夢の話

マレー半島にすむセノイ族は、少なくとも数世紀にわたって、警察、刑務所、精神病院、などを必要とせず平和に暮らしたきた。その理由を知りたいと、ある人類学者がこの部族を調査したところ、その秘密は彼らが日常的のおこなっている夢分析にあることが分かったという。

セノイ族は夢を非常に大切にしており、朝食のとき年長者は子供たちが語る前夜の夢の話に耳を傾ける。例えば小さな子が、

「どんどん下に落ちていく夢を見て、こわくて目が覚めた」という話をすると、

「それは素晴らしい夢を見た。ところでお前はどこへ向かって落ちていった。途中でどんな景色を見た」ときく。

「こわくて何も見ないうちに目が覚めてしまった」と子供が言うと、

「それは残念なことをした。次に見るときには、もっとゆっくり見てくるように」と励ます。

するとこんど落下する夢を見るときには、睡眠中でもその言葉が頭に残っていて、落下を恐れずに夢を詳しく体験できるようになる。そしてその内容を報告すると、年長者はさらに次の体験へとみちびく助言を与える。このようにしてセノイ族の人々は、夢を単なる傍観者としてではなく、夢分析をしながら主体的に見る体験を蓄積することで、精神の健康を保っているという。

同じようなことがユング派の夢分析でも行われている。夢分析を学ぶために夢分析を受けたことのある心理学者の河合隼雄(かわいはやお)氏は、「それは惜しいことをした。次はもっとよく見てくるように」と分析家から言われて初めは奇異に感じたが、慣れてくると要領が分かってきて、主体的に夢を学ぶことができるようになったと書いている。

ユングの夢分析に、つぎのような事例がある。戦争神経症の人が、悪夢をくり返し見るので何とかして欲しいと訴えてきた。「一軒家の中で夜中に窓をひとつ閉め忘れたことに気がつき、どの窓だろうと探しまわって最後の扉を開けると、突然大爆発がおこり恐ろしさで眼を覚ます」という夢である。

それに対してユングは、大爆発がおこったとき怖がらずよく観察するように助言した。そこで次に同じ夢を見たときよく観察しようとしたら、今度は爆発ではなくライオンが吼える場面があらわれ、恐ろしくて眼を覚ました。ユングはさらに、そのライオンをよく見るように助言した。

すると次はライオンではなく、恐ろしい人間が侵入してくる場面に変わり、今度はその人間と対決しようと待っていたら、それ以後、悪夢を見ることはなくなり戦争神経症も治ったという。つまり意識は夢に影響をあたえ、同時に夢は意識に影響をあたえているのであり、意識と無意識の相互作用によって高次の統合が行われていくのである。

河合氏が初めて夢分析を受けたときの夢は、「長い夢の中でハンガリーの硬貨を拾い、その硬貨を見ると、仙人の肖像が描かれていた」という不思議なものだった。すると分析をおこなったアメリカの博士が、「ハンガリーについて、君は何を連想するか」とたずねたので、「ハンガリーは東洋と西洋の間にあって、特に音楽などは非常に日本的な所があるように思います」と答えると、博士は「君は西洋と東洋の中間で、非常に価値あるものを拾い上げることが出来るだろう。そのとき仙人で表される老荘の思想が非常に大事になってくるだろう」と言った。そして今にして思えばまったくその通りになっていると河合氏は述べている。初回夢は過去から未来にかけての展望を示す性質があるという。

     
夢による啓示

夢は時として素晴らしい啓示を与えてくれたり、本人が気付いていないこと、気付きたくないと抑圧していることを警告してくれることがある。ユングがある女性患者を精神分析したとき、どうしても分析がうまく進まなかった。ある晩、ユングは彼女の夢を見た。「高い丘の上にあるお城の上に彼女がいて、よほど頭をそらさないと彼女が見えなかった」という夢であった。

このように彼女を仰ぎ見なければならないのは、自分はどこかで彼女を見下しているのではないかとユングは気が付き、そのことを患者に告げて話し合い、それからは分析の状況が好転したという。

宗教や人生問題に興味を持っている女性が夢を見た。すごく有名なお坊さんの講演があるというので聞きに行ったら、残念なことに到着したのは話が終わった後だった。「しまった」と思っていたら、そのお坊さんが出てきて、「あなたは大変に熱心だからこれをあげよう」と特に大事なものをもらい、「ああよかった。これで私も人生のことが分かる」と大喜びし、帰って開けてみたら中に雑巾が入っていた。

この夢を河合氏は次のように分析した。「あなたは本当にいい物をもらった。人の話など聞かなくても、家の廊下や玄関を、誰に見られても恥ずかしくないように磨いているうちに、人生のことがわかってくる」

対人恐怖症の人が夢を見た。自分はもう外へ出て行けるのだが、外出することを考えるとやはり怖い。怖いなあと思っていたら、横に観音さまがすわっていた。その観音さまがヒョイと立ちあがり、「お前がこわがるのなら一緒に行ってやろう」と言ってくれた。観音さまと一緒なら大丈夫だから外出しよう、と思ったところで目が覚めた。

この夢に対して河合氏は、「あなたは、一人でみんなの前を歩くと思うから怖いのであって、観音さまと一緒なら外出できるのではないか。観音さまが現れたのだから、そろそろ面接をやめにしよう」と提言したという。これは治療の終わりを告げる典型的な夢だという。人は一人で生きているのではなくいつも観音さまと一緒、私が患者を治しているのではなく観音さまのお陰、同行二人(どうぎょうににん)だと河合氏はいう。

     
死の予告

ガンを宣告された患者は、恐ろしい夢を見ることが多い。ガンの告知を希望し、ガンを受容しているように見える人でも、うなされるほどの悪夢をよく見るという。寝ているときも死の恐怖を感じているのである。

自分の死を夢で予知する人もある。鎌倉時代初期に活躍した栂尾(とがのお)の明恵(みょうえ)上人は夢を大切にし、「夢の記」という克明な夢の記録を残している。それによると上人は亡くなる二ヶ月ほどまえ病床で夢を見た。「大海のほとりに巨大な岩が高くそびえている。岩の上には美しい花や実をつけた草木が生い茂り、その美しさは譬えようもない。大神通力でもってその岩とまわり十町ほどの海を切り取って、居所のかたわらに安置した」

何とも雄大な夢であるが、上人は「この夢は死夢と覚ゆ。来生の果報を現世につぐなり」と断定している。来生の果報が現世とつながったから死は間近だ、という意味だろうか。

ユングも死のすこし前、彼が死夢と判断する夢を見た。「もう一つのボーリンゲンが光を浴びて輝いているのを見た。ある声が、それはすでに完成され住む準備ができていることを告げていた。そして遠くの下の方の小川でクズリ(イタチの一種)の母親が、とびこんで泳ぐことを子供に教えていた」。ボーリンゲンはユングの別荘の名前である。自分でレンガを積んで作り、電気も水道も引かなかったこの別荘を、彼はこよなく愛しそこでよく瞑想にふけっていた。

二人とも死後に行くべきところが現れてきたことで、それを死夢と判断したようであり、心の深層では私たちは死を予知できるのかもしれない。死の予告の夢を見ても、自分では分からないこともある。河合隼雄氏が夢分析を学んだスイスのマイヤー博士に、次のような事例がある。

夢分析を受けたことのある人が、マイヤー博士に不思議な夢を六つ見たので分析して欲しいと連絡してきた。どんな夢なのかは書かれていないが、博士はそれらの夢を分析し、「夢分析によるとあなたはもうすぐ死ぬだろう」と告げた。そこでその人は死ぬ準備にとりかかり、やり残したことを全部やり終えたあと急に発病し死んでしまった。体の不調を心が敏感にとらえ、夢の中で警告を発したということなのだろうか。

夢分析を受けると、生き方の変更を迫られることがある。その人にとって本当に必要なことが夢に現れてくるからであり、また夢で示唆された方向に生き方を変えなければ、夢分析を受けた意味がないとも言える。ただし夢分析は知識と経験を必要とし、ときには危険が伴うこともあるから、成功させるには経験を積んだ分析家の助けを必要とする。

     
夢を記録する

夢を見ているときの意識状態は覚醒時とはかなり違いがあるから、夢を記録するのはそれほど簡単ではない。夢を見たことすら朝おきたときには忘れていることが多く、見たことは覚えていても内容はたいてい忘れている。夢を見て目が覚めたとき、内容をしっかり意識化しておくと朝までかなり覚えているが、それでも思い出せないこともある。だから見た直後に書きとめておくのが最良であるが、夢うつつでトロンとしている時それをするのは努力を必要とする。こうしたことは試してみるとよく分かる。

夢の内容を文章にしてみると、自分がこんなことにとらわれていたのかと意外に思ったり、その夢をみた理由が分かることもある。しかし夢の内容を言葉で正確に表現することはできない。中心になる場面は鮮明に覚えていたりするから、基本になる場面がいくつか組み合わさって、夢の筋書きが作られるようであるが、夢には曖昧な部分が多く含まれているからである。

     
夢判断

日本では一般に、「一富士、二鷹、三なすび」が吉夢(きつむ)の代表とされており、こうした夢の内容で吉凶(きっきょう)を占うことを夢判断という。顕密円通成仏心要集(けんみつえんづうじょうぶつしんようしゅう)には、良い前兆とされる十の夢が書いてある。

一、仏菩薩聖僧天女の夢。
二、空中に自在に高く上がる夢。
三、大河を浮かび渡る夢。
四、高楼や樹上に登る夢。
五、白山に登る夢。
六、獅子白馬白象の夢。
七、美味な果実の夢。
八、黄衣白衣の僧の夢。
九、白いものを呑み、黒いものを吐く夢。
十、日月を呑む夢。

また悪い前兆とされる七つの夢が、阿難七夢経(あなんしちむきょう)というお経に出ている。これらはすべて仏法が衰微し、出家者が堕落する前兆であると、仏が阿難に説いたという。

一、池の火災の夢。
二、日月星辰の没する夢。
三、出家者が穴に落ち、白衣の在家者がその頭に登って出てくる夢。
四、イノシシが栴檀(せんだん。香木の一種)林に突入する夢。
五、須弥山を頭上に載せても重くない夢。
六、大象が小象を捨てる夢。
七、死せる獅子(しし。ライオン)の中から虫が出てこれを食う夢(これが、獅子身中の虫、の語源かもしれない)。

とはいえ夢は、こうした単純な夢判断で理解するべきものではなく、周囲の状況や精神状態との関連の中で判断しなければならないものである。

参考文献
「明恵夢を生きる」河合隼雄 1995年 講談社文庫
「人の心はどこまでわかるか」河合隼雄 2000年 講談社新書
「カウンセリングを語る」上下2巻 河合隼雄 1999年 講談社文庫

もどる