第37番藤井山 五智院岩本寺(いわもとじ)
             

                    岩本寺近辺地図
                 
                             JR窪川駅から 徒歩約15分

                             岩本寺境内 配置図
                            

       
                   
                                 第37番 岩本寺 仁王門

                            
                                    岩本寺 本堂                        

             
                                  岩本寺 内陣天井画

                  
                          御本尊                   納 経

 山 号   藤井山
 院 号  五智院
 寺 号  岩本寺(いわもとじ)
 本 尊  不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩 
 開 基  行基菩薩
 宗 派  真言宗智山派


                住  所  〒786−0004 高知県高岡郡四万十町茂串3−13
                        電 話  (0880)22−0376

        御真言 一ノ宮 のうまく さんまんだ ばざらん せんだ まかろしゃだ そわたや 
                   うんたらた かんまん
             二ノ宮 おん あろりきや そわか
             中ノ宮 おん ありみた ていぜい からうん 
             四ノ宮 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
             森ノ宮 おん かかかび さんまえい そわか
        
御詠歌  六つのちり 五つの社 あらわして 深き仁井田の 神のたのしみ

  岩本寺略縁起等(抜粋)
  聖武天皇の勅願を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地
より西約3kmの付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられている。末寺七
ヶ寺を持つ福圓満寺が前身とされる。
仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。

  弘法大師は、弘仁年間(810〜823)に、この寺を訪れ、一社に祀られていた仁井
田明神の御神体を五つの社に別け、それぞれの社に、不動明王像・観音菩薩像・
阿弥陀如来像・薬師如来像・地蔵菩薩像を本地仏として安置された。
大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺は、七ヶ寺と合
せて十二福寺、また仁井田明神は、仁井田五社と呼ばれていた。

  天正時代に、兵火により寺等は焼失し、一時衰退する。
再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(岩本坊)に、
寺の法灯、別当職は遷され、継承される。

  戦国、江戸時代には、藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として
隆盛を誇っていた。

  明治3年の廃仏毀釈令により、一時廃寺となっていたが、明治23年に再興された。
再興には、苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍が整備され、現在に至っ
ている。


         
       
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