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20.優勝で飾った秋の近畿大会

寮生活の雰囲気が変わった

新チームになったら、寮生活にも変化があった。
今まで3年生の洗濯をしていたのが、今度は2年生の付き人の方の洗濯をすることになったのだ。
仕事の量は結局変わらないが、禁じられていた決まりごとが徐々に緩和されるようになり、気分的には楽になった。
部屋でお菓子を食べることも、ウォークマンを聴くことも、できるようになった。世間からすれば「そんなことで」と思うかもしれないが、僕らにとっては大進歩で、飛び跳ねたくなるくらい嬉しかった。
3年神様、2年平民、1年奴隷
耳にタコができる程、そう言い聞かされ続けててきた。
なるほど、その神様的な存在の3年生が現役をあがったのだから、寮生活の雰囲気がかなり変わったのもうなずける。

近畿大会優勝でセンバツ当確

8月下旬ごろから秋季大会が始まった。
半年以上も先にある春のセンバツに向けての選考を兼ねた大会である。
負けられない戦いが、また始まる。大阪で3位以内に入らなければ、センバツへの道は閉ざされ、気の遠くなるような冬を過ごさなければならないからだ。
メンバーに入れなかった悔しさは残っていたが、長い冬の猛練習はごめんだ。精一杯の応援をした。
1回戦から順当に勝ち上がり、準決勝大阪産業大付属決勝北陽高校を破り、大阪大会を制した
大阪1位で望んだ近畿大会
ここでも他を寄せ付けず、大阪大会と同じカードとなった決勝戦でも、北陽高校に快勝し、近畿大会優勝。2年ぶりのセンバツ出場が当確した。
嬉しかったが、センバツについては、まだまだ先のことなので実感がわかなかった。ただ、センバツ出場が決まっている年と決まっていない年とでは、冬の練習の内容が変わると聞いていたので、正直ホッとした気持ちは大きかった。

野球環境は整っても気はそぞろ

入寮当初から考えると、だいぶ野球ができる環境にはなっていた。
1年生の自主練習も解禁になっていたし、グラウンドでも全員が同じメニューで練習をやらせてもらえていた。
それでも、なんとなく気が晴れなかった。
野球ができて嬉しいはずなのに、何かがもの足りないのである。
やはり、メンバーに入っていないもどかしさが、そうさせていたのだろう。
この時期は、気持ちに張りがなかったように思える。
そんな折、サッカーW杯アメリカ大会アジア予選で劇的なことが起こった。
時は10月28日、世にいう「ドーハの悲劇」だ。
もちろん、日本代表がW杯に行けなかったことは、めちゃめちゃ悲しかった。
ただ、別の観点で見ると、ロスタイム終了間際に同点に追いついたイラクのあきらめない執念に、僕は今の自分に足りない何かを学んだような気がした。

年末年始の「帰省」が心の支え

季節は、秋から冬になろうとしていた。
野球部の休みは、年末年始だけ。それ以外の休みはない。
その代わり、年末年始は2週間程の休みがあった。だから、それを心の支えとしている人も多かった。
PLでは、この年末年始の休みを「帰省」と呼ぶ。
「帰省まであと何日」
カレンダーでのカウントダウンは、誰もがしていた
入寮直後から始めている者もいた程だ。
「帰省まで250日……249日……」
彼はかなりの寂しがり屋だったが、いくらなんでも気が早すぎである。

21章につづく

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