『栄光のランナー/1936ベルリン』(Race)['16]
『グランツーリスモ』(Gran Turismo)
監督 スティーヴン・ホプキンス
監督 ニール・ブロムカンプ

 概して音楽映画にハズレはないとしたものだが、スポーツ映画にも秀作が多いような気がする。奇しくも二作続けて観る機会を得た。先に観た『栄光のランナー/1936ベルリン』もまた思いのほか面白く、興味深かった。七年前の作品だが、八十年の時を隔てていればこその描き方が随所にあったように思われる。

 1984年のロサンゼルス大会でカール・ルイスが半世紀ぶりに再現をした、ベルリン・オリンピック4冠【100m、200m、走幅跳、男子4×100mリレー】のジェシー・オーエンスに助言を与えて窮地を救ったライバルのカール・"ルッツ"・ロング(デヴィッド・クロス)のスポーツマンシップは名高いように思うけれども、本作に描かれたほどに明確な反ナチスの立ち位置を彼は示していたのだろうか。吃驚した。

 また、ジェシー(ステファン・ジェームス)がクインセラ(シャンテル・ライリー)との浮名を流して、子も為していたルース(シャニース・バントン)との仲が壊れたことにまつわるエピソードなども知らない話だったので、驚いた。後にIOC会長になったブランデージ(ジェレミー・アイアンズ)の親ナチ疑惑への言及、オリンピアを撮ったレニ・リーフェンシュタール(カリス・ファン・ハウテン)の描き方などを観ても、本作が20世紀を終えた後の映画であることを痛感した。

 そして、ナチス政権下のオリンピックに参加すべきか否かで割れ、58票対56票で敗れたAAU会長エレミア・マホニー(ウィリアム・ハート)の振る舞いに威厳があって感心した。先の東京五輪において、女性蔑視発言で辞任に追い込まれた耄碌会長との余りの隔たりが頭をよぎった。

 すると映友がこのタイトルは良くないよね。『炎のランナー』の二番煎じに見える。とのコメントを寄せてくれた。オリンピックという国同士が競るレースと、競技場で選手が行うレースの違いを際立たせている映画なのだから、いくらジェシー・オーエンス当人が「栄光のランナー」だったとしても、ユダヤ人や黒人の人種差別問題にも焦点を当てた映画であって、原題が「Race(「人種」の意もある)」であることからすれば、確かに的外れだ。ましてや名勝負を交わす相手の"ルッツ"・ロングは、ランナーではなくてジャンパーだったのだから、尚更のことだと思ったりした。


 翌々日にスクリーン観賞した『グランツーリスモ』に関しては、僕は、モータースポーツファンでもなければ、レーシングゲーム愛好者でもないのだが、『栄光のランナー/1936ベルリン』を観て思ったように、スポーツ映画は、やはり面白いと改めて思うとともに、派手に鳴り響く劇中の爆音や歓声にやはりスクリーン観賞のものだと思った。3位入賞を優勝争い以上のドラマに仕立てあげている巧みさに感心させられるシムレーサーの物語だった。

 師たるジャック・ソルター(デヴィッド・ハーバー)にはできなかった果敢な挑戦を天晴れ成し遂げたヤン・マーデンボロー(アーチー・マデクウィ)もさることながら、彼を“栄光のドライバー”にまで育てたジャックとGTアカデミーを立ち上げたダニー・ムーア(オーランド・ブルーム)の人物像がなかなか絶妙な造形で、大いに感心させられたように思う。

 また、シムレーサーとプロドライバーの強み弱みが納得感のある形で描かれていて、ヤンたちが加重に負けない体力作りや反射神経を鍛えるまさにスポーツ選手としてのトレーニングを重ねる姿が印象に残るとともに、ゲームソフトの途轍もない精度の高さにより、実際の走行ではとてもこなせない回数のコース走行をシムレーサーたちは経験してコースの特徴を熟知しているばかりか、メカニカルトレーニングまで出来ていることに驚いた。

 そして、まるでゲームの画面と変わらぬ走行中の順位表示や、走行中のレーシングカーが透けていくとともに解体し、ゲーム機に腰掛けて操作している場面に繋がる展開など、ヴァーチャルとリアルの境界が本当に薄くなってきている「時代の雰囲気」をよく捉えていたように思う。

 それにしても、十二年前には日本は、まだまだ勢いがあったのだなと、現在の失速ぶりが何とも情けなくなった。東京が憧れの都市で、日産がモータースポーツで活躍し、ソニーがプレイステーションで世界を席巻していた時代の話だ。この驚くべきバーチャル・カー・レーシングを開発したのも日本人の山内一典とのことで、平岳大が演じて登場していた。
by ヤマ

'23. 9.29. BSプレミアム録画
'23.10. 1. TOHOシネマズ2



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