『野獣死すべし』['59]
監督 須川栄三

 安保改定反対闘争に参加することが就職活動の一環だと揶揄されていて、3ナンバーや5ナンバーの車両が実際に一桁で、日本を特徴づける四文字言葉を問われて伊達邦彦(仲代達矢)が、間髪入れずに汚職・貧乏・結核・水害と応え、日本の犯罪は概ね湿っぽく人間的動機ばかりで全くハードボイルドではないなどと英米文学のゼミナールで語られていた、1950年代末の映画だ。六十余年前の映画ながら、既にして歪んだ社会への怒り人間を信じられない苦しみ自分の未来に予想される暗い影の三つを挙げて犯行動機だと語るハードボイルド文学研究室院生の伊達を中心に据えた映画であることが目を惹いた。

 怨恨などといった人間的動機に拠らずに暴力的な犯罪を行う存在を以て伊達は、人間ではない“野獣”と呼ぶわけだが、反体制運動などよりも遥かに過激な野獣は、決して伊達だけではないことを描いていたところが興味深かった。何ら躊躇することなく伊達の共犯者になる西洋哲学科四年で中退になった手塚(武内亨)や、伊達とドライな情交関係を結んでいたゼミ生の楠見妙子(団令子)もまた、旧来型の人間観では推し量れない野獣だというわけである。そのうえで、伊達と同じような現代人観を持ちながら、伊達とは対照的な臨み方を恋人の峯洋子(白川由美)にしていた新米刑事真杉(小泉博)の配置が目に留まった。

 原作の大藪春彦は、'80年前後に角川書店が大々的に売り出しに掛けていたような記憶があるのだが、その二十年以上前からの作家だったのかと少々驚いた。伊達邦彦の名には覚えがあるし、僕の書棚にも確か一冊文庫本があったはずだが、と確かめてみたら、見つからなかった。松田優作の『蘇える金狼』['79]も、草刈正雄の『汚れた英雄』['82]も、公開当時に観ているけれども、松田優作の『野獣死すべし』['80]は未見のままなので、いずれ観てみたいものだと思った。




【追記】'23. 7.13.
 拙日誌に松田優作の…は未見のままなので、いずれ観てみたいものだと思った。と記していたら、すかさず映友が託してくれて日本映画専門チャンネル録画の『野獣死すべし』(監督 村川透)を観ることができた。いやはやトンデモ翻案になっていて、「野獣」の意味がすっかり違っていて驚いた。

 登場した時点から、仲代版の伊達のようなクールさもニヒルさもなく、早稲田大学院生から東大経済学部卒の通信社員となって学歴アップしていながらも知性はそう感じられぬままに、ゴージャスな部屋やらコンサートホールでクラシック音楽を嗜むハイソ感を漂わせていたから、人物造形的にもまるで異なっていたことになる。

 従って、銀行強盗動機も殺人動機も全く異なり、戦場カメラマンの体験により精神を病んでしまった愉快犯的な代物になっていたから、前作には及ぶべくもないものに成り下がっていたように思う。村川作品らしいスタイリッシュな映像が随所で観られるほかは、展開もまどろっこしく、僕には、かなり退屈な作品だった。
by ヤマ

'23. 6.27. 日本映画専門チャンネル録画



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