レディランサー アイリス編3

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7 エディ

 植民惑星《タリス》。
 ただし、現在の人口はゼロ。
 ここに人間が住んでいたのは、数年前までだという。せっかく開発局が海を広げ、地球型の動植物を定着させたのに、移民たちは、わずかな年月で撤退してしまった。
 元々、必要性の薄い、強引な開発計画であったらしい。
「確かに、位置的には不便ですよね」
 ラウンジの大画面に映る青い惑星を見上げて、ぼくは言った。他にいくらでも便利で快適な惑星があるのに、わざわざ田舎星区に住む必要はないのだ。
 地球ただ一つに、百億近い人間がぎゅう詰めになっていた時代とは違う。現在は、一つの植民惑星に、最大でも二億人程度なのだから。
「開発局の悪あがきなのさ。新規開発がなければ、開発局自体も縮小されるだろ。役人たち、自分の椅子がなくなるのは、嫌いだからな」
 と縞シャツ愛好家のルークが言う。たぶん、微妙に異なるブルー系の縞シャツを、何十枚も持っている。口マメで、向き合う女性をいい気分にさせるのが、ルークの得意技だ。
「軍でも、ここらに一つ、核になる市民居住地が欲しかったらしい」
 クルーの制服である、淡いラベンダー色の上下を着たジェイクが言う。彼は、制服があれば、私服の組み合わせを考えなくて済む、というタイプだ。
 もっとも、精悍な長身だから、何を着てもかっこいい。金茶の髪と同じ色の無精髭も、男臭くていい風情だ。どこの寄港地でも、大抵、ガールフレンドが待っている。
「そうすれば予算が付いて、パトロール艦隊を増強できる。違法組織の侵入に対して、外壁を強化することになるわけだ。しかし、普通の市民は〝盾〟になんか、なりたくないからな」
 もっともだ。どうせ暮らすなら、便利で安全な地球寄りの星区がいいに決まっている。
「といって、〝中央〟が縮小するのも困るがな。現在の境界線を守らないと、市民社会は、辺境に飲まれてしまう」
 そう言ったのは、厨房から出てきたエイジだ。深緑のシャツに、制服のズボンという組み合わせ。だいたい、茶系統か緑系統の渋い服を好んでいる。それがまた似合っているから、渋好みの女性にもてる。

イラスト

「こんな綺麗な星が無人とは、勿体ないですね」
 エプロン姿が定番になったぼくが言うと、ルークがにやりとした。
「移民が逃げたのは、他の理由もあるのさ。ここは〝幽霊惑星〟なんだ」
「は!?」
「出るんだよ。そういう噂だ」
「まさか」
 軍にも、新入りを脅かすための怪談がある。
 はるか昔に滅んだ異星文明の残した有機戦艦が、違法艦隊を食い散らかして、不気味な残骸にしてから、去ったとか。
 二百年も前に消息を絶った移民船が、時折、田舎航路に姿を現すとか。
 違法組織から脱走した実験体が、人を食っては、その人の姿に変身して、生き延びているとか。
 むろん、法螺話だ。先輩だって、ぼくが本気にしたら、笑うつもりだろう。
 だから、隅の席で読書していたジュンが、ぼそりと言った時には、驚いた。
「しゃべる猿、だってさ」
「ええっ?」
 ジュンは大抵、躰の線を隠すような、厚手のシャツや作業服を着ている。それも、褐色とかオリーブ色とかいう、地味な軍隊色ばかり。本来なら、オレンジや赤が似合う肌の色だと思うのだが。
「木の上で、お互い同士、人間の言葉でしゃべるんだって。あと、変身途中の狼人間とか。いるはずのない大コウモリとか。そういう目撃例が、幾つもあるんだって。親父が、他船の船長と話してた」
 親父さんが話していたことなら、根拠がないわけではないのか。
「まあ、噂だけどね。あたしは何も見なかった。本当に何かいるなら、軍なり開発局なりが、この星を立ち入り禁止にするはずだもの」
 ジュンは前に二度、この《タリス》に一人で降ろされ、砂漠や雪山でサバイバル訓練をしたという。一人娘をそんな風に突き放すとは、親父さん、内心では、さぞ辛かっただろうに。
「しかし、噂の元になる事実はあるんだよ」
 ルークが楽しげに言う。
「この星に初めて開発局が来た時、既に、違法組織の地上基地があったんだ。建物は爆破されて、残骸だけだったがね。掘り返したら、奇妙な死体がざくざく出てきたそうだ。生物兵器を作るための施設だったらしい。そこで、逃亡した実験体が生きてるんじゃないか、という話になったのさ。移民たちが、妙な話を幾つも報告してる。山の中で、とうに死んだはずの祖父母を見たとか。キャンプ地で迷子になった子供が、狼に送られて、人里に辿り着いたとか」
「はあ」
 どこの植民惑星にも、伝説や怪談はある。人は、合理性だけでは生きられないからだ。ぼくだって、天国はあると信じたい。信じられないのが、現代人の悲しさだ。
 ジェイクが、自分でも納得しかねるように言った。
「たとえ、何かが逃げたとしても、その後、環境の大激変があったわけだから、生き残れたはずはないんだが」
 惑星開発局が、空から氷の小惑星を幾つも落とし、海の面積を増やしたのだ。同時に自転時間を調整したり、地軸の傾きをずらしたりした。
 激震。大津波。火山活動の活性化。バクテリア散布による、大気の大改造。地球型の動植物の移植。
 その惑星大改造を、開発局はたった二十年でやり遂げた。《タリス》が元々、地球に近い条件を備えていたからだが。
「とにかく、今は大陸の端に、ゴーストタウンが幾つかあるきりだ。手間暇をかけて、無駄な改造をしたもんだよ」
「残念な話ですね。それで、この星に何の用ですか?」
 すると、先輩たちはにやにや笑っている。
「おまえ、鈍いぞ」
「まだわからんのか」
 何をわかれと言うのだ。ぼくは今朝になって初めて、《エオス》が、この星へ寄り道することを知ったのだから。
 そこへ、親父さんが入ってきた。いつもの濃紺のスーツ姿で、涼しげなたたずまい。このまま、公式の場にも出られそうだ。
「エディ、次の転移で《タリス》に着く。降下の準備をしたまえ」
「降下?」
「ジュンと一緒に、五日間のサバイバル訓練をしてきてもらう。新入りには、いつも課しているのでね。《エオス》はその間、予定の仕事を済ませてくる」
 ええっ、まさか。
 無人惑星で、五日間もジュンと二人きりなんて……嬉しすぎる。
「親父さん、もちろん命令には従いますが……新入りの訓練なら、ぼく一人でいいのでは?」
 ぼくが戸惑う理由を、親父さんも理解しているはずだが、あえて知らん顔しているようだ。
「ジュンがまだ、経験不足なのでね。きみに同行させることにした。困るかね?」
「いえ、そんな、まさか、決して……」
 道理で先輩たちが、にやにやしていたわけだ。
「ですが、あの……」
「何だね?」
 幽霊話のことを尋ねたら、与太話を本気にしたのかね、と笑われるだろう。この星に危険があると思えば、ジュンを降ろしたりしないはずだ。航行管制局や惑星開発局が星系中に設置した監視ブイや警備衛星は、何の異変も察知していないのだし。
 軍の巡回路もすぐ横を通っているから、何かあれば救援に来てくれる。
「いえ、何でもありません。怪我のないよう、行ってきます。ジュンの安全には、最優先で気を配りますので」
 親父さんも内心では、それが一番の心配だろう。しかし、船長としては、娘を贔屓できないという苦しい立場。
 実はぼくには、この温厚な紳士が、船内で一番の苦手なのだった。尊敬はしているが、打ち解けるには至っていない。ぼくの側にも親父さんの側にも、奇妙な遠慮の感覚がある。
「ジュンは基本的には、自分の身は自分で守れる娘だ。甘やかしてくれなくていい。しかし、それでも何かの時には……よろしく頼む」
「はい、どうかご心配なく」
 ジュン本人は、ごく平静に見えた。
「じゃ、エディ。三十分後に、二番格納庫でね」
 簡潔に言って、すいとラウンジを出ていく。ぼくのことなんか、男と思っていないのだろう。
 それにまた、ジュンの気性なら、ぼくが不埒な真似をしようとしたら、冷静に射殺してのける。無人惑星の土になるのは、ごめんだ。ぼくのことは『忠実な番犬』と思ってもらえるように、努力しよう。

イラスト

 ――迷彩柄の野戦服に、防水のリュック。護身用の銃と弾丸、エネルギーパック。ナイフや調理器具や医薬品など、最低限の装備を詰めて、身支度は完了した。素早い身支度は、軍で叩き込まれたことだ。
 リュックを背負って格納庫に向かおうとしたら、白い開襟シャツを着たバシムに呼び止められた。
「エディ、これを持っていけ」
「薬なら、もう入れましたが……?」
 渡された小袋を見て、ぎょっとした。コンドームとアフターピルの、避妊セットではないか。アフターピルは、避妊に失敗した時に、女性が使う予備薬だ。本来のホルモン環境を乱す劇薬なので、滅多に使うものではないと教わった。
「あの、まさか、そんな、ぼくは」
 ぼくの頭の中の妄想が、他人には丸見えだったのだろうか。
 しかし、バシムは悠然として言う。
「何も、それを使えと言っているわけではない。あくまでも、非常用の備えだ。いわば、男のたしなみだな」
「でも、そんなこと、絶対にありません。手も握っていないんですから。こんなもの、要るわけないです、絶対に」
「ほう。そういう可能性を、考えたこともないと?」
 ぼくは、耳まで真っ赤になったと思う。
 ジュンのあの、細い腰を抱いてみたい。
 なめらかな頬に、手を添わせてみたい。
 さくらんぼのような唇に、キスしてみたい。
 しかし、そういう願望は、慎重に押し隠していた、つもりだ。せっかく、下っ端同士の連帯感が生まれてきたところなのだから。
「それなら、これから考えてみることだ。わたしは何しろ、学生のうちに、子持ちになってしまったのでね」
「えっ」
「学生時代の後半は、双子の片方を腹に抱えて、もう片方を背中にくくりつけて、試験勉強したものだ。結果的には、子供を授かったことは、素晴らしいことだったがね。人生の予定が、大きく狂ったのも事実だ。女が〝大丈夫〟と言う時は、絶対に信用してはいかん。父親になる覚悟があるなら、別だがな」
 哲人のようなバシムに、そんな若い頃があったのかと驚いた。しかし、個人的な話をしてもらえたのは嬉しい。
 今では、双子の息子さんたちは社会人。奥さんのルカイヤさんは、地元惑星で議員をしていて、ずっと別居結婚だという。
 たまにしか会えない船乗りは、忙しい女性には、ちょうどいい夫であるらしい。学生のうちに、好きな男の子供を産んでおくというのは、ルカイヤさんの側の、周到な作戦であったわけだ。
「これは、もらっておきます。ありがとう」
 と感謝して別れた。ジュンがぼくに、大丈夫だからと言ってくれるなんて、天地が逆さになっても、ありそうにないけれど。

「それじゃ、しっかりな」
「幽霊によろしく」
 面白がる顔の先輩たちに見送られ、ぼくとジュンは上陸艇で《エオス》を離れた。青紫のオパールのような惑星は、すぐ眼下に広がっている。
 大気圏に突入すると、艇は銀灰色の翼で滑空し、白い雲の層を抜けて、無人の大陸に降下していった。目的地は大陸の温帯地方、ほぼ真昼時である。
 ぼくたちが無事に、大陸西岸の山脈地帯に着陸すると、《エオス》は衛星軌道から離れていった。この星系全体、探知ブイと警備衛星に守られているから、何か異変があれば、軍のパトロール艦隊が急行してくれる。近くを通りかかった民間船も、救援に来てくれる。
 それに、《エオス》が従えてきた無人の護衛船二隻のうち、一隻は星系外縁に残される。たぶん、その船に助けを求めるようなことは、起きないと思うけれど。
 ぼくたちは外気の確認をしてから(移民が去った後、目立つ変化は起きていないが、念のため)、上陸艇のエアロックを開けた。
 水と緑の匂いがする、甘く香しい空気。
 千五百メートル級の、なだらかな山地の中腹である。この着陸地点は、昔のキャンプ場の跡地だという。
 ここから徒歩で山越えして(それも、ハイキングコースの跡だ)、反対側の中腹にある湖を目指すというのが、予定のコース。
 ジュンが前に降ろされたという、砂漠や吹雪の山地に比べると、きわめて安楽なコースだ。それだけ、ぼくが頼りなく見えたのだろうか。軍でもサバイバル訓練は積んだから、どこに落とされても、最低限の装備さえあれば、生き延びられるつもりだが。
 アンドロイド兵や医療カプセルを積んだ上陸艇は、ここに置いていく。途中で足をくじいたとか、風邪をひいて熱を出したとかいう程度のトラブルなら、この艇を呼べば十分だ。
「いい天気でよかった。雨だと、厄介だからね」
 ジュンは自分のリュックを背負い、地図で方向を確認した。
 空は青く晴れ、白い積雲を浮かべている。気候はちょうど、春から初夏に移るあたり。白い太陽が、広大な緑の山野を照らしている。
「じゃ、行こうか」
 ジュンが先に立ち、何の気負いもない様子で、草の茂った尾根道を歩いていく。ぼくは五、六メートル後ろに付いた。このくらいが、ジュンに不安を与えない適度な距離だろう。
 空では、大きな鳥が円を描いて上昇気流に乗り、地上では、木々の幹を素早いリスが走る。若葉を茂らせた桜の木には、赤い実がなっている。
 草むらには白や黄色の花が咲き、野生化したハーブがあちこちに茂っていた。ディルやミント、バジルやレモンバーム。
「ジュン、ちょっと待ってくれる?」
 ぼくは持参の袋を広げ、ハーブやさくらんぼなどを摘んでいった。ジュンも、採集に協力してくれる。
「エディ、いい匂いがするんだけど、これも食べられる?」
「ああ、それは、よもぎだよ。草餅なんかに使うんだ」
 ぼくはハーブや野草に詳しい祖母から直伝されているので、わかるだけ答え、ジュンを感心させた。
「へえ、これも薬草なの。ヘンルーダかあ」
「タンポポは知ってたけど、ナズナも食べられるんだ」
「これが毒草なの? 綺麗だね、イチリンソウって」
 そうして話しながら歩いていると、ハイキングそのものだった。日差しは強く、汗ばむほどだが、木陰をたどって歩けば、風が気持ちいい。こんな場所をジュンと二人で歩けるというだけで、天に感謝する気持ちになる。
 ――見ていてくれますか、艦長。ぼくはまだ、生きていていいんですよね。ぼくがいることで、ジュンが一度でも余計に笑ってくれるなら。

 歩きやすい尾根を伝い、場所によっては薮をかき分け、岩の斜面をよじ登った。それでも大体は、昔のハイキングコースをたどっている。
 たまに止まって水筒の水を飲み、方角を確かめた。いずれは川に降りて、水を補給しなくては。
 夕方近くになって、前方の茂みから何かが飛び出した。
 途端に白い光が走り、その動きを止める。運の悪い野兎が、ジュンの投げたナイフに仕留められたのだ。
 ジュンはナイフを引き抜いてから、改めて野兎の喉をかき切り、血のしたたる哀れな生き物を、逆さにしてぼくに差し出す。
「はい、今夜のごはん。料理頼むね」
 さすがの腕前。
 しかし、即座にナイフが飛び出す用心深さは、いささか痛々しくもある。ぼくといる時は、もう少し気をゆるめてくれてもいいだろうに。
 ぼくの顔を見てどう思ったのか、ジュンは生真面目に言う。
「可哀想だけど、あたしたちも食べなきゃね」
「うん、わかってる」
 狩りをするのも、課題の一つだった。携帯食料も少しはあるが、それは悪天候や、不慮の事態に備えて取っておく方がいい。
「それじゃ、そろそろ野営の支度をしようか」
「そうだね。暗くなる前に、寝る場所を決めないと」
 ぼくらは、木々の間に見え隠れしていた谷川に降りた。 大きな岩と玉砂利の岸にはさまれて、豊かな川が流れ下っている。
 ジュンが枯れ枝を集めて火を焚く間、ぼくは持参の検査キットで、川の水質検査をした。開発局が責任を持っていた頃と違い、上流で崖が崩れて、有毒な重金属が流れ出しているという可能性もある。
 大丈夫とわかってから、料理にかかった。
(ごめんよ。無駄にせず、綺麗に食べるから)
 野兎に心の中で謝りつつ、皮を剥ぎ、内臓を取り出した。母に田舎の農場で鶏の解体を習ったし、父にサバイバルキャンプを強制された過去もあるから、野外での料理でも、特に困ることはない。
 料理の腕のおかげで《エオス》に乗せてもらえたようなものだから、まさしく、『芸は身を助ける』わけだ。
 山道で摘んだハーブや木の実を、兎の腹の中に詰め、表面に塩をすり込み、大きな木の葉にくるんで、熱くした石の間で土をかぶせ、蒸し焼きにした。
 肉が焼き上がる頃には、空にたなびく雲は、見事な紫と茜色に染まっている。それが暗い青灰色に沈み、一番星が輝きだす。
 さすがに、空気が冷えてきた。周囲に闇が忍び寄ると、ささやかなオレンジ色の炎が、この上なく頼もしいものになっていく。
「美味しい。こんな美味しい肉、初めて」
 切り分けて木の枝に刺した肉を、ジュンが夢中で食べてくれたので、嬉しかった。
「外で食べると、何でも美味しいんだよね」
 小鍋に内臓と野草を入れて煮込んだスープも、いい味である。日程に余裕があるので、早目に料理に取りかかれたのがよかった。
「何といっても、きみの腕前がすごかったよ」
「たまたま、目の前に飛び出してくれたからね」
 ジュンは謙虚に言うが、たまたまなどではない。エイジやジェイクに仕込まれたせいもあるだろうが、元からの覚悟が違うのだ。賞金首の父親を持つ娘は、強くならなければ神経が保たないと、バシムが言っていた。
 だったらせめて、ぼくといる時くらいは、少し心をゆるめてほしい。この五日の間に、どうか、僕に対する信頼が増しますように。

 その晩はよく晴れて、星が美しかった。地上に人家の明かりがないので、夜空は怖いほど深い。
 天の川を背景にして、白い流れ星が幾つも、鮮やかに落ちていった。宇宙で見る星はしんとして冷たいが、地上から大気の層を通して見上げると、柔らかくにじんで、優しくまたたく。
 風情のある星空だと言うと、ジュンも同意してくれた。
「宇宙では、生命維持が最優先だもんね。ゆっくり星を見るのは、地上の方がいいね」
 持参した紅茶のパックでお茶を淹れ、焚火の炎をはさんで、ジュンと話をした。
「すごいな、もう二度も行ったの?」
「うん。親父がね、ママに地球を見せたいって、結婚してすぐ、申請しておいたんだって。あたしが生まれた時にも、あたしのためにね」
 人類の故郷である地球は、惑星全体が貴重な文化遺産として保護されていて、観光客の入星を厳重に制限している。普通は、申し込んでから、何年も待たされるのだ。親父さんの場合は、特例として、優先的に枠を回してもらえたのかもしれない。
「順番が回ってきたのは、あたしが五歳の時と、九歳の時。楽しかったな。お城にピラミッドに、万里の長城……島巡り……京都の桜も見たよ」
 そのお母さんは、ジュンが十二歳の時に亡くなっている。映画では、英雄に助けられた美女は、その後もずっと、幸せに暮らせるはずだったのに。
 その映画を撮ったチャン監督も、親父さんを狙う暗殺者に利用され、爆死したという。その話になると、さすがにジュンの声が湿る。
「遺族からは、責められたよ。賞金首が、のうのうと街を歩くなって。でも、親父に助けられた人たちが、反論してくれた。みんなのために戦う人を排斥したら、それは、自分たちの首を絞めるのと同じだって」
 そうだ。今ならわかる。ぼくはクレール艦長に、積極的に協力するべきだった。
 〝連合〟が殺しきれないくらいの速度で、同志を増やす。
 それしか、方策はなかったのだ。みんなが震え上がって逃げてしまったら、世界は悪党の思うがままになる。
「ママはね、寿命だったの」
 ジュンは揺れる炎を眺めながら、ぽつぽつと話す。
「わかっていたんだ。ママは、特殊なバクテリアとの共生体だったから。外皮を剥がしただけでは、まだ足りなかった」
 外皮を、剥がす!?
 そんな、壮絶な処置が必要だったとは…… 映画では、もっと人間に近い姿で描かれていたから。
「そのバクテリアを除去しない限り、隔離施設から出られなかったんだ。別に、他人に感染するものじゃなかったんだけどね。法律上は、そうなる。でも、それをしたら、中央の技術では、そう長くは保たないだろうって……」
 薬品治療だけでは足りなかった。ジュンのお母さんは、骨がもろくなって背丈が縮み、髪の毛が抜けて、皮膚が乾ききり、最後の数週間で、百歳の老人のようになっていったという。
「毎日、病院に寄るんだけど、あたし、学校帰りだから、お腹空いてるでしょ。ドーナツやケーキを買っていって、ママと一緒に食べるんだけど、それも最後にはもう、一口しか受け付けなくなっていてね。それでも、あたしが二人分食べるのを、嬉しそうに見てたよ。あたしが元気なのが、ママには一番嬉しいんだって」
 ジュンは微笑んでいるが、ぼくには慰めの言葉もない。
 せっかく違法組織から逃げてきても、改造された肉体のままでは、市民社会に受け入れてもらえなかったのだ。
 だったらいっそ、辺境のどこかで、強健な怪物のまま、長生きしていた方が……とも言えない。ジュンのお母さんは、自分で『平凡な家庭の幸福』を選んだのだから。
「大変だったね」
 ぼくにはそれしか言えないが、ジュンはにっこりする。
「もういいの、大丈夫。終わったことだから」
 ぼくとしては、お母さんの最後の日々、せめて親父さんの両親が《キュテーラ》に来て、痛ましい母娘に付き添ってくれればよかった、と思うのだが。
 親父さんは今なお、故郷の一族とは絶縁状態だという。あの穏やかな親父さんが、そうまでして、自分の思いを貫いたのか。
 もしかして、親父さんも、雷に打たれたのだろうか。だから、そう言ったぼくを(少しは)信用してくれた?
 ジュンはしんみりしたことに照れたのか、口調を変えて、明るく言った。
「この《タリス》が本当に幽霊惑星なら、あたしは、ママの幽霊に会いたいけどね。エディは誰か……」
 言いかけて、口を押さえる。
「ごめん。何でもない」
 気を遣ってもらったらしい。初対面の日からしたら、だいぶ優しい扱いになっている。
「《トリスタン》のことなら、普通に話してくれて、大丈夫だよ。《エオス》に拾ってもらってから、だいぶ気が紛れてるんだ。亡くなったみんなも、きっと許してくれると思う。ぼくがこうして、生きていることを」
 するとジュンは、口先だけの慰めではない様子で言ってくれる。
「もちろん、生きててよかったんだよ。誰か一人でも助かって、あんたの仲間は喜んでるよ」
 他人のことなら、ぼくだって、そう言うのだが。
 でも、ジュンの慰めは嬉しかった。ジュンは、自分の気持ちに反することは、言わない子だから。

 焚火を強くしてから、ブーツを脱いで、寝袋に入った。偵察虫を飛ばしてあるので、大型獣が来たら警告してくれる。焚火の火がどこかに飛んでも、警告してくれる。
 ぼくらは焚火を挟んだ位置で、おやすみと言い合った。寝袋にくるまり、頭の部分の防虫ネットを降ろせば、快適に眠れる。
 程よく疲れていたので、たちまち、深い眠りに引き込まれた。幽霊も出ず、狼の群れも現れなかった。
 おかげで翌朝は、早く目覚めた。森はまだ暗いが、空の星は薄れている。空気はひんやり冷たく、草木は清浄な露を帯びて、平和そのものの朝。
 焚火の向こうの寝袋は、空っぽだった。ジュンは起きて、火を焚き直してから、どこかへ行ったらしい。さすがは十代の若さ。
 ぼくも起き出し、小鍋に水を入れて火にかけた。昨日の肉の残りと、これから新たに摘むクレソンで、簡単なスープを作ろう。昨日の夕方、川縁でクレソンの群落を見つけたのだ。
 それから、顔を洗いに水辺に降りた。丸い大岩の群れに挟まれた川は、うっすらとした曙の光の底で、滔々と流れている。
 水筒に水を補充してから、ふと考えた。躰を洗ってもいいのではないか。ジュンの側に寄った時に、汗臭い奴だと思われたくない。
 あたりを見回してから、野戦服を脱いだ。下着は速乾性だから、洗ってもすぐ乾く。下着を岩に干してから、清冽な流れに身を沈めた。頭まで水に潜ってごしごしやり、昨日一日の汚れを落とす。
 躰が水の冷たさに慣れたので、調子に乗って少し泳いだ。流れに逆らい、上流に向かうように泳いでも、たいして移動はできないのだが。
 ふと岸を見て、ぎょっとする。
 ジュンが、大岩に腰かけていた。服は着ているが、裸足の足に、靴下を履こうとしている。ブーツやタオルが、横に置いてあった。髪がまだ濡れているということは、彼女も水浴びしたのか。
 危なかった。もう少し早かったら、裸のジュンと出くわしていたかも。そうしたら、打ち首ものだ。
 それから、はっとして川に身を沈めた。もしや、今、背泳ぎの状態の時、ジュンに核心部分を見られたのでは。
「お、おはよう、早いね」
 自然に挨拶したつもりが、声が上ずっている。ジュンはぼくの慌てぶりをどう見たのか、素っ気なく答えた。
「おはよう」
 それから靴を履き、タオルを持って、すたすた行ってしまった。ぼくは顎まで水に浸かったまま、ため息をつく。
 本当は、ジュンの水浴びを見られなくて、残念だった。想像するに、その姿は、小麦色の人魚だろう。可憐な胸はきっと、ぼくの掌にすっぽり収まるくらい……
 いかん。
 自分の顔を、ぴしゃりと叩いた。急いで引き返して、服を着る。まさか、水浴びを覗こうと企んだ、などと思われてはいないだろうな。
 クレソンを摘んでから焚火に戻ると、ジュンは鍋に残り物を入れて、スープを作ってくれている。
「朝ごはん、こんなでいい? 適当だけど」
 落ち着いたさまに、まずほっとした。
「十分だよ、ありがとう。これだけ、ちょっと加えるね」
 クレソンを入れて味を整え、スープを完成させた。ジュンは近くの茂みから、木苺も摘んできている。ぼくはもう何年も、木苺なんて見ていなかった。懐かしい。サバイバルキャンプとしては、非常に贅沢な朝食だ。
「あのう、さっきはごめん。びっくりさせただろうね」
 食後、貴重な紅茶を飲みながら、ぼくは恐る恐る切り出した。
「たまたま偶然、躰を洗ったついでに、ちょっと泳ぎたくなって」
「うん、偶然はわかってる」
 ジュンは静かに言ってから、にっこりした。
「見ちゃった、エディのお尻」
「えっ」
 ぼくが狼狽すると、けらけらと笑う。
「大丈夫、水面下で、ちらりと見えただけだから。エディって全身、白いね。日焼けしないタイプなんだ」
 快活に言われて、ほっとした。どうやら本当に、痴漢の疑いは持たれずに済んだらしい。ジュンが晴れなら、ぼくも晴れなのだ。
 食事を終えると、手分けして鍋や食器を洗い、火の始末をした。荷物をまとめ、出発の準備をした時、ジュンが言う。
「せっかくだから、もう一回、木苺を摘んでこようかな。この先にまだ、あるかどうかわからないし」
 それがいい、とぼくも認めた。
「じゃ、ぼくはクレソンを摘んで来るよ。すぐ戻るから」
 そして荷物を置いたまま、やや下流の水辺に降りて、クレソンを採集してきた。ついでに、目についたハーブも摘んで、水を打って小袋に入れておく。
 あとは何か、獲物を仕留められれば完璧だ。猪か鹿を捌くとしたら、大仕事になるが。
 鼻歌混じりに元の川原に戻ると、ぼくのリュックだけが残っていて、ジュンの荷物がない。
 妙だな、とあたりを見回した。でも、必要にかられて、リュックを持ったまま、用を足しているのかもしれない。とすれば、探してはまずい。待つことにしよう。
 日は高く昇りかけ、空は青く晴れ渡っている。木々の梢にちらと見えたのは、猿だろうか。蝶や蜜蜂も飛ぶ。まさに、この世の楽園。
 そのうち、不安が湧いてきた。遅すぎる。ジュンはもしや、足でもくじいて、動けなくなっているのでは。負けず嫌いだから、ぼくに助けを求められないのかも。
「ジュン? 今どこ?」
 手首の通話端末で、声をかけた。上空の通信衛星が生きているから、この惑星上、どこでも通じるはず。やはりすぐに、元気な返答がある。
「エディ、悪いけど、ここからは別行動にさせてもらう」
 ぼくはがん、と頭を殴られた気がした。
 なぜ、どうして。
 まさか、リュックの内ポケットに隠しておいた避妊セットを、見られたわけではないだろう。
「待って、ジュン、一人歩きは危ない。さっきのは本当に、偶然なんだ。そもそも、きみが水浴びしてるのも知らなかったし……」
 しかし、通話画面の中のジュンは、くすくす笑っている。
「別にエディは、何も悪くないよ。ただ、競争させてもらおうと思っただけだから」
「競争?」
「そう。どっちが先に湖に着くか、勝負」
「でも、これは、二人で協力する訓練では……」
「こんな楽なルートで、協力もへったくれもないでしょ。あんたはあんたで、山越えして。あたしはあたしで、勝手に行くから」
 そんな、冷たいことを。さっきまでは、あんなに機嫌よく……
 いや。あれは、ぼくを油断させるための演技だ。
「あたしが勝ったら、あたしを先輩として立ててもらう。今後、偉そうな顔はしないでもらうからね。それじゃ」
 通話は切れた。向こうの位置情報も消える。ジュンが、自分の端末の電源を切ったのだ。
 しばし、呆然としてしまった。
 偉そうな顔って、何のことだ。卑屈と言われるなら、まだわかるが。
 そもそも、ジュンとは下っ端同志、仲良くなれたと思っていた。あれは、ぼくの勝手な思い込みで、本当は嫌われていたのか?
 真っ暗な穴に落ち込みそうだったが、とにかく、無人惑星上で別行動はまずい。険しい山ではないが、崖から落ちて気絶するとか、熊に出くわすとかいう危険はある。せめて、ジュンの姿を視界に入れる位置までは近づかないと。
 どうせ、山越えには、このハイキングコース周辺しかないのだ。急げば、追いつける。ぼくはポケットから偵察虫を出し、
「人間を発見しろ」
 と命じて飛ばした。ジュンなら虫を撃ち落とすかもしれないので、残りの虫は温存しておこう。
 尾根道を急ぎ足で昇り、ジュンが電源を切った位置に到達した。もちろん、姿はない。ずっと先に進んでいるに違いない。
 ぼくは額の汗をぬぐい、早足で山道を登っていった。どうして、うまくいかないのだろう。ぼくはジュンに、ぼくを頼ってほしいだけなのに。

8 シド

イラスト

「何という、可愛い小兎かね」
 固定式の椅子に深く腰かけて、わたしは含み笑いをしてしまう。
 周囲の兵たちは独り言と判断して、何も言わない。元々、バイオロイドは口数が少ないのだ。我々人間が、そのように躾けている。
 地上基地として使っている、大型上陸艇の司令室だった。偵察鳥が送信してきた映像を、手元の画面で鑑賞したところだ。
 早朝の川で水遊びをする、短い黒髪の乙女。
 人間に飼育される、ひ弱な兎ではなく、野山で跳ねる野生の兎だ。引き締まった肢体には、一グラムの贅肉もない。
 若い二つのふくらみに、細い腰回り。
 わたしにはロリータ趣味はないと思っていたが、熟れた女にはない魅力があるのは確かだ。手足に青痣の名残りがあるのは、格闘技の稽古のためだろう。報道からすると、たいした闘士らしいから。
 是非とも、この娘が欲しい。
 こんな所で出会うとは、やはり縁があるのだ、わが《ゼラーナ》とは。
 我々はこの《タリス》に四十機ほどの上陸艇を降ろし、数千のサイボーグ鳥を飛ばして、23号の捜索をしていた。
 十五隻の戦闘艦隊は、この星系内の数箇所に分散して、待機している。
 何年もの時間をかけて、ここまでの経路に存在する当局の探知ブイや中継ブイを、こちらの用意した偽物にすり替えたのだ。そうすれば、軍にも開発局にも、我々の動きを知られずに済む。
 二十年前の、一連の事件が始まりだった。わが《ゼラーナ》の二箇所の研究施設から、計三体の実験体が脱走したのだ。職員を殺し、他の実験体まで一緒に吹き飛ばして。
 同型の遺伝子セットから培養した13号、19号、23号。
 それぞれ違う処置を施したので、成長後の形態や能力は異なるが、同じ土台から出発したという意味では、姉妹といえる。
 この不祥事は皮肉なことに、実験の成功のためだった。何十年もの人体実験の結果、ようやく、知能が高く、攻撃力の強い完成品に到達したからだ。
 だが、そうなると、反逆の能力も持ってしまう。
 当時の統率者は、ただちに艦隊を派遣して追わせたが、三体とも逃がしてしまった。
 そのうち、13号の運命だけはわかっている。彼女は中央に亡命し、自ら望んで高度な戦闘能力を捨て、普通の市民に混じって暮らし、数年前に病院で死んだ。一人の娘を残して。

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 19号は、13号と協力して逃げたが、ヤザキ船長と共に追っ手と戦った後、自分一人で宇宙のどこかに消えた。旧人類に頭を下げる必要はない、という考えだったようだ。辺境のどこかで、まだ生きているのなら、自分の能力を磨き上げ、更に手強い怪物になっているだろう。
 そして、残る23号は、まだこの《タリス》に潜伏しているのではないか、とわたしは考えていた。
 当時、捜索の途中で、惑星開発局の調査船団がやってきたので、こちらは退散するしかなかった。ちまちました海賊行為は構わないが、惑星連邦政府に対する本格的な武力攻撃は認めないというのが、〝連合〟の基本方針だからだ。
 しかし、その後の奇妙な噂。
 撤退した移民。
 噂を全て信用するわけにはいかないが、もしかしたら、23号が関わっているのではないか。
 撤退した移民たちに混じって、こっそり他星へ移動したかもしれないが、現在までのところ、移民たちの追跡調査で、それらしい異変は確認されていない。
 一度、この星を洗う必要がある。他組織に横取りされる前に回収するか、抹殺するかしなければ。
 もちろん、生物兵器の研究は継続している。だが、彼女たちの能力を再現しようとする実験は、うまくいっていない。施設の破壊で、詳しい資料や、担当者の知見が失われているからだ。
 やはり、本物を捕まえるのが一番いい。
 当時、わたしはまだ幹部の一人に過ぎなかったが、その後、邪魔者を倒して、トップの座に就いた。地位が安定したので、昔の事件を掘り起こす余裕ができたのだ。
 部下に任せず、自らここまで出向いてきたのは、基地で退屈していたためだ。また、それほど信頼できる部下がいない、という事情もある。あえて、ナンバー2は作らずにきたからだ。
 何千人もいるバイオロイドの兵士は従順だが、自分の頭で考え、臨機応変に対応する能力はない。
 数百人いる人間の部下は、それなりに意欲的で有能だが、しばしば裏切りを企むので(このわたしのように!!)、あまり大きな権限は与えられない。ナンバー3以下の中級幹部でも、こういう現場に同行すると、常に背後を気にしていなければならないので、無駄に疲れる。
 結局、自分がじかにバイオロイド兵を指揮するのが一番いい、ということになる。
 しかし、この狩りは楽しいことになってきた。よりによって、《エオス》が来るとは。
 ヤザキも呑気な男だ。星系外縁に見張りの船を残したくらいで、娘が安全だと思うのか。わたしだからいいが、どこかの変質者にさらわれたらどうする。兎をナイフで仕留める美少女だぞ。
 それが早朝の川で躰を洗い、裸のまま、魚や蟹を追って遊んでくれた。おかげでわたしは、久々の渇望をかき立てられている。
 捕まえて、からかい、ちくちくと虐めてみたい。
 必死に顔を背けるものを、無理に抱き寄せてみたい。
 バイオロイドの女なら、何をされてもただ耐えるばかりだが、この少女なら、誇り高く刃向かってくれるのではないか。
 引っ掻き、噛みつき、罵倒し、力尽きるまで抵抗してくれたら、素晴らしい。それでこそ、征服する甲斐があるというものだ。
 ただ問題は、この娘を拉致すると、数日後に戻ってくるだろう《エオス》が、騒ぎ立てることだ。軍が大挙して押し寄せてきたら、こちらは退散するしかない。
 〝連合〟の最高幹部会は、傘下の組織に、軍との正面対決を禁じている。それは、市民たちを無用に刺激しないためだ。人類社会が最高幹部会の支配下にある現実に、目覚めないままでいてくれる方がいい。
(まあ、賭けだな)
 この星に、23号がいる確証もない。13号の娘を手に入れるだけで、十分な成果かもしれない。
 何しろ、ヤザキには赤恥をかかされた。映画まで作られてしまい、《ゼラーナ》の強欲と無能を、世界に宣伝されてしまったのだ。
 むろん、固有名詞は変更されての映画化だったが、わかる者にはわかる。あちこちの会合で、幾度も、他組織の幹部たちに冷笑されたものだ。
 わたしがトップに立ったからは、名誉挽回してみせる。脱走者の娘を捕獲して、調教するさまを撮影し、世界に売り出してやろう。
「売れるな、いい映画になるぞ……父親は、憤死間違いなしだ」
 わたしは兵たちに命じて、少女を拉致する段取りをつけた。ついでに、お供の青年も捕獲しよう。違法都市で売り飛ばしてもいいし、洗脳して、部下にしてもいいのだから。

9 ジェイク

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 黒髪の渋い中年男は、苛々とラウンジを歩き回っていた。コーヒーを飲んでも、ニュース番組を見ても、少しも落ち着かないようなのだ。
 そこまで心配なら、《タリス》に降ろすのは、エディだけにしておけばよかったのに。
 公平ぶって、ジュンにまで、サバイバル訓練を課すことはなかったのだ。あいつはもう二度、苛酷な訓練を乗り越えているのだから。
 俺たちは、あえて知らん顔していた。親父さんも少し、娘離れすればいいのだ。ジュンとエディなら、似合いのカップルではないか。強気と弱気、足して二で割ればちょうどいい。
 もっとも、エディの奴、俺たちと対決した時は、弱気どころではなかった。やはり男は、女がからむと度胸が出る。
「あー、ジェイク」
 ついに、哀れな父親は俺の所へやってきた。
「今回のサバイバル訓練、なぜあのコースなのかね。砂漠でもなし、高山でも密林でもない」
「親父さん、エディの根性がまだわからないのに、あまり危険なコースへは送れませんよ」
 と答えた。
「あいつは屋内では有能ですが、樹上から蛇が降ってきたら、卒倒するかもしれない。軍のサバイバル訓練なんて、生ぬるいですからね。奴がジュンの足手まといになったら、困るでしょう」
 ジュンの訓練担当は俺たち三人だから、親父さんも、俺たちの決定には滅多に口を出さない。
 軍の訓練が甘いのも、本当だ。この現代、本当に苛酷な訓練など課したら、新兵は全員逃げてしまう。俺のように、必死で軍にしがみつく者など、滅多にいない。

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 ――俺の場合は、父親が犯罪に走ったからだ。
 司法局員という立場にありながら、懸賞金のかかった政治家を暗殺しようとして失敗し、辺境に逃亡した。
 残された母親もまた、阿呆と釣り合う、見栄張り馬鹿女。
 その屈辱を晴らすために、俺はエリート街道を目指した。親が自慢できないなら、自分を誇れるようになるしかない。
 だが、それもまた、虚しい努力だった。
 現在の軍には、市民社会を防衛する意志もなければ、能力もない。
 本気で治安を守るつもりなら、〝連合〟と正面対決しなければならないのに、その現状を認めることさえしない。
 市民の大多数が、表面上の平和に馴れてしまっているからだ。辺境の違法組織など、半端なはぐれ者の集まりくらいに思っている。
 自分たちが、彼らの管理する牧場の羊だという苦い現実は、最後の最後まで、見ないようにするだろう。
 その点、親父さんはわかっている。一市民でありながら、自ら戦う手本を示し、市民社会への呼びかけを続けているのだ。
 この現実に目覚めよ、と。
 娘を溺愛するという弱点くらい、あってもいい。
 その娘がまた、困った頑固娘だが……

「それに、ジュンにとっては、年の近い相手と協力するのは、いい経験ですよ。今までは、俺たちから一方的にしごかれるだけでしたからね」
 と説得を続けた。
「心配ないですよ。何かあれば、ルークが三十分で駆け付けますし」
 星系外縁に残したレンタル船には、ルークがいる。初回は俺が、二度目はエイジが、《タリス》を見張りながら、こっそり待機していた。過保護親父が、ジュン一人を無人星系に残していくなど、有り得ない。
 もちろん、ジュン本人には、陰の見張りのことは教えていない。知ったら気が抜け、甘えが出る。
「いや、わかった。ちょっと聞いてみただけだ。気にしないでくれ」
 過保護親父は、しょぼくれた背中を見せて立ち去った。娘を持つ父親というのは、報われない永遠の片思いをしているようなものだ。俺にはまだ子供どころか、決まった女もいないから、他人事だが。
 しかし、エディはいい拾い物だった。一度どん底に落ち、そこで何かを悟ったのだ。《トリスタン》の事件がなければ、きっと今でも、呑気なお坊ちゃん軍人のままだったろう。
(せっかく送り出してやったんだから、何とかしろよ)
 と俺たちは内心、エディに呼び掛けている。
 もし、ジュンが間違って妊娠、などということになったら(バシムが、エディに避妊セットを持たせたというが、そんなもの、頭に血が昇った時には、思い出しもしないだろう)、親父さんは卒倒するかもしれないが、願ってもない間違いではないか。
 エディなら、生涯、ジュンのいい番犬になるだろう。
 俺だって内心、少しは苦いものを感じているが……それは、妹を奪われる兄の気分だからだ。ほとんど、男の子と見分けがつかないような妹だが。

10 ジュン

 エディが息を切らせて坂道を上がっていく間、あたしは、そっと下流方向に離れていた。川向こうに渡ってから、ゆっくり山を登っていけばいい。勝負の勝ち負けではなく、エディから離れることが目的なのだ。
 ――一緒にいたら、甘えてしまうだけだもの。
 エディは優秀すぎる。そして、あたしに親切すぎる。
 困るのは、その優しさなのだ。
『ああ、重いものはぼくに任せて』
『夕食はハンバーグにしようか、それともロールキャベツ?』
『この映画はお勧めだよ。お茶を淹れるから、一緒に見ない? バナナケーキもあるよ』
 一緒にいると心地よくて、つい、ぼうっとしてしまう。自分が溶けてしまって、輪郭がなくなりそう。
 あえて闘争心をかき立てないと、あたしは、一人で立てなくなってしまう。
 誰かに甘えるなんて、恐ろしいことだ。だって、いつまで一緒にいられるか、何の保証もないんだもの。
 そもそも、エディの中には、亡くなった女性が住んでいる。
 リナ・クレール・ローゼンバッハ大佐。
 エディの部屋に予備の寝具を届けた時、荷物に紛れていた写真を見てしまった。栗色の髪をショートカットにした、理知的な美女。毅然として、しかも温かみのある微笑み。
 気になって、軍の記録やマスコミの記事を調べてしまった。まさに、軍人の手本のような人。《トリスタン》の乗員たちの写真もあったけれど、それは何かの行事の時の集合写真で、大佐の写真だけ別になっているんだもの。
 もしかして、エディは毎日、写真に語りかけているのではないか。親父が部屋でこっそり、ママに話しかけているように。
 それを考えると、あたしは力が抜ける。今の親父にとって、あたしが一番だというのはわかっているけれど、それは、一位が退場したための『繰り上げ当選』にすぎない。
 どんな気分だろう。男の人に、最優先で愛される、というのは。
 その人には、どんなわがままを言っても許され、可愛いと思ってもらえるのだろうか。
 うらやましいけれど、でも、だめ。
 あたしには、することがある。
 親父の首に懸賞金が懸かっている限り、うっとり、ほんわかなどしていられない。エディがあたしに腹を立て、冷たくなってくれるくらいの方がいいのだから。

 あたしは川幅の狭い箇所を選び、岩から岩へ飛んで、向こう岸へ渡った。尾根の向こうに出れば、エディの飛ばした探査虫にも発見されないだろう。
 ところが、川岸の斜面を登るうち、虫がわんわん飛び回っている場所にさしかかった。深い草むらの中に、何頭もの動物の死体が散っている。
 鹿、山羊、猪、狼、熊。
 全て、レーザーで胴体を撃ち抜かれていた。腐り方からして、精々、ここ一週間以内の出来事。水場に降りる途中で狙われた、あるいは、死骸に引き寄せられたところを狙われた、という感じ。
 ただ、なぜなのか、即死させてはいない。頭部と心臓部は、避けて撃っている。
 苦しませるために、あえて急所を外した?
 昔の移民は、もう一人も残っていない。ここへ立ち寄った船も、最近は《エオス》だけのはず。
 非常にまずい。エディと合流しよう。軍に通報する方がいい。
 その時、空から黒い影が舞い降りた。あたしの横を、矢のようにかすめ飛ぶ。
 猛禽型の偵察鳥とわかった時には、顔をかばった手の甲に、何本もの微細な針が突き刺さっていた。抜こうとするとポキポキ折れて、針が体内に残ってしまう。たぶん、溶解性の毒針。
 猛毒ではありませんように、との願いも空しく、急速な麻痺がきた。あたしは草地に膝をつき、前にのめる。支えようとした手に力が入らず、頭が地面にぶつかった。視野が暗くなる。
 ――あたし、まさか、こんなところで死ぬの。
 だったら、あたしの方こそ、化けて出てやるんだから。

11 エディ

 ぼくは疲れはて、リュックを背負ったまま、涼しい風の通る尾根道に座り込んでいた。
 どうやら、偵察虫を飛ばす方向が間違っていたらしい。有機素材でできた虫は、時間が経てば、鳥に食われたり、蜘蛛の巣にかかったりして、失われていく。頭上の衛星からも、森の中に隠れた人間を発見するのは難しい。
 ぼくには全然、女心がわかっていないのだろう。ぼくを励ましてくれる先輩たちだって、男だからな。誰か、女性の助言者がいればよかったのに。
 その時、さわさわいう葉擦れに混じって、低いささやきが聞こえた。
 ――逃げなさい。
 ――逃げて、狙われている。
 はっとして頭を上げ、周囲を見渡した。明るい陽光に、きらきら輝く緑。杉や檜、桜や楓、樫や椿の混合林。斜面の下には、さらさらと流れる川。
 今のは幻聴か?
 まさか、真っ昼間から幽霊なんて。
 怪しんでいるうち、頭上から何かが急降下してきた。反射的に懐の銃を抜き、レーザーモードで撃つ。どさりと落ちてきたのは、褐色の羽を持つ猛禽だ。開いた口の中に、銀色の砲口がのぞいている。
 警備用のサイボーグ鳥だ。
 こいつ、ぼくを撃つつもりだったのか!?
 次の鳥が、高い梢から急降下してきた。明らかに害意がある。走りながら、身をひねって撃ち落とした。
 ぼくらの上陸艇には、サイボーグ鳥など積んでいない。移民たちが残したものでもない。市民社会では、サイボーグ鳥の飼育に厳しい規制があるからだ。
 こんな時に、ジュンと離れ離れとは。
 また別の鳥が来たので、林の中へ逃げた。手首の端末から、艇に緊急信号を送る。これは上空の衛星にもキャッチされ、軍に通報されるはず。
 だが、もし、中継ブイが破壊されていたら。あるいは、パトロール艦の到着までに、手遅れの事態になったら。
 川原に出る手前で、愕然とした。川向こうの尾根の更に向こうに、見知らぬ小型艇が降下していく。
 ジュンはあそこだ、と悟った。
 あの艇は、ジュンを収容するために舞い降りたのだ。
 ぼくは砂利の上にリュックと水筒を捨て、予備の弾倉だけリュックのポケットから抜き取ると、岩を踏んで川を飛び越えた。銃を弾丸モードに切り替え、大型獣のために持ってきた炸裂弾を使うことにする。
 しつこい鳥がまた襲ってきたが、それを撃ち落として走った。鳥程度のものは、この弾丸に遭えば、微塵に飛び散る。
 斜面を駆け上がり、尾根の上に出た。若葉の茂った木々を透かして、谷間の平地に着陸している小型艇を見つけ、そちらに走る。
 艇の周囲に、灰緑色の制服を着た兵士たちが散っていた。六体か七体。背丈の揃った屈強な体格、灰色の皮膚、黒いゴーグル。心を持たないアンドロイド兵だ。
 中の一体が、ぐったりしたジュンを抱いて運んでいる。他の兵が、ジュンのリュックや水筒を下げている。
 目を閉じて顔を仰向け、だらりと手を落としたジュンを見た瞬間、かっと脳が煮え立った。普段はぐじぐじ悩む性格のくせに、自分にあれだけの兵を倒せるかという、最低限の計算すらしなかったのは、呆れたものである。
 ぼくは撃ちながら、木々の茂った斜面をじぐざぐに駆け下りた。手前にいた兵が、胴体を大きく吹き飛ばされて倒れる。銃弾の破壊力は十分だ。
 ジュンを抱いた兵は、他の兵にかばわれて、艇へと向かう。他の兵は散開し、木や岩の陰から撃ってくる。
 ぼくの後ろで、細い木が幹を砕かれ、絡んだ蔦を引きずって倒れた。怖いと思うゆとりすら、ない。連射で、立ち木ごと兵を吹き飛ばし、回り込んで艇を目指す。
 次に立ち塞がった兵を吹き飛ばした後、足が木の根にひっかかり、躰が前へ泳いだ。その途端、ドンという衝撃を受ける。
 何が起きたか、わからない。
 ただ、取り返しのつかない凶事と感じた。
 そのまま前へ倒れ込み、木の枝で顔を切ったと感じたのが最後で、すぐに、全てが闇に包まれた。

12 アイリス

イラスト

 兵たちは、意識のない少女だけを連れて、上陸艇で飛び去った。金髪の青年は、斜面の草むらに放置されたまま。
 死んだ、とみなされたのだ。心臓直撃では、無理もない。
 わたしは迷ったが、ほんの一瞬のことだった。どうせもう、このまま隠れ続けるのは無理だ。追い詰められて核兵器で焼かれるか、あるいは、毒ガスで根絶やしにされるか。
 わたしは飛んだ。木の枝から、小鳥の集団として。
 そして、動かない青年の背中や、その周辺に舞い降りた。幸いなことに、もう敵の偵察鳥はいない。
 小鳥の一羽が変形し、青年の傷口に潜り込んだ。それでは足りないとわかり、もう一羽が、やはり変形して潜り込む。
 心臓と主要な血管を修復し、脳への血流を再開させるのだ。失われた骨と筋肉、肺や皮膚の再生はその後。幾度も動物たちで実験してきたことだから、手順は覚えている。
 青年の肉体と一体化するのは、膨大な〝わたし〟のごく一部。
 この大陸中に散った、何十万もの小鳥やリス、猿や山猫たちが、みな、わたしの精神と万能細胞を受け継いでいる。
 〝わたし〟のネットワークが、既にこの星を覆っているのだ。
 そこへ、うかうか降りてきた者たちこそ、袋のネズミ。
 〝わたし〟だけでも戦えるが、せっかくだから、この青年も利用しよう。 この星から去った移民たちは、超空間航行ができる船を残してくれなかったのだ。自力で小型船を組み上げても、隣の星系まで一万年かかるようでは、意味がない。
 わたしが自由を得るためには、人間の造った船が必要なのだ。それも、できれば、違法組織の技術が詰まった新鋭艦が。

13 ジュン

イラスト

 飛行する機体の中で、目が覚めた。
 静かな飛行だが、それでも、飛んでいることはわかる。
 横の窓から、外の青空と、ホイップクリームを落としたような白雲の群れが見えた。上昇ではない。水平飛行だ。
(あたし、どうしたんだっけ)
 しばらくぼんやりしてから、座席に、シートベルトで固定されていることを理解した。ベルトはロックされていて、外れない。
 おまけに、両手首に、幅広い手錠がかけられている。内側が柔らかい素材なので、痛くはないが、左右の手首が十センチしか離れない。もちろん、左手首にあった通話端末は、取り上げられている。
 あたしの座席は、何列かある乗客席の一番前だった。二メートルほど前方の、二つ並んだ操縦席には、誰かいる。背もたれが高いから、肘しか見えない。
 咳払いして、喉の具合を試してから、あたしは吠えた。
「あんたたち、どこの誰!? ふざけた真似をすると、ただじゃおかないよ!!」
 負け犬の遠吠えだとしても、黙って屠殺される趣味はない。
「お静かに、お嬢さん。貴女に危害は加えません」
 片方の兵が、振り向いて言った。感情のない灰色の顔と、平板な合成音声で、アンドロイドとわかる。やはり、どこかの違法組織だ。
「これが、危害じゃないっての!? あんたたちの主人は、どこ!?」
 すると、機内の通話システムから声が流れた。
「元気がいいな、お嬢さん」
 深い響きを持つ低音で、自分の優位を楽しむ気配があった。こんな時でなかったら、セクシーな声だと思うところだ。監視モニターを通じて、あたしの様子を見ているのだろう。
「我々は、違法組織《ゼラーナ》だ。まあ、〝違法〟と呼ぶのは市民の側の思い上がりで、我々としては、独立国家のつもりだが」
 がんと殴られた気がした。
「《ゼラーナ》だって……?」
 それは、ママが逃げてきた組織ではないか。あたしの意識の中では、とうに完結した昔話である。
 違法組織から脱走してきた母は、《エオス》で輸送船稼業を始めたばかりの父と仲間たちに出会い、救われた。市民社会に加わって、幸福な結婚生活を送り、そして死んだ。早すぎる死ではあったけれど、母の物語は幕を閉じた……はずだ。
 反射的に、防衛本能で訴えた。
「あたしは実験材料じゃない!! ママの遺伝子は、もらってないんだから!!」
「わかっている。連邦は、実験体の繁殖を認めないからな。しかし、きみが13号の娘であることは、世界中が知っている。わたしにとっては、価値ある獲物というわけだ」
 恐怖で身内が冷たくなった。こいつ、あたしをどうするつもり。
 怒りを鎧にして、内心の怯えを隠したつもりだけれど、男は見抜いたらしい。不気味に優しげな声で言う。
「心配しなくていい。きみは若くて、可愛いからね。洗脳したり、切り刻んだりなどしないよ。そんな勿体ないことは、とてもできない」
 鳥肌が立った。別の意味で怖い。それにまた、本筋の懸念もある。
「あたしを人質にして、親父を捕まえるつもりだな。懸賞金が目当てだろ」
 あたしのせいで、親父が殺されたりしたら、あたしだって、生きていられない。
「いいや、金には困っていない。今回、きみの父上に用はないよ。ここへ来たのは、昔、うちの組織を脱走した実験体を探してのことだ」
 そうか。昔ここにあったのは、《ゼラーナ》の施設だったのか。では、移民たちを怖がらせた幽霊話の元は、その実験体だったのかも。
「動物を殺したのも、あんたたち?」
「そうだ。その実験体、23号は変身能力を持っているのでね。どんな動物の姿をしているのか、わからない」
「だからといって、この星の動物を全部殺して回るつもりじゃ……」
「必要があれば、そうする。その艇は間もなく、わたしの元に到着する。じかに会えるのを、楽しみにしているよ」
 通話は切れた。ママは、こういう奴らから逃げてきたのだ。そして、永久に追っ手の届かない場所へ去った。でも、現世にいるあたしたちは、戦わなくてはならない。
(そうだ、エディはどこ!?)
 この機内に囚われているのか、それとも、山中を逃げ回っているのか。
 《エオス》に連絡しようにも、中継設備が乗っ取られている可能性が高い。遺棄された植民惑星なんか、訓練の場所に選んではいけなかったんだ。

 機体は、山地の麓の草原地帯に着陸した。周囲には大小の上陸艇や強襲艇が七、八機、新製品の展示場のように並んでいる。見張りの兵士たちも、あちこちに立っている。ここが前線基地というわけか。
 あたしはその中の、最も大きい機体に案内された。要所は、アンドロイド兵とバイオロイド兵の組み合わせで警備されている。
「初めまして、お嬢さん」
 司令室で待っていたのは、白い服を涼しげに着こなした、大柄な男だった。
 オールバックにした黒髪に、細い灰色の目、太い眉、存在感のある鼻、大きめの口、割れた顎。全体として、重量級の伊達男という印象。
「わたしはシド。《ゼラーナ》の代表者だ」
 複数いる幹部の一人ではなく、頂点に立つボスということか。
 年齢は四十代に見えるが、実は二百歳かもしれない。辺境の人間は不老処置を受けているのが普通なので、実年齢は見当がつかないのだ。
「《エオス》が戻ってきて、大事な娘が行方不明とわかったら、英雄の船長殿はどうするかな。楽しみだ」
 高い位置から悠然と見下され、手錠付きのあたしは奥歯を噛み締めた。
「やっぱり、そうじゃないか。親父を最高幹部会に売り渡して、賞金をせしめるんだろ」
「それも悪くはないが、わたしとしては、23号の方が、いい商売になりそうな気がしている。まだ生きているのなら、是非捕まえたいね。いま、体重三十キロを目安にして、大型獣を撃たせている」
 部屋の壁の大半を占める大画面には、惑星全土の地図が投影されていた。それに重なる小画面に映るのは、密林、氷河、高山、湖、大河、草原、砂漠、極地。
 そして、そこに倒れている、たくさんの動物たち。ライオン、象、サイ、キリン、虎、熊、猪、野牛。
 まるでゲームのように、偵察鳥たちがビームを吐き、動物たちを射殺していく。そして、倒れた動物の上に舞い降りては、爪を突き刺して、細胞を検査する。反応がネガティブだと、また舞い上がって、次の獲物を狙う。
 撃たれて死んだ母イルカが波間を漂い、子供のイルカが、その躰を鼻先でつついている映像もあった。ママ、どうしたの。どうして、起きてくれないの。
 あ、だめ。
 こういうのを見ると、涙腺が刺激される。
 映画でも特に、親子の別れの場面に弱い。作り物に泣かされるなんて恥ずかしいから、悲しい映画は絶対、人と一緒には見ないけど。
「これだけ殺して、まだ見つからないの。下手なやり方だね」
 と軽蔑を込めて言った。シドは動物に感情移入はしないらしく、淡々と言う。
「あるいは、よほど巧く隠れているのか。それとも、こちらの予想外の姿をしているのか。とうに死んでいるか、この星から逃げている可能性もある。当時の担当者が死んで、詳しい資料が残っていなくてね。組織内でも、色々あったし」
 そこで、彼はにやりとした。
「当時のボスは、わたしが倒したんだ。それで、こういうことになっている」
 なるほど。違法組織の内部では、常に権力闘争があるわけだ。
「とにかく、ありとあらゆる温血動物を狩らせている。海中にも主要な湖にも、サイボーグ鮫を放った。洞窟の奥、極地の氷山の下も調べさせている。強酸性の火山湖の中までね。まさか、植物には化けていないと思うが。まあ、立ち話も何だ。ここにかけたまえ」
 あたしは奥まった位置の、テーブル席に座らされた。作戦会議をするための席だろう。シドはあたしの斜め前に座り、にやついて言う。
「たとえ捜索が空振りでも、わたしとしては、きみを捕まえられただけで満足だ。可愛い野兎ちゃん」
 何だって。虎とは言わないけれど、せめて、山猫に喩えたらどうだ。
「きみを飼ったら、さぞ楽しいだろうな」
 は?
「そう、ピンクのドレスを着せてね。それとも、真っ赤なチャイナドレスがいいかな。腰までスリットが入ったやつだ」
 かっと顔が火照った。からかわれている。あたしにドレスなんて、絶対似合わない。ママが死んでからは、顔が険しくなる一方だもの。髪の毛だって、邪魔にならないよう、短く切ってあるだけだし。
「ピンクは嫌いなの。似合わないから。赤の方がまし」
 つんとして言ったら、シドは咳き込むように笑った。何がおかしい。
「あたしみたいな黄みの肌に、純粋ピンクは似合わないんだよ!」
 と言ったら、なおも笑いむせんでいる。まるで、百年も楽しいことがなかったみたい。
「……いやあ、勇敢なお嬢さんだ。素晴らしい。きみが一人いたら、バイオロイドの女百人より、はるかに楽しめるな」
 楽しまれてたまるか。
 隙があればいつでも逃げてやるけれど、室内にも通路にも、見張りの兵がいる。決して油断することのない、機械の兵士。
 もちろん、壁や天井には、警備兵器が据えられている。レーザー砲や電磁ネット。
 捜索状況を映す大画面の前には、濃紺の制服を着たバイオロイド兵が四人。各地に散っている仲間に、低い声で指示を流している。彼らはそれぞれ小麦色の皮膚だったり、褐色の皮膚だったりするから、灰色の皮膚の機械兵とははっきり区別がつく。
 辺境では人口のほとんどが、培養された人工奴隷――バイオロイドだ。推定で、二十億から三十億とか。
 彼らは心を持っているけれど、人間に対する絶対服従を植え込まれているので、おとなしく警備や雑役をこなすだけだ。
 余分な知恵や反抗心が育つのを防ぐため、五年で処分されるという。本当なら、優に百五十年は生きられるはずだというのに。
 奴隷にするために命を創るなど、市民社会では有り得ない。それどころか、遺伝子操作による不老化や延命処置も、認められていない。
 もしも認めてしまえば、世界は超人や怪物で溢れかえり、人類の文明は(少なくとも、これまでのような文明は)崩壊すると恐れられているから。
 だから、不老不死を望む野心家たちは、市民社会を捨てて、何でもありの辺境に出ていく。そこでは、ごく一握りの、優秀かつ冷酷な者しか生き残れない。このシドは、その希少な勝ち残り組というわけだ。
「あんたもやっぱり、五年で彼らを殺すの?」
 聞こえよがしに言ってやった。シドは迷惑そうに、苦笑する。当直のバイオロイド兵たちは、ちゃんと背中で聞いているからだ。
 いくら心理操作を受けていても、生存本能はあるだろう。あたしの味方に引き込むことは、不可能ではないはず。あたしと一緒に脱出すれば、当局の保護を受けられ、市民社会で長く生きられるのだから。
「反乱を煽るつもりかい、お嬢さん? 無駄だね。管理システムが常に、全員を見張っている」
「わかってる」
 違法組織の基幹機能は、短期間ならば、基地や戦闘艦隊の統合管理システムと、その末端である機械兵だけで十分にカバーできるはず。
「でも、できることは何でもするよ。あたしは生きて、自由になりたいから」
 シドは、何かを隠した薄笑いで、あたしを見ていた。
「きみは実に、いい性格をしているなあ。父上に鍛えられたのかね」
「ママが教えてくれたんだ。市民一人一人が戦う覚悟を持たなければ、中央の文明は、いずれ違法組織に滅ぼされるって」
 ただし、大多数の市民は、手遅れになるまで、それを認めようとしないかもしれないって。
 ママの元の能力を考えても、違法組織の科学力、技術力は侮れない。制限なしの開発競争は、どんな危険な兵器でも作り出す。
 だから、親父は、機会があるごとに訴えている。市民社会が、強大な違法組織に包囲されている現状を。
「そうか。しかし、それは違うかもしれないぞ」
「どこが?」
「市民社会には、人材を育てるという役目がある。最高幹部会もそれをわかっているから、中央に対して武力侵攻などはしない。まともな家庭でなければ、まともな子供は育たないからね。新しい人材が供給されなければ、辺境の文明も停滞してしまう」
 へええ。意外に、筋道の通ったことを言うではないか。
「違法組織に捧げるために子育てするなんて、馬鹿馬鹿しい。〝連合〟が市民社会を守り続けるなんて、期待する奴は阿呆だね」
 と、あたしは決めつけた。
「完璧な不老不死の技術が完成すれば、新しい人材は必要ないでしょ。あんただって、自分の跡継ぎを育てることなんか、考えてないはずだ。自分自身が永遠に生きるつもりなら、跡継ぎなんて必要ないもんね。違法組織っていうのは、そうやって閉じていくんだ。不老不死のボスの周りには、おとなしい奴隷だけが残る。反抗する気力のある人間の部下は、端から殺されるか、洗脳されるかだからね」
 これはまあ、親父やバシムの受け売りだけど、あたしもそう思う。
「ボスはいずれ〝裸の王様〟になって、自滅していくよ。でも、それにはまだ何百年か、何千年かかかる。それまでに、市民社会が滅ぼされてしまったら困るんだ。だから、戦えるうちに戦わないと」
 シドはまじまじ、珍獣でも見るかのように、あたしを見た。
「お嬢さん、歳は幾つだったかな?」
 なんでそんなこと、と思ったけれど、別に秘密ではない。
「十五。もうすぐ十六。来月、誕生日だから」
 でも、来月まで生きられるか、怪しくなってきたな。
 シドは破顔した。
「素晴らしい。その年齢で、それだけ言えるのは、たいしたものだ。やはり、両親が偉かったんだな」
 何をぬかす。逃亡したママたちを捕まえて、殺そうとしたくせに。
「あんたに感謝しろっての? ママを創ったから」
「13号を創ったのは、今はもうこの世にいない、前のボスだ。彼に感謝するとしよう。おかげで、こんな素敵なお嬢さんに会えた」
 その時、あたしのお腹がぐうう、と盛大に鳴った。シドはきょとんとしてから、笑い出す。
「失礼した。きみは、朝食を食べたきりだったね。何か運ばせよう」
 ほっとした。食べられる時に食べておくのが、戦士の心得だ。
「好き嫌いはないけど、デザートにはケーキを付けて。できたら、チョコレートケーキ。飲み物は紅茶がいい」
 と要求した。シドが警備兵に指で合図すると、それが他の部署に伝わったらしい。十分ほどで、白い襟のついた瑠璃色のメイド服を着たバイオロイド美女が、料理のワゴンを押して現れた。
 長い金髪をきっちり結い上げ、耳には小粒の真珠のイヤリング。あたしたちに一礼してから、黙々と立ち働く。

イラスト

 彼女の給仕で、あたしは贅沢な昼食にありついた。スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ、ポテトパイ、温野菜とゆで卵のサラダ、桃のコンポート。チョコレートケーキも、ちゃんと付いていた。ポット入りの紅茶は、優雅な陶器のカップに注がれる。
 ああ、幸せ。今更、毒も入っていないだろうし。
 その間にも、画面では、罪のない動物たちが無駄に殺されていた。せっせと料理を食べながら、あたしは言う。
「いちいち殺さなくても、細胞を取って、検査すればいいんじゃないの? 麻酔弾を使うとか」
「それでは、既に検査した動物と、まだの動物が区別できない」
「目印を付ければいいでしょ! 発信機とか、ペイント弾とか」
「23号なら、その目印を逆利用して、逃げるだろう。どのみち、この星には元々いなかった動物たちだ。滅びても問題ない」
「でも、せっかく生きているのに」
「わたしも、無益な殺生をしたいわけではない。だが、端から仕留めていくのが、一番確実なのだよ。23号が現在、どんな姿をしているか、わからないからね。奴なら、簡単には死なないはずだ。頭と心臓は外して、撃たせている」
「じゃ、ネズミ一匹、モグラ一匹まで殺すわけ?」
「あまり小さな生き物には、なっていないだろう。兎になってうろうろしていたら、狼に食われてしまう」
 けれど、まだ発見されていないなら、よほど巧く隠れているのだ。この星に二十年も潜伏していたなら、どうかそのまま逃げおおせてほしい。
「そうだ。いいことを教えよう。23号は、きみの母上の姉妹にあたるのだよ」
 何だって。
 ママには19号の他にもまだ、仲間がいたのか。
「もちろん、同じ母親から生まれたという意味ではない。同型の胚を元にした、シリーズ物の実験体ということだ。彼女たちの間に、接点はない。別の施設で育てられたからね。受けた改造も違う。結果的には、全く別の怪物になった」
 それでも、あたしはつい、想像してしまった。この星で追い詰められているのが、ママそっくりの女性であるかのように。
 会いたい、できるものなら。
 その人が、ママのことを何も知らなくても。
 ママと同じ頃に、同じ組織から脱走したというだけで、つながりがある気がする。
「23号を捕まえたら、どうするの……」
「無論、特質を研究して、次世代の実験体に生かす」
「すぐに殺したりしないよね?」
「もちろんだとも。貴重なサンプルだ。他の実験体は、全て失敗したらしいからね。細胞が癌化したり、変身が制御できなかったり、発狂したり。ちょっとした刺激の有無、投薬のタイミングのずれで、結果が違ってくる。まだ、安定した技術ではないんだ」
 あたしは考え込んだ。ママの姉妹だという、23号。
 その人は……人の姿はしていないかもしれないけれど……あたしのことを知ったら、少しは関心を持ってくれるだろうか。それとも、関係ないと無視されるだけか。甘い期待をしてはいけない。ママと一緒に脱走した19号は、旧人類に未来はない、と言い捨てて去ったのだから……
 シドが、ふっと笑った。
「度胸のいい子だと思ったが、実は、ママが恋しいお子さまだったのかね」
 あたしがじろりと睨むと、シドは皮肉な冷笑で受け止める。
「あの金髪の坊やは、きみの仲良しではないのかね。心配もしてもらえないとは、気の毒に」
 それは、こいつらがエディを見逃しているのであれば、その方がいいと思っていたからだ。こいつから言い出した以上、もはや遠慮する必要はない。
「エディを捕まえたなら、ここへ連れてきて」
「おお、それがね」
 シドはわざとらしく両手を広げ、肩をすくめてみせた。
「麻痺針で捕獲するつもりが、抵抗されてね。やむなく、兵が射殺した。いや、実際には手足を撃てと命令したのだが、運悪く、転ばれてしまってね。心臓を撃ち抜いてしまったんだよ」

 最初、あたしは信じなかった。でも、現場で、兵のゴーグルを通して撮影された映像を見せられた。エディがあたしを取り戻そうとして戦い、転びかけた瞬間に胸を撃たれて、斜面に倒れ込むさまを。
 間違いない。ほとんど即死だ。すぐに医療カプセルに入れられればともかく、山中に放置されては。
 あたしは泣いた。
 わめいた。
 シドを罵倒し、手錠付きのまま荒れ狂った。
「人殺し!! 悪魔!! エディを返せ!! 返せーっ!!」
 最初は面白がっていたシドも、あたしが食器やカトラリー類を彼に投げつけると、閉口して兵に命じた。
「連れていけ」
 あたしは同じ艇内の一室に押し込められ、手錠のまま放置された。狭いベッドに身を投げて、わあわあ泣きわめく。
 どうして、どうして、こんなことに。
 あたしのせいだ。つまらない意地を張って、エディを撒いたりしなければ、二人一緒に捕まっていたのに。
 無意味に死なせてしまった。ようやく放浪生活を切り上げて、新しい生活を始めたばかりのエディを。
 エディの家族に、何て言い訳すればいいの。お母さんは、エディが仕事に就いたことを、あんなに喜んでくれたのに。あたしにまで、手作りのクッキーやジャムを送ってくれたのに。あたしが切腹したって、何の役にも立たない。
 ごめん、エディ。
 ごめんなさい。
 あなたはただ、船内のみそっかすに、親切にしてくれただけなのに。あたしがひねくれていて、素直に感謝できなくて。

 そうして何時間、断続的に泣き続けたのだろう。いつしか、疲れきって眠っていた。
 目を覚ましたら、手首の手錠がない。ブーツを履いていたのに、それも脱がされて、ベッドの下に揃えてある。
 窓がないので、外の様子はわからなかったけれど、通話画面に時計表示があった。この地域では、夜明け前。あたしの体内時計とも、合っている。元々、連邦標準時に合う時間帯の土地に降りたからだ。
 もう眠る気はしなかったので、着たきりだった服を脱いだ。付属の浴室に入って、熱いシャワーを浴びる。
 気持ちよかった。文明生活の有り難さだ。下着も洗って、温風乾燥にかけた。短い髪も、すぐに乾く。
 棚にバスローブがあったので、それを着た。裸足のまま部屋に戻って、ベッドに座る。
 自分の運命や23号のことよりも、今はまだ、エディのことしか考えられない。フルーツグラタンを作ってくれたエディ。勉強を教えてくれたエディ。点検作業を手伝ってくれたエディ。ハーブの名前を教えてくれたエディ。
 エディが一緒だと、山の中のキャンプも楽しかった。あたしに裸を見られたくらいで、あんなにうろたえて。ほんと、純情なんだから。
 それなのに、もう二度と、エディの料理を食べることも、焚火をはさんで、おしゃべりすることもない。
 ママが死んだ時だって、こんなに苦しくなかった気がする。あの時はむしろ、安堵が強かったから。
 でも、エディの人生は、まだまだこれからだった。せっかく《トリスタン》の事件を生き延びたのは、こんな風に死ぬためじゃないはずだ。
 やはり、責任はあたしにある。本当は、怖かったのだ。エディのいたわりが、目眩がするほど心地よかったから。それに引き込まれてはいけない、と思った。あたしは〝女〟になってはいけないのだ。戦えなくなったら、《エオス》にいられないから。
 実際には、女であることと、戦士であることは、両立するのだろうけれど。ハンターの〝リリス〟や、多くの女性軍人や、知り合いのおばさま船長たちのように。
 でも、あたしはまだ、そこまで大人ではない。突っ張って生意気な口をきくのが、あたしなりのバランスだった。
 エディが悪いのだ。そんなことを何も察せず、横から急に現れて、あたしを女の子扱いするから。
 だから、エディから離れるつもりだった……嫌われた方がましだと思った……まさか、こんなことになるなんて……

 やがて、通路に面した扉が開いた。
「ジュンさま、失礼します」
 昨日のバイオロイド美女が、食事のワゴンを押して入ってきた。扉が閉まる前にちらりと見えたが、通路では灰色の顔の兵たちが、銃を構えて見張っている。
「朝食をご用意しました。お気に召さないようでしたら、他のものを用意して参ります」
 まだ朝早いのに、きちんと身支度している。瑠璃色のメイド服に白いエプロン、結い上げた金髪、宝石のような緑の瞳。中央だったら、女優かモデルになれる美貌だ。それが辺境では、五年で使い捨ての奴隷とは。
「これで十分だよ」
 と答えた。平静な声が出せたことに、自分で呆れる。おまけに、食事をするつもりだ。蜂蜜とジャムを添えたパンケーキ、中身が半熟の見事なオムレツ、蒸した野菜のサラダ、厚切りのハム、ヨーグルト、果物。
 昨夜、夕食抜きで眠ってしまったあたしは、狼のように空腹だった。手狭なテーブルに並べてもらった食べ物は、端から、あたしの胃の腑に消えていく。
 金髪美女は用済みの皿を下げ、オレンジの皮を剥いてくれ、コーヒーのお代わりを注いでくれた。ひっそり静かなのに、必要なことは手際よく行う。
「ごちそうさま、美味しかったよ」
「足りましたでしょうか?」
「うん、これで十分」
 あたしはようやく、目の前の女性に興味を向けた。バイオロイドと向き合って話をするのは、初めてだ。いや、亡命して市民社会で暮らしているバイオロイドもいるから、知らない間に知り合っていたかもしれないけれど。
 辺境の工場で大量生産される、人造人間。
 人間の遺伝子を元にした人工遺伝子から創られるので、あくまでも人間のうちである。知能が高く、身体強健だから、人類の改良種と言ってもいい。それが、奴隷の立場から抜け出せないのは、教育が制限されているからだ。
「あなた、名前は?」
 すると、向こうはびっくり仰天している。何か、無理難題でも投げられたかのように。
「どうしたの、名前がないの?」
「いえ……あの……ベリルと申します」
「緑柱石か。目が緑だからだね」
 あたしが言うと、ますます呆然としている。何だろう、この反応。
「もしかして、自分の名前の意味、考えたことないの?」
「ええ、あの……名前に、意味があるのですか?」
 工場で培養されるバイオロイドにとって、名前とは機械的に割り振られるもので、番号と大差ない、ということか。
 このベリルの〝型〟の場合、宝石から取った名前を順に付けられるだけなのかも。では、お仲間は、ルビーとかパールとか、アンバーとかいうのだろう。
 あたしの名前は、日本語の『純粋』から付けられた。親父の家系は、日本の血が濃い。だから、漢字で書く時は、その字を使う。現実には、『単純』の純かもしれない。あたし、頭が悪すぎる。
 ベリルにあれこれ質問して、ようやくわかった。彼女が、囚人であるあたしを怖がっていることが。
 シドの侍女であるベリルは、これまで『本物の人間の女性』と話したことがほとんどないという。組織にも女性の幹部や技術者はいるが、ベリルの行動範囲では、親しく接したことがないらしい。
 おまけに昨夜、あたしが滅茶苦茶荒れ狂ったものだから、すっかり『凶悪生物』と思われている。
 見た目は二十歳前後の成人女性に見えるが、実際には、培養カプセルを出てから、わずか数年なのだ。つまり、年下の少女だと思うべきなのである。
「あのね、エメラルドってわかる?」
 かしこまって立つ美女に、あたしは小学校の先生の気分で尋ねた。
「宝石……ですか」
「そう、緑色の宝石。ベリルというのは、そのエメラルドの仲間なの。て言うか、ベリルの中で上質のものを、特にエメラルドって言うのかな。とにかく、あなたの名前は緑柱石という意味で、とても綺麗な名前なんだよ。あなたは素晴らしい緑の目をしているから、その名前、よく似合ってる」
 ベリルは、少し納得したようだった。
「綺麗な石の名前……なんですね」
 バイオロイドには最低限の教育しか与えられない、という意味がわかった気がする。表面的な日常知識はあるけれど、その深部に広がる、系統立った科学知識や歴史知識までは与えられない、ということだ。あくまでも、下働きに必要な知識だけ。
「それでね、ベリル、急ぎの用がなかったら、少し話相手になってくれるかな」
 と頼むと、
「はい」
 と素直に言う。座るように言うと、なんとスカートを広げて床に正座した。
 たった一つの椅子には、あたしが座っているからだけど、あたしはベッドに腰掛けてくれ、と言ったつもりだったのに。
 手を引いて彼女を立たせ、改めて、ベッドの端に座らせた。さあ、どこまで答えてくれるものか。
「あなたたち、この星にはいつ来たの。母艦はどこにいるの。この星に上陸した部下は、何人くらい?」
 尋問か、とベリルは困惑した様子。けれど、シドに説明を禁じられていなかったためか、首をひねりながらも、訥々と話してくれた。組織の基地について、構成員について、商売について、艦隊について。
 もちろん、侍女の立場では、知らないことの方が多い。それでも、おおよそは掴めた。二流どころの中規模組織だ。これは、決して馬鹿にできる相手ではない。ママが脱走できたのは、本当に幸運だった。中央の外縁で、たまたま親父の船に出会ったことも。
「ありがとう。引き留めて悪かったね」
 あたしが質問攻めから解放すると、ベリルはほっとしたようで、ワゴンを押して立ち去った。やはり、扉の外では、兵たちが警戒している。脱走を試みるのは無理。
 あたしはベッドに転がって、今聞いた情報を整理した。23号が発見できてもできなくても、シドはあたしを辺境の基地に連れ帰る。《エオス》が《タリス》に戻ってくる前に。基地からの逃亡は、まず不可能。ならば、この星にいる間に、シドを殺すしかない。
 そうすれば、判断力のないバイオロイドの部下たちは混乱する。シドはこの星には、バイオロイドの部下しか同行していないから。
 星系内に潜伏している艦内には、人間の部下がいるらしいけれど、彼らも、シドの後を継ぐ者が決まらないと、どう動いていいか困るはずだ。
 永遠に生きるつもりのシドは当然、後継者など決めてはいない。有力な部下たちの跡目争いになれば、あたしのことなんて後回しになる。
 ごめん、エディ。
 あたしはまだ生きる。そのために努力する。
 あたしが死んだら、親父がどうなるかわからない。ママが死んだ時、あれほど打ちのめされていたんだもの。
 もしも、生きて《エオス》に戻れたら、あんたのご両親に会いに行く。そして、あんたを死なせたことを謝る。許してもらえるとは思わない。でも、伝えるよ。エディがどんなに誠実で、働き者で、みんなに好かれ、期待されていたか。
 ようやくわかった、と思う。《トリスタン》で、ただ一人だけ生き残ってしまったエディが、どんな思いで、半年も放浪していたか。
 こんな、心にたくさんの石ころが詰め込まれたみたいな気持ちでいたんだ。
 重くて冷たい、硬い石ころで、あたしの胸は、ぎっちり塞がれてしまっている。息をしても、ものを食べても、全身が重苦しい。
 顔で笑っても、心までは笑えない。
 法的な責任は問われなくても、自分を責め続ける、魂の生き地獄。
 この先、何十年生きても、あたしはもう二度と、偉そうな態度なんかとれない。エディはあたしなんかより、ずっと上等な人間だったのに。
 ……もしかして、みんなそうなの?
 人生のどこかで、取り返しのつかない間違いをしてしまったら、残りの年月、ずっと心に石ころを詰め込んで、重苦しく足を引きずって生きるもの?
 自分には幸せになる権利はないとばかり、謙虚に頭を垂れて、隅っこで身を縮めて暮らすもの?
 でも、待って。それも違う。
 自分に罪があろうがなかろうが、それとは関係なく、怒るべき時はあるんじゃないの?
 たとえば、シドが動物たちを大量に虐殺させているのを見たら。23号を捕まえて、再び実験動物にしようとしているなら。そして、ベリルのようなバイオロイドたちを、五年で廃棄処分し続けるというのなら。

14 エディ

 どこかで、水の音がする。
 静かな水面に水滴が落ち、波紋を広げるような音。音が籠もって反響しているのは、閉ざされた空間だからだ。
 冷たいものがぽつんと頬に落ち、耳に流れた。ぼくは驚いて目を開けたが、真っ暗で何も見えない。
 数瞬、盲目になったかと思った。しかし、目が慣れてくると、不規則な岩壁の輪郭が見え、洞窟のような場所であることがわかる。
 なぜか、自分は裸だ。下着もなければ、ブーツもない。手首にはめていた端末も、やはりない。そして、覚えのある寝袋の中にいる。
 起き上がろうとして、胸から背中にかけて違和感を覚えた。痛みというよりは、筋肉や皮膚が引き攣れるような感じ。
 それにまた、体重がいつもの何倍にもなったかのようだ。わずかな動きなのに、息が切れ、目眩がする。
 これは、病気なのか。
 ぼくはどうして、こんなことに。
 これまで、風邪くらいしか、病気の経験はない。それも、母の作ってくれた熱いスープやリゾットを食べ、ぐっすり眠れば、すぐ治った。
 姉のアリサが、笑ったものだ。
 エディ、あんたって、本当に恵まれているわ。体力も頭脳も、手先の器用さも。ないのはただ、情熱だけね。
 そうだったかもしれない。学生時代、ただの一度も、本気の恋愛をしなかった。たいして好きでもない女の子と付き合って、振り回されるのが煩わしかった。付き合うのは簡単でも、別れるのは難しいからだ。
 たぶん、途方もなく、理想が高かったのだろう。それも、自分の身の程を、わきまえていなかったからだ。
 少しばかり優秀だと思って、自惚れて。
 だから、ジュンにも嫌われる。夏の野に咲く白百合のような、誇り高い美少女に……
 ようやく、記憶が蘇った。ジュンがさらわれたのだ。謎の一団に。
 ぼくは……撃たれた?
 なぜ、生きているんだ。即死でも、おかしくなかったのではないか。
「目が覚めたのね」
 静かなアルトの声がした。ぎょっとして頭を巡らせると、闇の中に、白い人影が浮き上がっている。
 ぼくは目を疑った。
 石筍の群れの向こうに、青白い燐光を放つ、裸の女性が立っているのだ。ゆるくカールした白っぽい髪を、大理石のような肩にこぼしているだけで、豊かな胸のふくらみも、引き締まった下腹部も、なだらかな曲線を描く脚も、何も隠さずに。

イラスト

 その女性は裸足のまま、岩を踏んで歩いてきて、ぼくの横に膝をついた。
「そのまま、寝ていて。あなたは、たくさん血を失ったの」
 彼女の肌の発光のおかげで(蛍光塗料? いや、肌の内側から光がにじみ出ているようだ)、かろうじて周囲が見えた。ぼくは、複雑な凹凸を持つ鍾乳洞の一角に寝かされている。
「あなたが、ぼくを助けてくれたのですか」
「ええ、そう。わたしの細胞を、あなたの胸に入れたの。他に方法がなかったので。あなたは、心臓を吹き飛ばされたのよ」
 その言葉は、すんなり染み入ってきた。突拍子もなかったが、この場の状況には却って相応しい。
「あなたの細胞、というのは?」
「組織の研究者たちは、万能細胞と言っていた。群体を作って、どこででも生きていける。どんな形にも変形できる。人間の形、動物の形。あなたが失った細胞の分、わたしの細胞が代わりに働いている。しばらく寝ていれば、動けるようになるはず」
 徐々にわかってきた。鳥に襲われる前、ぼくに警告してきた声。しゃべる猿。迷子を送り届けた狼。何かを恐れ、撤退した移民たち。
「あなたが、幽霊話の元だったんですね」
「幽霊?」
「この星にあった、違法組織の施設から脱走したというのは……あなたなんでしょう?」
 発光する女性は、ぼくに顔を向けていたが、その目だけは、暗い穴のようだった。その奥にどんな人格が存在するのか、まだわからない。だが、態度は理知的で穏やかだ。
「そう、わたしたち……わたしと仲間たちは、ずっとこの星に隠れ住んでいた。でも、移民たちを追い出すつもりではなかった。わたしは、彼らから学びたかったから……人間社会のことを」
 忘れた言葉を思い出すようにして、訥々としゃべる。
「だから、変身の実験を繰り返して、移民たちに近づいた。彼らのペットにすり替わって、飼われていたこともある。でも、何か怪しまれたのだと思う。彼らは去った。わたしたちはここに残って、人間たちの残したものを研究してきた。車。発電機。通信機」
 そういうことか。
 しかし、この人には邪悪を感じない。撤退した移民たちも、誰一人、危害は加えられていない。
「とにかく、あなたは命の恩人です。ありがとう。ところで、ぼくと一緒だった女の子はどうなったか、わかりますか。違法組織みたいな連中に、さらわれたんです」
 すると、白い女性は頷く。
「あの子のことは、知っていた。前にも、この星に降りてきたから。彼らのこと、もっと早く警告したかったけれど、あなたたちには、最初から監視がついていたから」
 何という迂闊。この星系には何の異変もないと、安心しきっていた。
「あいつらは、いったい……」
「彼らは、わたしを探しに来たの。この星中に偵察鳥を飛ばして、大型動物を殺し回っている。わたしが、この星にあった《ゼラーナ》の施設を破壊して逃げたから」
 ぼくは愕然とした。それは、ジュンのお母さんが逃げてきた組織ではないか!!
 そういえば、この人は、写真で見たジュンのお母さんに似ている。まさか。いや、きっとそうだ。これは、ジュンのお母さんの導きに違いない。
 ぼくは恥ずかしさも忘れ、裸のまま寝袋から這い出して、必死で頼み込んだ。
「お願いします、ぼくを助けて下さい。いや、ジュンを助けて下さい。連れ去られた女の子です。そうしたらぼくたちも、あなたのために、できるだけのことをします。このまま辺境に連れ去られたら、ジュンを永遠に取り戻せなくなってしまう!!」
 すると、静かに言われた。
「わかっているわ。焦らずに休みなさい。起きられるようになったら、手伝ってもらいます。わたしは、彼らの船を手に入れるつもりだから」
 彼女がぼくを助けたのは、そのためだという。
「ここはもう、安住の地ではなくなった。あなたが船乗りなら、わたしよりずっと、船のことに詳しいでしょう?」

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