山口玄洞(1863-1937)
- 文久3年(1863)尾道にて出生。
- 16歳で大阪に出る。19歳で「山口 商店」を興業。
※洋反物を取り扱う。
- 34歳で山口家4代の家名を継ぐ。
- 大正6年(1919)株式会社「山口商店」に改組。この年実業界より引退。
- 昭和12年(1937)73歳の生涯を閉じる。
- 墓所は京都大徳寺山内龍翔寺。
なお出身地尾道西国寺には分骨がある。
(2003/04/15:(株)山口玄様から墓所についての誤りをご指摘があり、訂正)
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- 醍醐寺大伝法院本堂(大講堂、弁天堂、鐘楼、地蔵堂、日月門、阿闍梨寮、伝法学院、大林泉・・・昭和5年)、神護寺金堂、延暦寺阿弥陀堂(昭和12年)、上高野栖賢寺(金鳳閣を含む)、勧修寺大悲閣、大徳寺龍翔慈本堂等
100棟に近い堂塔を各地の名刹に寄進。
- 塔婆関係では
遠江方広寺三重塔(三重塔・大客殿新築)・・・大正12年
比叡山延暦寺横川根本如法塔(多宝塔)・・・昭和元年
安芸仏通寺(多宝塔新築・十一面観音像奉納・聖観音像建立)・・・昭和2年
京都神護寺(多宝塔・金堂・龍王神堂新築)・・・昭和9年
の4塔である。 塔本体ではないが、
大和吉野如意輪寺多宝塔の本尊須弥壇
の寄進もある。
設計は全て安井楢次郎氏による。
- その他医療・教育方面にも多くの寄付を行ったとされる。
2006年以前作成:2019/10/13更新:ホームページ、日本の塔婆
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