MADS VINDING
アグレッシブなVINDINGとRIELのサイドメンと、静的で内省的なピアニスト、PIERANUNZIとは多少、肌合いが違うのだろう
"THE KINGDOM"
ENRICO PIERANUNZI(p), MADS VINDING(b), ALEX RIEL(ds)
1997年3月 スタジオ録音 (STUNT RECORDS STUCD 19703)
MADS VINDING がリーダーとなったPIERANUNZI(p)とのスタジオ録音
ALEX RIELをドラムスに迎えて、JAZZ批評 322.(ピアノはCARSTEN DAHL)の再現となるか
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何週間か前にアップしたENRICO PIERANUNZIのリーダーアルバム"LIVE IN
PARIS"(JAZZ批評 324.)はPIERANUNZIの近年の傑作だと思う。僕自身にとってもPIERANUNZIの評価を一変させるアルバムだった。どちらかと言うと耽美的であるとかリリカルというイメージが強かっただけに新鮮な体験であった。
そのほぼ同じ時期に聴いたMADS VINDINGがリーダーの"SIX HANDS THREE MINDS
ONE HEART"(JAZZ批評 322.)はピアノにCARSTEN DAHLを迎え、「爽快、痛快、愉快」なアルバムだった。
この"THE KINGDOM"はこれら二つのアルバムを足して2で割ったようなアルバムだ。即ち、VINDINGのリズム陣にPIERANUNZIが参加したという形だ。いやが上にも期待感が募るというものだが。
@、B、F、G、HがPIERANUNZIのオリジナル。
@"ALBA PRIMA"
A"LOVER" 冒頭からアップ・テンポの演奏でハード・ドライブ。
B"THE KINGDOM" タイトルにもなっているPIERANUNZIのオリジナル・バラード。この曲はこのアルバムの中では象徴的な曲で、PIERANUNZIのピアノの評価が分かれるところだろう。あくまでも、バラードとしての扱いで、最後まで叙情的な演奏で終わるこの演奏が僕には物足りない。美しいだけではジャズの醍醐味が凝縮しているとは言えないと思うのだ。例えば、STEFANO
BOLLANIだったら躍動するバッキングを聴かせてくれたことだろう。CARSTEN DAHLだったら、アグレッシブなインタープレイを聴かせてくれたに違いないと思うのだ。
C"SOMEDAY MY PRINCE WILL COME" フリーでアブストラクトなイントロで始まるが、このイントロは必要だったのであろうか?とってつけたようなイントロで、テーマの"SOMEDAY
MY PRINCE WILL COME"との必然性を感じさせない。テーマ以降はアグレッシブなアドリブが展開されるだけに惜しい。
D"MY FOOLISH HEART" この曲は直ぐにEVANSの演奏(JAZZ批評 17.)を想起させるが、ここではミディアム・テンポで演奏されている。
E"SOMEWHERE"
F"NEW LANDS"
G"AUTUMN SONG"
H"SEPTEMBER WALTZ"
I"INTERLUDE NO. 948"
J"I REMEMBER CLIFFORD" BENNY GOLSONが亡きCLIFFORD BROWNに捧げた名曲。このバラードも美しさと叙情的な演奏に終始する。テーマを執るVINDINGのベースに遠慮した訳でもないだろうが・・・。
このアルバム、アグレッシブなVINDINGとRIELのサイドメンと、静的で内省的なピアニスト、PIERANUNZIとは多少、肌合いが違うのだろう。この点はCARSTEN DAHLの方がピッタリと嵌っている感じだ。
逆に、PIERANUNZIにとっては"LIVE IN PARIS"のHEIN VAN DE GEYN(b)と
ANDRE DEDE CECCARELLI(ds)のコンビの方がより「らしさ」が活きて、相性が良いように思う。 (2006.03.09)