一四、人間と霊魂 | ||
つらつら世の様を案ずるに強きもあり、弱きもあり、明きもあり暗きもあれど、皆夫々(それぞれ)に其(その)向ふべきところに向ふべきなり。 誰もソレを教へざるが如きに定まれるところ行き、誰もソレを導かざるが如(ごと)きも何ものにか導かれたるが如く動くものなり。何故(なぜ)なるか。夫々に自ら定まれる働きありて存するものなり。 鳥は羽ありて飛び、魚は鰭(ひれ)ありて游ぐなり、人は何によりて働くか、手によるか、足によるか、目によるか、鼻によるか、耳によるか、色々の機関ありと雖(いえども)人たる働(はたらき)を為すべき大本は心なり。其他の機関は皆心の命令によりて働くのみなり、自ら働き得るものは心のみなり。 手ありて手働くと思ふは非なり。口ありて口働くと思ふは不可なり。口あるも手あるも心なければ其用(そのよう)を為さざるなり。心こそは人間の特色なり。蟲に心あるなし。魂は無きにあらざるべきも、人と同じ心は無きなり。 心は神が人間に与へたる特別の器械なり。否器械と云ふは當(あた)らず、神の代理と云ふべきなり。心と云ひ神と云ふ結局は同じ事となるべし。大の萬(ばん)物に長たる所以(ゆえん)は全く此(この)心あるが故(ゆえ)なり。故に其心(そこころ)の働(はたらき)を失ひたる人間は眞の人間にあらずして死人に等しきものなり。又肉死すとも心の働のみありと思ふは非なり。人間にありてこそ心とは云へ、一度人間と別物になれば最早(もはや)心とは云はず、靈魂(れいこん)と云ふなり。靈魂と心とは元々同一物なれど、人間に宿る時にのみ之(これ)を心と云ひ、人間を去ればソレを心とは云はざるなり。人間を離れても猶(なお)存在し、猶活動するものは即ち靈魂なり。 靈魂と神とは同一なりと云へば同一なれど、必ずしも全然同一物にあらざるなり。 神にも色々種類はあるが如く靈魂にも種々の別あるなり。其靈魂を直に誰々と名づくべきにあらず、誰々と命令し得るは人の場合のみなり。詳しくは神の指図(さしず)を受けて初めて之(これ)を知るべきものにて、人間が勝手に名づくべきものにあらざるなり。 神は人間を支配し給ふが如く、又靈魂をも自由自在に使役し給ふものなり。ソレ故人間同様又靈魂には靈魂の世界ありて存ずるなり。人間も正しく進み進みて慾心を全く脱却する時は靈の世界に進み得るなり。ソレ故人間の中には人間其儘(そのまま)の形を保ちつゝも、靈魂の世界と相交通し得るものもあるなり。其両界の関係を明らかにする為めには、此等(これら)の人間と靈魂との交通によるの外(ほか)なかるべし。 (十七分) |
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