『月』
監督・脚本 石井裕也

 いくらタイトルが月だとはいえ、余りに画面が暗く、夜ばかり映し出すことが、効果をもたらさずに辟易としてくるところがあったけれど、なかなか挑発的な意欲作で、それだけに随所に違和感が生じてくる映画だったように思う。だが、それで出来栄えを損ねているからといって、それを以て作品を否定するのは、まさしく本作のテーマと直結する部分に関わって来るという実に強かな作品だったような気がする。

 辺見庸の原作小説にかなりの潤色を加えている気がして仕方がなかった。クリエイターにとって作品は己が子どものようなものだというのは、よく言われることなのだが、作家志望ながら選外となる出来損ない作しか書けないでいる陽子(二階堂ふみ)や、編集者から付けられた注文によって書けなくなっている洋子(宮沢りえ)、陽の目を浴びないストップモーションアニメを黙々と作り続けている昌平(オダギリジョー)らの作家を配していることが、先天性の心臓病によって僅か三歳で愛児を亡くし、四十路になっての妊娠に不安を抱く洋子に向って出来損ないは要らないんだろと言うさとくん(磯村勇斗)に対して、洋子がそれは筋違いの話だと抗弁するのと同様に、それは些か筋の違う設えではないのかという違和感となって映って来た。

 また、編集者が洋子に言った震災の話に悲惨な話は要らないんだよとの注文のまさに真逆の、言わば露悪的で過度に陰鬱で陰惨な語り口にしてあることが、美談を並べることが震災の被災状況を真っ当に伝えることにならないのと同様に、障碍者施設の現況を真っ当に伝えることにはならないばかりか、職員のなかでも手厚いケアの目立つことによって疎外されていたさとくんが、口頭であれ手話であれ、言語表現の出来ないことを以て心がないと断じて、“心のない、人にあらざる者”を抹殺することこそ公共の福祉に適っているなどという心ない考え方に転じていくことの内実には些かも迫っていないことを露わにしていて、強い違和感を誘われた。

 そして、その違和感の誘発こそが作り手の狙いのような気もしてきて、一見したところ、障碍者問題を取り上げているように見えて、作り手の一番の関心は、表現とは何か、創作創造とは何かという部分にあるような気もした。なかなか食わせ物の作品だったように思う。いくら何でもこれはないだろうというような描出場面が、ほぼわざととしか思えないほど、たくさん出て来ていたような気がする。

 その一方で、洋子と昌平の夫婦物語としては、なかなか好くて、そのバランス加減の不均衡がまたあざといほどだったように思う。陽子の悪意のある心ない言葉によって妻洋子の妊娠を知らされた昌平が、陽子の想定に反して洋子がまだ中絶をしていなかったなかで、一瞬怯みながらも、陽子には告げて自分には言ってなかったことを咎めることなく一緒に暮らしていながらまるで気づいていなかった僕が悪いと妻を庇っていた姿がなかなか印象深い。“人に求められる気づき”というのは、何なのだろうと改めて考えさせられる。

 この場面について僕が思うのは、昌平に求められた気づきは、妻の妊娠に対する気づき以上に、妻が自分に言ってなかったことを咎めたり怒ったりすることで妻を傷つけてしまうことへの気づきなわけで、その点で言えば、彼は“求められる気づき”をきちんと果たしていたように思う。ある意味、甲斐性などよりも大事なことなのかもしれない。そのような観点から本作を眺めるとき、本作について“求められる気づき”とはいったい何だったのだろうと思わずにいられなかった。




【追記】'24. 3. 3.
 施設の様子や介護職の仕事の描き方に納得感が得られないどころか、腹立たしくあるとさえ語る幾人もの映友の意見を伺ったので、僕は、ある意味、パゾリーニのソドムの市のような映画だと思っていることを伝えた。かの映画も毀誉褒貶が著しくて、言葉で表現した文学世界を実写化することの非を言う人もいれば、醜悪の極みのような映画だと非難する人、人間が疎外されているとか、リアリティを欠いているとか、散々な言われようが想定されると同時に、過激なスキャンダラス作品としての問題提起に喝采を送ったり、実写化への挑戦に快哉を挙げたり、いろいろありそうな作品だった。
 それでも、そこに身というか作品を挺しての“存在否定”とか“差別の本質”といった問い掛けはなかった気がするので、その点において本作は、ある意味『ソドムの市』以上に挑発的な意欲作だと思うようなところがある。
 短期間ながら若い時分に施設で直接処遇に従事した経験もあることが作用している部分もあるようにも思うが、折よく「フロンティア その先に見える世界『AI 究極の知能への挑戦』」をNHKのBS録画で観たところでもあり、人の知能、心とは何を以て認知すべきことなのか、改めて考えさせられた。そのなかにあって、自分のなかに湧いてくる“違和感と受容の問題”こそが差別問題の本質だという気がする。すなわち存在の否定と排除の論理だ。とても刺激的な作品だった。
by ヤマ

'24. 1.22. あたご劇場



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