七九、正義と仁愛に基く力  
     
   くるりくるりとまわるが如く見ゆるものあり。ソレは太陽のぐるりを廻るところの地球と月なり。月は常に地球を離れず、月と地球は常に相関連して、太陽の周囲を廻るものなり。月と太陽とは昔より日月と称して其関係の密接なるを知る。即太陽は陽にして月は陰なり。陰陽相合して萬生物を生じ、総ての力は陰陽の作用によりて発生する事は、今の世の學問に於ても明らかなるところなれど、今の如き科學の開けざる神代に於ても、陰陽が萬物の根元にして、原動力なる事は、事實(じじつ)として承認せられ居りたるところなり。
 されば昔も今も、其(その)事實を事實として認むる点に於ては、決して変る事無きなり。陰陽は人間世界に於ても、其原動力を為すが如く、天體(天体)に於てもソレを発現し居るなり。此事西洋にても支那にても印度にても認め居るところにして、決して変りたるところなきなり。
 されど此陰陽の道理を誤りて発揮する時、世の所謂(いわゆる)風教をみだして世を下賎(げせん)に陥(おとしい)れる事あるを以(もっ)て、此(この)眞理を眞理として十分理解するはよけれど、其れを其儘(そのまま)放任する時は風教を害するなり。古来有名なる宗教の教祖等にて、所謂(いわゆる)非倫(ひりん)の行為を為して、人倫を誤るが如き事あるは、全く此れが為めなり。其眞理を眞理として直に世に表はさんとするところの宗教に回々教(イスラム教)あり。満蒙には此の教(おしえ)今も猶盛(なおさかん)に行はれおるなり。此宗教は南洋にも盛に行はれ居りて、アラビヤ方面には其信徒殊(こと)に多く、日本にても此頃は此宗教を信ぜんとするもの少なからざるが如し。
 此信徒は多妻主義にて、一男にして数人の妻を公然有するなり。如斯(これ)はクリスト教と全く反對(はんたい)なり。クリスト教にては一夫一婦を主張するを以てなり。クリスト教に於て之を主張するも、其の信徒には之を實行せざるものあり。又クリスト教を信奉する所謂(いわゆる)歐米人には、偽善者多くして人の前に於てのみ正義を称え、一夫一婦を公言すれど、其内面に於ては如何(いかが)はしき行為を為すもの甚(はなは)だ多きを認む。此点より云へば回々教の如く、公然と一夫多妻を称えて、此を實行する方、神の前には寧(むし)ろ善と云ふべきものあるならんと思ふ。
 ソレは兎(と)も角(かく)として陰陽の原理を十分に理解して其(その)原動力を発揮し益々繁殖し益々榮え榮えて、生々発育するを以て理想とするところの宗教は即神道也。ソレ故日本人は古来此方面には、大いに発達したる人類にてありしなり。此方面の発達益隆盛なれば、人々は益々増加すべきを以て、其(その)人間が益々其(その)力(ちから)を発揮する時は、世界を支配するに至るべきなり。唯(ただ)其(その)力を発揮するに際して、常に正義と仁愛とを基礎とする事最も肝要なり。若し正義仁愛を基(もとい)として此力を発揮するに於ては、決して何等(なんら)憚(はばか)るところ無く、此力の勝利は結局人類の幸福なるを以て、大いに賞賛に値するものなりと云ふべき也。
(二十一分)
 
     
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