強化合宿、新チーム練習、冬の練習……PLでは、この3つを「3大名物」と呼んでいる。
想像を絶する程のハードな練習をすることで、内外に名が通っているシロモノだ。
特に、「新チーム練習」は暑さとの戦いでもあったので、かなりきつかった。
この年は、梅雨明け日が特定されない異常な夏で、記録的な冷夏だったとはいえ、激しいトレーニングをする身には、暑いものは暑いのだ。
脱水症状を防ぐために、顔を洗うふりをして水を口にふくんだり、トイレの水を飲んだりしたこともあった。
秋季大会は、意外に早く始まる。それに合わせて、急ピッチでチームを仕上げなければならないため、遅くまでみっちり練習をした。
チームも1、2年生だけになり、メンバーに入れるチャンスが増えたので、全員必死になってアピールしていた。
僕はおもにセカンドだったが、内野ならどこでも守ることができた。
「試合には出させてもらえなくても、もしかしたらベンチに入れさせてもらえるかもしれない……」
そういう淡い期待を胸に秘め、リタイアしないよう、なんとか食らいついていった。
8月中旬から練習試合が組まれた。
大会などでは18人しかベンチに入ることはできないが、まだまだ能力の見極めができていないので、23人くらいの選手がベンチに入った。
逆に言えば、この時点でベンチ入りしておかないと、秋のメンバーに選ばれる可能性はゼロに等しいということだ。
かろうじて最初の練習試合はベンチに入れさせてもらえたが、まだまだ安心できる状態ではない。
そんなわけで、初めて袖を通したPL学園のユニフォームも、どんな感触だったかは正直覚えていない。それくらい切羽詰まった状況だった。
試合で結果を残さなければならないし、出る機会がなければ即用済みというレッテルを貼られたようなものだ。日を重ねるごとに、脱落者が増えていった。
アピールの場は、試合だけではない。練習のときも、多少無理をしてでもやらなければ、一瞬でチャンスを失ってしまう。
毎日緊張の連続だった。
僕の肩に激痛が走ったのは、そうした緊張状態での練習中のことだった。
いつものようにウォーミングアップをして、キャッチボール……その1球目を投げたとき、今まで味わったことのない痛みが右肩を貫いた。
僕は、スーっと血の気がひいた。
「なんやねん、こんなときに……。なんとかバレへんようにせんと、メンバーから外される……」
しかし、痛みを誤魔化しながらプレーできる状態ではなかった。
その日から即刻、メンバーを外された。全身の力が抜けていくのを自覚した。
病院には行かなかったが、おそらく連日のバッティングピッチャーで炎症をおこしていたのだろう。1日経つと、肩の痛みは治っていた。
体が万全だったとしてもメンバーに入れたかどうかはわからないが、悔いの残る出来事だった。
メンバー発表の日、僕の名前は呼ばれなかった。その一方で、1年生からは4人がメンバーに入った。
僕は実質、3軍から2軍に上がっただけだった。
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