『マンデラ 自由への長い道』(Mandela: Long Walk to Freedom)['13]
監督 ジャスティン・チャドウィック

 インドでマハトマ【偉大なる魂】と呼ばれたガンジーと同じく、本名ではない愛称マディバで呼ばれ敬愛を受けたネルソン・マンデラが亡くなった年に製作された、かねてより気になっていた伝記映画を観る機会を得た。ロリシュラシュラという名は初めて知ったが、なかなか異名のある人物だったことに驚いた。東洋に見られる幼名というものに近いものなのだろうか。

 マンデラ自身がラストに出演もしていた『マルコムX』['93]を観たのは、三十二年前になるが、彼が '60年のシャープヴィル虐殺事件を契機に、マルコムと同じく武力闘争路線のほうにアフリカ民族会議(ANC)を転換させたあたりをきっちり描いていることや、ガンジー['82]にも描かれていたマハトマ同様に、元々は政治闘争に積極的でもなかった弁護士が、身分証不携帯で逮捕されただけで惨殺された男の受けた差別と非道に憤って転身したことに加えて、政治闘争に耽るなかでのマンデラの浮気によって最初の婚姻生活が破綻したことなどを縷々描いていた。

 三十五年前になるマンデラが釈放された '90年に高新文化会館で観た『サラフィナの声』['88]に添えて上映されたドキュメンタリー映画『ネルソン・マンデラ』にはない豊かな劇性を備えていて、とても興味深く観たのだが、武力闘争路線を否定し、平和主義へと再び転換する過程をもっと丁寧に描いてほしくも思ったりした。ロベン島で過ごした十八年に関しては、十六年前にかるぽーと大ホールで観た『マンデラの名もなき看守』['07]で詳述されていたが、本作で描かれていた、ANCの収監メンバーとの議論で言及されていた '85年からのボタ大統領との交渉での“武力闘争放棄の拒否”以降のマンデラの胸中を「名もなき看守」とはまた異なる視点からの描出で観たかったと、少々残念に感じた。

 大統領になってから見舞われた国民統合への苦労と腐心は、十五年前に観たインビクタス/負けざる者たち['09]にも描かれていたが、もはや毀誉褒貶の毀貶が許されない位置にあったマンデラ大統領を讃えていた同作とは少し異なる趣で描いていて、なかなか興味深く観た。

 本作で印象深いのは、やはりマンデラの妻ウィニー(ナオミ・ハリス)だ。四年間しか同居生活を送っていない夫の三十年近くの長きに渡る収監中に闘争路線もシングルライフも異なる形になった二人において、置かれた状況のなかでの環境的な影響の大きさという点では、ある意味、孤立と単調を余儀なくされたネルソン(イドリス・エルバ)のほうがむしろ縛りや囚われの少ない精神的自由を担保されていたように映って来た点が秀逸だった。

 南ア的なアパルトヘイトがドナルド・トランプやイーロン・マスクらの登場によってあからさまな形で復権してきているように感じられる今、改めて想起されるべき前世紀末の南アフリカ共和国の出来事だとつくづく感じた。マンデラは間違いなく偉大だったけれども、彼に力を与えたのは、決して南アの黒人たちだけではなくて、'88年に世界中で起こった南ア製品不買運動の広がりとマンデラ解放運動の展開だったことが印象深い。三十年後のロシアやイスラエルの暴挙に対しては、その経済制裁にしろ、各国の利権的思惑のほうが強く、'88年と似たようなことが世界各地で起こりながらも奏功しなくなっている国際社会の状況が嘆かわしく思えて仕方がなかった。今この時期にNHKがプレミアムシネマで採り上げたことには、そのあたりの想いが窺えるような気がした。

 奇しくもマンデラとガンジーの名を想起したことで、六年前に観たOKINAWA1965['17]のことも思い出した。1965年といえば、ちょうどネルソン・マンデラがロベン島に収監された頃だ。一緒に投獄されていたANCのアーメッド・カトラダはインド人だったし、ガンジーが人種差別と闘う政治闘争に目覚めたのは南アフリカでの弁護士時代だった。民主党が政権から転落したあたりから世間では、賢しらぶって理想と現実は違うなどと嘯き、お花畑だのソフトクリームだのお子ちゃまだのと揶揄する輩が目に付くようになってきているが、ガンジーが率いたインド独立もマンデラの大統領就任も、決してお花畑で起こったことではなく、お子ちゃまが果したことなどではない。そんなことさえ知らないわけでもなかろうはずの人々が面白がって、論拠なき“お花畑”呼ばわりをして貶める風潮が不愉快至極だとつくづく思った。
by ヤマ

'25. 4. 6. BSプレミアムシネマ録画



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