『ラーゲリより愛を込めて』
監督 瀬々敬久

 昭和二十年のハルピンでの結婚式の話を、その七十七年後となる2022年の孫娘の結婚披露宴の場で始める老いた顕一(寺尾聰)の姿を観ながら、今の日本は、彼の父、山本幡男(二宮和也)が非業の死を遂げたラーゲリ【収容所】ではないけれども、彼らが晒されていたのと似たような“希望の無さと位の高い者ほど卑しい姿を見せつける社会”になっているという思いを作り手が強く持っているように感じられて、何とも言えない気持ちになった。だからこそ、まさしく名もなき(名前で呼ばれない)一等兵たる山本幡男の残した偉業を伝える映画を今の時代に送り出したかったに違いないという気がした。

 孫息子ならまだしも父親が早逝していればあるのだろうが、孫娘の結婚式で祖父がスピーチするなど、普通はあり得ないから、敢えて設えたのは間違いないわけで、まさに今現在との地続きを言いたかったのだろうと作り手の思いの丈に感じ入るものがあった。目前に迫ったソ連の満州侵攻を察していながらも幡男が手放しに寿いでいた婚礼の日の姿こそは、ラーゲリでの彼の生き方そのものを象徴的に示していたわけだ。

 そして、松田(松坂桃李)や相沢(桐谷健太)、原(安田顕)たちに収容所生活を通じて、人が生きるうえで何が最も大事かを身を以て教えたように、それを息子にもきちんと遺していたことを表している重要な場面だという気がした。さればこそ、予告編や特報で繰り返し流された、松田による生きてるだけじゃダメなんだ、ただ生きてるだけじゃ。山本さんのように生きるんだは、前もって流してはいけない台詞だとつくづく思った。

 実話に基づくとオープニングにクレジットされた実話部分は、どこまでを指すのだろう。シベリア抑留という事実だけに留まらないのは、クレジットされた原作名が『収容所から来た遺書』である以上、幾人かの抑留帰還兵が分担して伝えた遺書が実際にあるのだろうと推察されたのだが、途轍もなく凄いことだ。だから、劇中で大学生になっていたと思しき顕一が一生、大事にしますと言って新谷(中島健人)から受け取っていた遺言の写しの実物が最後に映し出されるのではないかと思っていたが、そうはならなかった。

 山本幡男が体現していたヒューマニズムの神髄は、まさしく「道義」という言葉に籠っていると感じつつ、改めて今ほどこの言葉が蔑ろにされている時代はないのではないかという気がしてきた。安倍政権下で佐川元理財局長が繰り返した国会答弁によって決定的に印象づけられた感のある、“道義の欠片もない言葉”を連日のように聞かされる時代になっていることを痛感する。

 そして、幡男が折々に見せていた知性の煌めきに感じ入り、教養が形作ることのできる美しさを目の当たりにしたような気がした。かような魂を育むためにこそ教養なるものはあるのだとしみじみ思う。愛しのモジミ(北川景子)ならぬいとしのクレメンタインを当時にあって人前で愛唱できるほどに“了見の広さ”というものを身に付けている人物だったようだ。大したものだ。
by ヤマ

'22.12.26. TOHOシネマズ3



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