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高雄山神護寺 沿革史

□ 道鏡と和気清麻呂
 聖武天皇と藤原不比等の娘、光明皇后の間にできた男児が幼くして亡くなったので、天武系の皇統を絶やさないことを配慮して、女性の阿倍内親王が皇太子となり、やがて孝謙天皇となられた。
 いったんは上皇に退かれた孝謙帝は、藤原仲麻呂との権力闘争に勝利した道鏡への寵愛をますます深められ、上皇は称徳天皇として再度即位された。
 法王という、天皇にも並ぶ権力を得た道鏡の下に、太宰神主の中臣習宜阿曾麻呂によって「道鏡を皇位につけたら天下太平である」という宇佐八幡宮のご神託なるものが届けられた。
 天皇は、その神託を確かめるため、最も信頼の置ける法均を派遣することを考えられるが、宇佐はなにぶん路遠く耐えがたきこととして、代わってご下命を受けたのが清麻呂である。
 清麻呂は「わが国は君臣の分が定まっている。いまだ臣もって君となしたことがない。天つ日嗣は必ず皇儲をたてよ」との神託をもちかえった。
 清麻呂、法均は弟姉が諮って、にせのお告げを奏上したとして、共に流罪となったが、一年後に天皇が崩御されると許されて、光仁、桓武天皇につかえ、清麻呂は仏教改革、新都市の造営に尽くし、法均は後宮につかえ典侍となった。

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