栗の木の歌
 
「大きな栗の木の下で」は歌詞も曲も作者不明のイギリス民謡。日本語の歌詞は阪田寛夫(さかたひろお)作といわれるが他の説もある。太平洋戦争後に日本占領のために来日した米軍兵士が広めた歌といわれ、日本の歌百選に選ばれている。

  大きな栗の木の下で

大きな栗の木の下で、あなたとわたし
たのしく(なかよく)遊びましょう
大きな栗の木の下で

大きな栗の木の下で、お話ししましょう
みんなで輪になって
大きな栗の木の下で

大きな栗の木の下で、大きな夢を
大きく育てましょう
大きな栗の木の下で

クリ(栗)はブナ科クリ属の落葉高木、樹高は最大二十メートルになり、コナラの木と混生することが多く、葉はクヌギ、樹皮はコナラに似ている。自生種はヤマグリとかシバグリとも呼ばれ、実は九月ごろに落果するが、小さくて食べにくいものが多く、山で栗拾いをするときのコツは、大きな実のできる木を見つけておくこと。栽培品種が多数あってそれらは実も葉も大きい。

クリの木の材は、シロアリも食わないと言われるほど硬く、またきわめて水に強くて腐りにくく、外に放り出しておいても五十年や百年はもつ。そのため昔は線路の枕木とか建物の基礎部分に使われた。木目はケヤキに似ている。
 
クリの木は私の寺の裏山にもたくさん生えているが、巨木や古木といえるような木は見たことがない。小浜線の線路の枕木に使われてしまった、というのが私の勝手な推測である。
 
なおクリの木の枝に、よく目立つ赤いこぶがたくさん付いていることがある。このこぶはクリタマバチの虫こぶ、この大戦中に中国から入ってきたという、クリの木の大敵であるハチの虫こぶは、クリを見わけるいい目印になる。

   里の秋
 
栗の実が登場する「里の秋」は、斎藤信夫(さいとうのぶお)作詞、海沼実(かいぬまみのる)作曲による、終戦直後の一九四五年(昭和二〇年)十二月に発表された童謡。

椰子の木の生える遠い南方の島に出征した父をもつ子供が、母と二人で囲炉裏(いろり)で栗を煮て食べながら、父親の帰りの無事を祈るという歌。これも日本の歌百選の一つ。
 
この歌の歌詞は太平洋戦争の始まった一九四一年(昭和十六年)に、戦意高揚のための歌として作詞されたが、採用されずに放置されていた。その歌詞を戦後に、戦地からの引き上げの無事を祈る歌詞に改変して曲を付けて、この歌は完成したという。

なお、歌詞に出てくるお背戸(おせど)は家の裏口や裏庭、裏の畑などを意味する言葉。

  里の秋

静かな静かな里の秋
お背戸に木(き)の実の落ちる夜は
ああ、母さんとただ二人
栗の実煮てます、いろりばた

明るい明るい星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の渡る夜は
ああ、父さんのあの笑顔
栗の実食べては思い出す

さよならさよなら椰子(やし)の島
お舟にゆられてかえられる
ああ、父さんよ、ご無事でと
今夜も母さんと祈ります

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