『怪物』
監督 是枝裕和

 火事で始まり、台風に見舞われて終える映画だったが、個人の力では太刀打ちできない被災イメージが実に象徴的な、とても深みのある観応えたっぷりの作品だったように思う。小学五年の息子の湊(黒川想矢)がイジメに遭っているのではないかとの疑念を抱いたシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)が意を決して小学校に乗り込んだ際に死んだ目をしている…人間ですかと問い掛けていた状況というものを作り出しているものは、何なのだろうかということについて改めて考えさせる見事さに感服した。

 彼女が不審を抱いた水筒のなかの泥も、豚の脳みそ移植の話も、片方だけ無くなっているスニーカーも、保利先生(永山瑛太)から受けたという暴行にしても、事の顛末が明らかになってみると、どこにも悪意も害意も存在していないところから生じた出来事だったように思う。しかし、学校現場では、いわゆる“イジメ問題”となると、本作でまさに早織が口にしていたように、謝罪をすれば、してほしいのは謝罪ではなく説明だと詰られ、判る範囲で事実説明をしようとすれば、言い訳はいいから謝罪しろと責められるとしたものだから、もはや“死んだふり”して事態を遣り過ごすしか対処のしようがなくなっているのだろう。

 乗り込む早織のほうは初めてだから、その人間性を喪失させた“死んだ目”に面食らうのだが、努めて冷静に対処しようとする母親の姿を演じた安藤サクラの熱演もあって、自ずと観る側が早織目線に立たされていたその場面も、どうやらあくまで早織の記憶に残った状況の再現であって、客観描写の場面ではなかったことが、次に来る保利先生の目に映った事象の提示場面の展開によって明らかになって来ると、必ずしも“モンスターペアレント”ではなくとも、保護者から抗議を受けることが日常茶飯になっていると思しき学校側における、ある意味、挙句の果ての姿なのだろうという気がして、遣り切れない思いが湧いてきた。

 子どもが嘘をついていると疑うはずもない母子の関係を絶妙のニュアンスで描出していて大いに感心させられたが、嘘には三通りの動機があることに改めて気づかされたように思う。一つは、本作でも死語の復活のように登場していた“ドッキリ”のように、嘘であることを明かすことを前提とした嘘、もう一つは、本作で星川依里(柊木陽太)へのイジメを繰り返していたメガネと小太りの二人組がこれは“ドッキリ”だと騙っていた悪意のある嘘、三つめは、本作で幾人もの人がついていた“本当のことを言えないがためにつく悪意なき言い逃れのための嘘”で、世の中の嘘の大半を占めるものと思われる嘘だ。デリケートな問題について多様な力関係の交錯する複雑さのなかで、これらの嘘がないまぜになって語られる状況において、短時間内で判明する事実なるものにいかほどの信頼性がおけるものかは至って怪しい限りだと言う外ない。おまけに根拠不明の憶測が招いたとしか思えないような、保利先生のガールズバー入り浸りや校長(田中裕子)の偽装といった噂話が無責任に流布されるのが人の世なのだから、人の言葉ほど当てにならないものはない。

 親が家で子供と接している時間と、学校で先生が子供に接している時間のどちらが長いかは、各学校・家庭によって多少の違いはあるにしても、どちらにしても子供世界の全貌を把握することなど、とうてい不可能なものでしかないのは自明のことで、事実説明など責任もって果たせるはずがないことを一顧だにしない人々が、世の大半を占めているように感じられるのは、何故なのだろうか。“説明されるべき確固たる事実が存在することへの盲信”という怪物が、皆人を壊し、苦しめている気がしてならなかった。

 そのようなものは存在し得ないからこそ、少しでも事実に迫る必要があるという認識を共有できれば、どこまで迫り、どういう迫り方をしているかが評価の対象になって、事実の如何そのものは評価の対象にはならなくなるはずなのだが、人々が問題にするのは、いつだって嘘か真かのような、単純化されたものに対する感情的興奮だとしか思えない。それは、人間を男か女か或いは大人か子供かで片付けようとすることに対する感情的興奮とも似通っていて、非常に知性を欠いた愚かな態度なのだが、誤った反知性主義の波に吞まれて、どんどん人々が愚かさを志向し始めている状況にあっては、如何ともしがたい遣り切れなさが湧いてくる。もはや別な時代に生まれ変わるしかないのかとさえ思えるような時代の趨勢を感じたりしているものだから、殊更に響いてくる作品世界に強い感銘を受けた。

 そして、台風一過の晴天下、苦難の一夜を潜り抜けてきた二人を映し出したエンディングに、若い命の生き延びる力を信じたい作り手の想いが込められているように感じた。だから、本作に関しては、ビル火災の件は、星川依里による放火なのだろうとか、彼の腕に付いていた火傷の跡は父親(中村獅童)からの虐待の証だとかいうような想像や憶測による受け取りは、湊の父親の事故死に女性問題が絡んでいるといったものも含めて、慎むようにしたいと思った。




推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20230606
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/23060701/
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5716115271821342/
by ヤマ

'23. 6. 8. TOHOシネマズ6



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>