政権返還/日本復帰運動の展開/復帰協の変質――反戦平和・基地撤去要求と密約 2.沖縄振興開発計画と社会経済変動/基地経済のなかのウチナー/沖縄振興開発計画と財政依存経済/国際都市形成構想と沖縄経済振興21世紀プラン、ポスト3次振計 3.ウチナーのヤマト化とウチナーンチュの意識/ヤマト化の進行/ウチナーンチュの意識動向 5章 普天間基地移設問題とウチナー 1.普天間基地移設をめぐる政府と地方自治体・〈地域〉住民/基地移設問題と政府・県・県民/基地移設問題と名護市・市民の対応 2.市民投票と名護市長選挙/市民投票をめぐる攻防/海上基地建設問題の新段階としての市長選挙 3.〈地域〉住民とヤマト国家―〈地域〉から国家を照射する/基地建設に抵抗する名護市辺野古〈地域〉の特性/〈地域〉としての辺野古住民の闘い 終章 ウチナー自立への展望 1.絶対的自立(独立論)と反日本国家論の思想/非現実的な独立論/思想的な反日本国家論 2.相対的自立論とそのとりくみ/政治・行政・経済・社会文化の自立構想/牧野浩隆と嘉数啓の経済自立論/総合的な自立論の提起 3.地域づくりと〈地域〉―自立への展望/自立を展望するためのフレーム/「地域づくり」の事例から学ぶ |
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ともあれ本書〈はじめに〉の冒頭の引用からはじめよう。 | |
本書のタイトルを『ウチナーの国とヤマト国家』としたかったのであるが、「ウチナーとヤマト」という表記は、ある意味では特殊であり一般性がないので、『沖縄と日本国家――国家を照射する〈地域〉』とせざるをえなかった。そのことについて、ここでいくつかのことをことわっておきたい。 古来沖縄では、「沖縄」という名称がつかわれていたが、後年中国が沖縄と朝貢関係を結ぶようになった時に「琉球」と呼ぶようになった。また侵略者であり搾取者であった薩摩もこれに習い「琉球」という名称を用いた(比嘉春潮他『沖縄』21-22頁、岩波新書、1963年)。明治政権は、沖縄をその行政システムのなかに組みこむにあたって「琉球」という言葉のもつ侵略・搾取のイメージを払拭するために、あらためて「沖縄」という言葉を用いることにした。だが、沖縄の人々は、日本と沖縄を対置する場合には、日常的に「ヤマト」、「ヤマトンチュ」と「ウチナー」、「ウチナーンチュ」と表現することが多い。その表現には、次のような事態が構造化されて強く存在している。まず第1には、ウチナーとヤマトという場合には、2つのことが内包されていることを指摘しておきたい。その1つは、沖縄はかつて独自の政治・行政体制、経済、社会関係、文化、生活をもった完結的社会であった。そこでは、長い歴史的過程のなかで社会的文化的特質をもった地域社会が形成されてきた。これがウチナー社会である。ウチナーンチュ(沖縄人)は、このウチナー社会に沖縄以外の他都道府県ではみられない強烈なアイデンティティをもっているということ、そしてまた、この地域社会にウチナーンチュが自己存立性の基盤をみいだしているということである。いま1つは、沖縄における1609年の薩摩の侵攻もさるながら、明治期の琉球処分以降現在にいたるまで日本国家権力によって沖縄が一方的に支配され従属せしめられてきたことである。このことをウチナーからみれば、それは明らかに外的な力によるウチナー社会の否定以外の何物でもない。ここにおいて、ヤマトという表現には、外的な支配権力でありウチナーとは異なった世界であるという認識が、他方ウチナーという表現には、ヤマトによって屈従を余儀なくされている状態が意味されているのである。したがってウチナーとヤマトという発想には、沖縄と日本国家との諸関係のすべてが集約されている、といってよいであろう。 |
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次に「序章」の「問題提起」において、著者は次の如く語る。 | |
ウチナーは、1609年の薩摩侵攻以降、明治期にヤマトユ(世)、第2次大戦後はアメリカユ、1972年以降のネオヤマトユと、常に外の力によって支配されてきた。 ウチナーには全国における米軍専用施設の75%が集中し、平和に対する危機、基地があるゆえの被害・暴力にさらされ、ヤマト国家権力のあからさまな支配と経済・社会・文化・生活のヤマト化過程のなかで、社会問題が多発し、ウチナーの文化と生活及びこれまでの共同関係の解体や海山などの自然環境破壊が進行している。ヤマト国家及びその背後にいるアメリカ国家そのものだけがこれにかかわってきたわけではない。個々のヤマトンチュ(ヤマト人)も加害者であることを認識しておきたい。政治・経済・社会・文化の統一性をもっていた1つの国を、これほどまでに収奪し解体し国家のシステムのなかに組みこもうとする論理とは一体何なのであろうか。 これを問うために本書では、ヤマト国家権力の沖縄政策とそれによるウチナーの社会変動と問題情況を実態的にとらえるなかで、ヤマト国家による支配・収奪・差別と、それに対するウチナーの対応の論理を明らかにしていきたいと思っている。現代においては、政治権力機構としての国家はますますみえなくなってきている。それはまさに暗黒大陸化してしまった。だがウチナーを通してみるならば、ヤマト国家が鮮明に浮かび上がってくる。このことからすれば、本書は現代国家としてのヤマトを射程に入れることにもなる。すなわちそれは、ウチナーからヤマト国家を照射し、またヤマト国家からウチナーを論じることである。 なおここで、本書の論述にあたっての基本的分析視点として設定した〈地域〉という概念についてふれておきたい。ウチナーにおいては、歴史的にいわゆる村落共同体社会が構造化され、生産をめぐる共同関係とそこから必然化する生活面の共同性がみられた。これは一般的には「むら」といわれるものと同じであるが、とくにウチナーでは「むら」は代々の先祖がいます「地」であって、これら先祖にその子孫である現居住者が「血」のつながりを強く意識し一体化し、ウチナーンチュはそれを自らの存立基盤としている。このような血縁的・地縁的共同体としての特性をもつ一定の地域的範囲を、ウチナーでは「シマ」という言葉で表している。本書においてはこの「シマ」が中心的な視点となるが、それは単独の場合もあり、またいくつかの複数の「シマ」の結合状態もありうる。この「シマ」という表現は、ウチナー社会のなかでは多くのウチナーンチュによって用いられ、その意味は実感的にとらえられている。しかし、これを学問レベルにおいて理論的に論じるために、〈地域〉という概念におきかえることにした。これらのことから本書においては、ウチナーの特性にもとづく場合には「シマ」という表現をもちいるが、一般論的には〈地域〉という概念でもってとらえていくことにした。すなわち〈地域〉とは、ウチナーの自然風土のなかで歴史的に形成されてきた社会的・文化的な特徴をもち血縁的なまとまりがみられる地縁集団であって、そこに住む人の存立性の根拠となっているものである。 またウチナーがヤマト国家の支配を打ち破り、ウチナーの自立を実現していくための方向として、仮説的に「国」の構築を提起することにした。筆者が構想する「国」とは、この〈地域〉を基盤とする連合体であり、その形成は、各〈地域〉の必然性にもとづくもので、その地域的範囲は一定しない。「国」の機能は、各〈地域〉の特性を充分に生かし発展させるとともに、各〈地域〉間の利害を調整するものである。したがってその運営は、民主的に選ばれた各〈地域〉の代表によって担われることになる。「国」の運営のためには、1つの自治的統一体としての自立した独自の法・制度、政治・行政機構、経済構造をもつことになる。いうなれば「国」は、ウチナーの社会的・文化的特質をもつ〈地域〉の連合体として構造化され自治的に運営がはかられるものとして設定する。 「国」が〈地域〉と連合性をもつという点で、〈地域〉と断絶し、それを一方的に支配・収奪する近代国民国家とは異なる。またかつてウチナーに存在した琉球王国のような古代専制国家とも異なる。しかしこの琉球王国の時代にあっても、〈地域〉は存在し、さらに琉球王国消滅以降も今日まで存続してきた。このことから、ウチナーには「国」を形成するポテンシャリティ・契機があるといえよう。 (中略) 明治に成立した近代国民国家としてのヤマトは、いうまでもなく資本主義体制をとり天皇制国家として展開していく。資本主義経済の発展、その体制の膨張拡大、国民国家を編成するための皇民化教育は、ウチナーにも強制的に下降してきた。これに対して、ヤマトとは相対的に独立性を保つ王国として独自の社会と文化をもっていたウチナーでは、僅かの抵抗がみられただけ一方的に組みこまれることになった。第2次対戦後、天皇制国家は消滅したが高度に発展した日本資本主義は、ウチナーを新たに周辺化し、また日米共同で軍事基地化をすすめてきた。これに対してウチナー側の抵抗はあったものの、アメとムチによって屈服を余儀なくされ、ヤマト化が進行してきた。それは、明治以降現在まで一貫してすすめられてきた国家という共同幻想(民族共同体という幻想)のなかでのウチナーの〈地域〉性喪失過程ともいえる。 |