ある人にとっての吉日が別の人の吉日とは限らないわけで、つまりエミーはソニックを従えて買い物をしていた。

この日を楽しまなくては一体いつの日を楽しめるだろうか。久しぶりのソニックとのデートに彼女は大張りきり。
そのおかげでソニックは、同時に持てる買い上げ商品の数を更新したらしい。あくまで本人談、だが。
華やかな色取の箱や袋が彼の両腕を占領している。

大量の荷物を抱えて女の子の買い物に付き添うのは生半可な体力では勤まらず、流石のソニックでもそろそろ限界が近い。
目に留まった店にふらふら立ち寄り、品物を端から端まで物色し、触ったり唸ったりと長らく迷った末、欲しい物を気に入った順に選び出す。
不規則に始まり唐突に終了するそのリズムに翻弄され心身共に疲弊する。
まるでテンポが掴めず振り回され、全力疾走よりも重い疲労感が全身を襲う。

しかし先に音を上げて休憩を提案したのはエミーだった。

「何だか歩き疲れちゃった。」

そりゃご立派な身分だな、と、顔が荷物で隠れているのをいいことにこそっと呟く。
もし聞こえでもしたら機嫌を損ね、ピコハンが飛んでこよう。そうでなくても小言が飛んでくる。
今の自分はそれすらも堪え難く勘弁してほしかった。精神も肉体も参っている。でもだから不平も言いたくなる。
なので聞こえない程度にこそっと。

エミーは辺りに喫茶店がないか見回していた。大丈夫、聞こえてない。
とりあえず本当に限界だから、ヘンに拘って歩き回らないでくれとだけ願った。
神様がそれを聞き入れてくれたかどうか、近場にあった手頃なカフェに決まった。ふらふら彼女のあとに続く。

空調が効き屋外の喧噪から離れた室内にBGMが雰囲気を添える。
くつろぐ為に用意されたこの空間は余分な派手さがなく落ち着ける。汗を掻いたので冷気に当たるとひやっとした。
お好きな席へどうぞ、エミーは窓辺の端の席を選んだ。彼女に続いて席に着き、荷物を下ろしたところでようやく両腕が解放される。
一息漏らして緊張が緩むと、掛かっていた音楽に注意が向いた。



レスペリアトゥワァレシッタアム



聞きなれない言葉の歌が流れていた。知らない歌なのは別段珍しいことではない。
こういう場に使われるBGMは音楽やその方面に特別詳しくないと、歌手やタイトルなど知る由もないような曲がよく使われる。

英語とも似つかない外国語、にしても妙に気になる歌だ。耳に残るというよりも耳に浸み込む感じがする不思議な歌声。
妙な言葉づかいが頭に直接響いて意識にも残る。何を言っているのか一切わからない。
知らない言語を操る歌声、しかしそれは伴奏のピアノがもたらす光と神聖なイメージと重なり、高尚で気品のある印象を受けた。
理解不可能な詩は曲の雰囲気と合わせて神の言葉とでも例えればいいのだろうか。
内容がいまいち伝わって来ないので浮かんでくる映像はどうしてもピントの合わないおぼろげなものになってしまう。
理解できる歌だったらもっと鮮明で聞き易いのに、そんな事を思っていた。

ほんの興味本位だったか、会話の手始めにか、このBGMを話題に持ち出してエミーに尋ねていた。

「これは誰の歌か、知ってるか?」
「あら、エリー・A・リバーズよ。」

知っていた。だがエミーも耳にするのは暫く振りで、懐かしいわ、などと言っていた。マイナーとはいえ知る人ぞ知る実力派歌手なのだそうだ。
ポップスと一線を画する歌声は大衆向けとは違うのだろう。
そもそも言葉が分からないのでは何を歌っているのか理解できず、リスナーががはたしてついてきていたのか疑問すら感じる。
作りが流行を生むタイプではないのは聞く限り確かだ。
この詩も歌手が遠い異国の生まれで、その土地の言葉を使用したのかなと適当な理由が頭によぎる。

それはむしろ言葉と違って管楽器のような、もっとインストゥルメンタルな響きを持っていた。そんな言語があるのか、気付いたらまた質問していた。

「一体何語なんだ、これ?」
「造語で意味はないらしいわ。」

この歌手は遠い国の生まれでも、多言語話者でもない、一般的な音楽家なのだそうだ。エミーが聞いてもいないのに勝手に話し出した。
異国の言葉と考えていたのにあっさり候補から外れた。
耳慣れない言葉であることは、いや言葉ではないのだから当然だった。詩から映像も浮かぶはずもない。ただ思うままに口を動かしているだけだったら。
腑に落ちない、と大仰に言えたものではないがどうにもうまくおさまらない心地だ。詩が付かない歌というのは何か不慣れだ。



サルトゥスィアリィミスフォッテソ



聞くほどに神妙な心地がする。だが不思議な事に広い草原と高い青空が思い浮かんだ。
風がそよぎ草が歌う。地上にありそうで、しかし心地よさは段違い。果てなく続き、花舞う丘まで見渡せる壮観な風情。
輝いていた。世界が輝きを放っている。空も雲も草花も風でさえも神々しく生命力溢れる光を放っていた。

きっとこれが天国と呼べる場所。特別じゃない特別な場所。だから地上に似ている。

歌声だけで映像が浮かぶなんて、思ってもみないことに驚いて目を見開いた。さっきまで霞んでいた映像が突然鮮明な姿で目の前に広がった。
いつの間にか目をつむって聞き入っていたようだ。そして知らず曲に引き込まれていた。エミーもそんな彼の様子を目にして、話しかけるのを控えていた。

気に入った?ならウチにCDあるわよ。音楽の世界から帰って来た彼に言う。
常に流行の先を行こうとする彼女は、音楽情報も積極的に収集してこの歌手を見つけ出したそうだ。
もっともリバーズはブレイクすることは無かったが、コアな音楽ファンが絶賛した代物だとか。
エミーも個人的なお気に入りが発掘出来て満足したとのこと。


「なかなかいいセンスしてるじゃない。この人の歌、とっても綺麗であたしも好き。」


確かにきれいで美しいと形容するにふさわしい声だ。しかしソニックはもっと別の感覚、それこそ言葉にならない胸騒ぎに似たものを抱えていた。
ただし悪い感覚ではなく、感情だけがあふれて形にならない感覚なのだ。

歌に対するイメージが覆された。
ヴォーカルと来たらCDの歌詞カードを眺めながら聞くものという観念がどこかにあったから、詩にのせた想いを汲み取ろうとばかりしていた。
その柵(しがらみ)から解放された音楽は意味理解に対する注意が消え、声が、音が持つ本来の豊かさを直に感じることができた。

不思議な透き通る声。次の音ぎりぎりまで声は伸び、緩急自在に流れ淀みなくイメージを運ぶ。
発音の僅かな瞬間にニュアンスを込め、飛翔感がする高音部。裏拍を叩けば更に強くヴィジョンを高くする。
意識するだけでこれほどイメージが変わるものなのだろうか。耳を澄ますほどに音楽の深さを味わえる。
そして今まで自分は一体何を聞いてきたのだろう、もったいない心地が胸に詰まる。

ここで聞けた彼女の曲は一つだけだった。
暫くエミーの取りとめのない話に付き合い、買い物を再開するまで小一時間はあったと思う。
他のBGMにも注意を向けていたのだが最終的に印象が強かったのはリバーズだけ。

荷物をエミーの部屋に届けたら、その時にリバーズのCDを借りよう。目標が出来たので元気が出た。また荷物が重くなることには我慢できそうだ。

カフェを出る時に振り返り、店名を覚えた。「キストゥリット」と読める綴り字を記憶にしまい込む。







































♪  譜面  
LIVEの開幕。
心に響く振動が音楽。