Toppage Critic 談話室(BBS) 図書室 リンク Emigrant

野村浩也『無意識の植民地主義』を読む


土井智義「『「県外移設』論を批判的に考える。」
田仲康博「新たな議論の端緒を開く/さらに細やかな分析が必要」
安里英子「批判としての対話」を読む。
仲里効「言説史に太い句読点」
野村浩也『無意識の植民地主義−日本人の米軍基地と沖縄人』(御茶の水書房2005.4.28)を落手。


【2006.4.7】土井智義「『「県外移設』論を批判的に考える。」
 先日触れた『世界』06年4月号(特集:沖縄−米軍再編「日米合意」は破綻する)に掲載されている小論を紹介したい。「〈報告〉さざ波ように広がる『合意してないプロジェクト』……昨年11月からの同プロジェクトから生まれてきた思考の一端を、プロジェクト参加者の三人に報告してもらおう。(岡本由紀子)」とする中の一つである。

「県外移設」論を批判的に考える

土井智義

 人々が非対称性を幾重にも刻印されながらバラバラに分極化していく現況の下で、いかに差別や抑圧をはね返す関係性を紡いでいくのか。それと同時に、いかに国家や軍隊というものに対して根源的に抗っていくのか。いま、〈沖縄〉にかかわることを通して状況を切り開こうとする場合、こうした問いが切実に求められているだろう。
 昨秋の「米軍再編」において吐き出された、「日米合意」という代物。この「合意」内容のなかでも重要な主題の一つは、普天間基地の「移設」問題だろう。普天間基地「移設」を名目にした辺野古沖への基地新設計画が、粘り強い抵抗運動によって頓挫させられたにもかかわらず、「沿岸案」という新たな基地新設案が日米政府によって表明された。
 当然のことだが、沖縄では「合意してない」という拒否の声が無数に渦巻いている。そして、沖縄からの代案や要求として無視しえぬ大きさを持つのが、基地の「県外移設」という主張である。
 昨年11月に行われた世論調査によると、「普天間基地をどうすべきか」との問いに対する有権者の答えは、「本土」移設が27.4%、国外移設29.4%、即時閉鎖・無条件返還28.4%、「沿岸案」7%、「SACO合意」の堅持5.6%であった(琉球新報2005五年11月4日)。私自身は、「県外移設」こそが解決策だとは予てより思わないが、それをいかに受け止めるべきかについては紆余曲折があった。だが、現在は批判こそが必要だと思っている。
 ひとまず、「県外移設」論の論拠を三つほどに腑分けしてみたい。稲嶺知事のように安保を肯定する立場からの要求、いわば保守による沖縄の現状批判としてのもの。あるいは安保自体には反対だが、見通しの立たぬ状況に耐えかねて国家が承認しうるような代案の提示として。さらには「沖縄人」としての立場から、「日本人」への怒りを媒介にして日本社会に「平等負担」や「痛み」を求める意見など。
 思いつくままに挙げてみたが、実際にはこれらが複雑にからみ合って現れていると思われる。しかし、全てに共通するのは、国家や軍隊の存在を問わないという点である。「県外移設」とは、沖縄の被抑圧状況への打開策が、国家を前提とする方向になだれ込むという点において、現在における「復帰論」と言いうるのではないだろうか。
 何よりも「県外移設」の即時的な目的は、沖縄からの基地撤去にとどまる。そのため軍隊の解体自体は、沖縄において二次的なものとならざるをえない。もしも軍隊の存在を問う作業が、移設した先の日本、あるいはアメリカにおいてのみ可能であるならば、沖縄「県」内で軍事基地廃絶と軍隊および国家への根底的な批判とを、同時に実行することは不可能とされるのではないか。
 より強く言うならば、沖縄には不可能とされる行為を、日本やアメリカのみが成しうるならば、そうした「力」の強弱を動かしがたい事実として固定した上での反軍事闘争は、沖縄の代行に過ぎなくないだろうか。いかなる思いに貫かれようとも、「県外移設」は、軍事力の解体を〈沖縄〉という位置から展開することへの禁止に、廻りめぐって近づいてしまう危うさがある。
 その意味において、本誌一月号の知念ウシさんの「日本人」への「呼びかけ」と森口豁さんの「ヤマトンチュ」としての応答は、その相互補完的な関係性において、沖縄と日本の非対称性を固定化しかねない「県外移設」論の陥穽に補足されていると、どうしても思われるのだ。付け加えれば、両者の議論には、個人の集合とは異なる国家への問いが欠落してはいないだろうか。
 「沖縄人」/「日本人」に象徴される、非対称に分極化する関係性に交渉すること。軍隊や国家を根本において批判する方法を探ること。この二点とともに、いま一度〈沖縄〉をめぐる反基地闘争を見つめなおす必要があると思う。



【2006.3.31】 田仲康博「新たな議論の端緒を開く/さらに細やかな分析が必要」
  もう「野村浩也ネタ」はいいかな、と思っていましたが……。
 『情況』05.08-09の丸川哲史「『運動』の始まりを告げる思想として」、そして、かの上野千鶴子の『月刊部落解放』05.09に執筆した書評。さらにもう一つは、「週刊読書人」05.9.30号掲載の田仲康博「新たな議論の端緒を開く/さらに細やかな分析が必要」。
 田仲の抑えた筆致は、前二者の提灯記事のような書評と対比すると、その鋭さが際だつ。ヤマトンチューの論者たちの「支持・共感・礼賛」は、一時期、(反差別)運動に災厄しかもたらさなかった「血債の思想」を懐い出させた。「階級」以前の思想も政治もない「カルスタ」とか「ポスコロ」にはついて行けませんが、丸川とは異なり、私には「何かが実現される」?−「直接生きたことのない歴史を、いわばありありと生き直すということは、いわば思想的な企てとしてのみ可能となることである。」というようなものが本書から全く読み取れなかったのだが。それにしても上野さん!「『憲法9条を守れ』と唱えるわたしたちの口は凍りつく」などと、思わず顔が赤らむような、シャイな文章をお書きになるとは?!

新たな議論の端緒を開く/さらに細やかな分析が必要

田仲康博


 「戦後六十年」という語りに特徴的なことがある。個人の戦争体験が詳細に語られる一方で、社会や国家の責任が退いていくことだ。現在から遠く隔たった地点に置き去りにされるそれぞれの戦争。宙吊りにされたまま幕引きが計られる戦後。「運命」や「自己犠牲」という言葉によって美化され、個人の物語として囲い込まれていく戦争や戦後の語りから、具体的な国家がするりと抜け落ち、その一方で極度に抽象化された国家が姿を現す。そこには現在と過去を結びつける思考の回路がない。『無意識の植民地主義』は、「日本の戦後」という括りの中に収まりきらない時空間、戦後の冷戦構造が生んだ鬼子としての「沖縄」から届いた声である。著者は、沖縄への米軍基地集中、そしてそれとセットになった沖縄ブームを現在進行形の植民地主義の表われだとする。日米安保条約を民主的手続きによって承認し、沖縄へ基地を集中させる一方で平和と経済繁栄を謳歌したのは日本人一人ひとりなのだから、というのが本書の趣旨だ。現実はまさにその通りで、著者の怒りは私も共有する。それどころか、「ひとりひとりの日本人が民主主義によって主体的に選択したものにほかならない」として現状を位置づけ、あとがきで基地負担の「平等を実現しよう」と呼びかける著者は、まだまだ怒り足りないのだとすら思っている。「社会学的手法によって記述した」とされる本書だが、国民国家、階級、そして資本への目配りを欠き、批判の対象となっている当の民主主義に過度の期待を寄せているように思えるからだ。この国の民主主義が機能不全に陥っていることは周知の事実。したがって、民主主義の主体が平等な個人であるとする仮定に基づく主張にはあまり説得力がない。さらに、植民地主義が個の問題、しかも個人の選択の問題に還元される一方で、著者が徹底的に他者化する「日本人」が抽象的で均質なものとして描かれ、その対岸に立たされる「沖縄人」もまた他者化/均質化されているのも気になるところだ。たとえば、普天間や辺野古で日々運動し続ける人々の努力を著者はどう評価するのだろうか。
 「日本人と沖縄人のあいだに存在する圧倒的に非対称な権力関係」という著者の指摘は正しい。だが、権力はそれぞれの中に存在する非対称的な関係を通して作動する。その事実を隠蔽する文化装置の政治性に著者は気づいている。ならば、「愚鈍への逃避」や「共犯化」として現状を批判する前に、そこへ至る回路に対するさらに細やかな分析も必要だろう。さもないと、かつての「虚偽意識」の議論を再生産することになりかねない。「虚偽」を指摘する者の特権化された立ち位置はすでに批判しつくされたはずだ。
 読者にとって採るべき道は二つしかないと思わせるような仕掛けが本書にはある。これまでの言動を懺悔し(あるいは棚に上げ)本書の主張に賛同するか、口を閉ざしてしまうか……。ショック療法の必要性は私も認めるが、しかし、いずれの道を選択してもあまり生産的なことだとは言えない。というのも、新川明を引用して著者自身が述べているように、連帯とは「前提」や「目的」ではなく、まさに「結果」であるからだ。
 本書によって新たな議論の端緒は開かれた。しかし、それはスタート地点にしか過ぎない。本書の真の評価が決まるのは、その先にある「結果」、沖縄の行く末にかかっている。



【2005.11.09】 安里英子「批判としての対話」を読む。
 「けーし風」48(05.9)に安里英子さんの「批判としての対話」が掲載されてある。副題が「野村浩也『無意識の植民地主義』について」。
 安里さんの論考を読んで、野村浩也の言説が、その方法にせよ怨念の発露にせよ、あの「沖縄イニシアティブ」の裏返しの構造(否、対極に見えて、同質の言説ではないか)の中にあるとの想いを禁じ得なかった。さらに、全く位相は違うが、かつての「居酒屋独立論」批判を想起した。何故新崎はこうした批判しか出来ないのだろう、これでは決して「自立解放」へは辿り着けないのではないか、と心底、思ったものだ。いずれにせよ「依存束縛派」に未来はないが。
 それにつけて、ロイやガリエフの苦闘を思い出す。共産主義者は何処に!今、何処に!沖縄共産主義者の伏流が人民党やマル同にのみ簒奪されたわけではあるまい。

批判としての対話
―野村浩也『無意識の植民地主義』について
安 里 英 子
いきなり礫が

 野村の著書である『無意識の植民地主義』(お茶の水書房)は、書店に出るより早く、発行元の編集者から長い手紙と共に送られてきていた。たが、ざっとページをめくってはみたものの、憂欝になり本棚にしまった。再び本棚から本を取り出し憂鬱の理由について自問自答する。野村の日本への呪詛にも似た言葉が乱暴に宙にうちあげられるとき、何度かすくいあげようと手をかざしてみるが、何度もバウンドしながら手の届かない所へ行ってしまう。私の言葉と彼の言葉が近くまで接近したかと思うとすぐにそれは引き離される。悪夢に近い格闘。私は失語症におちいる。そういえば私の失語症はもう一年以上も続いているなと思う私は恐怖する。得体の知れない恐怖。
 そのうちに闇の中にひとかたまりの言葉が浮かんできた。野村の声が礫となって地上に落ちてくる。一つひとつ拾い上げていくと出口を見失ってしまいそうだ。野村はきわめて感情的な論調で、次々と日本人に対して言葉の礫を投げつける。

 「安保に反対だから基地を押しつけていない、とかすべての在日米軍基地に反対だから沖縄人と連帯している、などという日本人は、嘘をついている。しかしながら、自分自身の植民地主義に無意識な日本人は、自分が嘘をついていることにも気がづかない。」
 「安保廃棄を主張する日本人の多くはいまだに沖縄と連帯しているつもりでいるが、まずは安保を廃棄できなかったおとしまえをきっちりつけるべきではないか。これまでの過去の現実が証明している通り、ただ単に安保廃棄を主張するだけでは、今後もずっと沖縄人に基地を押しつけるつもりだと宣言するに等しいのだから。」

 この本を読んだ沖縄人の中にはもしかしたら、野村と共に小石を拾い、あるいはアスファルトを剥がして日本に投げつける人もいるだろう。だが、私はその気にはなれず、本を読みかけては何度も閉じてしまった。私が批判という形の対話を野村としなければならないと思ったのは、野村のもつ沖縄ナショナリズムの怖さを感じたからである。「おとしまえをつけてもらおうじゃないか」とすごんでみせる野村が怖いのではない。極端な言い方をすれば政治的な議論の場で、あるいはそうでなくとも「すべてヤマトが悪い」といってしまえばたいていのことは沖縄では通用してしまうような、沖縄的感情が存在していること、そしてそれが、野村の言葉に同調してしまい膨れ上がることへの恐怖である。
 それから、居酒屋でヤマト人と沖縄人が和気あいあいと議論している風景を見かけるが、そのうち酔いがまわってくると、突然「ヤマト人が何言うか」と、そこですべて終わってしまうことがある。
 そこから先は言葉が積み重ねられなくなってしまうのだ。そういう場面に私はよく立ちあった。
 私はそのような場面にはもう辟易している。いわゆるヤマト怨念論だけでは出口は見いだせないということはこの間経験してきてわかっていることだ。怨念といったが、その怨念は、薩摩の琉球支配以来、琉球人や沖縄人の心に鬱積してきたものだ。そして沖縄に日本の米軍墓地の75%を押しつけているという日本の沖縄差別が、今なお沖縄人の中に怨念を増幅させる要因があることも承知している。私自身、本土に出て様々な集会で発言をしてきたが、私の「日本を拒否」する発言が会場を混乱に招いたことがあるし、それこそ野村のいう無意識の差別をうけたこともある。そんなことを並べていたら、一冊の本ができそうだ。
 私は礫は暴力ではないと思っている。パレスチナでおこっているインティファーダー(蜂起)では子どもや若者たちがイスラエルのタンクに石を投げつけている。その礫である。圧倒的な力に向かって石をなげつけることは暴力でもテロでもない。自らの生存を守るための当たり前の行為なのだ。そのことを前提にしておこう。でも、それでも私は、野村と一緒に礫を投げる気にはならない。その理由をこれから述べたいと思う。

県外移設の落とし穴

 「県外移設」の問題を議論のきっかけとしたい。野村は本の中で、本誌19号掲載の西智子「私たちは〔県外移設〕を選択するのか」をターゲットに批判しているが、県外移設がどのような意味をもつのかという内容よりも、西が日本人であるということそのものを問題にしているように思える。それに西智子だけが「県外移設」ということに異論をはさんでいるわけではないのだ。とくにこの問題は、98年に「心に届け女たちのネットワーク」が結成され、女性たちが大挙東京に乗り込み、全国の女性ネットワークの皆さんとともに銀座をミチジュネー(デモ)した時から、すでに女性たちの間で議論になっていた。
 県外移設といっても一様ではない。私の記憶するところでは、はじめジャーナリストの森口豁さんあたりが、ヤマト人としての責任と反権力の立場から「沖縄の基地を霞が関周辺にもっていったらよい」というようなことを言っていた。
 その後、「カマドゥー小の会」が本土に向けて基地の「セールス」を始めた。それは反権力という要素をもたせながらも、一般的日本人に基地の被害を分からせ、その被害を平等化するという考え方に基づいている。
 一方、県外移設論を批判する立場にあるのが「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」である。同会は米軍基地の存在する沖縄はまだ準戦闘地域にあると規定し、2000年12月に東京で開催された「日本軍性奴隷を裁く国際戦犯法廷」と同時に行われた「現代の紛争下の女性に対する犯罪国際公聴会」で、アフガニスタン、東ティモール、アルジェリアなどの女性たちとともに、沖縄で米兵による性被害にあったメンバーが証言をした。軍隊のあるところ世界のいたるところで子どもや女性たちがレイプという暴力の犠牲になっている。弱者の人権を奪う軍隊は移転ではなく、この地球上からなくしていかなければならないという主張である。
 このように、「県外移設」是非の問題は根が深いのだが、野村は糾弾の刃を西一人にむけている。そのことに問題がありはしないだろうか。西が日本人という出自をもつことに批判のいきすぎるあまりに、逆に問題が矮小化されてはいないだろうか。
 95年の米兵レイプ事件直後、大田知事が「代理署名拒否」をし、沖縄の基地負担の軽減を日本政府に訴えたが、それに答えたのは当時の橋本首相だった。彼は沖縄にだけ基地を押しつけては申し訳ないと公言し、その結果として金武町の県道104号線越え実弾砲撃訓練は廃止された。だが、代わりに北海道矢臼別、宮城県の王城寺原、静岡の東富士などの五箇所の演習場に分散移転した。しかし海兵隊員は相変わらず沖縄から演習に出かけるわけで、彼らは民間機で住来している。
 また、小林よしのりは沖縄での講演の際、「沖縄の中で基地をたらい回しにしても決着はつかない。米軍は思いやり予算があるからいる。移転するなら本土が引き受けなければいけない」と言っている(2005年8月15日・琉球新報)。小林は米軍が大嫌いである。反米主義者なのだ。したがって彼は安保も日米同盟も否定するだろう。しかしだからといって、彼は軍隊そのものを否定しているわけではない。「非武装中立はまずい」とも言っているのだ。最終的に彼の言いたいことは、沖縄から米軍を追放した上で、自衛隊基地をもってきたいのである。『沖縄論』の中で自衛隊について、内閣府の沖縄県民の世論調査を引用している。「軍事基地の存在は、日米の安全にとって必要、あるいはやむをえない、と考える者は合計45.7%。日本の安全に必要ではない、あるいはかえって危険と答えた者は合計44.4%。そして自衛隊の必要性については、必要が23.7%、やむをえないが46.7%、合計70.4%が自衛隊は必要と考えている。必要ではないのは13.5%にすぎない」と前置きした上で、「特に先島の方で自衛隊が必要と答える人が年々増えていくので喜ばしい」と言っている。尖閣諸島の領有権の問題が取り沙汰される今、自衛隊の宮古・八重山諸島への配備計画は水面下でかなり進行しているとみてよい。石垣島ではすでに防衛庁による土地買い占めが始まっているという情報もある。衆議院選によって引き延ばされている米軍再編のまとめは、じつは米軍基地を自衛隊が肩代わりするということも含まれている。そうなるといよいよ日本による沖縄の直接軍事統治ということになる。日本政府は巧妙に沖縄の基地の負担軽減と言いながら、「県外移設」の声を利用していくだろう。

沖縄人のアイデンティティと利己主義

 野村の著作で希薄なのは沖縄人自らへの問いである。野村の弾劾はただ日本人のみに向けられる。わずかに、序章の詩「悪魔の島」に、日本帝国やアメリカに抑圧される国々の名前が出てくる。それに否応なく加担せざる得ない沖縄の声も聞こえてくる。しかし、本全体としての論調はヤマト批判と、沖縄の被害にのみ終始しているようにみえる。
 しかし、それは強弱の差はあれ、沖縄人の一般的な感性と、沖縄人のアイデンティティの表象でもある。多分、私もその一人だったと思う。だった、と過去形にしたのは、そのことについ最近気づかされたからだ。  植民地支配によってアイデンティティを奪われた人々(沖縄人)は、自らのアイデンティティを奪い返し、確立していく過程がある。その場合、常に声高で自己主張をしている自分に気づくはずである。被抑圧者は被抑圧者同志で分かりあい、共感しあえるということもあるが、しかしそれと同時に、声高に自己主張をしている間、相手のことが見えないということもある。それを私は「被害者あるいは被抑圧者の利己主義」とよぶことにする。
 それに気づいたのは、戦時中に朝鮮半島から大量に拉致されてきた若い青年男女が日本や沖縄で「慰安婦」や「軍夫」として強制労働させられた問題に取り組み始めてからである。私は軍夫たちの「恨之碑」を沖縄に建立する運動に関っているが、何万とも言われながらまだその実数さえ分かっていない朝鮮半島の人々の犠牲に対する責任を問われたとき、はじめて私は自らのアイデンティティを問いなおさなければならないと気づいた。これまではアメリカや日本と対峙することによってのみ、自らを確認してきた。今、韓国や中国は日本に対して、太平洋戦争の戦中・戦後の責任の問題を突きつけている。ではこの場合、沖縄はどうなるのか。私は「恨之碑」の建立に関るまでは、私自身の問題として「謝罪すること」など考えてもいなかった。謝罪すべきは日本政府と考えてきた。多くの日本人、あるいは沖縄人も、戦中は子どもだったから、まだ生まれていなかったから、あるいは日本の国家がやったことだから、自分には責任はないと答えるだろう。とりわけ沖縄の人々の中には、日本兵によって多くの住民が虐殺され、犠牲になったのであり、沖縄人は謝罪し責任をとる立場ではないと考える人も多い。さらに沖縄人に責任はないということで、日本国家の一員になることを拒否する考え方もある。沖縄人の戦中・戦後の責任問題を問うとき、その構造は単純ではない。日本の軍隊として徴用され、その中で差別されてきたのだから。その問題を整理するために徐京植の言葉を引用しよう。

 「『日本人』の国民的責任を問題にする際、しばしば提起される疑念や反論は『日本人』は均一で等質な実態をもつ集合的主体ではない、『日本人』の中にはアイヌなどの北方民族、沖縄の人々、帰化して国籍を獲得した朝鮮人なども含まれているというものである。これはこの限りではしごく当然のことだが、こうした人々(かりに『周縁部日本国民』と呼んでおく)が存在するからといって、『日本人としての責任』という範疇そのものが雲散霧消してしまうことはありえない。(中略)日本人としての責任とは第一義的には、国民(主権者)であることによって生じる政治責任であるから、その国民の民族的出自、その個人が国民となった経緯といった事情は第二義的な考慮の対象にとどまる。『日本国民としての責任』と言わず、『日本人としての責任』と言いつづけることに意味があるとすれば『日本国民』と多数派エスニシティとしての『日本人』とが、前述のように癒着している現実があるからである。」(『加害の精神構造と戦後責任』日本軍性奴隷を裁く2000年女性国際戦犯法廷の記録)。

 私たち沖縄人は心情的に日本人でありたくないといいながら、その時の都合で日本人になったり沖縄人になってはいないだろうか。
 相手を激しく糾弾するならば、自らへの厳しい問いをも怠ってはならないのだ。被害者はさらなる被害者を生む可能性をはらんでいる。そう感じたのは、私が2002年にイスラエルとパレスチナを訪れたときである。
 ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺については、改めてここでふれる必要はないだろう。しかし1948年にイスラエルが建国され、世界に散らばる虐殺をまぬがれたユダヤ人がパレスチナ地方に移住をはじめる。ここで多くのパレスチナ人が土地を奪われ難民となった。パレスチナ人の農地や住宅の上にキブツが建設され、一時期はそこに憧れて日本からも多くの若者たちが行っている。
 私がパレスチナを訪れた2002年の六月は、ヨルダン川西岸地区にあるパレスチナ自治区のジェニンでイスラエル軍による大量虐殺が起こってまだ間がないころだった。パレスチナ人たちはいわれのない理由で砲撃され続け、町を出入りするチェックポイント(検問所)では、岩肌の剥き出しになった砂漠のような酷暑の中で何時間も列をつくらなければならず、突然、難民キャンプに装甲車がやってきて、子どもが轢き殺されるということもたびたび起こる。私はキャンプで一晩お世話になった家庭の男の子から、轢き殺された子どもの写真(印刷されたもの。現地では犠牲になった人々は印刷され壁に貼られている)をもらってきた。クラスメートだと言っていた。
 このようにイスラエルでは、パレスチナ人虐殺ということがユダヤ人によって行われている。かつての被害者が、新たな被害を生み出しているのだ。もちろん現在のイスラエルの裏にはアメリカがあり、イスラエルの建国にはイギリスやフランスなどのかつての帝国が関係している。したがってイスラエルの政治や社会構造も複雑である。ドイツやフランス、東欧、ソ連(ロシア)などから移住してきたユダヤ人、あるいはパレスチナ系イスラエル人の間にもそれぞれ階層的な力関係があるとも聞いている。被害者たるユダヤの人々のアイデンティティの回復が、他の犠牲を生み出している。被害者が今度は加害者になっているのだ。
 したがって、日本やアメリカの被害を受けている沖縄が、歴史的にみて、台湾・中国、朝鮮などに対してはどうであったのかという問いもまた忘れてはならないということだ。

表現の問題

 最後に、野村の表現の問題にふれたいと思う。冒頭で「憂鬱」になったと書いたが、それはなぜなのか、よく分からなかった。しかしだんだんと分かってきたことは、彼の表現は相手を一方的に攻撃し、そして叫んでいるだけという点で、礫というより一種の「爆弾」ではないかということだ(冒頭で礫と書いたのは私の好意的な見方である)。その意味でたしかに衝撃をもってこの本は迎えられている。だが、爆弾を投げただけなので、対話が成立するかというと、それは困難である。私は批判という形でなんとか対話の糸口を探したが、やっとの思いで私は「県外移設」という課題を通して対話する糸口を見つけたのである。
 私は本誌26号に掲載された「基地のタライ回しはやめてよ!」という即興劇のシナリオを再読して感銘を受けた。女性たちのたくましさ、率直さ、ユーモアがパワフルに誌面から飛び出してきそうだ。「やっぱり沖縄の中でタライ回しても意味ないさー。県外の基地を必要としている人のところへ持っていってーちょうだい」という台詞もなんの違和感もない。そこに陰湿なものは感じられないし、小泉よ、お前の官邸の庭に基地はいらんかねー、という風に私には聞こえてくる。しかし、カマドゥー小の会の即興劇に見られたおおらかな発想は今は失せたように思える。「県外移設」にこだわり、主張することで、思考や感性が閉ざされているように思える。なぜならその論理は連帯を拒み、自閉化せざるをえないからだ。
 「爆弾」(言葉の)は破壊である。入口も出口もない。それを受け取る側は拒否するか、爆発に呑み込まれるかのいずれかでしかない。追いつめられたナショナリズムの危険性がそこにある。
 野村の本に展望が見いだせないのは現場が描かれていないことにもよる。
 安保を廃棄に追い込む闘いの現場は、普天間以外には辺野古や伊芸のことがふれられていない。たしかに沖縄の状況が「戦後60年」たっても変わらない状況をさして追い詰められているという言い方もある。しかし、果たして私たちは追い詰められているだろうか。たしかに沖縄の軍事基地が動かずアメリカの占領状態が続き精神的ストレスも大きく、暮らしへの犠牲も言いしれぬものがある。辺野古の座り込み闘争が500日以上も続き、そのことをもって追い詰められているという言い方もある。だが私はそうは思わない。辺野古の闘いは市民運動の粘り強い運動が政府を追い詰めたという見方が正しいと思う。辺野古のテント村には、ヤマト人ばかりじゃないか、という言い方をする人もいる。しかし、その認識は間違っている。たしかに連日の座り込みにヤマト人は目立つかもしれない。しかし運動は地元の闘いがベースにあって成り立つものであり、それなしに、運動の広がりはつくれない。地元の頑張りがあるから、本土からの支援も成り立つのである。ヤマトからの支援といったって大した数ではない。その人たちの力も合わせたすべての総体、たとえば、私のようにごくたまにしか現場に行くことができない者や、現場には行けないが那覇の集会には参加できる者、それもできないがカンパはできるという人など諸々の総体なのだ。その総体が県民世論の80%(辺野古建設反対)という数字に現れたわけでその力が500日以上の座り込みを支えているのだと思う。
 安保破棄を言うなら、その元凶たる現場の闘いに学ぶことなしには、虚しさが残る。限られた誌面では言い尽くせないが、私はナショナリズム(民族意識)そのものを否定するものではない。しかし、それがすべてだとも思っていない。この続きは別な形で書きたいと思っている。
『けーし風』48(05.9.20)



【2005.08.15】 これもいささか旧聞に属するが、沖縄タイムス<2005年6月25日>に仲里効さんが野村浩也『無意識の植民地主義−日本人の米軍基地と沖縄人』の書評を「言説史に太い句読点」と題して寄稿していた。


仲里効「言説史に太い句読点」

 野村浩也。ある年齢以上の沖縄の人ならば、このヤマト風の姓を聞いて、沖縄を踏み均した歴史上のイワクを思い起こすはずだ。本人が生まれるよりずっと前の「創氏改名」運動に出自を持つその名からして「地に呪われたる者」の一人によって、本書が産出されたことは、何やら因縁めいてさえいる。
 フランツ・ファノンとマルコムX。この二人は沖縄だ、沖縄人だ、という。似たような内部の声を、三十年以上も前、私もまた聴いた覚えがある。もっともあの時はまだ「ポストコロニアリズム」などという概念などなく、「祖国復帰運動」の同化幻想の解体と自律した沖縄的主体を創出しようと、キッチャキしながら二人の言葉にあおられていたまでだが。しかし、ここには、沖縄の団塊世代のダダ的吃音とは違うゆるぎない発話行為がある。
 二つの現実がある。一方は生まれた時から米軍基地が当たり前のように目の前にあり、他方は生まれた時から米軍基地の存在すら知らない。沖縄と日本のあいだに存在する圧倒的に非対称的なポジショナリティ(政治的権力的位置)を暴き、糾し、そして語り返す。その暴き、糾し、語り返しに被植民地的身体からする応答の核心をみる。
 序章の「『悪魔の島』から聴こえる他者の声、そして、日本人」は、本書のエッセンスを濃縮したアフォリズムといえるが、その後「無意識の植民地主義」「共犯化の政治」「モデル・マイノリティ」「文化の爆弾」「愛という名の支配」「観光テロリズム」など、沖縄を巡るアクチュアルな問題群が横溢するポストコロニアルな文脈によって解剖される。
 本書は「終わらない植民地主義」への容赦のない批判的精通といえる。ただ、イャームンヤワームンを身上とする<グラフト(接ぎ木)国家>に、したたかマチうたれてきたダダ的吃音からみれば、繰り返し主張される「日本に米軍基地を持ち帰ってほしい」という「負担平等」の回路は、ダッチロールを招きかねない。いずれにせよ、沖縄の言説史に太い句読点を打つ一書になることは間違いない。

 ある意味で「私の幸せの為に、君は不幸になるべきだ」とは決して口にしない心優しさは、仲里さんの<持ち味>か、それとも反帝プロレタリア国際主義の<残渣>か。と言うよりも、含羞の「ダダ的吃音」の中に、「沖縄にもっと<政治>を!」という訴えが響いているように聞こえたが、はて……。



【2005.05.12】 野村浩也『無意識の植民地主義−日本人の米軍基地と沖縄人』(御茶の水書房2005.4.28)を落手。まず、2〜3ページ読み始めて、落胆した。学者にしては余りにも粗雑な展開に対してである。もっとも「教授」とは単なる肩書きであり、身すぎ世過ぎの職業の一つでしかない、という言い方もあろう。とりあえず、本を閉じる。明日は辺野古に行く。【以下、追記05.05.18】

 “序章「悪魔の島」から聞こえる他者の声、そして日本人”で、“わたしがただひとつ知っていること。/「沖縄は悪魔の島」という他者の声。ベトナムからの声。/わたしが殺戮者の一員だという声。/米軍基地を許してしまったことで「悪魔」になったわたしへの応答/……「沖縄は悪魔の島だ」という他者の声は、「殺戮者になるな!」という声。/この声を聞き取ること。/すなわち応答すること。/それがわたしにとってのポストコロニアリズム。”と、書く。しかし、こうした「想像力の溢れ出る言説」は、“沖縄人は「悪魔の島」をけっして望んではいない。/沖縄を「悪魔の島」にしている張本人は日本人だ。”と言いたいがための単なる前振りに過ぎないように思われる。
 “私を殺戮者にすることでけっして自分の手を汚さないのが日本人だ”というレトリックを駆使して彼は何を語ろうというのだろうか。何故、彼はこうした、二項対立図式に「想像力」を閉じこめるのであろうか。こういう表現に出会うと<「殺戮者にされた私」という「おいしい立場」>という、知念ウシさん風の粉飾を思い出してしまう。そして“民主主義と日本国憲法は植民地主義とけっして矛盾しない。”と、もう30年以上も前に流布された言説を、今、此処で、改めて開陳することの意味は一体、何なのだろうとも思う。さらにそれに続けて“それが日本人にとってのポストコロニアリズム”などと書き加えられるのを見ると、これが“社会学的な手法によって記述したものである。”(あとがき)なのだろうか、と不安にさえなる。彼の言う「社会学的手法」とは、“あとがき”での“基地の金網に疑問をもたないこと。それが、当たり前という無知をつくり出す。当たり前という無知は、沖縄人からたくさんのものを奪う。”という、<沖縄人>を<日本人>に置きかえても汎通する言説を多用することであるのだろうか、厚木基地の爆音直下で働く<私>としては。

 不思議なのは“(「進歩的・良心的」日本人が)よく「すべての日本国民は平等でなければならない」と言う。”と書いてあることである。そもそも「進歩的」とか「良心的」とかの枕詞自体、もう揶揄的表現でしか使わない代物だったわけであるから「国民」も「平等」もその文脈で読み続けていたら、“あとがき”で“平等を実現しよう。本書で主張したかったことを一言で表すとすればこれにつきる。”と結論めいた記述に出会った。平和と民主主義そのものに抗った世代とはことなり、その虚妄さを前提にしている世代に属していると思われる筆者だが、まさか、まさか18世紀的価値を21世紀に復権させようとしているのであるまい。

 もう少し読み続けよう。18頁の“……日本人は安保に賛成反対に関係なく基地を負担しない特権を享受しているではないか?”という一文に接すると、本書の粗雑さは際立つ。さらに“両者の関係をあたかも自然現象のように「温度差」などと表現するのは日本人に都合のよいだけの大嘘だ。”と野村さんは書くが、「温度差」という表現自体、今では社会現象を示すために使われる用語であり、理解不能なレトリックを多用する野村さんが、「温度差」という修辞・比喩をあげつらうこと自体、彼の言う社会学的手法に違和感を抱かざるをえない。そのもう少し後で語られる「心情倫理」や「責任倫理」にしても、そうだ、まさしくこれらは社会学用語なのだろうが。
 「是非、日本で基地誘致運動をやってください」と言われた時もそうだが、野村さんの持論でもあろう「沖縄大好き人間の基地お持ち帰り論」に際して、“沖縄人のひとりとしての素朴な疑問”とまで言われると、萎えるどころか、言いようのない「不潔さ」を感じてしまう。もっとも、野村さんが「そうした不潔な<私>をつくり出したのは日本人だ。」と言い切れば、また違った風景が見えてくるのかも知れない。

 もうこれ以上コメントし続けることに対して、徒労を覚え始めてしまった。気を取り直して、読み続けてみよう。

このページのトップにもどる