『フレンチアルプスで起きたこと』(Turist/Force Majeure)['14]
監督・脚本 リューベン・オストルンド

 かねてより気になっていた作品だが、思いのほか面白くて驚いた。一家仲良く記念撮影しているのが雪山なのに、何故に?と思いながら始まったが、フレンチアルプスなら夏でも雪が豊かに残っているということかと納得していたら、どうやら夏のほうではなく、嵐ということだったようだ。折しも '50年代の正統派西部劇誇り高き男を観たばかりでもあって、殊更に興味深かった。

 フレンチアルプスのリゾートホテルに一家四人で五日間のスキー行楽を楽しむ予定が、ゲレンデ整備や雪崩防止の一環として行っていたであろう人為的な小規模雪崩の思わぬ不手際で、レストラン施設の直前まで崩落してきたことによって、飛んだ失態をやらかしてしまった一家の長トマス(ヨハネス・バー・クンケ)を巡る悲喜こもごもが、実に生々しく描かれていて大いに感心させられるとともに、大人の男女には、子供のようには遣り過ごせないしこりが残るさまを観ながら、なぜか小林薫と大塚寧々が連れ子再婚夫婦を演じた休暇['08]を思い出した。

 一日目の特大ベッドで、日本流に子供を挟んで寝るのではなく、夫婦が寝る両脇にそれぞれ子供が寝ている図において自然に馴染んだ睦まじさを印象づけていた夫妻が、二日目に起きた雪崩事件で決定的とも言えそうな溝を味わうことになっていたわけだが、幼い息子ハリー(ヴィンセント・ヴェッテルグレン)から避難を促されながら、大丈夫だと慢心していた分、差し迫ったことに動転し、妻子を残して独りで逃げたトマスが、歴然としていた事実を認められずに妻エバ(リサ・ロブン・コングスリ)に認識の違いだと言い訳するさまの見苦しさと、それが余計に不信感を募らせ、結果的にしこらせていくことになる経過の哀れが、何とも言えない普遍性を宿していて恐れ入った。不祥事の真理の核心部分だと思う。

 根深いのは、翌日にトマスの友人カップルの眼前で揺るぎない事実としての撮影動画を見せられるまで、トマスの“記憶のなかでの事実”すなわち彼にとっての真実は、彼自身が言っていたとおりのものだったのではないかと思われる点だ。人間とは、おそらくそうしたものなのだろう。だが、当人以外からは厚顔無恥にしか見えないとしたものだ。

 三日目に夫婦の関係の在り様について、イタリア男とのアバンチュールを楽しんでいる友人とエバが、婚外恋愛の是非に係る意見を交わす場面を置いてあるところが目を惹いた。友人の指摘していた“自尊心を満たすもの”を何処に求めるべきか、一人になって考えたくて家族と離れた単独スキーを申し出たエバが、雪山の斜面で排便しながら零していた涙の姿が印象深い。楽しみに来たリゾート地で、思いもよらぬ傷つきに晒されている無様な姿の痛々しさを鮮やかに映し出していたように思うが、同時に何処か滑稽でもあるニュアンスを伝えていて感心した。

 トマスの友人と思しきマッツ(クリストファー・ヒヴュー)がニ十歳以上も若そうな二十歳の恋人ファンニ(ファンニ・メテーリウス)を連れて部屋を訪ねてきたときに、再び人前でトマスの失態を暴き立てずにいられなくなっているエバの姿に二人が困惑しつつ、自分たちに置き換えて交わしていた対話が実に興味深かった。若いファンニが指摘していたこれは男の問題よという台詞の持つ多義的な意味合いが面白い。男に係る内なる敵は英雄という理想像の問題、それを求めるのは誰かという問題、パートナーないし自身の取る行動の問題。マッツが口にしていたその時にならないとわからないは真理なのだが、それでは済まされないからこそ、ファンニから貴男も逃げると思うと断言されたマッツが眠れなくなってしまう姿がまた、可笑しくも哀しい。目をつぶれば眠れるというものではない。眼を瞑れることと瞑れないことがあるわけだ。エバが夫の置き去りに囚われているのも、それゆえに他ならない。トマスは無かったことにはできない事実を突き付けられて、その情けなさと堪え難さに泣き出すほかなくなっていた。

 四日目、今度はトマスが家族と離れてマッツと深山の新雪スキーをしに行く。そこでマッツから、思い悩んで溜め込んだものを吐き出せと「叫び」を促され従うが、それで気が晴れるほどに単純なものではないことが明らかな一方で、侮れない効用があることのようにも映し出されていたことが目を惹いた。エバに向って被害者は君だけじゃないと真情を訴えることのできた一助には確実になっているような気がした。それにしても、子供たちが内在させている力は凄い。

 父親が一人で逃げ出したことにショックを受けていたのは、両親の不穏を察知してママと別れないでと訴えていたハリーのみならず、姉のヴェラ(クララ・ヴェッテルグレン)にしても同様だったけれども、父親が傷み泣き出している姿に抱き付いて慰めずにいられない心情に些かのブレもなく、素直に寄り添えなくなっている母親に向ってママも来て!と求めて止まない。思えば、トマスがマッツと山深く分け入ったときに、ホワイトアウトするような画面が挿入されて彼らの遭難を思わせたりしていたのだが、もしトマスが遭難して帰らぬ人となったときの痛手というものは、雪崩騒動で彼がしでかしてしまった失態の比ではないはずなのだ。一家四人で山なりになって泣く姿を観ながら、子は鎹というのは、こういうことを言うのだろうと思わずにいられなかった。

 エバが応じるまで「ママも来て!」と繰り返して止めない子供たちには、親子四人が一体となることが最重要で、父親が失態を認め謝罪することが最重要事ではないと看破している。子供たちの前でも声をあげて泣き出す夫に呆れ顔を見せていたエバも、三人が一体となって泣いている山に加わって折り重なってみれば、娘の背を宥めるように優しく叩きながら、自ずと同調して泣き出していた気がする。そういうものだろうし、おそらくそこが大事なのだ。本当に、いい子たちだった。

 そうして、トマスが失地回復を果たす最終日がやってくる。ザ・ホエールのチャーリーは、そのチャンスに恵まれず、家族の取り戻しが叶わないまま、娘に12万ドルを遺して逝ってしまったが、トマスには、『誇り高き男』で恥ずかしい人生は嫌だと言ったキャス同様に、挽回のチャンスが訪れていた。

 だが、もしかするとエバは、トマスが情けなく傷んでいる際に吐き出した己が不行状にあった浮気の件を後日、問い質してくるのかもしれない。トマスのみならず、エバがフレンチアルプスで何を学んだかによるけれども、家庭生活で優先すべきなのは自尊心の満足ではなく責任の自覚であることを、婚外恋愛の是非について意見を交わした友人の言葉と雪崩騒動の顛末から、きちんと学んでいれば、蒸し返したりはしないはずだ。ただ、そうは子供のように賢くなれないのが大人であって、男は得てして迂闊で、女は得てして執拗としたものだ。なかなかよく出来た映画だったように思う。大したものだ。

 そのようなことを思っていたら、二十余年来の映友女性がそりゃ蒸す返しますよ、墓場に入っても、私なら蒸し返します(笑)。妻のこの心地、何なんでしょうね? 子供に手を焼いたことは、全く忘れて、覚えているのは楽しかった事や、もっと手をかけたかった後悔が残りますが、夫にされたことは、全部覚えています(笑)。私も忘れたいんですけどねー(嘘)とのコメントを寄せてくれて、思わず笑ってしまった。

 非常に面白く興味深かった彼女の映画日記にはきっとトマスには「俺が時間やりくりして、せっかく連れてきてやったのに、何だよ、これくらい!」という、尊大なすり替えの心があったんじゃないかな?との思いも掛けない読み取りがあって驚かされ、彼女の胸中がとてもエバはもう一度、夫にとって一番大切なのは、私たちだと信じたいだけだとは思えず、大いに笑った。勝算120%が嬉しそうでならなかったからだ。さぞかし留飲を下げていたのだろう。

 だが、それが妻が仕組んだ事だとわかっているのか? わかっていないようですには流石に違和感を覚えた。もし、エバが本気でそれを仕組んだのであれば、つい独りで逃げ出したトマスにも匹敵するか、咄嗟でない分さらにタチの悪い浅知恵だと言うほかない。それというのも、幼い子供二人に動くんじゃないよと言い残して、トマスが独りで妻を探しに行き始めたとき、まずいと本気で思ったからだ。幸いにして、雪崩がすんでのところで止まった幸運と同様に、不安に駆られるヴェラとハリーが動き出さないうちに戻って来ることが出来たからいいようなものの、実は非常に危うい試しに掛けたことになる。それこそ、己が自尊心を満たすためだけに子供たちを危険に晒したことになる訳だから、最終日に濃霧の立ち込める雪山ではぐれたのは、エバの作為ではなく本当にトラブルに見舞われたからだと思いたい。

 すると、これまた二十余年来の映友が別の旧知の映友女性との間で劇場公開時に交わした談義をまとめたものを寄せてくれた。そこにあった『夫婦善哉』の柳吉の境地に僕は至れないが、成程の知恵だと感心した。そして、映友の私なら、…恐らく逆切れするに笑った。僕ならどうなるのだろう。マッツの至言その時にならないとわからないと言うほかない。そのうえで、流れで跳んでみた旧知の映友女性の観賞日記に書いてあった我々女性も、女らしさを強いられることに反発するのなら、男らしさに対する幻想も捨てないと片手落ち。そうでないと、みすみす不幸になってしまう。に流石だなと感心した。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
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推薦テクスト:「シューテツさんmixi」より
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推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
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by ヤマ

'23. 4.19. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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