伊東佛現寺/佛現寺輪番八ヶ寺

伊東佛現寺宝塔

伊豆伊東佛現寺宝塔:
昭和52年建立、高さ17.5m、径5.3m、RC造、屋根銅板葺。
大型塔であるが、細部は簡略化され、聊か風情を欠く。
本尊・釈迦、日蓮上人、聖徳太子。
相輪部は題目柱とする。

2011/10/30撮影:
伊東佛現寺宝塔1
伊東佛現寺宝塔2
伊東佛現寺宝塔3:左図拡大図
伊東佛現寺宝塔4
伊東佛現寺宝塔5
伊東佛現寺宝塔6

佛現寺概要

海光山と号する。日蓮上人開基、日昭上人開山とする。
弘長元年(1261)日蓮上人伊豆川奈に配流。
当地伊東の地頭伊東八郎左衛門は難病に悩み、占いにより、上人を川奈から伊東に移す。
伊東に遷った上人が熊野権現に祈請したところ、八郎左衛門の病気が平癒し、八郎左衛門は日蓮に帰依する。
しかしながら、伊東八郎左衛門は幕府を憚り、上人を伊東氏が鬼門除けに建立した毘沙門堂に入れ、日蓮上人はこの堂にて3年を過ごす。
廣宣寺のサイトでは 以下のように説く。
 貞治元年(1362)日教上人(日興上人法脈)伊東の毘沙門堂跡を巡拝し、ここに一宇を建立し、これが仏現寺の始まりと云う。
 土地の人々は日蓮上人謫居の地に塔を建て5つの精舎を造ると云う。
 大行寺・妙照寺(妙昭寺)・蓮昌寺(蓮正寺)・龍仙寺・廣宣寺の五ヶ寺で、共に伊東山と号し、輪番で護持にあたる。

  ※但し、龍仙寺とは不詳。
「日蓮宗の本山めぐり」では以下のように説く。
江戸末までは「惣堂」(草堂)とも呼ばれ、近隣の日蓮宗寺院が輪番で惣堂を護持する。
輪番は当初次の5ヶ寺で運営される。
 佛光寺(大光山本圀寺末、八郎左衛門邸宅跡と云う)、妙照寺(玉沢妙法華寺末)、大行寺(身延久遠寺末)、妙法寺(中山法華経寺末)、 法船寺(池上本門寺末)
後に次の3ヶ寺が輪番に加えられ、8ヶ寺となる。
 妙隆寺(京都妙満寺末)、蓮正寺(北山本門寺末)、廣宣寺(西山本門寺末)
明治維新で輪番制は廃止される。
明治8年の火災、大正12年の関東大震災で堂宇を失うも、その後漸次復興する。

◆佛現寺伽藍

○佛現寺山内堂塔配置と輪番八ヶ寺位置

佛現寺伽藍・輪番八ヶ寺位置図:左図拡大図

妙隆寺及び廣宣寺参道の中間に仏現寺参道があり、仁王門に至る石階の脇に題目碑がある。
石階途中に妙昭堂(実際は最上位妙昭稲荷大明神と記す幟の立つ小宇である)があり、石階を登ると仁王門に至る。
仁王門から常経堂・御草庵毘沙門堂(紫雲殿)・釈迦本佛殿が一直線に並ぶ。
仁王門と常経殿の間に南側に妙昭寺歴代墓所・鐘楼・仏現寺歴代墓所・石造法華経法塔が並ぶ。
鐘楼と石造法華経法塔の間に石階があり、それを登ると本堂・庫裏・客殿・宝塔などの並ぶ伽藍地に至る。

2011/10/30撮影:
 伊東佛現寺題目碑1:右は佛現寺参道石階      伊東佛現寺題目碑2:右 には妙昭堂が写る
 伊東佛現寺仁王門:天保2年(1831)の建立
 伊東佛現寺常経殿
 伊東佛現寺毘沙門堂1     伊東佛現寺毘沙門堂2     伊東佛現寺毘沙門堂3     伊東佛現寺毘沙門堂4
 佛現寺釈迦本佛堂1       佛現寺釈迦本佛堂2
 佛現寺御草庵跡:常経殿、毘沙門堂、釈迦本佛堂が並ぶ。石塔は法華経塔。 何れも昭和40年建立。
 毘沙門堂・釈迦本佛堂:宗祖伊豆法難700年記念の建立
 佛現寺鐘楼:天保3年(1832)建立
 佛現寺本堂1             佛現寺本堂2:昭和27年建立か
 佛現寺・妙昭寺歴代墓所:向かって左から妙昭寺歴代墓所、鐘楼、佛現寺歴代墓所
 佛現寺歴代墓所      妙昭寺歴代墓所

輪番八ヶ寺
  
写真は2011/10/30撮影:

佛光寺(大光山本圀寺末、八郎左衛門邸宅跡と云う)
「史跡と文学散歩」(小冊子)では以下の記事がある。(Webにも同文の掲載がある。)
 日蓮に伊東八郎左衛門の病気をなおす為の祈祷を頼んだのは伊東家の家臣の綾部正清だといわれる。
その正清が主人八郎左衛門の館跡を寺として、八郎左衛門に日蓮上人の法号を贈って開山としたのが、現在の仏光寺であると言われている。宗門の間では何時の頃からか八郎左衛門のことを伊東朝高と呼んでいたので伊東朝高屋敷跡とも呼ばれている。
境内には伊東八郎左衛門朝高の墓と綾部正清の墓もある。
 八郎左衛門は病気がなおった感謝の気持ちをこめて、一体の仏像を日蓮に贈った。
この仏像は、それ以前に伊東の漁師の網にかかって海中から出現した釈迦仏だということで、日蓮が一生片時もはなさずに大切にしたといわれ、今も宗門の宝として京都の寺にまつられている。
海から出た仏にちなんで仏光寺の山号を海上山と言い、仏現寺の山号を海光山と言うのである。
境内にある六角の本仏堂は、海中の仏像を網によって引きあげた漁師の子孫であるという伝承を持つ鈴木鶴松の寄贈になるもので、仏教学者でチベット探検家としても名高い河口慧海の書などもあり、市内では珍しい六角堂である。
 佛光寺入口石碑1     佛光寺入口石碑2     佛光寺本堂     佛光寺六角堂
  ※写真は夕暮・降雨で何れも不鮮明

妙昭寺(玉沢妙法華寺末・妙照寺)
消息不明、地図上では佛現寺付近に確認ができない。
但し、佛現寺参道石階を登り始めてすぐに近年のものと思われる粗末な妙昭堂(佛現寺の表記)と云う小宇があるが、実際は最上位妙昭稲荷大明神と記す幟が立ち、鳥居を構える。小宇には人が住む様子もあり、この現状と佛現寺との関係は不明(未確認)である。
一方佛現寺境内には佛現寺歴代墓所と並んで妙昭寺歴代墓所(歴代住職名を刻む石碑もある。)があり、以上なども勘案すると既に退転したので、佛現寺境内に歴代墓所が移設されたのであろうか。
退転したとすれば、屋敷跡は今の妙昭堂にある場所か、あるいは全く別の場所なのであろうか。
開山は六老僧日昭上人、17世日安は天狗退散の祈祷をなすと伝える。是真(日祥・尊教ち・智禅院)は幕末-明治初頭の人で、歌を詠み、天保9年伊東妙昭寺住職となるとの情報があるが、墓所の歴代碑にはその名がない。
 佛現寺妙昭堂     妙昭寺歴代墓所:上に掲載      妙昭寺歴代聖人碑:歴代墓所にある
2013/11/08追加:
○妙昭寺の消息(移転):K.G氏調査作成「日蓮宗移転寺院一覧(Excel)」2013/11版 より
肥前鳥栖に恵日山妙昭寺(佐賀県鳥栖市桜町1485−2)がある。玉澤(経王山)妙法華寺末といい、昭和期設立と云う。
九州唯一の玉沢末であり、未確認であるが、仏現寺輪番妙昭寺が移転したものと推測される。

大行寺(伊東山と号す、身延久遠寺末)
 大行寺入口     大行寺本堂

妙法寺(中山法華経寺末)
 妙法寺本堂

法船寺(池上本門寺末)
 法船寺本堂1     法船寺本堂2

妙隆寺(延壽山と号する、京都妙満寺末、昭和55年本堂再建)
 妙隆寺題目碑     妙隆寺本堂

蓮正寺重須本門寺直末)
 蓮正寺俯瞰     蓮正寺本堂

廣宣寺(恵日山と号す、西山本門寺末)
 廣宣寺本堂


2011/11/15作成:2013/11/08更新:ホームページ日本の塔婆日蓮の正系