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あらためて「被爆者援護法」を考える

 1994年12月に「原子爆弾被害者に対する援護に関する法律」(以下、「援護に関する法律」)が可決成立しました。しかしこれは被爆50年を前に、現行二法(原爆医療法(1957年)と被爆者特別措置法(1968年))を一本化しただけで、被爆者が長年要求してきた「国家補償に基づく被爆者援護法」ではありませんでした。死没者への弔慰金も被爆者年金も見送られました。

 10月5日、長崎原爆被災者協議会は「援護に関する法律」の成立から25年となるのを機に、濱谷正晴さん(一橋大学名誉教授・社会学)を講師に「『被爆者援護法』学習会を開きました。

 濱谷さんは長崎の被爆者調査にかかわってこられた方で、現在それらをアーカイブとして残す作業を行っています。その一環として「援護に関する法律」制定直後に開かれた日本被団協の緊急全国代表者会議(94.12.23)での議論の様子を学習用のDVDにし、今回上映しました。

日本被団協全国代表者会議での議論から

・この法律を「被爆者援護法」と呼ぶことに躊躇する。国の責任が入らなければ国家補償ではなく社会保障となってしまう。
・不満だが、被爆者と国民のたたかいによって「援護に関する法律」を制定させたという前進面は確認したい。特別葬祭給付金も矛盾に満ちているが死没者と遺族を初めて位置づけた。諸手当の所得制限も撤廃された。
・国家補償を実現できなかったのは力関係。運動をしなかったら前進面はなかった。
・一部には被爆者だけが補償をもらっているという世論もある。一般戦災者を視野に入れた訴えをしないと孤立してしまう。一方で被害者の問題がごちゃごちゃにされないよう、整理して連帯していきたい。
・これまで現行二法の改正に力を入れてきた。「援護に関する法律」も全国の被爆者・遺族にとってプラスになる面を大いに活用し、また改善していく必要がある。

参加者の感想など

 国家補償を求めることは、国の戦争責任を認めさせることにつながる。運動の力が足らないことで、日韓問題も解決できていない。目標は大きく持って運動は草の根から。署名をこつこつ集め、被爆体験を語りつづけたい。
 感動を持って観た。いまの時代を考えていく意味で、「人類の運命に関する問題」と表現されていた、その視点で現代をとらえるべきだ。
 日本被団協は結成時に自らを救うとともに人類の危機を救うために、国家補償の援護法をつくり核兵器を廃絶することを目標を掲げて運動を進めてきた。その実現のためにこれからどうしていくのか。みんなで考えていこう。

 最後に濱谷さんは被爆者の言葉から、その願いを紹介しました。
・人間が人間に対してなしうる残虐なことでこれ以上のことがあるだろうか。核兵器が示した加虐の極限と原爆の奪った人命の尊厳さを思うにつけ悲惨な体験を語り継ぎたい。
・被爆者の苦しみは被爆者であることそれ自体である。
・援護法が制定されれば核兵器を持てなくなる。自分たちはこんな目に遭ったから原爆を使ってはいけないというのが願い。

(2019年10月6日)