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We Love 日本国憲法 ながさき集会

 憲法施行70年の節目となる5月3日に「ながさき9条フェスタ」が開かれ、会場にあふれる400人が参加しました。鹿児島大学の渡邊弘さんが「こころとアタマと憲法」と題して講演を行いました。(以下、概要)

 日本国憲法は他国の憲法のいいところを採って仕立てた側面がある。逆に他の先進国の憲法には書かれていない人権があり、それを埋めるためにも改正が必要だったといえる。

 この間、安倍政治に追随する人たちが憲法について語ってきたことは「こころとアタマ」に関することが多い。一番関係深い憲法の条文は19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。世界的にみると、この趣旨の条文は意外と少なく、先進国ではほとんどない。頭の中に考えていることは人には伝わらない。思想の自由は憲法に書かなくても守られるのは当然。わざわざ書いてあるのは戦前の日本はそれを侵した歴史があるから必要だったのだ。

 憲法は基本的人権を保障させるために国家を拘束する法。表現の自由への介入禁止を国家に求めている。ところが安倍政治は立ち入ろうとしている。戦争動員は大学の研究だけでなく、教育の現場にも忍び寄り、「こころやアタマ」に有事法制、安保法制が一体となって作動する状況に入りつつある。

道徳の教科化:学校教育は子どもたちのアタマの中に何をつくり出すかということ密接にかかわっている。「和菓子かパン」の問題ではない。文科省が立ち入ることが問題。ましてや評価するのはもってのほか。

教育勅語の教材利用:「利用はダメ」ではなく、教育的観点、全人格的な成長発達に役に立つかどうかを基準に判断しなければならない。

主権者教育:18歳選挙権が始まり「選挙に行こう」と呼びかけている。主権者という概念は有権者より広く、〇歳から亡くなる直前まで主権者だが、ないがしろにされていないか。民主的でない選挙に子どもたちを動員しているだけではないのか。デモ・集会・署名行動も立派な政治参加なのに奨励しようという動きはない。

 共謀罪で「自分は悪いことしていないから関係ない」という人たちにどう切り込むか。鹿児島の志布志事件では「相談もしていない」人が訴えられ裁判にかけられた。そんな警察に、「共謀罪」という武器を与えたらどんな結果になるかは火を見るより明らかだろう。

(2017年5月4日)