『森崎書店の日々』をめぐって
スーダラさん
ヤマ(管理人)


2011年08月22日 23:10
(スーダラさん)

この映画、神保町で見たんですよ(^.^)
不思議な余韻の残る映画でしたが、場所が手伝って、その余韻が倍増しました。


2011年08月22日 23:47
ヤマ(管理人)

それはまた、ドンピシャの鑑賞でしたね。
ついついロケ地現場を確認したくなりませんでした?
森崎書店の場所とか、喫茶店、コインランドリー(笑)。

スーダラさんは、悟が貴子の父親だとは思いませんでしたか?

この映画に出てきた「価値を買うだけの人間ではなく、
自分で価値を創れる人間になりたい」っていうのは、
僕も若い頃に思ったことがあるんですが、
そのうえで読書は欠かせないと感じていた割には、
僕は、読むよりも書くほうに熱心でしたねぇ(たは)。


2011年08月23日 07:15
(スーダラさん)

スーダラさんは、悟が貴子の父親だとは思いませんでしたか?
僕は気がつかなかったのですが、
貴子と一緒に元彼のところへ乗り込むシーンの
あの迫力はとにかく印象に残っています。
ヤマさんの推理で間違いないでしょうね。


2011年08月22日 23:47
ヤマ(管理人)

あの勢いはかなりのものでしたよねー。
それを観ながら僕は、いま知ったからって、
付いて乗り込んで行っても素直に謝罪したりするとは思えないから、
改めて悔しい思いを重ねさせるだけになるんで止しておけばいいのに、
なんて、内心その激情を浅はかに感じてたんですよね。

果たして相手の男は、僕の思ったとおり、謝罪どころか呆れ半分に、
これ以上しつこくすると警察呼ぶぞとまで言うわけで、
貴子の気持ちが晴れるような対応をするはずもないわけです。
でも、違いましたね〜、浅はかなのは僕のほうでした。

貴子は、泣きじゃくりながらも、あのとき言いたかったけれども
言えなかったことを言えたとか、初めてそんな自分と出会えて良かったとか、
言うわけですよね。でも、貴子の気持ちが本当に救われたのは、
そういう自分と出会えたということなんかじゃなくて、
自分のことをそんなにまでムキになって擁護してくれる人物を
目の当たりにすることができたことのほうだったように思います。
前者のことは台詞にされていましたが、後者は行間でした。

モノのように軽んじられて傷ついた心は、かように重んじられることで
癒され回復するより他なかったわけですよね。
相手の男に謝らせよう、今から行こう、と言い出したときの悟に
男が素直に応じないことを見越した上での成算があったとまでは思えませんが、
付き合った相手に捨てられて傷ついた心に何が必要なのかは、
桃子との別れで知っていたのかもしれませんね。
いやぁ、本当に行間ゆたかな作品でしたよ。
編集採録 by ヤマ

'11. 8.21. 民権ホール



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