第8番普明山 真光院熊谷寺(くまだにじ)
      

                  熊谷寺近辺地図
               
                      JR鴨島駅 JRバス 山手線で市場・穴吹行き   約20分
                              熊谷寺前または法林地 下車 徒歩 約20分

                            熊谷寺境内 配置図
                          

                    
                                  熊谷寺 山門(仁王門)

                    
                                    熊谷寺 中 門
          
                    
                                   熊谷寺 本 堂

            
                       多宝塔               熊谷寺参道 持国天・多聞天が守護している。
   
                    
                      御本尊(千手観世音菩薩)            納  経         

 山 号   普明山
 院 号  真光院
 寺 号  熊谷寺
 本 尊  千手観世音菩薩 
 開 基  弘法大師
 宗 派  高野山真言宗

                      住 所 〒771−1506 徳島県阿波市土成字前田185
                               電 話 8088)695−2065

                御真言  おん ばざら たうま きりく
            
御詠歌  たきぎとり 水熊谷の 寺に来て 難行するも 後の世のため

 熊谷寺のしおり(紹介)
−寺の歴史ー
 弘仁年間(嵯峨天皇代)空海(弘法大師)が、この地の閼迦ヶ谷(アカガタニ
で修行中、紀州熊野権現が現れて「永く衆生済度の礎とせよ。」とのお告げと
ともに一寸八分(5・5cm)の金の観世音菩薩像を授かった。
 そこで空海は、一宇を建立し、熊谷寺と名付けたのが、この寺の始まりと伝
えられている。
  草創以来、元禄以前までの消長変遷等については不明である。
寛文年間に地元の土成の新水氏より出て熊谷寺の住職となった長意和尚(チョ
ウイワジョウ)が、元禄年間の頃に、現在の境内の主な部分を手がけた。
 これについては、長意和尚の業績を記した石碑「普明山熊谷寺先師長意阿遮
黎行録」に残っている。

*山門(徳島県指定有形文化財)上記lに写真登載

 貞享4年(1687)長意和尚によって建立された。四国霊場の山門としては最大
規模である。和様と唐様(禅宗様)の折衷様式で、高さは、13・2メートル、二層
目の天井、柱等には極色彩の天女等が描かれている。(二層目非公開) 
*天女等は、陶版画で複製している。場所は納経所でお聞きください。
 安政6年(1859)に大修理が施され、明治40年にも屋根の吹き替えを中心と
する修理が行われている。
 昭和51年から52年にかけて地盤から固め直す解体大修理が行われた。
 現存する大看板「普明山」の額は、安政の大修理の時に寄贈されたもので、
裏側には萬延元年(安政七年)七月ニ十日 再興願主 矢部惣左ェ門」等の墨
書が残っている。
 *多宝塔徳島県指定有形文化財上記lに写真登載
 安永3年(1774)剛意和尚(ゴウイワジョウ)が建立、三間多宝塔で高さは
約20・7メートル、中には胎蔵界の大日如来を中心として四方に金剛界の四仏
(東・阿?如来南・宝生如来 西・阿弥陀如来 北・不空成就如来)が安置されて
いる。

 塔の上部、九輪(相輪)の先端に真鍮製の角棒が打ち込まれており、それに
は(奉建立多宝塔一基熊谷寺現住剛意安永三年申午十二月二十三日 大工
棟梁:美馬官左ェ門 藤原安英 大阪南区瓦屋町 鋳物師 大谷兵助」の銘文
が刻まれている。
  多宝塔としては、四国地方最古にして、最大の規模である。
*中 門徳島県指定有形文化財上記lに写真登載
 
慶安2年(1649)建立
「普明山熊谷寺先師長意阿遮黎行録」には山門建立の時に、持国天・多聞天
(毘沙門天)の2像が、中門に安置された事が記されている。
 このことから、この中門は、現在の山門が出来る以前の山門であったと推測
される。持国天(東)、多聞天(西)は、貞享4年(1687)の作。
*鐘楼堂徳島県指定有形文化財下記の写真(アイコン)が、鐘楼堂です。
  寛文2年(1662)長意和尚32歳の時の建立
 当時の鐘楼堂は、四本柱に一般的な屋根といった形だったが、文化6年
(1809)快塹和尚(カイザンワジョウ)が、長意和尚百回忌の記念事業として
改築を行い、現在の立派な二層の鐘楼堂が完成した。
当初の梵鐘は太平洋戦争末期に、武器弾薬等の材料として供出させられ
たため現存しない。
現在の梵鐘は、昭和24年に新たに鋳造されたものである。
近年、高速道路建設にともない寺の麓一帯の発掘調査があり、偶然にも
旧梵鐘の鋳型が発見された。
*本 堂
 本尊は千手観世音菩薩 昭和2年(1927)に火災に遭い、本尊と本堂を
全焼。  
 昭和15年に本尊を安置する宮殿と拝殿が完成。昭和45年に入って、やっ
と供養殿と本尊が完成..開眼供養が行われた。
この遅れは、戦争時代を挟んで工事が中断され、その後再開の糸口が掴
めなかったためとのことです。
*大師堂徳島県指定有形文化財
  建立年代は、屋根に据え付けられた露盤に「露盤宝形一具 本願熊谷寺
龍意宝永4年 丁亥天八月吉日 冶工 長谷川久左ェ門」の銘があることか
ら龍意和尚(リュウイワジョウ)の代の宝永4年(1707)の建立とわかる。
 安置されている弘法大師像(徳島県指定有形文化財)は、寄木造りの坐像
で、永享3年(1431)の作である。


 
              
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