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TBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』全十話['24] | |||||
演出 金子文紀、坂上卓哉、古林淳太郎、渡部篤史、井村太一
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本作で2024年現在と対照されている昭和の1986年は、公務員だった僕が、普通にノーヘル&銜え煙草で原付通勤をしていた時代だ。バスや電車、飛行機などの公共交通機関での車中喫煙が普通に認められていた。昭和61年当時でハイライトが既に170円になっていたのかと意表を突かれたが、今や520円もするようになっているとは吃驚した。当時僕が愛好していたセブンスターは、今いくらになっているのだろうか。 そういった点では、主題に直結する時代考証がよく調えられている作品で、同時代を生きている者が観ても殆ど違和感がなく、第一話の『頑張れって言っちゃダメですか?』で早速耳に留まった「ほとんどビョーキ」や積み木くずし絡みの「ニャンニャン」、亡き山城新伍を思い出す「ちょめちょめ」を懐かしく聴きながらも、'80年代も半ばになると、練習中に水を飲むとバテるぞ、と脅してケツバットを振るう小川市郎(阿部サダヲ)によるアナクロ熱血指導などは、既に主流からは外れていたような気がした。 その第一話でのハラスメントを巡る秋津真彦(磯村勇斗)と加賀彩月(木下晴香)の和解には、なんじゃこりゃと呆れたが、回を追って面白くなっていったのは、三十八年隔てる両時代における変化として特に顕著な“働き方、男女関係、学校の在り様”に対して、的確なフォーカスが当てられていたからだろう。僕の生きてきた戦後昭和の時代と現在を対照するなら、個人的には'70年代のほうがしっくりくるのだが、1986年が選ばれたのは同年の改正によって所謂“男女雇用機会均等法”が始まったからなのだろう。そして、本作には登場しなかったが、いわゆる極妻シリーズの始まった年でもある。 僕が愛好する映画の時代的変遷について「ドキュメンタリー映画が躍進し、ポルノ映画の衰退と一般映画のポルノ化が目覚ましかった1990年代が「本音の時代」で、空想特撮映画や劇映画のアニメ化が目立った2000年代以降が「ファンタジーの時代」、そして、2010年代くらいから顕著になったように思われる「オタクの時代」に今あるような気がしている」と綴ったのは、三年ほど前に観た『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』の日誌だが、日本の節義の底が抜け拝金至上主義が蔓延るようになったバブル期の'80年代後半には、かつて深夜枠のお色気番組で一世を風靡した『11PM』が、新聞に喩えて言えばクオリティ・ペーパーと感じられるほどに、剥き出しの大衆紙的お下劣バラエティ番組が、当時は地上波しかなかったテレビ界を席巻していた覚えがある。 それはすなわち、'5~60年代の理念とロジックを重視した時代から、フィーリングという言葉が流行し“感性”が持て囃された'70年代を経て、反知性主義の誤用によって理念・感性どころか知性そのものが蔑ろにされ、身体性への注視が促され始めた'80年代を経て至った「本音の時代⇒ファンタジーの時代⇒オタクの時代」であったような気がしている。 折しもテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」江戸川乱歩の美女シリーズの天知茂版(1977~85年)を現在視聴中なのだが、そこでも女性の半裸全裸を惜しげなくバストトップともども映し出すどころか、それが売りの一つになっている人気番組だった。その一方で、'86年以前でも既に喫煙を煽る描写が自制されていて、文代役が五十嵐めぐみから高見千佳に交代した'83年以降は、何だか執拗に節煙キャンペーンが繰り返されているところが妙に笑えるわけで、小川市郎ほどに自由気ままに喫煙はしにくくなっていたように思う。 あざといまでの遣り過ぎ感が強くてあまり好みではない少々クドい宮藤官九郎の脚本なのだが、本作はとても面白かった。やはりそれは昭和後期を同時代で過ごし、令和の時代の様々な事々に対して、僕が大いなる違和感と息苦しさを感じているからなのだろう。当時のヒット歌謡曲を絶妙にアレンジして元歌を偲ばせる小技も愉しかった。 | |||||
by ヤマ '25. 2.22~25. Netflix動画 | |||||
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