至誠の話

山岡鉄舟居士の「至誠無息」という額を檀家さんから頂戴した。これは四書五経のひとつ中庸(ちゅうよう)に出てくる言葉で、「至誠(しせい)息(や)むことなし」と読み、至誠は休むことなくあらゆる場所ではたらいていることを意味している。

中庸には他にも、「至誠は万物の根元であり、天地の道である。そのはたらきは神のごとく永遠至大であり、至誠を体得した人を聖人という。至誠ある者だけがよく人を動かし、よく天下を動かす」などとあるから、至誠は仏教でいう仏心仏性の如きものと考えていいのであろう。

至誠の人といわれる鉄舟居士にぴったりの言葉であるし、字もすばらしいものなので、さっそく表具をし直して本堂に掛けたのであるが、鉄舟さんの草書はまともに読めるものが少なく、この額も最後の一字がどうしても読めなかった。

そこで適当に読んでみた。たとえば「至誠、思い無し」。これだと「至誠は無心である」ということになり、禅を極めた鉄舟さんにふさわしい言葉だと思った。また「至誠、恥ずること無し」とも読んでみた。誠実に生きていれば人にも自分にも恥じることはないということであり、これはためになる言葉だと思った。

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