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「琉球人」は訴える(平 恒次1970)
沖縄自治州構想論(比嘉幹郎1971)
復帰一年 沖縄自治州のすすめ(野口雄一郎1973)
沖縄―特別県構想(自治労沖縄県本部1981)
琉球共和社会憲法C私(試)案(川満信一1981)
琉球共和国憲法F私(試)案(仲宗根勇1981)
生存と平和を根幹とする「沖縄自治憲章」(玉野井芳郎1981)

「琉球人」は訴える(平 恒次1970)

「『琉球人』は訴える」/平 恒次(イリノイ大学労働・労使関係研究所)/中央公論70年11月号所収

安易な「復帰」論、怠慢な「本土なみ」思想を排して、独立国琉球の復権を切に主張する


はじめに

 英国人でないわれわれには、イングランド人も、スコットランド人も、一様に「イギリス人」として見える。ところが、「イギリス人」という単語、すなわち「イングリッシュマン」という言葉を、スコットランド人にでも使おうものなら、それこそ即座に訂正され、場合によっては、スコットランドの歴史についてお説教をこうむる羽目におちいるのである。それでいて、イングリッシュマンも、スコッツマンも、同様に、「合同王国」(英国)の王位の下にある「臣民」(サブゼクト)であることを誇りにしている。
 「合同王国」の市民としては、政治的社会的に、完全に平等な権利と義務をもちながら、個人的意識においては、国内国外をとわず、何のためらいもなく、イングリッシュマンであり、スコッツマンであるということに、私は、非常に大きな共感をもつのである。
 さらにスイスという国は、公には「スイス連合国」であって、「独立国」をもって任ずる多数の国々(カントン)が、「契約共同体」として作り出した国である。ジュネーヴ人もチューリッヒ人も、同じくスイス国民、すなわちスイス人であるけれども、それは国際法上の地位であって、個人的には、ジュネーヴ人であり、チューリッヒ人であることが先行するのである。
 日本人は、人を分類するにあたって、まずその人の所属する国名をあげ、その次にかんたんに「人」を加えて「××人」と安易に呼ぶ傾向がある。これは、日本人には、日本という国への帰属感をこえ、国家に先行する社会単位への第一次的親近感がないからであろう。日本の中の地域性については、たんに××地方、または××県の「出身」という表現で語られ、「日本人」に先行する、××地方人、××県人としての、合同王国のスコッツマンや、スイス連合国のジュネーヴ人の意識に似たものは、感じとられない。
 こういう意識構造が、正常な日本人的規格であるとするならば、私自身は、この規格からはみ出したものであることを痛感せざるをえない。私は、法律的には、「日本国籍」をもっており、この属籍が与える権利、および、そのために要求される義務は、行使しかつ履行するのにやぶさかでない。だが私は、「日本国人」である前に、私にとって、もっと身近なもう一つの国の成員であるという心理状態にあるのである。
 つまり私は、第一次的に「琉球人」であって、琉球という「わが国」がたまたま国際法的に、日本という主権国家に所属しているために、私も、「日本国籍人」であるという意識構造をもっているのである。
 琉球人のこういう意識構造は、正常な「日本人」には、理解に困るものであるらしい。外国で「お国は?」ときかれると、「日本人」はもちろん、反射的に「日本」と答える。しかし私は、「琉球」と答えるのである。税関などでは、「お国は?」という無造作な質問ではなしに、「あなたの国籍は?」という法律的な質問がなされるのが普通である。こういう場合は、私はもちろん何のためらいもなく、「私の国籍は日本です」と答えるのである。
 私事にわたることを述べて恐縮だが、これは外でもない、右のような、個人の意識における「国」の重層性を理解することは、1九七2年に予定される沖縄の日本復帰において、決定的な重要性をもっているからである。もし、沖縄住民が、第一次的に「琉球人」であり、第二次的に「日本国籍人」であることが、日本国家の枠内の論理では、理解しがたいというのであれば、ぜひ、スコットランド人やジュネーヴ人の意識構造に思いをいたされたい。第一次的にはスコットランド人であり、ジュネーヴ人である人々が、第二次的にはそれぞれ、イギリス人でありスイス人であるのと同様な、国家構成の座標が、琉球と日本とのあいだにあるということを、沖縄の日本復帰過程で意識的に活用しなければ、沖縄住民の幸福は確保できないかもしれないと私はおそれるのである。もし、連合王国対スコットランドや、スイス連合国対ジュネーヴという関係が、民主的国体の一つの典型であるとするならば、日本対琉球という関係も、同様な民主的精神によって貫かれなければならないと思う。これが、日本そのもののいっそうの近代化にも通じるのである。
 右のような見地から、以下において、日琉関係の歴史的回顧とともに、1972年のもつ意義を検討したいと思う。

日琉合併の理念

 かんたんにいえば、日琉関係の近代化は、琉球が本来は独立国であるという認識から出発しなければならない。日琉関係の基礎過程は、これを二国の合併としてとらえる必要がある。国家間合併の近代的過程について、私はこう考える。第一に、両国ともまず民主主義を基調とする体制でなければならないということである。第二に、合併は双方になっとくのいく契約――条約――によって規定され、各国の国民の一般投票にによって批准されなければならないということである。
 幸いにして、琉球は、戦前、戦中、「沖縄県」として、日本国行政上の一単位をなしていたので、国家対国家の合併を基本的に考えなおす階段を省略することができる。日琉合併は、今新しく法律的問題としてとりあげなくてもよいほどに、遠い過去においてなされたものであり、あとは琉球の「日本復帰」があるにすぎないということになるのであるが、私が主張するのは、「復帰」過程において、国家間合併という見方を指導理念にしたいということである。
 日本の人口は一億、琉球の人口は百万、とても対等合併といえたがらではないのだが、世界史の現段階においては、これだけの国力の格差にもかかわらず、小国が国の名において、大国と対等にふるまったとしても何の不思議もないのである。国内政治に民主主義をたっとぶ国々は、国際的にも民主主義にふさわしい行動をとらなければならないからである。
 大国が力にまかせて、隣接小国を併呑して、それによって国際的威信を高めることができた、軍事力偏重の国際関係は、過去のものであるばかりでなく、道義的にももはや許しがたいものである。私が日琉関係を、国家間の対等なつきあいという原点に立って、「復帰」の合理的な戦術を考えようとしているのは、国際関係における力の論理と、国内における国家権力の横暴に反対するからにほかならない。
 高度資本主義国家群は、今やそれぞれの領土内部においては、脱文明、脱工業の過程をあゆみつつある。この過程の当然の帰結は、私がかつて論じたように、「行政民主主義」のいっそうの発展による「国家の枯死」である(「文明、国家、民主主義」『中央公論』1九6八年新年号)。高度資本主義国家としての日本も、国家行政の機能を通じて、人間の福祉への奉仕を拡大していくうちに、権力機構としての国家はしだいに枯れていくと予想していい。私は、1972年の琉球の「日本復帰」を、脱文明過程にある大国の、国家行政にふさわしいものとしたいと念願するものである。
 普通の「日本人」の意識の中にある日琉関係は、二国間の対等なつきあいとはとうてい言えたものではない。ということは、「復帰」過程において、琉球の、一国といってもよいほどの特殊性が、過小評価されるか、無視されるかの危険があるということである。琉球の独立国的特殊性に目をつむることは、「復帰」にあたって、大国日本の中央権力による、「復帰」条件の一方的押しつけにおわる結果になることを予想させる。そういう形での「復帰」は、琉球にとって不幸であるだけでなく、日本の民主主義と地方自治体制にとっても反動的後退といわねばならないのである。
 私は、琉球の特殊性を、逆に、過大評価しようとは思わない。しかし私は、多くの独立国を見て歩き、その二三のものの中には長期にわたって居住し、生活し、研究したこともある。こういう経験から、私は私なりに、二十世紀後半における「国」とはなにかということについては、生活の実感にもとづく帰納的基準のようなものをもっているのである。この基準にてらして見れば、わが琉球は、明らかに、一国たるに値する伝統と文化をもっているということができる。これを私は、すべての「日本人」にわかっていただきたいと思う。琉球を一つの独立国として認識することから、「復帰」のあらゆる戦術が出発しなければならないのである。

アジアの国、琉球

 琉球は「沖縄県」以前においては、中華帝国の体制管理をモデルにとって、国王をいただく民官政治という東洋の典型的な小国家であった。日本史に例をもとめれば、平安時代の、天皇をいただく摂関政治に似たものということもできる。それはほかでもない、日本の摂関政治も、もともと中華に範をとった体制が、日本的に転形進化したものだったからである。
 この類似についてエピソードとして付記しておきたいことは、琉球の開国が、壇ノ浦から敗走した平家の本流によるという説がある。これには、故奥里将健氏の生涯をかけた研究成果があり、最近、ハワイ大学の坂巻駿3教授の手がたい賛成論がある。とすれば、平家が移植した王朝時代の体制、文化、風俗が、その後の対中外交によって発展し、整備されて、琉球王国の基礎をなすにいたったとも言えるであろう。一部の史家のあいだでは、琉球王国を、日本古代(王朝時代)の派生的存続とする見方があり、日本の中世、近世に、日本の古代がもちこまれていたために、薩摩の武力に属する必然性が含まれていたとも主張されている。朝廷に対する幕府の圧力にも似た、日本的社会の図式を薩琉関係に持ちこんだ議論であるかもしれない。
 ともあれ、1609年(慶長14年)、琉球王国は薩摩の略するところとなり、総石高の1五パーセントを年々薩摩に貢がされることになるのである。しかし薩摩は、奄美群島の割譲を求めたほかは、琉球の直接統治への意欲を示さずかえって王国体制の温存に政治的経済的利益を見いだしたのである。こうして、薩摩にとっては「附康」(属国)ではあるが、日本に対しては外国という日琉関係が、江戸時代を通じて維持されるのである。同時に、琉球国王の王位は、清皇帝による冊封(現代的には「授爵」とでもいうべきか)によって、アジアにおける国際的地位を得ていたので、俗に日支両属という表現もうまれたのである。
 この史実は、明治日本の国粋主義者たちに、琉球人を非国民視する口実を与え、国家主義時代の日本において、琉球人の負目となったものであるが、江戸時代の琉球王国にとっては、小国とはいえ、独立国家としての体面を維持するための、中道政治、中立外交として認識されていたのである。戦争で薩摩に敗れたことは、たしかにくやしかったにちがいないが、薩摩と清国に対する過大な経済的負担を代償にしてでも、あえて社稷を維持する、国家の独立を確保するという意気ごみには、なみなみならぬものがあったのである。執念にも似た、自治独立への琉球の意欲を、私は、民主主義時代においては、新しく見直す必要があると思うのである。
 この点に関しても、スイス連合加盟以前のジュネーヴ共和国が、「同種同文」の隣接大国フランスの圧迫の下に、時には完全な独立国、時には完全なフランス領として、苦難の多い歴史をもったことを想起することができる。ジュネーヴを占領したナポレオン・ボナパルトが、ジュネーヴ人を難詰して、「諸君は、とるにたりない些細な諸君の国を、自分らだけできりまわすことに、執着しすぎるのではないか」といったといわれる。そんなちっぽけな国は、あっさりと大国フランスに献上してしまって、ジュネーヴ人も大国フランスの光栄に心ゆくまで浴するほうが賢明ではないかという含意であろう。
 東条英機が、琉球の伝統的文化の遺産を冷笑して、こんなものは帝国の聖戦完遂には何の役にもたたんといったことと、あまりにも酷似しているのではないか。自分らのちっぽけな国を、自分らだけできりもりすることに、ジュネーヴ人が自治と独立のよろこびを感じたように、洋上の小国において、繊細な「守札文化」をみがきあげることに、往時の琉球人は生きがいを見たのであり、今日の琉球人は、その遺産に自主独立の尊さを知るのである。
 ジュネーヴ人をあざわらったボナパルトが、1816年来琉したバジル・ホール一行から、軍隊をもたない琉球国の話を聞いて、理解に苦しんだという逸話があるが、琉球がジュネーヴとともに、暴力の権化のようなボナパルトの論理の埒外にあったことを、私はこの上なく誇りに思うのである。
 かく苦悩し、かく発展した琉球国も、明治時代になって、本格的な廃国処分をうけ、沖縄県として、多額の国税を日本政府に「上納」することになるのである。明治体制下における沖縄の地位は、「県」とはいっても、明らかに植民地でしかなかったことは、史料があますところなく立証している。沖縄に対するこういう待遇は、日本帝国の指導者たちの側に、沖縄が本来外国であり、外国に対しては、力ずくで何をしてもよいという戦前の論理があったとでもしなければ、説明がつかないことである。
 さらに時代を下ると、琉球人は、植民地住民の中でも皇民化がもっとも進んだ集団として、大東亜戦争の手伝いをさせられ、ついに1九4五年、自国を未曽有の焦土と化せしめるのである。沖縄であれほどの戦いを試みた日本帝国の指導者たちは、沖縄をサイパンやレイテと同様な外国、外地としてしか見ていなかったのではないかと、琉球人は疑うのである。そして1九五2年、最悪の戦災地沖縄は、日本政府から何の慰藉もないまま、講和条約第3条によって、ばっさりと日本国外にきりすてられるのである。
 以上が近世、近代における日琉関係史の素描であるが、民主主義の原理からすれば、そこには道義的になっとくのいく何ものをも発見することができない。日琉関係史のすべては、今後の日琉関係に何らの指針をも示唆していない。そこには「復帰」すべき何ものもないのである。
 1972年の、いわゆる「復帰」にあたって、琉球人は声高く「復帰」を否定した上で、新時代の日本と琉球というものを考えなおさなければならないのである。「復帰」という言葉にごまかされて、「復帰」さえすれば、沖縄の進むべき道は、政治的にも社会的にも、すでに前もって準備されていたかのように思うのは、はなはだしい誤りである。私は、自主的選択の余地のない政治的決定を、民主主義の名において排撃してはばからないのである。

1972年の選択
 
 慶長の役から講和条約にいたる340余年の日琉関係史は、日本にとっては、後進国らしい非民主的体制の立証資料であり、琉球にとっては、敗戦、亡国、抹殺という、外圧による危機の連続であった。この期間に、将来の指針となる何ものも含まれていないとすれば、1972年以後の日琉関係の展開においては、慶長以前の日琉関係、たがいに独立国として尊敬しあった時代のパターンにまでさかのぼって条件選択の模索をしなければならないということになる。
 現代琉球人が、「わが国」の黄金時代としてなつかしむ王国の隆盛期は、日本の室町時代にあたるのである。ところが、室町時代を誇りにする現代日本人はきわめて少ない。室町時代のアジアにおける琉球の地位に満足を覚え、ひいては室町時代の日本の体制に派生的に好感をもつ琉球人は、日本の評価においても、大多数の現代は日本人と意見を異にする運命にある。琉球国王に王位を保証した明国の皇帝から、足利将軍も日本国王に封ぜられたという事実は、当時のアジアの国際的秩序において、国の大小による序列に差等はあっても、琉球が国王をいただく点において、「国王」をいただく日本と独立国家として同格であったことを示すのである。
 日本と同格の琉球、これを私は、1972年以降の日琉関係の出発点とし、精神的姿勢としたい。こういう見地からすれば、いわゆる「日本復帰」は、琉球国の日本国への合併申込みのようなものであるということができる。ということは、合併条件のいかんによっては、合併拒否の行動も、選択範囲にあるということをも意味するのである。
 琉球を日本と同格においたからといって、大国日本を軽蔑しているととられては心外である。小なりとはいえ、琉球が独立国であるならば、独立国日本と同格であるのが当然であり、そういう見地から、相互になっとくのいく合併条件を作り出すことこそ、大国日本の国力にふさわしい行動といえるのである。
 不幸にして、国家間の対等合併という国家行為においては、日本人は経験がない。明治の沖縄置県は「琉球処分」という表現にみられるように、力による琉球の廃国であり、琉球国王の廃位であった。その後日本は、まったく同一の手法をもって、朝鮮を廃国、皇帝を廃位という「処分」にして日韓併合をなしとげるのである。さらには、満州帝国の建国には、琉球や朝鮮の廃国手続きを逆手にとって、力による建国、形ばかりの皇帝復位を行なうのである。日本の戦前体制の指導者たちが、東亜諸国の存亡は、かかって日本の国力次第にあると思っていたことは、戦後の国際関係の原理からすれば、まったく理解に苦しむ歴史の一齣である。
 今や、「日本人」自身が、「明治百年」、とくにその帝国主義的側面を道義的に否定している。この事実に私は、一縷の望みをかけている。ふたたび琉球帰属が問題になっているとき、日本の国家指導者たちは、よもや「琉球処分」的手法はとらないであろうと。合併や建国の戦前的モデルが廃棄されるならば、日本はもはや日本史の中から、これらの問題に対処する教訓や指針を引き出すことはできないということになる。こういう意味において、沖縄の1972年を、1872年(琉球廃国)さらに1609年(琉球の敗戦)にまで思いをいたして、四百年の誤りに今一つを加えることがないように努めたいものと思う。
 「日本復帰」運動に、米軍治下のあらゆる悪条件をおかして、半生を犠牲にされた琉球の同胞たちに、私は一言釈明しておきたい。いきなり「復帰否定」論をしているのだといえば、たしかに誤解を招くことになろう。字句にとらわれて、私の復帰否定論が、米軍統治下の現状肯定になるとでもとられたらたいへんである。論理の帰結はまったく逆である。私の「復帰否定」は、琉球の現状否定につながるのである。私が肯定するのは、琉球の独立国なみの独自性、自主性であり、琉球人の人格と人権の不可侵である。ナポレオンのジュネーヴ評にあるように、「ちっぽけな国」を自分らの知恵の範囲で、後生大事に守りぬくという精神と姿勢に対して、あらゆる形のボナパルチズムの介入を排するということである。
 こうなると問題の根本は、各個人の国家観である。「日本人」も琉球人も、民族的にはひとしく日本人である。だが、「同祖」「同文」、さらには「同居」でさえも、単一国家としてまとまる必然性を内包しているものではない。一民族一国家というスローガンには、なんらの道義的強制力があるわけではない。日本民族が、二つも3つもの主権国家にわかれていても何の不都合もないのである。日本民族が、多数の国家に分属したうえで、連合国としての日本を作りあげることができたとしたら、日本の国家は、もっと理性的なものになっていたであろう。もとより、すでに一億の大人口を、中央集権度の高い単一国家にまとめている日本が、スイス連合国はおろか、アメリカ的連邦になることさえ考えられない。
 だが、そこにも何か教訓がひそんでいるのではないか。つまり、地方分権、地方自治がたっとくのぞましいものであるとするならば、その極値は、スイス連合的契約共同体にあるのではなかろうか。今や、日本の地方自治は「3割自治」またはそれ以下になりさがっている。
 もし、琉球に関して私が提言しているような、地方の独立が達成され、国と地方との関係が、民主主義と地方自治のあるべき姿にもどることができれば、近代国家としての日本は、それだけ脱文明過程における巨歩を進めたということもできる。琉球の特殊な地位が、日本の体制に新しい地方自治精神をふきこむ契機ともなれば、日本民族の歴史における琉球の使命の一端が実現されたともいえるのではなかろうか。
 こう見るならば、1972年は、琉球にとってのみ、重要な選択と決定の年であるばかりではない。日本の国としての近代性が問われる年であるともいえる。私は心ある「日本人」に訴えたい。日本の各県、各地方にも、あらためて見なおすならば、わが琉球の独自性にも似た、独特の伝統があり文化があるのではないかと。
 地方のこういう特徴が、国家および国民経済の都合によって、たえずふみにじられるというのが、日本のいわゆる「近代化」の全過程ではなかったのだろうか。とるにたりない一木一草、森の中の散歩道、裏街の路地にいたるまで、すべて歴史と伝統の中に位置づけられ、歴史が、日常生活の中に意識化されているヨーロッパの社会生活をかえり見て、町名変更、都市合併、文化財破壊または移転などがいともやすやすと行なわれる日本を思うと、日本人のあまりのドライさに寒気を感じるのである。
 間髪を入れない決断力、電光石火の行動力といえばきこえがよい。ところが、これをいいかえれば、日本人の刹那主義という動物的衝動ということになり、高度成長の公害につながる。刹那の要求に敏感に反応して、これだけの機動力を発揮する日本人は、おそろしいほどに没歴史的である。およそ、過激な共産主義革命のような大変動が、昨日の歴史さえも否定しさる勢いで、持続的に荒れ狂っているといってもよいほどの、人類史上未曽有の現象が、第二次大戦後の日本である。
 こういう国がらでは、地方自治、地方分権など気にかけるいとまはないのかもしれない。1972年を機に、日本が、歴史の再認識と地方自治の再検討へ進んでもらいたいと切望するしだいである。

日琉合併戦術

 戦前の、地方自治不在の大日本帝国において、琉球の歴史は、亡国の悲しみにはじまった、最低限の自己確保さえおぼつかない受難の歴史であった。1972年以降の日琉関係を、この不名誉きわまる「沖縄県」の歴史的延長の上にもどしすえることは、歴史の教訓を無視することになろう。
 琉球人は、日本に復帰するものでもなく、吸収されるのでもなく、いわんや日本に「奪還」されるのでもない。1972年は、琉球人にとって、滅亡した故国の再建であると同時に、日本との合併を意味するものである。いやしくも二国が合併するからには、それぞれの国がらのちがいについて正直に確認しあう必要がある。
 日本も琉球も、日本民族が作った文化社会であるが、両者は、武家文化と王朝文化ほどに異なった性質の社会である。薩摩の示現流に対するに空手をもってした琉球である。武と文、光と影の相互補完性を認識するのでなければ、日本と琉球の同世帯は持続しがたいだろう。日本は今や、もっとも活動力に富む高度資本主義国家として、旭日昇天の勢いにある。石原慎太郎氏の「太陽の季節」から、金森久雄氏の「力強い太陽」にいたる、一連の「日の神」崇拝は、実に現代日本の基本的性格であろう。一方、琉球は、南走途上の平家の公達が、かぎりなくその心をなぐさめたであろう洋上の落日、夜空の弓張月をもって、その精神構造の基調としているのではなかろうか。現代日本人の心が、エコノミック・アニマルとしての、現代的尚武の精神にみたされているとするならば、わが琉球人は、王家の紋に見られる、三つ巴の煩悩の相剋を、「守礼」の円周に包括した節度ある人生観をたっとぶということができるのではなかろうか。
 日本と琉球の、この文化的心理的差異を、一方的に琉球人の「いくじなさ」に帰するとするならば、それは、合併のための共通の地盤が、日琉間にまったくないことをものがたるものであろう。もしそうであるならば、日本と琉球は、それぞれ別個の独立国として併存するほうがのぞましい。
 この四半世紀のあいだ、琉球は日本と切断されてきたのであるから、琉球における米国の施政権が終了するならば、琉球を独立国たらしめるには、ただほうっておけばよいということになる。日琉合併が日本にとって少しでも負担になると思うのであれば、米国による琉球統治の清算と、日本国による琉球統治の出発とは、何も厳密に「同時」である必要はないと、わりきればよいのである。
 そうではなくて、日琉合併が「日本」のためにもきわめてのぞましいものであるとするならば、琉球を日本領とすることによって達成される、「日本」の国家的目的または国家的効用というものに対して、琉球側にも交換条件として獲得しなければならない目的や効用があるということを、忘れてはならない。経済学的に表現すれば、日琉合併においては、効用対効用の等価交換が成立しなければならないのである。
 長期的に見れば、日琉合併によって得られる琉球の効用は、すくなくとも日本全国との人口比例に相当する社会的経済的福祉が達成されるということである。しかし、この長期的均衡に到達するまでに、過渡期の不便と苦痛というものがある。この不便と苦痛は、琉球側に圧倒的に大きいはずであることは、いまさら強調するまでもない。また、この不便と苦痛は、日琉合併における琉球側の純負担となるものであることも明らかである。
 等価交換の原則からすれば、過渡期のこのような負担は最小限に止めなければならないものである。ということは、日琉合併の手続きは、原則として、琉球側に主導権があり、琉球のペースにのせなければならないということである。
 日琉合併手続きの主要部分は、合併条件の成文化である。この条件は、日本と琉球とのあいだに交渉され、取引されるべきもので、第3国、たとえばアメリカ合衆国の参加を必要とするものでないことは、いうまでもない。この点に関しては、奇怪にも、日本政府も、米国政府もかなりの誤解と思いあがりがあるように見える。
 日米間の取引は、講和条約第3条の清算だけで結構であるにもかかわらず、目下進行中の日米間交渉においては、いわゆる「復帰」後、日本国が、どのように琉球を統治するかという、厳密には、日本国の国内問題に関するものまで、アメリカの指導や合意を必要にしているかのような印象をうける。つまり、琉球住民をつんぼ桟敷において、当の琉球住民をどう治めるかについて、日本と米国が秘密交渉をしているということである。これはまったくあきれたことであるが、日琉合併条件の日琉間交渉は、原則として、日本および琉球の内政に関するかぎり、合併以前の日米間交渉になんら左右されないということにしなければならない。
 ともあれ、日琉政府間に、合併条件の成案が得られたとする。次は、この条件案の人民投票による批准である。私は合併過程におけるこの段階は、きわめて重要なことであると思う。私は、合併について、また合併条件について、琉球住民が、人民投票によって、一点の疑いも入れないくらいに、賛成するのでなければ、日琉合併はすべきではないと思う。
 ということは、それまでには、米国による琉球統治は終了しているはずであるから、琉球はいきおい独立国としての様相をおびるようになるわけである。私は事実、そうなったほうがよいと思う。米国による琉球統治は、一日も早く、終わらせたい。だが、日本の中の琉球の新しい地位については、十分に時間をかけて検討し、採用し、執行するようにしたい。
 端的に言えば、1972年の、琉球に対する米国施政権の撤収とともに、琉球は「琉球共和国」になるということである。琉球の現状は、米国の施設権下にあるという枠組を一応捨象すれば、すでに独立国としての資格があるといってもよいのである。現在の諸制度が1972年以降に延長されれば、それでもうりっぱな独立国なのである。また、もっとも紳土的な国際関係としては、1972年における講和条約第3条の清算の仕方を、琉球人の参加の下に、もし琉球人がその意向であれば、琉球の独立を保証するような日米間の条約にもっていくという方法が一番のぞましいと思うのである。こういう方法の法律的可能性があるかどうか、法律学者の御一考を煩わしたいところである。
 あらゆる角度から考えてみて、もし日本政府にその気がありさえすれば、日本の極小の負担で、琉球の自治、自由、福祉を極大化することができるように思われる。おそるべきことはただ思考の怠慢である。異常状態も一世代もつづけば、正常な状態になるものである。日本は、終戦後二、三年の間に、理想に近い民主主義体制を占領軍から与えられた。琉球は同じ占領軍によって、まったく正反対の状態におかれたために、戦後一世代間の琉球人の努力は、自力でもって、民主主義を少しずつ獲得するという一連の闘争に費消されたのである。
 日本人に25年前に与えられた自由と民主主義を、25ヵ年かかっても、琉球人は、必死の努力の連続にもかかわらず、まだ形だけでも獲得しおえていない。琉球人が、日本の憲法を読むとき、占領軍政下で、いかに琉球内で努力しても、日本の憲法に盛られた民主主義と同質同量の民主主義を、琉球内に実現することが不可能なことを、あらためて思い知らされるのである。日本人が25年前から無条件に享受しているものを、闘っても闘っても、ついに得られないという絶望感は、おそらく琉球人だけのものであろう。自由なく、人権なき異常な状態の下に、たえず自由を求め人権を闘いとるという日常生活、これが琉球現代史の正常な側面なのである。
 ということは、正常な琉球人は、日本的標準では、「異常」なまでに、自由と人権への渇仰が強く、政治と生活における非民主的なものにきわめて敏感であるということである。したがって高度民主主義への志向と、その過程についての思考実験においては、琉球人は、日本的標準では「異常」なくらいに大胆なのである。また、逆に、琉球的標準からすれば、せっかくの新憲法を着実に空文化させてゆくようにみえる「日本人」は、自由、人権、民主主義等に関して、「異常」なまでに無神経のように見えるのである。「琉球人」から見る「日本人」は、ジュネーヴ人から見たボナパルトおよびその頤使に甘んじたフランス人ということにもなろうかと思う。
 こう見るならば、政治的には、「日本人」が「琉球人」よりも、後進的であるといえるのではないか。その後進性のゆえに、大国の力にのみ頼って、1972年を「琉球処分」という手法によってのりきろうとしているのではないかと、琉球人は危惧するのである。まさに、武が文にまさるという封建時代的価値の倒錯が、1970年代においてさえ、なお明らかに看取されるということは、まったく心外であるといわなければならない。
 1972年に、独立国琉球の建国、ついで日琉合併という、もっとものぞましい形での琉球の「日本復帰」ができないとしても、日本における地方自治制度が、この形式に似た柔軟性を秘めていることは、せめてものなぐさみといえるのではなかろうか。
 ということは、アメリカの琉球統治の終了と同時に、琉球を「沖縄県」としていきなり日本国内にとりこんで、即座に「本土なみ」に、制度、法律のよしあしにかかわらずおしまくるというのではなくて、「沖縄特別自治体」のようなもの(「琉球共和国」から、位階一等を減じたようなもの)にして、中央と地方の関係における、まったく新しい実験を試みるということにしてはどうであろうか。もし、地方自治におけるこういう新制度が、沖縄で、県制の代りに成功するならば、同制度を、希望によっては他府県にも及ぼすという可能性も考えられる(ここでも私は、スイス連合の中の各国が、それぞれ特別な自治権をもっていることを想起しているのであり、日本の地方自治制度も、積極的にスイス的な方向へおしすすめるとすれば、日本の民主主義がいかに飛躍的進歩をとげるであろうかと考えているのである)。
 ということはさしあたり、沖縄だけに適用される「特別自治体設置法」を立法することになるのであるが、現行法の範囲で、これは十分に可能なことである。消極的ではあるが、憲法第95条と、地方自治法第261条に、その可能性が含意されている。憲法第95条によれば、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」。
 沖縄のために、ここになにかが秘められている。特別法によって、沖縄を特別自治体として設置し、その法律を沖縄の人民投票によって制定するということは、日本国と沖縄住民とのあいだの一つの契約というふうにも解釈される。本稿の論理からいえば、この種の法律を、「日琉合併条約」らしいものに作りあげることも不可能ではなかろう。
 県制が「本土なみ」におっかぶされてくるのではなくて、沖縄が日本国の一部となることについてのあらゆる条件を新たに明示した法律、しかも住民投票によって受諾されるような条件を盛った法律によって設置される「沖縄特別自治体」は、独立国琉球が日本と結びえたであろう「合併条約」の理念を十分に実現することができる制度ではなかろうか。
 ここでも重要なことは、民主主義高度化への力強い実験と、民主主義社会にふさわしい政治的善意がある。この意味においても、琉球の日本国参加とともに、日本国皇太子に、プリンス・オヴ・リューキューを兼任していただくことはどうであろうか。

おわりに

 本稿において私は、琉球を日本民族の一支流が作った国家ではあるが、日本国とは相当の異質性をもった国家としてとらえた。したがって、琉球のいわゆる「日本復帰」は、根本においては、異質国家間の合併として考える必要があることを力説した。そしてたえず、スイス連合国における、中央政府と構成メンバーである諸国との関係、すなわち「契約共同体」としてのスイスの国柄を、のぞましい民主主義機構として念頭におきながら、琉球が新たな契約によって、日本国の中にはいりこんで行く過程の可能性、合理性、合法性を追求してみた。推論の過程において、安易な「復帰」論や「本土なみ」思想を排撃し、ついでに、民主主義の重要な要素である地方自治制度の日本における後退を批判しておいた。琉球の日本国への参加を、私は、日本における地方自治の新しい突破口にしたいとさえ念願するものである。
 琉球の日本国参加における民主主義の貫徹は、国内だけに意義をもつものではない。援助、貿易、文化交流において、日本とアジア諸国との関係がますます深まりつつある時、日本人にとってもっとも大事なことは、アジア人を理解し、アジア人の身になって考える能力である。これを心理学者はエムパシーと呼び、人格近代化における重要な指標としている。
 さいわいに今、日本にとって、外国でありながら自国の一部でもあるという琉球がある。琉球を理解し、琉球人の身になって考える能力を、日本人が示すとき、日本はエムパシーの第一次試験にパスしたということができる。実に、1972年は、日琉関係をとおして、日本の近代国家としての資格がとわれるときである。この審査に落第すれば、アジアに対する日本の将来は、暗黒であるといっても過言ではないと思う。

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沖縄自治州構想論(比嘉幹郎1971)

「沖縄自治州構想論」(抄)/比嘉幹郎(琉球大学)/中央公論71年12月号所収


「沖縄問題」の本質
 沖縄返還協定は、その内容について沖縄住民の不満と不安を残したまま、さる六月十七日に日米両政府間で調印された。その協定は基本的には、ベトナムの泥沼からの脱出と反共アジア諸国による軍事的肩代りを指向するニクソン・ドクトリンに添うものであるから、日米間の経済・防衛関係がよほど悪化しない限り、米国の上院でも批准され、遅くとも来年の夏までには沖縄の施政権返還が実現するものと思われる。
……

 沖縄返還協定は、さる六月二十七日に行われた参院選自民党側を有利にするためのものであったろう。たしかに、沖縄での選挙結果は、一八八、〇八五票対一七五、二八九票で、自民党の稲嶺一郎候補が革新側の金城睦候補をへ押えて勝利を収めた。……さらに、この選挙を返還協定に対する住民投票に切り替えようとした琉球独立党の崎間敏勝候補はわずか二、六三七票しか獲得してない。
……

……沖縄の与野党が立法院の全員一致の決議で核抜きを主張し海外への自由出撃に反対してきたのにもかかわらず、返還協定のなかではこの要求さえも明文化されず、いわゆる事前協議制度の運用で無制約の基地を保持できる状態にしてあるといえよう。基地機能や規模の面からだけでなく、人的、物的損害についての対米請求権の放棄や反共宣伝施設であるVOA(アメリカの声)の存置など、返還協定の他の条項からみても、沖縄住民が犠牲と差別を一方的に押しつけられたことは否定できない。「第三の琉球処分」と言われるゆえんであり、とかく住民に重大な影響を及ぼす政策決定において民意が尊重されていないのである。
 抽象的な表現を用いれば、反戦平和、人権擁護、そして、自治権確立という沖縄住民の基本的要求が、これまでの沖縄での歴史で繰り返しみられたように、返還協定でも無視または軽視されたといえよう。
……

自治構想の必要性
……
……異民族の支配下に置かれてきただけに、沖縄の住民は、かなり高い自治意識を持つようになったし、また曲がりなりにも実質的な自治権をある程度かちとってきた。施政権返還というこの歴史的一大転機にさいして、自治構想もなく、たんに類似県なみという形で日本の中央集権体制に安易に組み入れられると、まさに悔いを千載に残すことになろう。
……

地方自治の概念
……
 沖縄住民の自治権獲得闘争も人民主権説の実現を目標とするものであったといえる。その意味で、自治闘争は復帰運動と密接な関連性を有している。この闘争は「自治に勝る善政なし」という前提のもとに、行政出席の公選制、米民政の布告・布令の撤廃、琉球政府に対する米民政府の干渉の排除、裁判権の拡大など多くの目標を設定して強力に展開されてきた。民意の尊重という民主的原則が、戦前の日本統治下において否定され、種々の形で本土との差別を強制された経験があるだけに、その原則を沖縄住民は強く意識している。押しつけられた差別の撤廃こそは沖縄の政治文化における最も重要な価値の一つであり、この価値は沖縄住民の政治行動を大きく左右する。
……

 こんご沖縄の直面する最大の政治的課題は、いかにして中央からの支配を排除して地方自治を確立するかである。……またいわゆる合理的、能率的中央集権制と自治的地方分権制の総合または調整という形で論争が展開されることも予想される。しかし沖縄の住民は、自らの意思に基づいて行われる政治、行政が地方自治であり、地方自治の尊重は民主主義の基本であることを一貫して堅持し続けなればならない。

琉球政府の実状
……
 沖縄住民の長期にわたる自治闘争の結果、琉球政府は、立法、行政、司法の各分野において実質的に大幅な権限を行使するようになった。立法院は、対内的に適用される法律を本土の法律にならって制定し、米民政府の布告、布令をしだいに整理してきた。……主席公選も一九六八年には実現し、沖縄におけるほとんどの許認可権は主席が握るようになった。琉球裁判所の権限も拡大され、米民政府は政治的反発をおそれてもはや干渉し得ない状態になっている。
 このような琉球政府の権限も、本土政府の復帰対策要綱から判断すると、返還後には大幅に縮小されそうである。教育委員の任命制など本土の法律や制度が画一的に適用されると、沖縄の自治は後退する。主席の許任可権は本土政府に吸い上げられ、沖縄の実状をよく知らない各省庁の官僚によって行使されるとも予想される。
……

 現在進行中の復帰準備作業は沖縄住民の願望する自治権確立への途を逆行しているとしか考えられない。このリバース・コースは、基本的には、復帰準備の主導権が、住民の自治と福祉の最優先を標榜する琉球政府にあるのではなく、沖縄における軍事基地の保持を第一義的に考慮する日米両政府によって握られていることに起因する。
……

 しかし、ここで強調しておきたいことは、このような形での沖縄側が許容していることである。いやむしろ琉球政府が日米両政府のペースの復帰準備に積極的に協力していると言ったほうがより正確かもしれない。琉球政府をそうせしめた主な原因として、沖縄側の強い県なみ指向性と最良主席の弱い政治的立場があげられる。
……

……沖縄が本土政府の政策によって差別と犠牲を強制されたために生じた各面における本土と格差を是正することは国の義務である。が、この義務を果たさせるために琉球政府の行政機能や権限を国に移す必要はない。県なみ指向性の背後にはまた、本土政府の画一主義はとうてい変更できないものであるという事大主義的意識が働いているのかもしれない。
……

自治確立のための基本姿勢
……
 沖縄の施政権は本土政府にではなく沖縄住民の政府に返還されるべきことになり、琉球政府は、その行政機構、機能、権限を本土政府へ移すことによって縮小するのではなく、逆にそれらを最大限に強化拡大する努力をしなければならないことになる。琉球政府はまた、強力な中央集権体制の日本においては、県なみを指向することが自治権の大幅な縮小につながるという危機感を持って復帰対策を策定されなければならないことになる。
 したがって施政権返還後の沖縄において地方自治を確立するためには、たんなる本土の類似県の政治・行政を模倣するのではなく、沖縄独自の特別自治体を構想する必要がある。政治においては言葉は重要な価値記号であるから、既成概念から脱皮するためにも、この特別自治体を沖縄州とでも呼ぶのが適当であろう。この呼称は、憲法で特に規定された権能を連邦政府が有し、その他はすべて州政府が留保している米合衆国における国と州の関係を参考にしたものと考えてよい。
 沖縄州は、軍事や外交などに関連する特定の権能以外のすべてを保持することが望ましい。軍事、外交の分野においても、特に沖縄が密接に関与している政策については、沖縄住民の意思が十分反映されたものにしなければならないことはいうまでもない。
……

 沖縄特別自治体の行政主席は、一定の任期で住民の一般投票によって選出され、住民生活のへあらゆる部門に及ぶ事務について自主的権限を保有し、中央政府の指揮監督は受けないものとする。
……

 沖縄開発庁構想は沖縄住民と密着した場所で民意を尊重し総合的に調整された形での政治、行政を実現できるものではないと思われるので、その構想には反対せざるを得ない。また本土の府県なみにその他多くの国の行政機関を沖縄に置くことにも賛同しかねる。なぜならそれは、地方自治の本旨にもどり、国の出先機関を最小限にとめるべきだとという臨時行政調査会や行政管理委員会での整理の勧告にも沿うものではないからである。
……

 沖縄を特別自治体にするためにはまた、強力な立法権限を持つ一つの議会も設置しなければならない。この議会は、定期的に住民によって選出される代表で構成する。本土の現行法規の多くは、沖縄住民不在の間に制定されたものであるから、その適用の可否について、沖縄の議会に検討し決定する権限を与えることが望ましい。裁判所制度に関しては、沖縄住民ができるだけ現地で裁判を受けられるよう考慮すべきであろう。
……

……沖縄はこれまで中央政府から差別と犠牲を強制されてきた。このような差別と犠牲の排除が沖縄の自治にとって何よりも重要なことであり、特別自治体の実現はこれを可能にするだろう。そうすればまた、過去においてみられたような沖縄本島の宮古や八重山諸島などに対する差別と犠牲のしわ寄せをなくし、市町村レベルにおける自治権も拡大強化できると思われる。
 むろん、沖縄特別自治体にとって最も困難な課題は、国からの財政支出を確保することである。……そのためには国からの大規模な特別援助と財政投融資を行うべきである。
交付税、補助金、税制度などの面においても、沖縄に対する財政的特別措置が講じられなければならない。
……

むすび
……
 しかし、沖縄の将来を決定するのは究極的には沖縄住民でしかない。諸般の情勢からみると、沖縄において自治を確立することはしごく困難なことであるが、全住民が一致協力して主体的にその目標を達成する努力をすべきである。沖縄自治州構想論は、こんご具体的に検討し発展させなければならないが、それは沖縄住民の要求を実現実現するための政治姿勢に立脚したしたものであり、その意味では決して非現実的なものとはいえまい。

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復帰一年 沖縄自治州のすすめ(野口雄一郎1973)

「復帰一年 沖縄自治州のすすめ」(抄)/野口雄一郎(中央大学)/中央公論73年6月号所収


 本土復帰から一年、いま沖縄は政治的、経済的困難に苦しみ、閉塞状況のなかにあえでいる。この現状をうち破るためには、かつての「復帰」にかわる何らかの明確な政治目標を設定することが必要である。そのひとつの試みとして、私は「沖縄自治州」の構想を提案したい。自治州構想こそは本土復帰という既成事実を逆手にとることによって、未来への展望をひらくことのできる政治目標ではあるまいか。

政治目標としての自治州構想
 本土復帰から一年たったいま、すべての希望を裏切られた沖縄は、失意の底にある。復帰によって、アメリカの軍事基地の重圧が軽減されなかったばかりか、政治面では「本土並み」の名のもとに、それまで保持していたいくつかの政治的自由を失い、経済面では復帰インフレに苦しめられ、復帰にともなう大量の失業者群の発生、それに本土観光資本の土地買い占めなどもあって、沖縄県民の生活は困難をきわめている。しかもこのような外的状況に対応する反体制側は、革新県政をにぎっているとはいえ、政党の本土系列下の進行とともに、全体性をもった政治目標を見失ってしまい、分裂状態におちいっている。
……

構想を支える原理
 沖縄自治州の提案においては、将来の沖縄はこうなるという設計図を描くことが、重要な問題なのではない。この自治州構想によって、沖縄にどのような波及効果を触発することができるかということが問題なのである。重要なことは、沖縄住民の主権を本土からの抑圧に抗して確立することができるかとどうかという可能性であり、自治州構想を支える原理はいかなるものかという点である。その意味で、沖縄自治州構想はすぐれて運動論的存在である。
……
……制度や組織の具体的な形がいかなるものであっても、また自治州が独立国家や連邦に変わったとしても、それは本質的な問題ではない。とにもかくにも沖縄住民の地域的連帯を飛躍的に強化することによって、本土の抑圧をはね返そうとする住民運動の提唱である。それは徹底的な地域民主主義の確立をめざす運動なのである。……すなわち、沖縄におおいかぶさってくる明治以来の中央集権を解体し、政治を住民の手にとりもどすことが狙いであり、そのための提案が、沖縄自治州の構想である。
……

なぜ「自治州」なのか
……
 しかし、これらの多くの政治形態のなかから、自治州を選びだしたのには、それらの根拠がないわけではない。まず独立国家という形態から考えると、もしも沖縄住民の自治権を完全な形から考えると、もしも沖縄住民の自治権を完全な形で求めるとすれば沖縄が独立国家になるのが、論理の当然であろう。そしてすでに沖縄には本土復帰を拒否にする発想にたった「沖縄独立論」とか「沖縄共和国」という主張がある。だがこれは、少なくともいまの沖縄県民の民族意識からみて、受け入れられないだろう、またEC(欧州共同体)に典型的にあらわれている国家統合への世界的な潮流にもさからうことになろう。したがって、独立論には多くの魅力あるにもかかわらず、採用しない。
 つぎに独立国家以外の形態を考える場合には連邦国家における州として考えるか、そこまではいかないにしても高度な自治権をもった地方自治体として考えるかの二つの方向がありうる。そのうち、もしも連邦制を採用するとすれば、外交権や防衛権だけは連邦国家に委ねるが、司法・立法・行政の内政は独立国家と同じになる。これは現在のアメリカや西ドイツの州に似ているが、自治権の徹底という点では、有力な形態である。しかしこの連邦制を実現するには、単一国家体制を明示している現行の憲法を改正しなければならない。
……

……この点で、政治的分権である連邦制ではなくて、行政的分権である自治州を選んだのである。
自治州制の場合には、行政的分権であって、ひとつの特別な地方公共団体であるために、現行の平和憲法の枠内で実現可能である。しかも具体的には、かなり高い自治性をもち、国の行政的権限や財政、さらに司法権なども委譲することができ、独立国家や連邦ほどではないにしても、自治権を大幅に拡大させることも可能である。その点では、自治州は特別自治区ともちがっている。
……

……特別自治区は、あくまで国の地方自治の枠のなかで特別の処遇を要求するものであって、自治州にくらべればより消極的な存在である。自治州のように、自治権は地域住民の固有の権利であるという立場から、中央政府にたいして分権化を要求するという積極性をもつものではない。この点で、特別自治区よりも自治州のほうがより適当である。
 いまひとつ重要な理由がある。それは自治州の場合には、行政的分離という点では特別自治区と同じとはいっても、特別自治区とはちがって、実質的には政治的に分権にできる性格を持っている。今日の複雑化した近代国家の特質は、政治と行政が不可欠に結びついているだけでなく、ときに行政が政治に優位にたつことである。したがって行政的分権の方式いかんでは、これを高度に推進していけば、それが自然に政治的分権につながる性格をもちうるのである。実質的に行政的分権を獲得すれば、それを通じて政治的分権に接近できるのが、自治州なのである。したがって自治州は、政治的分権ではなく行政的分権にすぎないとはいっても、実質的には独立国家や連邦に近い権限をもつことのできる形態なのである。一方、特別自治区にはそのような政治性はほとんどない。この点に、特別自治区ではなく、自治州を選んだ理由がある。
……

具体的な計画
……
 まず沖縄自治州は、州知事のもとに、州政府をつくり、現在の県固有の行政事務のほかに、中央政府の行政事務の委譲をうける。それと同時に、これまで国や県がにぎっていた権限を、大幅に市町村に移される。すなわち行政事務の再配分がおこなわれ、そのなかで市町村に委譲する。沖縄開発庁などの国の出先機関の業務も、すべて州と市町村に委ね、市町村の自治権を強化し、市町村の行政能力を高める。この高められた市町村の自治能力こそ、自治州の政治的基礎である。
 また教育制度や警察制度も、自治権強化の方向にそって、改革をはかるべきである。本土の場合にも、戦後芽ばえはじめた地方自治は、中央政府の手によって強引につぶされ中央集権化がすすんだが、その重要な指標が、1954年の自治体警察の廃止であり、1956年の地方教育委員の公選制の廃止であった。まして沖縄の場合には、昨年の本土復帰までは、実質的な自治体警察、教育委員公選制が維持されていたにもかかわらず、本土復帰によって、強引に本土並みにまで引き下げられたのである。

……沖縄自治州の発足とともにつくられる新しい沖縄州議会は、いまの県議会が一院制であるのにたいして、二院制を採用する。これは、複雑化し多様化していく州民の多彩な意見と利益を、できるかぎり正確に議会に反映させるためのものである。もちろん州議会議員は、州知事と同じく直接公選によって選ばれる。しかも州議会の立法権は、県議会よりもはるかに強化され、沖縄に適用される条例については、国で定めた法令よりも優先権をもたせる。

……司法権もできるかぎり国から分権させる。市裁判所をおいて、一定の範囲ではあっても、民事と刑事の一審裁判ができるようにする。……そして将来は、裁判官の公選制や陪審員制度を採用することも、考えてよいであろう。

……地方財政を強化するために、現行の税制体係を根本的に改革し、地方税を飛躍的に強化する必要がある。所得税、法人税、酒税のうちの地方に配分される比率を高める。しかし所得の低い沖縄では、それだけでは州の財源も依然として十分でない。そこで国にたいして、地方交付税の配分を特別枠で行うように、要求する。
……

中央政府との調整
……
……自治州では、悪化した沖縄経済を再建するためにも、自治州独自の開発機構と開発資金をもつべきである。その方向としては、いまの沖縄開発庁を分解して、州知事に直結する地域開発庁を設け、さらに復帰によって一般金融機関に変わった琉球銀行を州立銀行に改組し、債券発行をおこなわせ、開発金融専門の「沖縄開発銀行」を設立する。その場合、本土の日本開発銀行から出資も受け入れるが、州知事の直接の指揮・命令を受けるようにし、自治州の経済的基盤である沖縄経済の再建と自立のための手段とすべきである。
 つぎに整備するものは、中央政府との調整にあたる「連絡委員会」である。自治州の意見を中央政府に反映させ、上からの行政をおさえるために、新しい機構を制度化する必要があるが、そのひつととして中央政府と自治州の間に、常設の連絡調整委員会を設ける。……もう一歩すすんで、州代表をオブザバーとして、中央政府の閣議に参加させるとか、あるいは各省庁の重要な諮問会議に参加させて、自治州の独自性を中央政府の行政に反映させることが必要である。

……ただその場合注意すべきことは、もしも自治州が十分な行政的力量をもたず、しかも行政的経験の蓄積に努力しないならば、この委員会は逆むきのパイプとなり、中央政府が自治州を支配する手段に変わりうるという点である。連絡調査会には、そういう危険性もひそんでいるのであるから、その危険性を見落とすと、自治州としては形式的には自治権を強化しても、実質的にはふたたび本土の抑圧の手のなかに転落しかねないことになる。その意味でも、連絡調査会のあり方は、自治州の運命に直結していることを認識しなければならない。

「自治州外交防衛委員会」
 最後に重要な制度は、「自治州外交防衛委員会」である。この委員会を自治州に設けることによって、中央政府が独占してきた外交権と防衛権の行使にたいして、沖縄という地域の特殊な立場から、実質的なブレーキをかける必要がある。
……

 この委員会は州民の意見を集約して、中央政府の外交・防衛政策の決定には、委員長が州知事の代理として直接に参加して、州独自の意見を積極的に反映させる。また文化・経済などの非政治的な外交面では、独自の外交活動もおこなう。これが委員会の役割であるが、このような活動には限度があることは、明らかである。この委員会は、あくまでも中央政府の外交・防衛対策にたいして発言し、その歪みにたいして批判をするが、それにとって代る行動はしない。

……したがって沖縄自治州でも、外交権と防衛権の行使そのものは国に委ね、精神を生かして発言権だけを確保するにとどめた。しかしそれでも、中央政府の外交権と防衛権の独占にクサビを打ちこむだけでも、日本の外交・防衛の路線を変えるためには非常に有効であろう。
 その場合、沖縄自治州出身の国家議員は、すべてのこの州外交防衛委員会のメンバーとなると同時に、この委員会の決議、あるいは州議会の決議を国会に反映させる義務を負わせるならば、自治州議会における外交・防衛に関する論議が活発になることもあって、実質的に中央政府の外交・防衛政策に関与することになり、外交防衛委員会の有効性はもっと高められるであろう。

非武装中立の原点として
……
 したがってもしも自治州が実現したときには、沖縄はつぎのような非武装宣言をおこなうことになる。第一は、自治州成立後直ちに、日本の自衛隊は本土に引き揚げる。第二に、自治州成立後三年以内に米軍基地を段階的に全面撤去することを、アメリカに要求する。この二点を公約する「沖縄非武装化宣言」を、できれば本土政府と共同で、世界に宣言する。そして自治州は、この非武装化の線にそって、外交防衛委員会を通じて本土政府に、さらにアメリカ政府に働きかけ努力する。これが私の沖縄非武装化宣言への提案である。
 では何故このような提案が必要なのか。まず考えられるのは、非武装化が沖縄自身の希望だからである。

……自衛隊の本土引揚げにはじまる非武装化は、沖縄住民の希望であり、沖縄住民の平和と人権のための必要条件である。
 つぎの理由は、国際政治にかかわる問題であって、沖縄の非武装化が、中国と北朝鮮との友好にあたえる好ましい影響である。……したがって沖縄を非武装化することは、日本の防衛にとっても実害はないし、中国と北朝鮮との友好関係にとって、はかりしれないプラスをうみだすであろう。
 沖縄非武装化を推進する最後の理由も、同じ国際政治にかかわる問題ではあるにしても、実効というよりも非軍国主義化のためのショーウィンドウの役割を期待するものである。

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沖縄―特別県構想(自治労沖縄県本部1981)

沖縄の自治に関する一つの視点―特別県構想(抄)/自治労沖縄県本部/1981年6月


 沖縄の願いは、平和(軍事基地の撤去)と繁栄(経済の自立的発展)である。この願いがアメリカの軍事占領下にあっては「祖国復帰」の一大運動へと凝縮され、一九七二年の「復帰」をもたらしたのであったが、今は、復帰一〇年をむかえ、どれほど実現されたかについては第一編でみたとおりである。それは、「復帰」の事実はまちがいなく存在し、沖縄の「本土化」は生活・文化・社会の各面で急激に進行しつつも、「復帰」を求めた「沖縄の心」は、いまや荒廃の危機に瀕しているといってもよい状況をもたらしている。
 このような状況は、いま「沖縄の心」を心とする人びとのなかにいったい「復帰」とはなんだったんだろうかという真剣な疑問をよびおこしている。その真剣な問い直しを私たちも共通するものであるが、この問いは、あまりにも広範に無限定的でありすぎるように思われる、というのが私たちの見解である。
 私たちは、「復帰」ではなくて、「復帰」時の措置が第四の「琉球処分」となったのではないかという、「復帰」時すでに存在した問いかけを、いまあらためて問い直すことが「沖縄の心」にかない、かつ現実的であると考えるものである。
 このような考え方で、第一編にのべられたことを要約してみると、「復帰」時の本土政府の約束ごとであった「本土並み核抜き」が反故にされ、核兵器と軍事基地の重圧のもとで、主食の米をはじめ生活必需品の圧倒的部分を本土からの移入に依存し、そのうえ連年六%におよぶ失業者を構造的にかかえているという、沖縄の「軍事植民地」的ないしは「内国植民地」的な現状は、沖縄の「復帰」が、沖縄にとってはまぎれもなく祖国復帰であったにもかかわらず、本土政府にとっては第四の「琉球処分」であったということを示しているといってよいように思われる。
 そして、重要なことは、この「処分」が第一次沖縄振興開発計画の策定にあたって、本土政府が表明した沖縄県民の戦中戦後に払った多大な犠牲にたいする「償いの心」をもってなされたところにこそ問題があるということである。いってみれば、この沖縄県民への「償いの心」が復帰一〇年に一兆二、四九二億円にのぼる「沖縄振興開発事業」費を投入させたのであるが、それが沖縄の「本土化」(内国植民地化)をもたらし、「沖縄の心」を、平和(軍事基地の撤去)と繁栄(経済の自立的発展)という沖縄の願いをふみにじり、荒廃させつつあるのである。
 このような状況を改めるために、沖縄は「復帰」時にさかのぼって、「復帰措置」を問い直すことがいまどうしても必要だというのが私たちの基本的な考えである。
 そのこころは、本土政府のいう「県民への償いの心」が償いの心として働くように、制度・機構・政策が展開されてこなかったのではないか、そうだとすれば、償いの心を心とする制度・機構・政策とはいったどのようなものであった筈だし、なければならないかを問う、というところにある。いいかえれば、いまこそ本土政府と国民の沖縄への「償いの心」に信頼して、沖縄の願い−−平和(軍事基地の撤去 )と繁栄(経済の自立的発展)−−が着実に実現されていくような制度・機構・政策を復帰時の措置とその後の経過の反省のうえにたって確立していくということである。これはいわば、第二次復帰運動を「復帰」一〇年をへて、国民ぐるみ、県民ぐるみで展開していくことである。
 そのためには、沖縄の「沖縄の自治」に賭ける運動が燃えあがり、巨大な焔炎となって本土・国民にまで燃えひろがることが必要である。
 この運動の基本的な形態として、私たちは、憲法第九五条にもとづく「沖縄の自治にかんする特別法」の制定運動を提案したい。この特別法について憲法上国民基本権が認められるかどうかには解釈上の疑義があるにしても、政治運動としてはいうまでもなく可能であるし、「本土化」によってバラバラになってきている沖縄の心を現時点でひとつにまとめ、県民ぐるみの運動で沖縄の願いを実現していくための運動形態としては、これはきわめて適切なものがあろうと考えられるのである。この特別法の発案権が国会にあるということもまた、このような県民運動の昂揚を前提としているのであろうし、まして、特別法の制定の成否は当然県民の住民投票にかからしめられているのであるから、この特別法制定運動は憲法上その正当性と妥当性を保障されているということができよう。
 この特別法制定の要求運動は、「復帰」時における沖縄振興開発措置法をはじめとする沖縄開発三法による「復帰措置」が結局のところ沖縄の自治を破壊し、沖縄の願い一平和(軍事基地の撤去 )と繁栄(経済の自立的発展)一をふみにじる結果になったということにたいする反省にたつものであり、沖縄の自治の運動上、制度上の確立なしに沖縄の平和的発展はありえないという現状認識のうえに構想されるものでなければならない。
 したがって、制定されるべき「沖縄の自治にかんする特別法」には、沖縄開発三法に盛り込まれたすべての内容が再点検のうえでもりこまれなければならないことはいうまでもないし、それだけでなく、それら個別法、特措法とは別個の角度から、沖縄に真に憲法上保障された地方自治を確立するための諸要求、諸規定が盛り込まなければならない。この後者は、すでに形骸化された本土の地方自治の再構築にとって大きなはげましともなるであろう。この特別法制定運動が本土・国民にとっても共通の課題なりうる所以である。
 この特別法には、立法技術上の問題や通則的な事頃をのぞいて、以下のような基本的な事項が盛り込まれなければならない。これはすなわち、沖縄の第二次復帰措置、本土政府ペースでいえば第二次沖縄振興開発計画策定にさいしての沖縄の要求その詳細は第三編にのべられる基本であるということができる。

一、沖縄には特別県制をしくこととすること。

(1)特別県は、市町村の連合組織とし、公選の長および公選の議員よりなる県議会をおくこととするほか、市町村長および市町村議会議員よりなる県参事会をおくこととすること。

(2)特別県は、本土の都道府県の有する自主立法権、自主執行権、自主組織権および自主財政権を有することとするほか、沖縄振興開発計画の策定、実施権を有することとする。(同計画の策定、実施権についてはなお後出を参照のこと。)

(3)特別県には、沖縄本島、宮古・八重山の三圏域に各支庁をおき、支庁長および支庁議会をおくこととし、特別県の権限および財源を大幅に支庁に委譲することとすること。

(4)特別県および県内市町村の権限の執行、事務事業の実施にようする経費については、国はその財源を最大限に保障することとすること。この場合、国は地方税、地方譲与税および地方交付税の総額に粗相当する金額を特別県に一括配分し、その配分については特別県の自主性に委ねること。

(5)特別県および特別県内市町村の実施する個別の事業(公共事業等)に要する経費にかかる補助金等については、沖縄振興開発計画にもとづく事業計画につき、毎年度予算編成にあたって特別県および特別県をつうじて関係市町村と協議し、国の特別会計に一括計上することとし、年度当初に特別県に一括交付し、配分はその自主性に委ねること。このため国は沖縄振興開発交付金特別会計を設けること。

(6)・特別県内市町村にたいする国の監督は、特別県を経由しなければならないものとすること。

二、国は、沖縄県民の戦中・戦後に払った多大な犠牲にたいする「償いの心」(第一次沖縄振興開発計画)をもって、ひきつづき10年間につき、第二次沖縄振興開発計画の実施に要する経費を負担すること。

(1)第二次沖縄振興開発計画は、沖縄特別県が策定して内閣に報告し、国会の承認をえなければならないこととする。

(2)沖縄振興開発計画の実施に要する経費に充当するため、地方交付税および補助金等に相当する国の特別会計なる沖縄振興開発交付金のほか、戦後復興期から沖縄復帰までに類似県に投入された財政資金相当分(約1兆4,000億円)および第一次沖縄振興開発計画期間に投入された財政資金相当部分(1兆5000億円)の合計額からなる沖縄振興開発基金を、第二次沖縄振興開発計画第一年度(一九八二年度)に設置すること。このため、国は1982年度において特別公債を発行することとし、その元利償還金は国の沖縄振興開発特別会計の負担とすること。

(3)沖縄振興開発基金は、沖縄の平和(軍事基地の撤去)と繁栄(経済の自立的発展)のためにのみ利用されるものとし、その支出は、特別県議会および特別県参事会の議決にもとづく年度計画にのっとるものでなければならないこととすること。(国の会計検査院の検査に附することは当然である。)

(4)上記の年度計画は、第二次沖縄振興開発計画の実施計画の一部として、とくに以下の事業について規定しなければならないこととすること。

ア、沖縄における資本形成、蓄積を保障するに適切な事業
イ、労働力および技術者の養成に必要な事業
ウ、沖縄における雇用の創出および確保に適する実験・研究開発事業
エ、軍用地として利用されている土地を公有地としての買収、利用にするためにかかる事業
オ、自然環境の保全および健全な活用のための必要な事業
カ、水力、風力、波力および太陽エネルギーの研究開発にかかる事業
キ、その他所期の目的の達成のために必要な事業

(5)沖縄振興開発基金の、本土資本または同関連企業による活用を認めるにあたっては、その活用によって生まれる利益を沖縄に還元蓄積される保障があることを条件とすることができるものとすること。(このことは、同基金の源資を活用してえられた利潤の本土への持ち帰りにさいしては、内国関税としての移出税または移出課徴金の徴収をおこなうこととすることによって、制度上は担保される。)

三、沖縄開発庁は、特別県制の施行後もなお当分の間、内閣における調整その他の事務を処理するとともに、第二次沖縄振興開発計画の実施について特別県を援助するため存置すること。

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琉球共和社会憲法C私(試)案(川満信一1981)

琉球共和社会憲法C私(試)案/川満信一/新沖縄文学81年6号


一、琉球共和社会の全人民は、数世紀にわたる歴史的反省と、そのうえにたった悲願を達成し、ここに完全自治社会建設の礎を定めることを深くよろこび、直接署名をもって「琉球共和社会憲法」を制定し、公布する。
全人民署名(別紙)

琉球共和社会憲法

(前文)
 浦添に驕るものたちは浦添によって滅び、首里に驕るものたちは首里によって滅んだ。ピラミッドに驕るものたちはピラミッドによって滅び、長城に驕るものたちもまた長城によって滅んだ。軍備に驕るものたちは軍備によって滅び、法に驕るものたちもまた法によって滅んだ。神によったものたちは神に滅び、人間によったものたちは人間に滅び、愛によったものたちは愛に滅んだ。
 科学に驕るものたちは科学によって滅び、食に驕るものたちは食によって滅ぶ。国家を求めれば国家の牢に住む。集中し、巨大化した国権のもと、搾取と圧迫と殺りくと不平等と貧困と不安の果てに戦争が求められる。落日に染まる砂塵の古都西域を、あるいは鳥の一瞥に鎮まるインカの都を忘れてはならない。否、われわれの足はいまも焦土のうえにある。
 九死に一生を得て廃墟に立ったとき、われわれは戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。だが、米軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわれは非武装の抵抗を続け、そして、ひとしく国民的反省に立って「戦争放棄」「非戦、非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と、それを遵守する国民に連帯を求め、最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く、淡雪となって消えた。われわれはもうホトホトに愛想がつきた。
 好戦国日本よ、好戦的日本国民者と権力者共よ、好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。

第一章

(基本理念)
第一条 われわれ琉球共和社会人民は、歴史的反省と悲願のうえにたって、人類発生史以来の権力集中機能による一切の悪業の根拠を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する。
 この憲法が共和社会人民に保障し、確定するのは万物に対する慈悲の原理に依り、互恵互助の制度を不断に創造する行為のみである。
 慈悲の原理を越え、逸脱する人民、および調整機関とその当職者等のいかなる権利も保障されない。

第二条 この憲法は法律を一切廃棄するための唯一の法である。したがって軍隊、警察、固定的な国家的管理機関、官僚体制、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し、これをつくらない。共和社会人民は個々の心のうちの権力の芽を潰し、用心深くむしりとらねばならない。

第三条 いかなる理由によっても人間を殺傷してはならない。慈悲の戒律は不立文字であり、自らの破戒は自ら裁かなければならない。法廷は人民個々の心の中に設ける。母なるダルマ、父なるダルマに不断に聴き、慈悲の戒律によって、社会および他人との関係を正さなければならない。

第四条 食を超える殺傷は慈悲の戒律にそむく。それ故に飢えをしのぎ、生存するための生植動物の捕殺は個人、集団を問わず、慈悲の内海においてのみなされなければならない。

第五条 衆議にあたっては食まずしいものたちの総意に深く聴き、慈悲の海浅いものたちに聞いてはならない。

第六条 琉球共和社会は豊かにしなければならない。衣も食も住も精神も、生存の全領域において豊かにしなければならない。ただし豊かさの意味をつねに慈悲の海に問い照らすことを怠ってはならない。

第七条 貧困と災害を克服し、備荒の策を衆議して共生のため力を合わさなければならない。ただし貧しさを怖れず、不平等のつくりだすこころの貧賎のみを怖れ忌避しなければならない。

第二章

(センター領域)
第八条 琉球共和社会は象徴的なセンター領域として、地理学上の琉球弧に包括される諸島と海域(国際法上の慣例に従った範囲)を定める。

(州の設置)
第九条 センター領域内に奄美州、沖縄州、宮古州、八重山州の四州を設ける。各州は適切な規模の自治体で構成する。

(自治体の設置)
第十条 自治体は直接民主主義の徹底を目的とし、衆議に支障をきたさない規模で設ける。自治体の構成は民意と自然条件および生産条件によって定められる。

(共和社会人民の資格)
第十一条 琉球共和社会の人民は、定められたセンター領域内の居住者に限らず、この憲法の基本理念に賛同し、遵守する意志のあるものは人種、民族、性別、国籍のいかんを問わず、その所在地において資格を認められる。ただし、琉球共和社会憲法を承認することをセンター領域内の連絡調整機関に報告し、署名紙を送付することを要する。

(琉球共和社会象徴旗)
第十二条 琉球共和社会の象徴旗は、愚かしい戦争の犠牲となった「ひめゆり学徒」の歴史的教訓に学び、白一色に白ゆり一輪のデザインとする。

(不戦)
第十三条 共和社会のセンター領域内に対し、武力その他の手段をもって侵略行為がなされた場合でも、武力をもって対抗し、解決をはかってはならない。象徴旗をかかげて、敵意のないことを誇示したうえ、解決の方法は臨機応変に総意を結集して決めるものとする。

(領域立ち入りと通過)
第十四条 共和社会センター領域内に立ち入り、あるいは通過する航空機、船舶などはあらかじめ許認可を要する。許認可の条件は別に定める。軍事に関連する一切の航空機、船舶その他は立ち入りおよび通過を厳禁する。

(核の禁止)
第十五条 核物資および核エネルギーの移入、使用、実験および核廃棄物の貯蔵、廃棄などについてはこんご最低限五十年間は一切禁止する。とくにこの条項はいかなる衆議によっても歪曲解釈されたり、変更されてはならない。

(外交)
第十六条 琉球共和社会は世界に開かれることを基本姿勢とする。いかなる国や地域に対しても門戸を閉ざしてはならない。ただし軍事に関連する外交は一切禁止する。
 軍事協定は結ばない。平和的な文化交流と交易関係を可能な限り深めることとする。

(亡命者、難民などの扱い)
第十七条 各国の政治、思想および文化領域にかかわる人が亡命の受け入れを要請したときは無条件に受け入れる。ただし軍事に関係した人間は除外する。また、入域後にこの憲法を遵守しない場合は、当人の希望する安住の地域へ送り出す。難民に対しても同条件の扱いとする。

第三章

(差別の撤廃)
第十八条 人種、民族、身分、門中、出身地などの区別は考古学上の研究的意味を残すだけで、現実の関係性においては絶対に差別をしてはならない。

(基本的生産手段および私有財産の扱い)
第十九条 センター領域内では、土地、水源、森林、港湾、漁場、エネルギー、その他の基本的生産手段は共有とする。また、共生の基本権を侵害し、圧迫する私有財産は認めない。

(住居および居住地の扱い)
第二十条 家屋の私有は基本的には認められない。過渡的措置として先住権のみを定められた期間保障し、居住していない家屋および居住地の所有権は所属自治体の共有とする。法人格所有の建造物は公有とする。居住地内の土地の利用は憲法の理念に反しない範囲で自由とする。

第二十一条 居住地および住居は生産関係に応じて、個人、家族、集団の意志と、自治体の衆議における合意によって決められる。

(女・男・家族)
第二十二条 女性と男性の関係は基本的に自由である。ただし合意を前提とする。夫婦はこの憲法の基本理念である慈悲の原理に照らして双方の関係を主体的に正すことを要する。夫婦のいずれか一方から要請がある場合は、自治体のえい智によってこれを解決する。女・男における私的関係にはいかなる強制も伴わない。夫婦および家族の同居、別居は合意に基づくことを要する。

(労働)
第二十三条 共和社会の人民は児童から老人まで、各々に適した労働の機会を保障されなければならない。労働は自発的、主体的でなければならない。主体的な労働は生存の根本である。

第二十四条 労働は資質と才能に応じて選択し、自治体の衆議によって決められる。

第二十五条 労働が自己の資質において不適だと判断した場合は、自治体の衆議にはかって、自発的、主体的にできる労働を選択することができる。

第二十六条 労働の時間は気候、風土に適するよう定める。娯楽は労働の一環であり、創意と工夫によって、人類が達成したあらゆる娯楽を人民が選択できるよう自治体、州、共和社会のレベルで機会をつくる。娯楽の享受は平等でなければならない。

(信仰・宗教)
第二十七条 過渡的措置として、信教は個人の自由である。ただし、自治体の衆議で定められた共働、教育方針などには従わなければならない。

(教育)
第二十八条 基礎教育は十年間とし、自治体および州の主体的方法にゆだねる。基礎教育には一定の生産活動への実践参加を含める。

第二十九条 特別な資質と才能を必要とする教育は、自治州および共和社会総体の積極的協力によって十分に行わなければならない。専門教育の期間は定めない。入試制度は廃止し、代わりに毎年試験
で進級を決める。

(娯楽)
第三十条 共和社会以外の国または地域で教育を受ける必要がある場合は、自治体、州、共和社会全体の推挙によって人選を決める。

第三十一条 すべての教育費用は共和社会の連絡調整機関でプールし、必要に応じて、均等に配分される。

第三十二条 共和社会の人民は、個々の資質と才能を適切に、十二分に伸ばさなければならない。ただし、資質と才能および教育の差によって、物質的富の分配に較差を求め、あるいは設けてはならない。

(専門研究センター)
第三十三条 各州に専門教育センターを最低一か所設置する。さらに共和社会立として高度の専門研究総合センターの研究員は、各州の専門教育センターの推挙で決める。

第三十四条 各州の専門教育センターおよび共和社会立の専門研究総合センターにおいては、教授と研究生が一体となって、半年毎に研究成果をリポートにまとめ、連絡調整機関へ提出することを要する。

(研究の制限)
第三十五条 総合研究センターにおける研究は基本的に自由であるが、生植動物、物質などを研究対象とし、技術と関連する自然科学領域の研究は、この憲法の基本理念である慈悲の戒律を破らない、と各衆議によって認められた範ちゅうを逸脱してはならない。

(域際間研究の重視)
第三十六条 すべての生産、経済、社会的行為および諸科学の研究にあたっては、自然環境との調和を第一義とする。過渡的な対策として、個別分野の伸展、研究深化よりも域際間の相互調整研究に重点をおかねばならない。

(医師・専門技術職者への試験)
第三十七条 医師その他専門技術職にあたるものは、三年に一回、共和社会の機関が課す資格試験を受けなければならない。

(終生教育)
第三十八条 共和社会の生涯をはじめとする諸組織は終生教育の機関であり、人民はつねに創意をもって学び、自己教育に努めなければならない。

(知識・思想の自由)
第三十九条 知識・思想の探求は人民個々の資質と才能の自然過程であり、従って自由である。ただしその蓄積をもっていかなる権力も求めてはならず、与えてもならない。知識・思想の所産は社会へ還元していかねばならない。

(芸術・文化行為)
第四十条 芸術および文化的所産は共和社会におけるもっとも大事な富である。芸術および文化の領域における富の創造と享受はつねに社会的に開かれていなければならない。創造過程における非社会的な観念領域の自由は抑制したり、侵害してはならない。ただし、社会に還元された所産についての批判は自由である。

(情報の整備)
第四十一条 情報洪水は人間の自然性の破壊につながる。専門研究総合センターでは情報を整備し、憲法の理念にそうよう絶えず努めなければならない。

第四章

(衆議機関)
第四十二条 自治体、自治州、共和社会は直接民主主義の理念からはずれてはならない。衆議を基礎として、それぞれの組織規模に適切な代表制衆議機関を設ける。ただし代表制衆議機関は固定しない。衆議にあたっては勢力争いを禁止し、合意制とする。代表制衆議機関で合意が成立しない場合は、再度自治体の衆議にはかるものとする。

(政策の立案)
第四十三条 各自治体はそれぞれの地域に応じた生産その他の計画を立案し、実施する場合、隣接自治体にもあらかじめ報告し、調整することを要す。その計画が自治体の主体的能力の範囲を超える場合は所属州の連絡調整機関ないしは共和社会連絡調整機関において調整をはかったうえ、主体的に実施し、豊かな社会づくりをめざさなければならない。

(執行機関)
第四十四条 各州および共和社会に連絡調整機関を設ける。連絡調整機関の組織は専門委員会と執行部で構成する。専門委員は各自治体および州、センター領域外に居住する琉球共和社会人民(最低限五人)の推挙と、州立専門教育センターおよび共和社会立専門研究総合センターの推挙する専門家を州および共和社会の代表衆議機関で最終的に人選して決める。各委員会の構成は別に定める。専門委員会は域際調整を十分に行なったうえ、立案し衆議機関へ建議する。衆議機関との調整を経た政策は、専門委員会の監督のもとに執行部で実施される。
 域際調整を経ていない限り、連絡調整機関はいかなる政策も実施に移してはならない。

(公職の交替制)
第四十五条 公職にあたるものは専門委員を除いて、各自治体および州の衆議に基づいて推拳される。公職は交替制とする。その任期は別に定める。自治体および州の衆議によって、不適格と判断された公職者は任期中でも退任しなければならない。任期を終えた公職者の再推挙は認められる。公職者は要務以外のいかなる特権も認められず、また求めてもならない。

(条例・内法などの扱い)
第四十六条 各州および各自治体に残存する慣例、内法などはとくに慎重に吟味し、祖先たちのえい智を建設的に活かすことを要する。

(請願・公訴)
第四十七条 個人および集団がこの憲法の基本理念である慈悲の原理に照らして、不当な戒を受けたと判断する場合は、所属自治体の衆議開催を要求し、戒を解くことができる。所属自治体の衆議が分かれた場合は、近接自治体の衆議にはかり、未解決の場合は自治州の衆議にはかる。自治州の衆議が分かれた場合は共和社会の総意によって決める。

(司法機関の廃止)
第四十八条 従来の警察、検察、裁判所など固定的な司法機関は設けない。

第五章

(都市機能の分散)
第四十九条 集中と拡大化を進めてきた既存の都市的生産機能は、各州および自治体の単位に向けて可能な限り分散する。この目的を達成するために生産と流通の構造を根本的に変え、消費のシステムを再編成しなければならない。

(産業の開発)
第五十条 生態系を攪乱し、自然環境を破壊すると認められ、ないしは予測される諸種の開発は、これを禁止する。

(自然摂理への適合)
第五十一条 技術文明の成果は、集中と巨大化から分散と微小化へ転換し、共和社会および自然の摂理に適合するまで努力することを要す。自然を崇拝した古代人の思想を活かさなければならない。

(自然環境の復元)
第五十二条 すでに破壊され、あるいは破壊されつつある自然環境は、その復元に向けてすみやかに対策を講じる。各自治体は自然環境の破壊に厳密な注意を払い、主体的に復元をはからなければならない。復元にあたって、一自治体の能力を越える場合は、近接自治体とはかり、さらに州および共和社会の連絡調整機関にはかって人民の総意と協力によって目的を達成するものとする。

第六章

(納税義務の廃止)
第五十三条 個人の納税義務撤廃する。

(備荒)
第五十四条 備荒のための生活物質は個人、家族、集団にそれぞれ均等に配分し、それぞれの責任において蓄える。一定量を自治体および州の連絡調整機関において蓄えるものとする。
 いかなる組織および機関も定められた備荒用の物資の量を越えて富の蓄積をしてはならない。
 定量を超えた場合は供出し、交易品とする。

(商行為の禁止)
第五十五条 センター領域内における個人および集団、組織などの私的商行為は一切禁止する。共和社会人民間の流通はすべて実質的経費を基準にして成立させる。

(財政)
第五十六条 財政は琉球共和社会の開かれた条件を利用して、センター領域内の資源を生かし、またセンター領域外の共和社会人民と合携えて、従来の国家が発想し得なかった方法を創造しなければならない。

 ここに定められた理念、目的、義務を達成するため、琉球共和社会人民は献身的な努力と協力をはかる。

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琉球共和国憲法F私(試)案(仲宗根勇1981)

琉球共和国憲法F私(試)案/仲宗根勇/新沖縄文学81年6号


一 数世紀にわたり中国、日本及び米国の封建的、帝国主義的支配のもとに隷属させられ、搾取と圧迫とに苦しめられたわれら琉球共和国の人民は、今回困民主義革命(註一)の世界的発展の中に、ついに多年の願望たる独立と自由を獲得する道についた。

二 われら琉球共和国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の静穏を保障し、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために、困民主義諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって、四たび戦争の惨禍が起こることのないようにすることを確保する目的をもって、琉球共和国のために、この憲法を制定する。

三 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、困民主義革命の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、地球連合政府を形成し、人類存続をはかろうとする各国の責務であると信ずる。

四 琉球共和国の人民は、共和国の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。(註二)

五 この憲法は、地球連合政府が樹立され、わが琉球共和国がその連合体に参加する日の前日において自動的に失効する。

基本原理

第一条 共和国は、労働と愛に基礎を置く困民主義的共和国である。
 主権は、労働と愛に生きる困民に属する。
 困民は、この憲法の定めるところにより、主権を行使する。

第二条 琉球弧を形成する諸島嶼をもって、琉球共和国の可視的領土とし、ニライカナイの地をもって精神的領土とする。(註三)

第三条 一 琉球共和国は、奄美州、沖縄州、宮古州、八重山州及びその余の周辺離島からなる、分権主義を基調とする連合国家である。
 二 周辺離島に居住する共和国の人民は、その欲するところにより、いずれかの州に帰属しあるいはそれから離脱する自由を有する。

第四条 琉球共和国は、その連合国家内の各州の自治権力の行使を妨げてはならない。

第五条 琉球共和国各州が共和国から離脱し、または既存の州の管轄内に新しい州を形成もしくは創設し、または二個以上の州もしくはその一部たる諸地方が合併して一州を形成することは、当該地域を構成する地方困民固有の権利である。

第六条 伝統的琉球語、その他共和国内で通用している言語の使用は任意である。官憲の行為および裁判事務についてのみ、法律を以って、公用語を定めることができる。琉球語と日本語を公用語とする。

第七条 琉球共和国の連邦国旗は、黒・赤・白である。

第八条 諸国民の平和的共同生活を妨害するおそれのある、あらゆる名目や形態の戦争を準備する一切の行為は、違憲である。このような行為は処罰されなければならない。
 戦争に使う目的またはそれに転用可能の核兵器、化学兵器、ガス・生物兵器の実験、製造、運搬、貯蔵、廃棄を取り決める共和国政府あるいは私人の行為は、共和国人民の絶対無制限の抵抗の対象となる。この抵抗権の発動は神聖なものであって、そこから生ずる一切の行為は、正当行為として、法律や裁判の関与しうるところではない。

第九条 何人も、琉球共和国の人民となり、また琉球共和国から離脱する自由を有する。

(註一)困民主義とは、今回の琉球共和国成立の動因となった革命の指導的思想。民主主義革命の歴史的任務の終了、それに打ち続いた社会主義革命の官僚制国家資本主義的堕落という歴史的現実を踏まえ、旧くはアナルコ=サンジカリズム、そして、社会主義国家連合軍によって圧殺された一九八〇年代ポーランド労働者運動の歴史的痛憤を背負って、人民の参加と自主管理によって、“無政の郷”を樹立しようとする歴史哲学にほかならない。
 なお附言すれば、「困民」なる語は、第三次世界大戦後の現今、米国及びソヴィエト=中国連合国によって併呑消滅せしわがかつての兄弟国“日本”の国権がいまだ安定せざりし明治一七年、秩父の谷間から蜂起した秩父困民党に由来すると説く説もあるが、かなり少数説。
(註二)地球連合政府の構想は、かつての国連連盟や国際連合のような、権限の弱い国際機関ではなく、「人類みな兄弟」というたぐいまれなる人類愛に基づき、従来の諸国家を、ひとつの人類政府へと形成するブント組織であることに特色を有する。
 しかしながら、地球連合政府の運命は、現在なお頑強に抵抗を続けている非困民主義諸国における困民主義革命の成否にかかっている。困民主義革命の先進国たる、わが琉球共和国は、地球連合政府が産声をあげる日まで、とりあえず、一国形態的な本憲法を制定するが、それは、あくまで暫定的なものであって、地球連合政府に参加するとの共和国人民の意思の確定があれば、何らの改廃手続きを要せず、失効するものであることを規定したもの。
(註三)琉球共和国は、開かれた連邦国家である。ゆえに、その理想とするところは、“国境”というものを廃絶し、すべての国家、すべての民族が、「人類みな兄弟」として、地球連合政府を形成するにある。だが、本項のように、琉球共和国の主権の及ぶ範囲を定めることは、即ちみずから“国境”という垣根を造営することにほかならず、このことは、右にのべたわが共和国の国家理想=国家目的に背馳する。従って、本条項をおこした合理的理由は存しないように思えるが、(註二)で述べたとおり、共和国憲法自体が地球連合政府が成立するまでの暫定的なものであり、本条項によって共和国の主権の及ぶ地理的範囲を定めることは、その間の侵略主義を国家的に否定する論理的効果があり、その限りで、積極的意味を持つと言えよう。
 なお、可視的領土のほかに、ニライカナイという、地理学上確定しえない、そのあたりとか、その辺とかという空漠たる空間概念をもって、不可視の領土としたのは、可視的と観念されている“国境”そのものが、実は、人間によって、人工的に線引きされたインチキ体であって、その実質は、ニライカナイと同じくその辺とかそのあたりとかという程度の曖昧模糊たるものでしかないということを、逆照射する働きをしている。

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生存と平和を根幹とする「沖縄自治憲章」(玉野井芳郎1981)

生存と平和を根幹とする「沖縄自治憲章」(案)/玉野井芳郎/地域主義からの出発1990所収

生存と平和を根幹とする「沖縄自治憲章」(案)

 われわれは、沖縄に生きる住民、沖縄に生きる生活者として、自治、自立を目ざす理想および権利を有する。その理想および権利は、琉球弧の温帯的、亜熱帯的かつ島嶼的な絶妙の自然環境を背景に“守禮之邦”に象徴される非暴力の伝統と平和的な地域交流の歴史とに、深く根ざすものである。
 われわれは、第二次大戦下の沖縄戦において、軍民混在の国土戦とは、いかなるものであるかを身をもって体験した。それは、まさしく悲哭の一語につきるものであった。また、われわれは、戦後米軍の占領下に、人間としての自由と権利を拘束され、言い知れぬ苦難を経験した。
 われわれの平和への希求は、かくて生まれるべくして生まれた。しかし、われわれが平和の実現を目ざす今日の世界は、自然生態系の荒廃と地球的、さらに宇宙的規模での核の脅威によって、重大な危機に瀕している。わが国の最南端にあって、現在巨大な米軍基地を抱えるここ沖縄において、この危機はきわめて深刻である。
 沖縄の戦後の歴史、とりわけ復帰運動および平和運動の歴史を踏まえて、日本国憲法および本憲章が定める権利を拡大、充実し、これを永く子孫に伝えることは、われわれ沖縄住民の責務である。ここにわれわれは、生命と自然の尊重の立場を宣明し、生存と平和を根幹とする「沖縄自治憲章」を制定して、年来の自治・自立の理想と目的の達成を心に誓う。

第一章 沖縄の自治

(住民主権)
 第一条 沖縄における自治体のすべての権限は、沖縄に生きる住民に由来し、そのもたらす福利は、沖縄住民が享受する。

(自治権)
第二条 われわれ沖縄住民は、最高の意思決定者として自治権を享有し、その生存と平和のために、自治体を組織する。
 自治体は、沖縄住民の自治権を尊重し、その拡充のために、最大の努力を払わねばならない。

(参加する権利)
第三条 沖縄住民は、地域の自治行政に参加する権利を有する。
 沖縄住民は、地域に関する問題につき、有権者総数の十分の一以上の連署をもって、自治体の長に対し、住民投票を行なうことを要求することができる。自治体の長は、住民投票の結果を尊重しなければならない。
 沖縄における各地域の住民は、その地域の利害に関する問題につき、自治体の長に対して、住民集会を開くことを要求することができる。自治体の長は、住民集会の意思を尊重しなければならない。.
 自治体は、地域住民の意思が、最大限に自治体行政に反映されるように、行政手続きを定めなければならない。

(知る権利)
.第四条 沖縄住民は、地域の主権者として、必要な自治体行政に関する情報を請求し、利用する権利を有する。
 自治体は具体的かつ積極的な方法により、自治体行政に関する情報を住民に提供するよう努めなければな
 い。
 自治体行政に関する情報は、公開を原則とする。情報管理に関する細則は、別に定める。

(プライバシーの権利)
第五条 何人も、私的事項を侵害されず、且つ自己に関する情報をみずから統制する権利を有する。自治体における個人情報の処理は、前項に定める権利を侵害しないよう、厳重に管理されなければならない。

第二章 沖縄の生存と平和

(権利の享有)
第六条 沖縄住民は、日本国憲法および本憲章が定める権利を享有する。あらゆる社会的関係において、両性は対等でなければならない。
 沖縄に在住する外国人は、基本的人権の享受を妨げられない。

(シマの生活)
第七条 自治体は、沖縄の社会的基層であるシマ(字、区)の生活文化と自治を損なわないように細心の注意を払わなければならない。

(地域文化)
第八条 自治体は、沖縄が歴史的に独自の文化を創造し、日本文化において、重要な地位を占めていることに鑑み、この地域の文化を積極的に保護し、育成しなければならない。
 学校教育および社会教育は、ともに地域の文化と環境を基礎として、実施されなければならない。

(生存権の保障)
第九条 沖縄住民は、健康で快適な生活を営む権利を有する。自治体は、この権利の実現について積極的に努力する責務を負う。
 心身に障害を持つ者、老人、子供、その他社会的、経済的に恵まれない住民が、安心して生活する権利を保障することは、自治体の責務である。

 (相互扶助と共同性)
第十条 相互扶助と共同性は、沖縄の民衆の伝統的特徴であり、沖縄の生活環境および住民の生活権は、この伝統の上に築かれねばならない。

(自然の共有)
第十一条 沖縄の自然は、住民共有の財産であり、その利用にあたって、濫開発は決して行なってはならない。
 何人も、沖縄の自然を汚染してはならない。沖縄住民および自治体は沖縄の誇る自然環境、生活環境および地域文化環境を良好に維持し、または改善するため、積極的に努力する責務を負う。
 われわれ沖縄住民は、廃棄物の排出と処理に最大限の注意を払い、水と緑の豊かな自然環境をつくりあげていくよう努めなければならない。
 入浜権と水利権は、相互扶助と共同性の伝統に基づき、かつ沖縄の自然環境にそなわる固有の慣行的権利として、確認されなければならない。
 沖縄住民は、日照、通風、静穏、眺望、および地域の文化環境に関する環境権を有する。

(平和的生存権と平和的地域交流)
第十二条 何人も、みずからの自由を守り、あらゆる恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有する。自治体は、諸島嶼の住民相互の交流を推進し、平和に生きる住民相互の生活と文化の向上をはかるために、交通、通信体制の整備に努力を払わなければならない。

(平和主義)
第十三条 沖縄住民は、永久絶対の平和を希求し、自衛戦争を含むあらゆる戦争を否定し、沖縄地域において、戦争を目的とする一切の物的、人的組織を認めない。
 沖縄地域において、核兵器を製造し、貯蔵し、または持ち込むことを認めない。また核兵器の搭載可能な種類の鑑船、航空機の寄港および海域・空域の通過を認めない。

 (非核・平和の日)
第十四条 自治体は、戦争犠牲者の霊を慰め、恒久平和を確立する誓いの日として“非核・平和の日”を定め、人間の尊厳および非核・平和の思想の普及に努めなければならない。
 沖縄住民および自治体は、生存と平和をつくり、確保するために、具体的かつ積極的に経行動する責務を負う。

(平和的生存権を確保するための諸権利)
第十五条 沖縄住民は、平和的生存権を具体的に確保するために、次に掲げる諸権利を有する。
 一 軍事目的のための表現自由の制約を拒否する権利
 二 軍事目的の財産の強制使用、収用を拒否する権利
 三 軍事目的のための労役提供を拒否する権利

第三章 憲章の保障

(最高規範)
第十六条 この憲章は、沖縄における最高規範であり、あらゆる条例、規則は、この憲章に適合しなければならない。国の法令を解釈する場合は、この憲章に背反することのないよう努めなければならない。

(審査委員会)
第十七条 この憲章を保障するために、審査委員会を置く。審査委員会は、一切の条例・規則または自治体の行為が、この憲章に適合するか否かを点数検査し、全住民に、その結果を公表する権限を有する。
 審査委員会の組織および運営に関する事項は、別に定める。

(抵抗権)
 第十八条 この憲章によって保障された基本権が、国および自治体の行為によって侵害されたときは、住民は、これに対し抵抗する権利を有する。
 自治体の自治権が国の行為によって侵害された場合は、自治体は、これに対し抵抗する権利を有する。

 〔附則〕 この憲章は 年 月 日から施行する。

〔解説〕 玉野井芳郎先生が沖縄に来て三年目の一九八一年の春、先生の呼びかけで、県内の政治学・憲法研究者で自治体憲法の研究会がもたれた。研究会は自治体憲法の意義、可能性、先例、規定すべき内容と研究を重ね、「沖縄自治憲章(基本条例)案」を作成した。そこでは、先生の地域主義を現行の憲法・地方自治法などの枠組みの中で条例化することに工夫が払われた。
 玉野井先生は研究会自体にはそれほど出席しなかったが、研究会の案を見ると、その強い影響下で作成されたことがわかる。先生は、この案を自ら主宰する沖縄「地域主義」集談会で討議し、さらに東京の憲法学者の意見を徴するなど四年間練ったうえで、全文に手をさらに加え、前文を書き加えた。八五年の春である。作成の過程で、下書きを若手研究者が行なっているが、内容的に先生の作品といってよい。沖縄県内においては「平和をつくる沖縄百人委員会」や自治体関係者の間で読まれたが、一般に公表されるのは今回がはじめてである。
 なお、このころの沖縄では、「琉球共和国憲法」(『新沖縄文学』四八号)が発表され、自治労が沖縄特別県制の構想を打ち上げている。三者の間に直接の関係はないが、復帰10年目を節目にして、沖縄の自治のあり方を見直そうとする時期であったのである。(仲地博・琉球大学教授)

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