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沖縄・否定性を突きつめる
政治的な主体を創るために立ち止まりながら激しく動く



  新 城 郁 夫
しんじょう・いくお=1967年生まれ。琉球大学法文学部准教授。沖縄文学・日本近代文学専攻。著書に『沖縄文学という企て』『到来する沖縄』など。


 図書新聞090321号に「新城郁夫氏に聞く『沖縄・問いを立てる』全6巻完結によせて」が巻頭インタビューとして1〜3面にわたって掲載された。
 「シリーズ『沖縄・問いを立てる』全6巻が完結した。沖縄が直面する現実に介入しつつ、沖縄研究の構想力を問い直し、応答する気鋭の研究者たちの論考が収録されている。シリーズ第3巻『攪乱する島――ジェンダー的視点』編者の新城郁夫氏に、本シリーズのテーマと沖縄研究の現在をめぐって話をうかがった。(2月9日、東京・池袋にて/聞き手・米田綱路〔本紙編集〕)」というリードが付され、<シリーズ「沖縄・問いを立てる」全6巻/第1巻 屋嘉比収・近藤健一郎・新城郁夫・藤澤健一・鳥山淳編『沖縄に向き合う――まなざしと方法』/第2巻 近藤健一郎編『方言札――ことばと身体』/第3巻 新城郁夫編『攪乱する島――ジェンダー的視点』/第4巻 屋嘉比収編『友軍とガマ――沖縄戦の記憶』/第5巻 鳥山淳編『イモとハダシ――占領と現在』/第6巻 藤澤健一編『反復帰と反国家――「お国は?」』社会評論社2008>が紹介されている。

積極的に「立ち止まる」

 ――新城さんは第1巻の『沖縄に向き合う――まなざしと方法』所収の座談会「沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」において、「立ち止まる」ことが大切だと言われています。アカデミズムやジャーナリズムが制度化し、ますます批評性を失っていますが、立ち止まることは、この批評性を回復することとも関わりますね。

新城 「立ち止まる」ということについて言えば、それは態度を留保するということではまったくないということを、まず述べておきたいと思います。「立ち止まる」という言葉で強調したかったのは、沖縄問題という思考の枠組みを批判的に解体しつつ、沖縄をめぐる言説や概念の前提を組み変えていく作業の重要性です。求められているのは、積極的に立ち止まることであって、その実践は、客観・中立性を担保しようといった態度とはむしろ正反対です。沖縄問題という転倒した思考そのものが蹂躙していく沖縄の固有性を、立ち止まることで発見し発明していくこと。そうした試みとして、今回の「沖縄・問いを立てる」シリーズの特質を見出していけるのではないかと、僕自身は勝手に考えています。
 また、立ち止まることで、批評性を獲得したいと思ったのは、いまジャーナリズムとアカデミズムが不幸なかたちで棲み分けしてしまっている状況が進行しているからですが、そのような領域化からは沖縄の固有性は見えてこないし、創出されてもいかない。沖縄(研究)の固有性とは、地理的条件や歴史文化といった沖縄の特殊性から演繹されるような概念ではなくて、常に更新されていくべき実践であって、それは創出されていく運動体なのだと言うべきかもしれません。
 そこで問われるのが、沖縄の固有性とは何かということですが、私は、それを、否定性だと考えているんです。つまり、否定する働きによって、歴史的に規定されてきた「沖縄問題」という設定を解除し、流通している沖縄をめぐる認識やイメージを切断していく実践においてこそ、沖縄の固有性が実現されていくということです。その意味で、この否定性は、相対化や目的論的な止揚を前提としない、とても積極的な否定性です。
 この否定性として顕在化する沖縄の固有性が可能となるとき、沖縄に関わる思想と運動は互いをせりあげ、理論と実践をもとに鍛えていく可能性を持っていると思っています。そして、この否定性を突きつめていくと、必然的に、戦後日本というレジームをその基盤から掘り崩していくことができると、私は考えています。
 戦後日本という政治的レジームには二つの根幹があります。それは日米安保条約すなわち日米軍事同盟と、天皇制です。この二つの不正義は、日本の内なる植民地的外部としての沖縄、取り込まれつつ抹消される他者としての沖縄を物理的基盤にしながら、その事実を隠蔽することによって初めて成り立っている擬制です。ですから日本の政治は、沖縄という内なる外部なしには成立しようがないのですが、そうではないかのようにふるまっている。言い換えると、沖縄を「沖縄問題」というフィクションのなかに封印しこれを救済するかのようにふるまうことで、崩壊の危機を回避しようともがいているのが戦後日本の政治体制ということです。
 このことは逆に言うと、沖縄の固有性としての否定性を徹底していくことによって、日米軍事同盟と天皇制の二つを、廃棄に向けて批判していくことが可能だということです。沖縄の否定性はそういう可能性を持っているはずです。
 たとえば、今回の「沖縄・問いを立てる」全6巻に収められた論考の多くが、そのような編集方針など一切なかったにもかかわらず、「集団自決」問題(教科書検定により「集団自決」における日本軍強制の事実が削除された問題とそれへの全県的な抗議のうねり)と2004年8月13日の「沖国大米軍ヘリ墜落事件」に言及しています。これは偶然ではないような気がします。いま沖縄から問いを発信し問いを生み出していこうとするとき、「集団自決」問題と「沖国大米軍ヘリ墜落事件」は、沖縄戦から現在に至るまで沖縄を刺し貫いている政治的矛盾と社会的暴力を根底から批判的に問い直す契機となるわけで、事実、多くの論者たちが、この問題に突き動かされ、研究領域の分離壁を越え出ながら、沖縄の固有性を、国家に抗する次元において言語化していると思えるのです。いうまでもなく、「集団自決」問題と「沖国大米軍ヘリ墜落事件」は、沖縄が戦場とされつづけている事実を明らかにする契機として強い関連性があり、同時に、この二つの問題が重なる地点は、日米軍事同盟と天皇制という二つの政治的暴力の結節点でもあります。そうした危機の感覚を、このシリーズの優れた論者たちが感知し、占領史やジェンダー研究あるいは沖縄戦研究や教育史研究といった視点を通しながら、それぞれの思考において沖縄の固有性を開示していると思えるのです。

沖縄に奇妙な欲望や不安を投影するトリック

 ――『沖縄に向き合う』のなかで言われていますが、何でも反対ではいけない、解決策や代案を出せといった圧力に屈せず、問いのまえで立ち止まることは、否定性が可能性になることにつながります。その際、第6巻の『反復帰と反国家――お国は?』のテーマである「反復帰」論が手がかりになるように思われます。「復帰」反対ならば、では沖縄独立なのかといった非常に短絡的な「あれかこれか」ではなく、国家が用意する選択肢に対する拒否の批評性が問われているのですね。

新城 否定性ということでいちばん気をつけなければいけないのは、拒否するなかで、代案を示すことがいちばんまずいということです。あるいは、国家が差し出す政策とちがうグランドデザインを作ってみせるのもやはり良くない。差し出された選択肢に代案を出してしまうと、結局は同じ認識の地平で問題を「解決」してしまうことになります。そうした退行において、どれだけ貴重な政治的可能性が潰されてきたことか。ですから、与えられた選択肢を選ばないことが大切です。なぜなら、代案を出すことによって否定性が殺がれていくからです。むしろ、むやみに「何でも反対」と言いつづけるべきです。
 新川明さんや岡本恵徳さん、川満信一さんをはじめ、何人もの反復帰・反国家論者の方達が拒否にこだわったのは、拒否がすぐれて政治的な実践だからです。ネオリベ的な流れが強くなるなかでは、用意された選択肢のなかで何かを選択しそれを効率よくこなしていくことが、あたかも積極的な対応であるかのようにいわれますが、そのことで逆にあらゆる潜在的な選択肢が排除させられていっています。それに対してはノーというしかない。そこからしか政治は始まらないと思いますね。

 ――元来、人文学は代案を出したり、成果を求めることとは無縁に、その認識の枠組みを検証するものだったはずですね。そこでは学問的な方法論が問われると思うのですが、このシリーズ「沖縄・問いを立てる」では、沖縄研究そのものについても自己言及的な検証がなされています。

新城 仰るように、人文学というのは、ある認識的な枠組みそのものを批判していく、社会批判としての態度が基本にあります。そうでなければ、人文学は意味をなさないと思うんですね。人文学は批判哲学あるいは社会批判なのであって、そもそも問題解決を目的とするものではありません。そうした批判性の欠如が沖縄研究の閉塞に繋がり、ついには国策的「問題解決」に沖縄研究が動員させられあるいは積極的にこれに参加していくという転倒が、この十数年ほどの流れだったように思います。今回の「沖縄・問いを立てる」全6巻は、そうした危機的な流れへの抵抗であり、沖縄研究の転換を促すものです。その意味で、このシリーズは、沖縄(研究)そのものに疑義を呈すものであり、沖縄研究について研究という重要な側面を担っていると自負しています。
 たとえば2000年に、高良倉吉氏をはじめとする琉球大学の3人の教授たちによって、沖縄が「主体」的な問題解決能力を発揮し、積極的に国家再編と日米軍事同盟への貢献を主張するという「沖縄イニシアチブ」が提示されました。国家間同盟に貢献することをしてイニシアチブと称すという阿呆ぶりに明らかですが、こうした言説は、その実「イニシアチブ」の放棄以外のなにものでもありません。そこには、沖縄が政治的主体として問いを開示していくようないかなる知や情動の実践もありません。これなど、沖縄研究の貧困化と倒錯性をよく示す症例で、日本という国家からの承認を得るために、沖縄が自らの固有性をいかにして手放すかについての格好の見本と言えるでしょう。
 しかし、くり返し言えば、沖縄問題は沖縄の問題ではないと、そのことを国家に対して明確に打ち出すことが重要なのです。代案を差し出し「解決」を申し出るなどということは、国家に処分を請願しているようなものです。そこで沖縄研究がなし得ることとは、承認欲求とは全く異なる新しい沖縄の主張と欲望を言語化していくことであり、そのためには、まず「沖縄問題」という設定自体が嘘であると暴いていくことが必要です。それらは私たちの問題ではなくて、私たちをとりまく国家や社会の構造的暴力の問題であると、突き返すことが求められていると思うのです。
 しかもそういった試みは、何も新奇なことではありません。たとえば、1970年前後には反復帰・反国家論に連なる形で新川さん、岡本さん、川満さんをはじめとする多くの人々がそれを実践してきたんです。ですから私たちには、学ぶべき財産が非常に豊富にある。そこを学び直していくことによって、たとえば、今現在における、国政参加拒否やゼネストという直接民主主義そして非暴力による徹底した絶対不服従を発明していくことが可能になると思います。その意味で、党派的な駆け引きのなかで、不可視化されていっている人たちの情動に政治的な形式を与えていくこと、そこに沖縄研究の課題があると言えるかもしれません。沖縄では今現在、これまでのような系列化された労組中心の党派的駆け引きとは違った、イレギュラーなかたちの運動が始まっています。音楽や文学、映像などいろんな表現を含み込みながら、独自の運動や学問が始まりつつあります。沖縄研究もそうした動きと連動していくことで、真の意味でのアクチュアリティを発揮していけるようになると思います。

 ――新城さんは第3巻の『攪乱する島』の「はじめに」で、花村萬月の『沖縄を撃つ!』(集英社、2007年)を引いて、売春問題の原因を、売る側の「あなた方(沖縄の人間)」の貧困にのみ還元し、性の収奪と支配というレイプの暴力が基地問題や沖縄戦をまったく不問に付すという、ジェンダー的思考の欠落の暴力性について指摘されています。

新城 そうですね。花村萬月のあの陳腐な本に特徴的ですけれども、ジェンダー的思考の欠如によって、沖縄に関わる言説そのものがジェンダー暴力の発現の場となっていくという事態が進行しています。そこに見出される特徴は、無知という権力性において措定される男性性の開き直りともいうべき傾向であり、そこでは、「傷ついた女性身体」として沖縄が見立てられ欲望されています。その構図は、売る−買うという経済的位置づけのなかで沖縄を固定化していくものですが、そこでは、金を出してやる、という意識によって沖縄を買われる性=商品として物象化していく権力が作動しています。そして、この構図は、個人の心性のレベルから国策に至るまで通底するものです。
 しかし、いうまでもないことですが、近代日本の資本主義膨張と帝国主義的な暴力の結果として沖縄の貧困があるのであって、その貧困のなかで特に女性の性の収奪、性暴力という構造が生み出されているのです。帝国日本の植民地主義そしてそこに重なる占領アメリカ軍の軍事暴力の結果として沖縄の貧困があるという歴史を転倒して、沖縄に起源的な原因があるとする。つまり、「あなた方=沖縄の人間」の特殊性ゆえにというかたちで、結果と原因をすりかえていくんです。そういう捏造的な論法が、ありとあらゆるところで演じられている。
 たとえば、「沖縄の連中を甘やかすな」という議論が、政治家や右派文化人から要所要所で出されますね。どこまで補助金を出せば反基地という訴えを止めるのか、反対ばっかりを言ってて、じゃあお前たちは貧しいままでいいのか、という具合に。くりかえし言いますが、沖縄が貧困のなかにあるのは間違いないですが、このことは、歴史的社会的に創り出されてきた貧困であり、あえて言えば、日本という国家意志の帰結と言うべきです。だからこそ、レイプ的暴力において沖縄の貧困が構造化されていることを、沖縄の特殊性に還元してしまうような思考そのものを根底から批判していく作業のなかで明らかにしていく喫緊の必要があります。
 沖縄という特殊性がないと、日本という同一性が保てないわけですから、その不安から逃れようとして、沖縄に貧困や性暴力といった抑圧された欲望が投影されているわけです。そういうトリックで、いま沖縄が求められている。
 それに対して、沖縄の学問がアクチュアリティを持つならば、いまこそそのトリックを相手に打ち返すことです。「あなたがたの不安に付き合うほど、沖縄の人間はヒマではない」と言えばいいことです。あまり日本にかまってあげる必要などありません。

沖縄をめぐる欲望の交換・隠蔽の暴力

 ――新城さんは第1巻の『沖縄に向き合う』所収の座談会で、1996年に那覇で開催された「沖縄文学フォーラム」に言及されています。非政治的な文化といった知の意匠をまといながら、沖縄文学や沖縄研究が非常に政治的な役割をはたし、前年に起きた米兵による少女暴行事件の性暴力や基地問題を隠蔽していくわけですね。

新城 「沖縄文学フォーラム」というのは、文化による政治的暴力の隠蔽の最たる例だと思いますね。沖縄文化あるいは沖縄文学といった素材を多文化日本という中心に対する周縁と位置づけつつ、その作用の中で、沖縄で発動され続けている政治的暴力を不可視化していく動きが、そこにははっきりとありました。
 このとき、沖縄の文化は、生きている文化ではなく、死せる文化となります。陳列された文化、そして売り買いできる文化であって、それを見て買う側を脅かさないモノとなってしまう。こうした死せる沖縄文化に対する欲望が、沖縄の文化あるいは沖縄の文学を空疎なものに変異させているように思えます。しかも、看過されてならないのは、そうした欲望に応じる沖縄側の欲望もそこに重ね書きされていることで、そこで沖縄の文化は、市場原理的欲望の相互交換のなかで形骸化されてしまっています。その市場において交換されるのは、むろんのこと、沖縄の固有性ではなく(これは交換不可能です)、適当な差異としての沖縄文化です。こうした動向に、沖縄研究が関わり、沖縄の歴史や文学が、沖縄の内外から誉め殺しに曝され使い捨てられていくわけです。

 ――沖縄研究が制度化され、沖縄の現実と乖離して、「古琉球」やロマン化された琉球史が称揚される傾向が強まっていくわけですね。新城さんは、「海洋博」がそうした沖縄研究の転機だったと指摘されています。

新城 1975年の「沖縄海洋博」は、沖縄の「復帰」が成功だったということを、国内外にアピールしようとする国家統合の祭典だったわけですが、そのなかで沖縄の自然破壊が進み、経済は大不況に陥っていきました。私はそのとき小学生だったんですが、家族で海洋博に行ったことを覚えています。そこで強い印象を受けたのは、「沖縄館」というパビリオンでした。今思えば、海洋民族としての沖縄の歴史文化を、?人形やらを使いながら陳列していく展示施設だったわけで、沖縄が沖縄を演じているようなシロモノでした。しかも、こうした展示は、日本という国家像再編の統制のなかに沖縄を位置づける作業でもあったわけで、そこで沖縄研究は、「海」そして「古琉球」へとそのまなざしを差し向けはじめていったと思います。だいたい「海」が語られ始めるときは危険ですよね。
 たとえば、1965年に高坂正堯が「海洋国家日本の構想」をぶち上げます。それは中曽根政権の軍事戦略的な多文化日本主義のおおもとみたいなもので、戦前の日本の海洋発展論や植民地拡大とも連動性があると思います。いわば、軍事戦略的思惑のなかで海が語られ直していく動きのなかで、沖縄は、またぞろ海洋国家日本の前線基地として位置づけられようとしたと言えるわけで、その政治文化的シンボルが海洋博であり、そしてその中心がパビリオン「沖縄館」であったといえるでしょう。その展示の中心を担ったのが、戦後沖縄文学の代表的作家大城立裕であり若き日の高良倉吉だったわけです。
 そこでは、沖縄をまなざす日本国家の政治的な再統合が、非常にはっきりした形で演出されました。知念正真さんの芝居『人類館』の1976年初演のときにはこの沖縄館が出てくるのですが、知念さんは1903年大阪の勧業博覧会で沖縄の女性二人が「琉球土人」として陳列展示された実際の人類館事件の空間と、海洋博のなかの「沖縄館」が同じ構造を持つことを、非常に鋭敏な歴史的政治的感覚ではっきりと把握し批判したと言えると思います。国家に統合されていく沖縄研究そして沖縄文化が脱政治化という歪な政治性を帯びていくことを、沖縄の文学が極めて精確に撃っていたわけです。こうした沖縄研究批判そして沖縄文化批判こそが、沖縄の特殊化への拒否として大切だと思うのです。

 ――そういう沖縄の特殊性の国家的な統合への収斂ということを、文化的なコーティングのもとに打ち出したのが「沖縄文化フォーラム」だったわけですね。

新城 そうですね。あの国際シンポジウムが開催された1996年、沖縄では「第二の島ぐるみ闘争」とも言われるような反基地闘争がたたかわれ、日米地位協定という治外法権を認める不平等条約に対して、県知事による代理署名拒否裁判闘争が行なわれました。
 そうしたなか、「沖縄文学フォーラム」では池澤夏樹さんや又吉栄喜さん、大城立裕さんあるいは琉球大学の研究者たちが参加し、多文化主義沖縄が謳われたわけです。でも、そこで何が隠されたかというと、それが基地です。戦争が続いているわけですから、多文化主義的な状況があるのは当然です。それは軍事占領という具体的な政治が作り上げている、有無を言わさぬ暴力の痕跡です。ところが、そのことが掻き消された。
 そこで駆り出されてくるイメージは、ユタ(女性シャーマン)とか母性とかいったものです。それを出すことによって、日本と沖縄とアメリカの男たちの同盟が発動する収奪や支配の暴力を黙認しあい、ホモソーシャルな欲望において、女性の身体を論じていく。事実、その前年に起きた米兵3人による少女暴行事件から惹起された沖縄での反基地運動そのものがそこで隠蔽されたのです。このシンポジウムの基調講演のなかで、イーハブ・ハッサンというアメリカのポストモダニズム研究者は、「このような多文化主義の流れのなかで、沖縄の人の誰が米軍が撤退すればよいと言えるでしょうか?」と語りました。あのとき、直ぐに抗議できなかった自分に腹が立ちます。であればこそ、こうした沖縄文化の捻れた称揚に対しては、一貫して警戒し批判していかねばならないと思っているわけです。

「集団自決」と「レイプ」のジェンダー暴力

 ――新城さんは第3巻『攪乱する島――ジェンダー的視点』で、これからの沖縄研究は「集団自決」と「レイプ」を一つのものとして見ていく必要があると言われています。個別的な「集団自決」の問題に収斂させるのではなくて、日常的に生起している問題として、それは持続しているというジェンダー的視点が必要なのですね。

新城 沖縄戦における「集団自決」と戦後反復している「レイプ」という暴力は、根を同じくするもので分離できないと考えています。むしろ、この二つの暴力が重なりあう地平をしっかりと考えないと、今現在の沖縄が曝され、そして自らが自らに向けて反復もしている破壊的な攻撃性を乗り越えることはできないと思います。
 たとえば、教科書検定で、「集団自決」における日本軍強制という記述が削除された事件に関して、去年沖縄では11万を超える人々が抗議集会を成功させました。これは大事なことです。しかし同時に、問題を「集団自決」の軍命令があったかなかったか、という問題にのみ収斂させてはいけないと思うのです。いうまでもなく日本軍の存在じたいが何よりも明確な軍命ですから、日本軍の強制は否認されるものではありません。ただし、沖縄の固有性が否定性にあるとするなら、沖縄の人間がそこで考えなければいけないのは、「集団自決」が、外部からやってきた日本軍というモンスターによって引き起こされた一時的な悲劇であり、外敵によってもたらされた偶発的な悲劇であったのだという認識にとどまっていてはまずい、ということです。
 そうではなくて、「集団自決」は現在まで続いている、沖縄の民衆が内面化してしまった家父長的ジェンダー規範、そしてその家父長制に基づく天皇制による破壊的帰結だったということを思考する必要があると思うのです。敵に殺され、レイプされてしまうことになる女・子供は、家族の男系構成員によって始末された方がいいというのは、ジェンダー秩序が持っている最大限の暴力の発現だったと思います。「集団自決」は、戦時という非常事態においてなされた軍事上の問題だけで考えられがちだけれども、そうではなくて、今に繋がるジェンダー暴力が爆発した瞬間だったと考えると、その暴力は、いまなお沖縄を生きようとする者が反復しかねない危機でもあるわけです。
 そして同様にまた、「戦後」沖縄で反復されつづけている「レイプ」を、性欲に駆られた、これまた外部からやってきたモンスターによって引きおこされる個人的犯罪としてのみ捉えてしまってもまずいと思います。レイプは、個人的問題に還元されるような偶発的事件ではなく、沖縄を一貫して占領しつづけている日米両軍の基本的な支配実践の顕れであり、沖縄に軍隊が存在する限りレイプという構造的暴力が排除されることはありません。それは戦後日本が保持している政治的なモメントそのものです。その意味で、「集団自決」とレイプの結節点に、現在にまで持続する沖縄戦の暴力の発動を感知し、この歴史的社会化された暴力のなかでジェンダー権力が作動しつづけていることを明らかにしていくことが、沖縄研究には求められているはずです。そして、「レイプ」が性支配をめぐる政治的暴力であり、そして「集団自決」にもまたジェンダー暴力の発動があることを、相互に関連づけながら思考を深め、こうした回路を起動させていく力の根幹に、国家そして国民化の死の政治に関わる欲望が作動していることを明らかにしていく必要があると思います。
 ただし、ここでも留保が必要で、それは沖縄じたいが内在している問題でもあることを看過してはならないということです。たとえば、「集団自決」にジェンダー暴力の問題が関わっていることを指摘すると、「集団自決」問題を女性問題にすりかえるな、といった意見が出されてしまう。あるいは、「レイプ」の問題を抗議集会で訴えると、反基地運動を女性問題に矮少化するな、という意見が出たりする。まさにそれが、我々から政治的思考を奪っているし、ジェンダーという暴力を我々自身が強化していると思いますね。
 とすれば、沖縄研究は、まさに沖縄そのものへの批判を研ぎ澄ましていく必要があるわけで、そのことを通じて、沖縄の人間みずからが、「集団自決」や「レイプ」という暴力の基幹に作動している私たち自身の暴力性を問い直していけるはずです。またそうでなくてはならない。そうでなければ、軍命があったかなかったかという議論で「解決」がつけられてしまいます。

 ――「あれかこれか」という選択肢ではありませんが、事実認定とは別に、その次元を越えて、実証主義的な認識の枠組みから解き放たれる必要があるのですね。

新城 そう思います。たとえば、「集団自決」をめぐる教科書問題では、すべての教科書会社が、日本軍という命令主体を消したわけです。むろんのこと、沖縄では記述を復活せよという要求が非常に大きいですし、記述復活はとても重要な主張です。でも私はそこにもまだ違和感があるのです。
 なぜかというと、さっきも言った代案主義を超えるものとして、そのような教科書を使わないという運動や言説がなぜもっと出てこないのか、と思うからです。そんな教科書を拒否して、私たちは勝手に様々な新しい教科書を作っていいはずです。今はまさにそのチャンスですよ。私たちは、ここでも、押し付けられた国民史的レジームから離脱するという、積極的な態度表明をしていくべきです。
 実は、1984年の家永教科書裁判の第3次訴訟に関して、岡本恵徳さんがそういうことを先見的に書いています。そのときは日本軍の住民虐殺が削除されて問題になり、やはり記述復活を求める運動が行なわれた。結果的に住民虐殺の記述は復活されましたが、岡本さんは、教科書への記述復活で済むという問題ではなくて、新しい教科書を作っていくことがあってもいいんじゃないかと、的確な指摘をされています。それは、何気ないけどラディカルな思考です。それをいま、私たちはもう一度学んでいく必要があると思います。

 ――押し付けられ、用意された選択肢を拒否して、そうではない選択肢を創り出すことは、すぐれてこのシリーズ「沖縄・問いを立てる」のテーマと関わってきますね。

新城 まさにそうで、未然の選択肢を発明していく中でこそ、沖縄研究は沖縄という運動体を更新していくことができると思うのです。この「沖縄・問いを立てる」というシリーズは、まさに未然の選択肢を探るなかで、あり得たかもしれない歴史を模索する思考の束となっています。むろん、沖縄研究は、非常に深い危機にあることは間違いありません。そうした危機感に立脚しつつ沖縄研究そのものを問い直し、学問が持っている挑発する力を希求していこうとする試みがこのシリーズのなかに見いだせると思っています。そこからしか、沖縄の固有性に基礎づけられた沖縄研究の応答性はでてこない。
 ところが、いま沖縄研究は、そういう応答責任から逃げている。沖縄に関わる多くの研究者たちは、政治や社会に関わらないことで学問の精緻化が果たされるという、奇妙な思い違いに陥っています。そんななか、沖縄研究は細分化され、その細分化のせいで専門領域がどんどん硬直化し、結局は無力感が広まっていく。そこに社会変革の契機はないし、まだその必要もないという空気が蔓延しつつあります。
 そうなると今度は、もう大学やアカデミズムは要らないといった反動が、反知性主義的な装いをもって出てきはじめます。粗雑で危険な基地移設論やナショナリスティックな独立論などが最たるものですが、1960年代70年代からすると恐ろしく退行した議論が、堰を切ったように溢れ出ています。沖縄の自立性を訴えながらしかし日本という全体に対する部分としての沖縄というドメスティックな構図を強化するような反動性が沖縄研究の内部でも垂れ流されているというのが実情です。こうした状況下、あたかも沖縄研究は進展しているように見えますが、その水準はどんどん低下し、社会に対する批評性も縮減していく一方です。そして、現状を整序化された切り口で斬ってみせる分析や、素朴実証主義的研究の横行が続いていくわけです。

沖縄(研究)は日本のためにあるのではない

 ――新城さんは、理論を沖縄に当てはめるだけの「事例化」の研究ばかりが出てきていると書かれていますね。

新城 先ほど述べた「文化の陳列」とも重なるんですけれども、理論あるいは研究を通して沖縄という運動体を生きるのではなく、素材として、自分の手持ちの貧しい理論の切れ味勝負をしているように見えます。みんな断面図は同じです。一見、多様に見えますけれども、出てきている研究は金太郎飴みたいなもので、こういう断面でこういう切り口がありますといった事例が出されて終わり、といった研究が多いように感じます。そういう事例を開陳する代わりに、私は沖縄の現実に介入しません、という奇妙な留保がある。
 ですが、そういった留保が、いつ研究に許されたのか。許されていないと思うんです。やはり、ジャーナリスティックなものとアカデミズムが、もう一度ぶつかり合う必要がある。いまはどちらも、適当な分析をしてお茶を濁すだけで終わってしまっています。これほど、生きている運動体としての沖縄が消去されている状況もないのではないか。
 しかも、こうした事例化は、ネイティヴ・インフォーマントへの欲望によって成り立っているわけで、そこでは、さまざまなマイノリティや第三世界的貧困にたいして、救済的なまなざしを向けつつ、他ならぬその他者の苦しみを欲望してしまうという倒錯が起きているのではないでしょうか。そして、学問もそこに呑み込まれつつあるグローバル市場の収奪過程のなかに、いまの沖縄を追い込んでいく。

 ――市場に取り込みながら、現実の問題は抹消されているのですね。

新城 そう思います。ただ、沖縄を取り込みながら現実の問題を抹消するという策動は、いまに始まったことではないんです。沖縄に関わる言説は、日本という同一性を捏造するために、ずっと再生産され続けてきました。
 たとえば、1969年に吉本隆明の「異族の論理」が出ますが、そこでも天皇制を相対化するための契機として、脱政治化された「縄文沖縄」が帝国主義的なまなざしによって幻視され動員されていきます。こうした卑しい言説はひきもきらず提示されていて、ほとんど病理的です。沖縄を取り込み棄却する反復のなかで、日本という国家像を再編強化していくような思考など、心底うんざりです。
 1988年に、吉本隆明が沖縄に来てシンポジウムがあって、そこで南島論が語られました。私はただの不勉強な大学生でしたが、そんな私でも、これはインチキだと気づきました。そこで吉本は、沖縄の墓制を取り上げたり、例の「アフリカ的段階」や遺伝子といった概念を使いながら、沖縄の縄文性に立脚すれば、いまある象徴天皇制が打破できるといったことを語っていました。しかし、そんな仕方で天皇制が廃棄されるようなことはないし、そもそも沖縄は天皇制を相対化するためにあるのではありません。沖縄の否定性において天皇制の根底を突き崩すことは可能ですが、そのことは、天皇制を相対化したり打破するために沖縄がある、といったことを全く意味しません。ところが、1970年代以降、沖縄の知識人の多くが吉本にはまってしまって「相対化」という価値付けのもと日本国家の周縁を演じてしまった。それによって、中心はいっそう強化されてしまいました。
 いまなお、沖縄をめぐる言説ではそうした議論が盛んですが、吉本のいう異族とか異質性というものに沖縄の思想的根拠を見出していくといったあり方を、はっきりと打ち破っていく必要がある。そういう点からいうと、いま起きている吉本再評価というのは、明らかに反動性を持っていると思います。
 そのことと関連しますが、私はいま、大江健三郎の『沖縄ノート』を読み直しています。むろんこのテクストにも多くの問題がありますが、けれど大江は古代に還らないんです。徹底して現代について考えていて、主権的暴力ということを、沖縄が置かれている主権不在の例外状態のなかで思考しています。この大江のテクストは、吉本の「異族の論理」とまったく同じ1969年に書かれているわけですが、大江の提示した政治的思考は、極めてアクチュアルで今なお喚起力を持っています。今こそ『沖縄ノート』を批判的にしかし丁寧に読み返すことが必要だと思います。

 ――政治的に保守化し、反動化する時代には、必ず日本論が呼び出されてきます。民俗学ブームのようなものや、フォークロアの流行にしても、行き着くところはどこまでいっても日本で、政治的な暴力を隠蔽する役割をはたしていると思えてなりません。

新城 いつでもディスカバー・ジャパンで、その観光主義的でフォークロア的なまなざしというのは、決して現在を見ない。それは、沖縄をめぐる研究の矛盾や閉塞とも連動しています。
 でも、沖縄研究というのは、日本のためにあるのではないのです。あえていえば、日本なんかどうでもいい。沖縄(研究)はそこに戻るべきです。ただし、どうでもいいと言っても、現実的には大きな力をもっているので、これに否定性を突きつけていくことが大事ですが、それは日本を相対化するということではない。その点では、新川さんたちの反復帰・反国家論は相対化という契機にもたれ掛かりすぎた点があると思います。相対化ではなくて、日本というドメスティックな問題枠組みから離脱することが大切だと思います。

 ――対抗言説として、つねに日本に規定されてしまうという問題は、批評性ともかかわりますね。

新城 ええ。そして、そのような対抗言説を求めているのは、他ならぬ国家なんです。ドメスティックな中で沖縄を考えてしまうと、どんなに抵抗の議論を重ねているつもりでも、結局は日本の多様性とか日本文化の幅広さみたいなところに議論の台座が奪われてしまう。そこでは沖縄の固有性が消されていきます。ですから、さまざまな日本といった参照軸の中に回収されない否定性を創出していくことが必要だと思います。
 そして、その創出の基盤にあるのは、やはり沖縄戦だと思います。今に続く沖縄戦です。むろん私は沖縄戦を直接に知りませんが、沖縄を思考するとき沖縄戦以上に大切なものはないと思います。しかもそれは、沖縄の悲劇を学ぶことのみが大切ということではありません。日本のなかの「内なる外部」として動員された沖縄で、沖縄の人間が進んで国家暴力に加担していった。その反省に、つねに立ち返っていく必要があります。
 というのは、いま沖縄を生きようとする者もまた沖縄戦の状況から一歩も抜け出ていないからです。つまり、国家も軍隊も決して住民を守らないことを、我々は沖縄戦で学んだわけですが、その暴力が過去のことではなく、沖縄を生きる者の現在の日常のなかで顕在化しているのです。たとえば、2007年5月、徹底した非暴力による反基地運動が続いている県北部の辺野古沖に、日本政府は、威嚇と鎮圧を狙って海上自衛隊掃海母艦「ぶんご」を投入しましたが、これは明らかな戦争行為です。沖縄戦は続いているんです。
 ですから、私たちは沖縄戦にくりかえし立ち戻って、想像力でもってこれを生き直す必要があります。ジェンダーやセクシュアリティの問題、そしてポストコロニアル批評といった、さまざまな学問領域のすべてを包括する問題の基礎が、そこにあります。

これから来たるべきものとしての沖縄

 ――いまのお話は、危機感から生まれた沖縄研究の今後の展望ともつながります。

新城 そのことに関して、今是非お話ししておきたいのは、沖縄研究の今後を考える上で、琉球大学という機構が大きな問題として浮上してきているということです。たとえば、琉大事件という出来事がありました。1957年に起きた第二次琉大事件(文芸雑誌『琉球大学』の反米性そして同人たちの反米活動を理由に6人の学生が退学処分、1人が謹慎処分)に関しては、粘り強い批判もあり、一昨年つまり50年を経て琉球大学は謝罪しました。でも、それ以前の1953年には第一次琉大事件がおきています。学生たちが原爆展を行ない、灯火管制のなか灯りを点したことに対して大学が謹慎処分を言い渡し、そのことをメーデー集会で訴えた学生達を今度は退学処分にしているんです。この処分に、米軍が関与していたことは明白ですが、そのことを措いても琉球大学がみずから手を下した重大な人権侵害事件です。その第一次琉大事件について、現在に至るまで琉球大学は「外圧を示す資料がない」と謝罪を拒否していますが、それこそ転倒した話で、大学が自主的に処分したのならば、その方が大問題です。つまり、沖縄研究の拠点である琉球大学において沖縄の歴史が否認され、米軍との共犯関係が継続されているのです。
 それから、いま非常に問題になっているのは、琉球大学の非常勤講師の切り捨てです。非常勤のユニオンがあって、学生達の署名を含め6000人近い反対署名を集めて大学に提出しましたが、大学は切り捨てを強行しようとしています。国の文部行政の出先機関として、琉球大学は率先して沖縄社会のネオリベ化を進めているとさえ言えます。
 琉球大学には、琉大事件で人を処分した歴史があります。この過去の処分といまの処分問題が、まさに沖縄の学問に問いを突きつけています。占領下で行なわれた処分を謝罪しきれない状況と、ネオリベ的な人間の処分が、いま琉球大学という場で折り重ねられている。沖縄研究に関わる一人一人が、この問題を座視してはいけないと思います。
 沖縄研究が学問のもつ社会性を認識し、沖縄研究に政治的介入の自由があることを、もう一度確認していくべきです。このシリーズ「沖縄・問いを立てる」に収められた多くの論が、卓越した批評性においてそのことを訴えています。我々は、ゲリラ的にさまざまな問いを発して、メイキング・トラブルを積極的に実践していくことがとても大事です。

 ――攪乱するということですね。

新城 はい。「メイキング・トラブル」というのは、アメリカのゲイ・スタディのジョン・ディミリオの本の題名ですが、沖縄の社会のなかで不可視化されてきた他者を、どのように意識化できるのかを考えるとき、メイキング・トラブルという考え方は有効ですね。
 沖縄研究は、沖縄の現実を跡づけたり追認したりするものではありません。沖縄の現実を切りひらき、そこに沖縄と名付けなおされるべき新しい思考の運動体を創り上げていくこと、予測不能な形で実践と実践を繋いで沖縄を更新していくことが、沖縄研究というものの課題だと思います。そのためには、沖縄からの問いと沖縄への問いとを同時に喚起し、これらを常に抗争させていく必要があるように思います。
 たとえば、いま沖縄では、『琉球新報』と『沖縄タイムス』という代表的地元紙が、薩摩の琉球侵攻400年の特集を組んでいますが、これなどその問題設定そのものを批判的に問い返すべきだろうと思います。400年の屈辱の歴史を乗り越えて、琉球民族の誇りを取り戻そう、などといった言葉を見聞きすることが多くなっているのですが、これまた私自身はうんざりです。苦難と受難の歴史とやらの共同化によって「民族」的同一性を粗造するといったことが、いま沖縄研究がすべきことだとは到底思えないのです。むしろ、こうした歴史への耽溺こそが、沖縄の歴史的現在そして固有性を抹消していってしまう。今年が薩摩侵攻から400年であるということよりも、中国革命から60年、あるいは朝鮮戦争が始まってからもうすぐ60年ということがもっと語られていいのではないか。あるいは米軍の恒久的沖縄軍事植民地化が政策決定されて60年ということが意識化される必要があるのではないか。むしろ、薩摩侵攻から400年ということが前景化することで、これら今現在の沖縄を規定している政治的社会的文脈が蔽い隠されていってしまいます。そして、決起などという男根主義的としかいいようのない言葉で、議論が脱政治化していってしまいます。これでは、いけないと思います。

 ――ファロセントリックな主体ではなく、本質主義的な沖縄人という主体化ではない、新たな主体形成が問われているのですね。

新城 その通りです。沖縄を生きようとする者はいま、主体化されることに抗いつつ、政治的な主体を創出していく必要があると思います。しかもこの主体は、政治的な実践によって更新されつづけていく運動体であって、ロマン化された歴史ファンタジーとしての琉球人あるいは沖縄人という主体化であってはなりません。それでは、「さまざまな日本」「いくつもの日本」の周縁を演じるだけの媒介者で終わってしまいます。
 いま求められているのは、沖縄人という既存の主体の回復などでは全くなくて、これから来たるべきものとしての沖縄です。そこでは、政治的な主体を創っていくポイエーシス(制作)が求められている。そのためには、立ち止まりながら、激しく動くことです。いろんな場所で、ゲリラ的に様々な構想を生み出すことが大切だと思っています。(了)

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