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いまこそ分断を乗り越えて

日本の社会運動に見る対立・和解・連帯

 9月18日、ヤスクニ共闘主催の「『靖国』と『侵略』を考える市民のつどい」が開かれ、鹿児島大学教授の平井一臣さん(政治史、地域政治学)が「分断を乗り越えて」と題して講演しました。(以下、概要)

 いまの危機的状況を考える上で88年前の「満州事変」を考えることは非常に意味がある。なぜ当時の日本社会は以後の戦争への流れを止めることができなかったのか、当時の状況を踏まえて検討し、いま何が大事かを考えてみたい。

「満州事変」とは何だったのか?

 旧満州に駐留する出先の軍隊である関東軍が暴走して1931年に鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業として戦争を開始した。軍部にとって風通しのよい体制をつくるために外からのインパクトで国内の政治体制を変えようと満州事変を起こし、成功したのである。当時の軍中央も政権も、議会も保守政治家が圧倒的に多く、軍の暴走を止められなかった。

 しかし市民の中には「まだまだ大丈夫」という雰囲気がかなりあって危機感はそれほどなかった。しかもマスコミは満州事変に対して肯定的な報道を行い、排外主義的ナショナリズムが非常に強まっていた。

 満州事変の6年後に日中全面戦争となり、8年後に第二次世界大戦が起こる。そして10年後には米英への宣戦布告。いったん政治的な危機が本格的に始まり出すと実に速い。気づいたら歯止めがかからない状態になってしまった。

なぜ戦争への動きを止められなかったのか

 それは(1)治安維持法、(2)天皇制の呪縛、(3)運動の分断によるものである。戦前の日本社会運動はすでに治安維持法体制下にあった。主として共産主義者の取締のために導入された治安維持法は一気に社会民主義者、自由主義者にまで弾圧を拡大していく。

 こうした中で強力なイデオロギー装置として機能したのが、明治政府が自分たちの政権を正当化するために生み出した「近代天皇制」だった。

 自由主義者たちは共産主義者たちに必ずしも連帯することはなかった。植民地支配下のアジアに対する連帯意識も弱かった。こうして抵抗運動が根絶やしにされる中で敗戦を迎える。

戦前を引きずる戦後の権力構造

 戦前の権力内部では路線をめぐっていろいろ対立はあったが、その中にいた「反主流」の人たちが戦後の新しい日本の作り手となった。だから彼らは憲法を変えようという気はなかった。これでは話にならないとマッカーサーがGHQ草案を部下につくらせて日本側に示す。当時の保守的政治家からすれば押し付け感があっただろうが、自分の力で新時代に見合った憲法をつくる力がなかったのである。

薄い「勝ち取った民主主義」感

 憲法を変える試みはこれまで何度かあったし、変えたいと思う政治家はたくさんいた。それでも憲法が続いているのは二度と戦争したくないという戦争体験の重みである。しかし戦後70年、長い時間をかけて「獲得」したとも考えられるのだが、自分たちで築き上げたという感が薄い。

戦後日本の社会運動

 戦後日本の社会運動は分裂と変容の歴史でもあった。反戦平和を考えるには原水禁運動が重要だ。言い分はいろいろあるにせよ分裂をしたことは事実。それが運動の展開にもマイナスの影響を与えた。そして高度経済成長の下で市民運動や住民運動が本格的に登場する。良く言えば多様化であるし、悪く言えばバラバラだった。

安倍一強政治の弱点

 安倍政権は不思議な内閣だ。政策の支持率はほとんどないのに政権支持率は下がらない。世論調査でハッキリ出ているように「他にいないから」だ。これは野党にも責任がある。マスコミも味方につけ、小選挙区制の下で自民党の中に対抗できる派閥がなく盤石に見える。ただ積極的に支持している国民はそれほど多くない。したがって人々が一致できるような運動をつくれば安倍政権はそれほど強いわけではない。

危険な排外ナショナリズム

 ただ憂慮するのはいまの日韓関係。安倍政権は改憲をするために日韓関係を利用してくると思う。排外主義的ナショナリズムが高まると異論が出にくくなる。いまはまだ「安倍改憲」に反対が多いが、いったん政権が改憲に突っ走ると、政府に反対すること自体がいかがなものかという雰囲気づくりに使われる危険性がある。

日韓基本条約をどうみるか

 国家間では植民地に関する賠償は行わないことを決めたが個人の権利侵害を訴えるところまで否定したわけではない。また韓国側の当事者は軍事独裁の朴正煕政権でものすごい反対運動を力で抑えた。国民の支持を得るために経済を発展させる必要があった。だから植民地うんぬんは横において日本から金を取るために条約を結んだ。いまの韓国からすれば「前の政府が強引に結んだものをそのまま守れ」はおかしいというのが自然である。

いまこそ分断を乗り越えて

 ファシズム研究では「不可逆点」という考え方がある。ある時点までは抵抗運動や反対運動は許容され、何とか阻止できる。しかしそれを超えると後戻りできない極めて悲惨な事態に陥る。その分岐点にいまさしかかっている。様々な人が結集できるようなうねりが必要だ。韓国のキャンドル集会のように、小さな子ども連れが参加するような、みんなで意思表示することができれば日本の民主主も捨てたものじゃない。

(2019年9月19日)