| |||||
『花束みたいな恋をした』 | |||||
監督 土井裕泰
| |||||
こよなく綺麗で瑞々しく芳しいけれども、時とともに確実に枯れゆく運命にある、まさしく“花束みたいな恋”だった。互いの自己開示を重ねていくたびに掛け替えのないときめきが溢れる恋の始まりのプロセスが、遠い遠い日々の気恥ずかしいような懐かしさを誘ってくれたけれども、流石に少々くどいんじゃないかと思い始めた頃に、結婚生活ではない同棲時代という、僕には実体験のない“花を束にしたような濃密と脆弱”を抱えた暮らしが始まって、こうして枯れて行かざるを得ない花束の宿命というものにつぶさに立ち会ったような気になった。 絹を演じた有村架純と麦を演じた菅田将暉が実に好もしくて、今風な二人のイーヴンな関係に感慨深いものがあった。別れて一年後に偶然、別々のカップルで出くわした二人の相手それぞれとは、かつて二人が過ごしたような花束みたいな日々は過ごせない気がしてならない。 それにしても、人と人との関係は、相性以上に縁だなと改めて思う。傍目に観て絹と麦の相性が悪いようには思えなかった。ただ縁がなかったということなのだろう。麦に対して「ハードルを下げるのか」とキツイ言葉を突き付けていた絹の一年後のパートナーは、どうやらかつての職場で同僚らが名刺集めをしていた合コンに来ていた類の男ではなさそうだったけれども、あの時点での絹の“人生のハードル”は、いかなるものになっていたのだろう。 まるで駆け引きや計算高さのない絹と麦の真面目さが、実に健気で好もしく映ってきた部分には、あるいは僕の歳のせいがあるのかもしれないけれども、絹の「ハードル下げるの?」という台詞に、作中で触れられた“花の名前”ではないが、遠い昔の遣り取りを思い出したりもした。 僕は、若い時分から殆ど怒ったり荒れたりすることがなかったものだから、人によっては、人格者だと誤解する向きがあって少々困惑するのだが、四十年ほど前に何故そうあれるのかと訊ねられて、「僕は人に対して期待というものを抱かないから、失望というものがないだけのことやと思うよ。人が怒ったり荒れたりするがは大概、失望が元になっちゅうきね」と答えたのだが、すかさず「それって、ちょっとさびしくない?」と返されたことがある。「なんで? 期待してなかったら、ちょっとしたことでも凄く嬉しくなれるし、思わぬ発見をしたような気になれるし、がっかりしたり腹立ったりせんき、だんぜん得ながで。映画を観るがでもそうやけど。」と応えたら「なるほどねぇ。けんど、それがむずかしいのよねぇ。」と言われたことを思い出したりした。そんな映画だった気がする。 | |||||
by ヤマ '21. 4. 2. TOHOシネマズ9 | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|