このはなさくや図鑑 〜美しい日本の桜〜
桜の名所と銘木あれこれ−サイト管理者の旅日記
桜の誕生した場所、残されてきた歴史、桜に携わった人々。
そこを訪ねれば、その桜がもっと愛おしくなるものです。
大都会の金王八番宮・澁谷金王桜! (東京都渋谷区) ここは東京、澁谷のまちの中〜 歴史ロマンあふれる 大都会の真ん中、名木の誉れ高い桜を紹介します。 |
金王八幡宮は、1092年に渋谷の地に渋谷城を築城し、 渋谷氏の祖となった渋谷重家によって創建されました。 徳川家光の時代には、春日局によって 神門、社殿を造営されたとあります。 |
金王は、渋谷重家の嫡男常光がこの神社に祈願して 金剛夜叉明王の化身と称したことにより、 金王丸と名付けられたあります。 写真、右が「渋谷金王桜」です。 |
金王八幡宮の記録によると1189年7月7日、 源頼朝が奥州攻めの際、 渋谷に立ち寄り、父義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節を偲び、 金王丸の名を後世に残すべしと厳命し、 鎌倉亀ヶ谷の館にあった憂忘桜をこの地に移植させ、 「金王桜」と名付けたとされています。 その後、江戸時代には、江戸三名桜の一つとなりました。 |
説明板に「金王桜は、長州緋桜という種類で、 雄しべが花弁化したものも交じり、一枝に一重と八重が入り混じって 咲く珍しい桜です。」とありますが、 この説明板は間違いです。 渋谷金王桜は、長州緋桜と同じ種類でもなく、系統も全く違う桜です。 |
渋谷金王桜は、現在に至るまで代々実生より育て植え継がれ、 守り伝えられています。 しかしそこが残念でなりません。実生によって育成されたものは、 親から全ての形質を受け継ぐことがないため、 違う性質が発現します。 現在の株は、元の金王桜の優れた性質である 一重・八重咲きの形質を完全には受け継いでないようです。 頼朝縁の金王桜(憂忘桜)を想像しながら、 その子孫である現在の桜をお楽しみください。 この桜をもう少し知りたい方は、下記より桜図鑑をご覧下さい。 シブヤコンノウザクラ(渋谷金王桜・憂忘桜) チョウシュウヒザクラ(長州緋桜) |