砂金の話
平成十三年五月に新潟県の佐渡島(さどがしま)へ行ってきた。直江津(なおえつ)からフェリーに乗ると二時間半で佐渡の小木(おぎ)港に着く。そこから8の字を描くように車で佐渡を見てまわったのである。

佐渡の最高峰は一一七二メートルの金北山(きんぽくさん)。この山には大佐渡スカイラインという急勾配の道が山頂までついているが、山頂一帯は自衛隊のレーダー基地になっているため山頂に立つことはできない。この道路は軍用道路として作られたものらしい。

金北山は「金山の北の山」を意味しているらしく、この山を南へ下っていくと有名な佐渡金山がある。この旅行ではこの金山がいちばん面白かった。ここが開かれたのは江戸時代初期のことであり、平成元年に閉山するまでの三八八年の間に七十八トンの金を採掘したという。ちなみに人類がこれまでに手にした金の量は九万トンと推定されている。

ここの金鉱脈は、東西三キロ、南北六百メートル、深さ八百メートルの範囲におよんでおり、坑道の長さはじつに四百キロメートルに達するという。これは佐渡から東京までの距離に相当し、一キロメートルの穴を掘って百九十五キログラムの金を得た計算になる。機械がなかった時代にはノミとツチで佐渡の堅い岩盤を掘り進んだのだから、人間の金に対するあこがれは大したものである。

坑道の一つが観光用に開放されていたので入ってみた。ノミの痕がはっきりと残る坑道は、小さな鉱脈も残さずに追いかけて鍾乳洞のように枝分かれしており、人ひとりが腹ばいになってやっともぐり込める小さな坑道もある。

金山の入口は山の高台にあるが、鉱脈の深さが八百メートルあるため、採掘を始めて百年もたつと坑道は海面下に達し、大量の地下水が湧出するようになった。そのため水を抜くことが大問題になり、水をかい出す人夫が不足したため、無宿人や罪人を送りこんで働かせたこともあったという。

金山の近くには砂金を採っていた川もある。その川の横に砂金すくいができる施設があったので挑戦してみた。道具は中華ナベのような形のお皿。その皿で砂をすくい、車のハンドルを回すように回転させると、金は重い金属なので下へ沈んでいく。そこで皿を水中でゆり動かして砂を流すと、皿の底に砂金が残る、という手順である。もちろん前もって金を混ぜてあるのだろうが、キラリとひかる金を見つけるのはとても楽しい。料金は三十分で八百円、一グラムすくえば元がとれるとみんながんばっている。

船の時間が迫っていたので私は十分ほどしかやらなかったが、それでも五つ六つ採ることができた。ところが帰ってから数えてみたら、ビンに入っていたのは三つだけ。小さすぎてビンに入れるとき紛失したらしい。金が貴いといっても耳くそみたいな金では役に立たないものである。

仏道修行は砂金すくいに似ている。砂の中から金を選るように、心の中に隠れている仏さまを探すところが似ているのであり、その作業を坐禅という。だから坐禅堂は選仏場とも呼ばれる。しかしたとえ見つけても、耳くそみたいな仏さまだとすぐに有耶無耶になってしまうから、ズッシリとした金塊になるまで精進しなければならない。釈尊は見るもの聞くものすべてが純金でできている鉱脈を見つけたが、なかなかそうはいかないのである。

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