無文老師の思い出
最近、山田無文老師のことをしばしば思い出すようになった。
私が無文老師の隠侍(いんじ。身の回りの世話係)をしたのはもう四十年も前のことで、期間は一年間、老師の年齢は八十歳ぐらいだったと思う。最近よく思い出すようになった理由は、そのときの老師の歳に私の歳が近づいてきたからであろう。
一年間一緒に生活したが、話をしたことはなかった。初めて肩をもんだとき、もみ始めたとたん、「痛い」と言われたひと言を除けば。
そのとき老師は妙心寺派の管長を引退したあとの隠居の身であった。少し認知症になっていて、誰とも話をすることはなかったが、日常生活におかしなことが出てくることはなく、この人は、人に見せるためではなく、本当に自分のために修行した人だと思った。
すべてを淡々と受け入れて、無心に生きていた。
遅ればせながら今になって、無文老師は本当に悟った人であったとしみじみと思う。
もどる