レディランサー アイリス編1

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レディランサー アイリス編

 父は一人娘のあたしに、〝普通の青春〟を送って欲しいと願っていた。学校帰りに友達とパフェを食べ、週末には、ボーイフレンドと一緒に街を歩くような。
 でも、それには無理があった。そもそも、親が〝普通〟から外れていたのだから。
 父は輸送船《エオス》の船長で、『辺境航路の英雄』と呼ばれた男。
 母は、辺境の違法組織から逃亡してきた『生きた戦闘兵器』。
 どちらも辺境を支配する違法組織の〝連合〟から、首に懸賞金をかけられていた。
 その二人の間に生まれたあたしは、誘拐や暗殺の危険の中で、強くなるしかなかった。あたし自身は、〝普通の女の子〟に過ぎないのに。

1 エディ

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 リナ・クレール・ローゼンバッハ艦長のことを、ぼくたちは日頃、敬愛を込めて『クレール艦長』と呼んでいた。
 三十代前半の有能な女性で、他の艦には、本気で熱を上げている男もいたらしいが、ぼく個人について言えば、魅力的な年上の女性に対する、普通の憧れがあったにすぎない。
 もっとも、何かのきっかけがあれば、恋愛に育ったかもしれない憧れだが。
 そのクレール艦長から、突然に言われた時は、驚いた。
「フレイザー少尉、今度の上陸休暇の時、わたしに時間をくれない? 個人的に、半日くらい付き合ってほしいの」
 場所は艦長室に近い通路で、周囲には誰もいず、密やかな雰囲気の問いかけだったが、ぼくは勘違いしてのぼせたりはしなかった。互いに、勤務時間中だったからだ。
 公私混同をする人ではない。
 そもそも、クレール艦長の私生活については、ほとんど知らなかった。独身だが、恋人ならいるかもしれない。いや、いない方がおかしい。
 ただ、軍務と私生活は、完全に切り離している印象があった。だから《トリスタン》艦内でも、クレール艦長の休暇中の行動を詳しく知る者は、たぶんいなかったと思う。
「はい、喜んで」
 と答えたのは、部下としての義務感からである。艦内でびっくりパーティを企画したいとか、艦内の人間関係について相談したいとか、その類いのことではないかと思ったから。
 もっとも、そういう相談事なら、三人の子供を育てた母親である、副長のリン大尉の方が向いているはずだったが。

 ぼくが新米の技術士官として、第57艦隊の軽巡航艦《トリスタン》に配属されてから、半年ほどが過ぎていた。
 ようやく、士官として振る舞うことに慣れ、他の乗員とも打ち解け、《トリスタン》を自分の居場所と感じるようになった頃である。
 艦が二か月を超える通常パトロールを終え、艦隊基地のある植民惑星《アル=ラート》に帰還すれば、二週間の上陸休暇がもらえる予定だった。補給や定期点検の手配さえ確認すれば、ぼくも安心してバカンスに行ける……と思っていた。
(叱責なら待たないだろうし、個人的に空手の稽古をつけてくれ、でもないよな。そんなことなら、艦内でできる。料理を教えてくれ……も違う。艦長なら、料理もできそうだ)
 艦橋での当直に向かいながら、あれこれ思い巡らすうちに、不安が湧いてきた。
(ひょっとして、ぼくは軍人に向いていないとか、忠告されるのかな……何か失態をやらかす前に、辞めた方がいいとか?)
 仕事自体は、ほぼ完璧にこなしているつもりだ。艦体や装備類の維持管理、機械兵部隊の保守点検。配下の整備兵たちも、たった五名だが、何とか統率している。というか、彼らに助けられている。
 二小隊ある戦闘部隊との連携も、重視している。休暇中に研修を受けたり、他艦の将校に質問したりして、自分なりの工夫や勉強も続けている。新米の技術士官としては、まずまずの部類に入るはず。
 しかし、たとえば、自由時間にケーキを焼いて、お茶を淹れ、艦内の皆に振る舞ったりすることが(皆には喜ばれているとしても)、厳格な階級制度の中では、望ましくないことなのかもしれない。
(艦内の秩序を乱すとか、士官としての威厳に欠けるとか……)
 現代の軍には、二種類の人間がいる。生涯を軍人として過ごすつもりの『プロ』と、一時期だけ、資格取得や資金稼ぎのために勤める『セミプロ』である。
 軍は危険度が高い分、他の職業より報酬が高いので、事業の資金稼ぎのために入隊する者も少なくない。また、政治家になるための箔付けとか、会社を継ぐための条件とかで、数年間の軍務を経験したいという者もいる。
 だからといって、彼らが不真面目なわけでは決してない。仕事はきっちりこなし、数年で晴れ晴れと除隊していくことが多い。
 一般市民から見れば、どちらも軍服を着た『軍人』だが、その心構えには大きな差があった。
 命を張る覚悟の差、と言ってもいい。
 資格や能力の点から、十分、士官に昇進できるのに、責任が重くなることを嫌がって、昇進を断る者も多い。
 ぼくは一応『プロ』のつもりだし、だからこそ二年間の兵卒暮らしを経て、士官への道を選んだのだが、
(何年か務めてみて、気持ちが冷めたら、辞めればいい)
 という気持ちもあった。大学を出た時点で、どうしても絶対、軍人になりたい、というわけではなかったからだ。
 有り体に言えば、
(プロの軍人である父や祖父たちの、期待を裏切るのが面倒臭い)
 という気持ちが強かった。
 だから、プロに徹するクレール艦長には、ぼくの覚悟の甘さが透けて見えるのかもしれない。自分の元にいる士官がそれでは、万が一の場合、頼りないと思うのかもしれない。
 だが、それなら仕方ない。こういう自分なのだから。
 何か叱責されたり、忠告されたりしたら、その時に考えることにしよう。

 二日後、《トリスタン》は、無事に《アル=ラート》の衛星基地に到着した。
 《アル=ラート》は人口八百万人、地球型の美しい植民惑星である。乗員たちは補給や引き継ぎなどの雑務を済ませると、それぞれに散っていく。ある者は客船に乗って、近隣星系の家族の元へ。ある者は《アル=ラート》上でのバカンスに。
 同じように他艦から降りてきた同期生たちに会い、
「エディ、飲みに行かないか?」
 と声をかけられた時は、
「悪い、学校時代の友達と会うから」
 と答えておき、衛星基地から地上基地に降りるシャトルに向かった。全て、クレール艦長の指図通り。
 シャトルは大気圏に突入し、雲を抜けて、緑の豊かな大陸に舞い降りた。沿岸部に位置する広大な地上基地には、56から60までの艦隊の司令本部がある。兵舎や倉庫や工廠、訓練所や娯楽施設が点在し、多くの輸送機や車両が発着している。惑星首都には及ばないが、ちょっとした小都市だ。
 ぼくはレンタル車に乗り、地上基地から出た。海岸に向かうドライブを楽しんで、目的の店に到着する。シーフードが売り物の、洒落たレストランだった。まだ昼時には早いので、客は少ない。
(艦長はまだだな)
 と確認してから、海を眺められる窓辺の席で、早目のランチを楽しんだ。軍人の体内時計は普通、任務や艦ごとに違うので、基地の時計と合っているわけではないが、この時はたまたま差が少なく、時差ぼけはしていなかった。
 デザートにさしかかる頃、私服姿のクレール艦長が、軽い足取りで店に入ってきた。
 涼しげな淡い緑色の、優美なサンドレス姿だ。ほっそりした首には、同色のストール。足元はベージュのサンダル。口紅はオレンジベージュで、爪も同じ色だった。隅々まで隙がなく、まるで、女優のような美しさ。
 艦長は店内をさっと一瞥し、嬉しそうな顔でぼくに軽く手を振ってから、甘い香りと共にふわりとやってきた。
「お待たせ、フレイザー少尉」
 この感じ、見た者には、個人的な待ち合わせに映るだろう。店内の男性客からは、うらやましげな視線を受けたと思う。
「すみません、先に食べてしまって」
「いいのよ、わたしも軽く頂くわ」
 そして、ぼくを真正面の席から見て、にこりとする。
「来てもらえて、よかったわ。バカンスのお供は、若いハンサムに限るわね」
 冗談だとはわかったが、ぼくは照れて、艦長の方がお美しいですとか、誘って頂いて光栄ですとか、ごにょごにょ答えた。後から思い返すと、自分の迂闊さ、呑気さに頭を抱えたくなる。これがジュンなら(十五歳当時であっても)、背景を疑ったろうに。
 サングリアをお供に、楽しく差し向かいの食事を終え、
「いい天気だから、ちょっと散歩しましょうよ」
 と言われ、店の横の階段から海岸に降りても、ぼくはまだ呑気なままだった。
 空は青く、海は初夏の陽光に輝いている。クレール艦長のドレスが、ショートカットにした栗色の髪、緑の目、小麦色の肌を引き立てている。
 どんな用件にせよ、休日の何時間かを、こんな美女と一緒に過ごせるのは、この上なく幸運なことだ。
 まるで映画の一場面のように、艦長はサンダルを脱ぎ、それを手に持って、裸足で波打ち際を歩いた。穏やかな波が、何度も小麦色の素足を洗う。ぼくは波に濡れない位置で、平行して歩いていく。
 やがて艦長は、海中で思わぬ深みにはまったか、尖った小石か何かを踏んだのか、ぐらりと揺れた。ドレスの裾が、波をかぶる。ぼくが慌てて海中に踏み込み、差し出した腕の中に、彼女は吸い寄せられるようにはまり込んだ。
「そのまま、聞いて。動かないで」
 その声には、命令が含まれていた。すんなりした両腕を、ぼくの胴にしっかり巻きつけてくる。胸のふくらみがこちらの腹に押しつけられ、さすがにどきんとしたが、すぐに理由がわかった。
 この場所なら、波の音で、声は打ち消される。一番近くにいる市民も、こちらには興味なさそうな家族連れだけ。離れて監視する者がいても、艦長がしゃべる口許は、ぼくの上半身で隠される。
 こうまでしなければ話せないことを、クレール艦長は、ぼくに伝えようとしていたのだ。
「……あなたを巻き添えにして、悪いと思うわ。でも、わたしたちには、仲間が必要なの。この半年、あなたを見ていて、信頼できると思ったのよ」
 ぼくは膝下まで波に洗われ、薄手のズボンに染みる水の冷たさを感じていたが、遠目には、デート中の幸せなカップルにしか見えなかっただろう。だが、艦長のささやきを聞きながら、内心では、冷たい恐怖に打ちのめされていた。
 ――あの噂は、本当だったのか。
 若手将校の間で、密かに『決起』の計画が進められているという噂だ。
 ――軍の中枢部は、既に腐っている。違法組織の〝連合〟に洗脳されているか、誘惑されているかのどちらかだから。ならば、まだ洗脳の及んでいない若手で、軍の腐敗を一掃するしかない……
 単なる噂だと思っていた。あるいは、願望交じりの都市伝説だと。
 昔から何度も、そういう噂が流れては、立ち消えていったと、父や祖父たちから聞いている。
 だが、クレール艦長は、このぼくに、その計画の仲間に入れというのだ。
「すぐに決めなくていいわ。まだ時間はあるから。でも、決して口外しないで。あなただけでなく、他のみんなの命が危険にさらされるわ。どこまで秘密を保てるか、全て、それに懸かっているの」
 それから身を離して、残念そうに言う。
「ごめんなさいね。あなたの気持ちはわかっていたの。でも、告白しないであきらめるのは嫌だったから」
 この台詞は、どこかにいる監視者に聞かせるためだ。そんなものが、有力な若手将校を常に見張っているとしてだが。艦長は、監視されることを前提に動いている。
「もう少し、一緒にいてもらっていいかしら」
 上官が部下に片思いなんて恥ずかしい、という演技をしながら、艦長はぼくと並んで渚を歩く。ぼくが狼狽し、ろくな会話もできないことは、年上の女性に口説かれて、応じられない若者なら当然なのかもしれない。
「今日のことは、気にしないで、忘れてしまってね。勤務中に、あなたを困らせるつもりはないのよ」
 艦長が、命がけでぼくを勧誘してくれたことはわかった。艦長と仲間たちの、真剣な気持ちもよくわかる。他言するつもりは、絶対にない。
 ないが、しかし……
 不可能だ。
 今の惑星連邦軍を、わずかな若手将校だけで乗っ取ろうなんてことは。

 夕方、クレール艦長と穏当に別れた後、ぼくは軍人の泊まらないだろう辺鄙な温泉ホテルを探して、投宿した。
 濡れた靴はほとんど乾いていたが、改めて真水で洗い、乾燥機に入れる。着ていた服も全て洗濯ユニットに放り込み、シャワーを浴びて、備え付けのバスローブでソファに落ち着いた。
 夕食は部屋に届けてもらうことにして、習慣的にニュース番組を見る。しかし、内容は少しも頭に入らない。
 ――他言しないと約束していなかったら、父か祖父に相談したのに。
 我が家では、父も父方の祖父も、曾祖父も軍人だ。父方の親戚にも、軍人が多い。だから、現在の惑星連邦軍が深刻な問題を抱えていることは、一族みんながよく知っている。だが、簡単に解決がつく問題ではないことも、知っている。
 軍の中の誰が、違法組織に洗脳されているか……あるいは、正気のまま、違法組織の手先に成り下がっているか、どうやって調べられるというのだ。
 何か事件でも起これば別だが、表面上、何もないのに、軍の全員を薬品尋問にかけることはできないだろう。
 実務的には可能でも、政治的に不可能だ。絶対に反対が起きて、潰される。司法局でも政界でも財界でも、問題は同様だからだ。
 そもそもぼくは、軍人というより技術者気質だ。大学の研究室に残ってもよかったし、民間企業のエンジニアになってもよかった。ただ、父や祖父の影響で、子供の頃から、軍が視野にあっただけのこと。
 政治的なセンスなど、全くない。
 ましてや、クーデターなど、想像を絶する。いや、成功したらそれは革命と呼ばれ、歴史の転換点になるのだろうが。
 クレール艦長と仲間たちは、もしも軍を掌握できたら、次は政界を刷新しようというのだ。そして、軍を強化し、辺境の違法組織の根絶を目指すと。
 理想論だ。
 いや、極論だ。
 現在、曲がりなりにも安定した市民社会が続いているものを、腕力で覆そうなんて。
 確かに、腐敗というのはわかる。辺境の違法組織が強大になり、中央の要人たちに、洗脳や暗殺の魔手を伸ばしているのは事実。
 だが、汚染されている人間は、ごくごく一部だ。おそらく、何十万人かに一人程度の割合だろう。
 圧倒的多数の市民は、平和な日々を当たり前と思っている。軍による大規模な洗脳調査、その結果の粛清など、望んではいない。
 そのまま軍部独裁にならないと、どうして保証できる。
 クレール艦長自身は、汚染されていない人物のみが軍と政治の中枢に入れば、ただちにシビリアンコントロールの体制に戻すと言うが、他の同志がどう変貌するか、わからないだろう。
 その同志というのも、もしかしたら、違法組織の操り人形かもしれないではないか。
 既に技術力では、辺境の方が上を行っている。
 研究開発に何の制限も受けない違法組織は、不老不死を目指す技術でも、洗脳や精神操作の技術でも、戦闘艦隊の能力でも、市民社会を超えていて当然だ。
 ――同志のそれぞれが、それぞれの責任で、密かに仲間を増やすことになっている、とクレール艦長は言っていた。その同志の名前は、当然ながら、一人も教えてもらっていない。発覚した時、知らないことが多い方が、互いに安全なのだ。
 当然、クレール艦長と同志たちが誘いをかけた者が、全員、賛同して仲間に加わるわけではないだろう。
 今日、明日にでも、決起計画は軍の上層部の知るところとなり、逮捕状が出されるのではないか?
 逮捕ならまだいいが、どさくさに紛れて、抹殺などということにならないか?
 クーデターなんて、何年後であっても、無茶だ。
 表面上、軍は規律を守っている。市民の信頼も得ている。たまに違法組織がらみの事件はあっても、それは事件としてきちんと解決される。解決されなくても、何らかの処理はされる。だから、このままで一応、やってはいける。
 だから、市民社会の中に、違法組織の持ち駒がどれだけ潜んでいるか、誰にもわからないのだ。
 彼らは水面下で議会を操り、財界を操り、学者やジャーナリストを動かして、社会の動向を決める……と言われている。このままでは、違法組織はますます強大になり、いつかは市民社会を公然と支配するようになるかもしれない。
 それがわかっていても……誰にもどうにもできない。
 人類社会は、もう何百年も前に、二つに分裂してしまった。古い道徳を守る市民社会と、一切の制約を持たない辺境の違法組織とに。
 そして、たぶん、勝負は既についてしまったのだ。

 ぼくは休暇中ずっと、重石を頭に載せられた気分だった。とんでもない宿題を、もらってしまったものだ。
 ホテルのプールで泳いでも、夕陽を見ながらカクテルを飲んでも、心が晴れない。大学時代の仲間で集まって飲んだ時も、笑って馬鹿話をしながら、心の芯に堅い氷があるままだった。
 ぼくに何ができる?
 四百年あまり前、人類が超空間航法を手に入れ、大規模な外宇宙進出を始めた時に、人類社会の分裂も不可避となったのだ。
 強い意志を持つ者は、より遠くの宇宙を目指した。無人の星系が幾つも、豊かな開拓地として人類に差し出されていた。
 彼らはそこに、自分の理想とする社会を作ろうとした。そこには、どんな制約も及ばなかったから。
 現在、辺境の宇宙で繁栄する違法組織の群れは、もはや、一つの巨大文明圏だ。
 遺伝子操作だろうが、新種の生命の創造だろうが、彼らは一切ためらわない。強大な艦隊を持ち、互いに武力闘争を繰り返して、進化を続けている。
 彼らの方こそ〝人類の本流〟であって、ぼくらが住む中央星域の市民社会は、停滞したまま、いずれ彼らに征服されてしまうのかもしれない。
 いや、征服は既に完了しているのかも。
 今では民間企業のみならず、連邦政府内にも軍内部にも、汚染が浸透しているらしい……からだ。
 誰がそうなのかは、わからない。だが、確実に存在する。『不老不死』を餌にされ、違法組織の手先になっている人間が。
 彼らは組織の命令を受け、議会の議案を潰したり、研究上の機密を盗んだり、暗殺や誘拐の手伝いをしたりする。それが発覚しても、辺境に逃亡すればいいだけだ。軍も司法局も、すぐに追跡をあきらめる。
 辺境の宇宙はそれこそ果てしなく、違法組織の勢力圏が押し合っていて、正規の艦隊であっても迂闊には踏み込めない。
 事実、過去に幾度も、遠征艦隊は消滅した。文字通り、姿を消したのだ。逃亡した犯罪者を〝リリス〟のようなハンターが捕えることはあるが、全体のごく一部にすぎない。
 人口の面では、二百億人いる市民社会の方がはるかに巨大だが、辺境にも、今では数十億人の人間がいると言われている。その人口のどれほどが、人工奴隷であるバイオロイドなのかは不明だが。
 人間の改良遺伝子から培養されるバイオロイドは、人間と同じ心を持つのに、辺境では人権を認められないままである。反逆を防ぐため、五年で処分されるのが通例だ。
『誰かが、何とかしなければならないのよ』
 足を波に浸しながら、クレール艦長は言っていた。
『何かできるとしたら、わたしたち軍人でしょう?』
 艦長と仲間たちは、日常の任務をこなしながら、連絡を取り合い、着実に昇進を続けている。そして、仲間たちが十分な地位に到達し、それぞれ信頼できる部下たちを一定数持った時に、〝大浄化〟に乗り出すつもりらしい。
 違法組織の手先になっている者たちをあぶり出し、逮捕し、もしくは粛清し、連邦軍を立て直す。
 その上で軍を強化し、市民の同意を得て、辺境の違法組織を根絶する大作戦に乗り出す。
 そして、二つの文明圏を一つに統合する。
 途方もない計画だ。
 ほとんど夢想に近い。
 もはや違法組織の〝連合〟には勝てないと、多くの軍人が内心で思っているのだから。
 違法組織は、市民を手先にすることができる。政治家も軍人も、官僚も学者も、好きなだけ抱き込むことができる。
 見返りとして〝永遠の命〟を差し出されたら、それを拒絶できる者など滅多にいない。ぼくだって……今はともかく、三十年後なら、その誘惑に勝てるかどうか。
 しばらく、お預けにしよう。
 休暇が終わる頃、自分で自分にそう言い聞かせた。
 ぼくはまだ、軍人として半人前だ。もっと何年も働いて、色々な知恵が身についたら、決断すればいい。
 この問題は、もう何百年も前から続いているのだから。

 《トリスタン》での航路巡回の日々に戻っても、クレール艦長はぼくに対して、余計なことは何も言わなかった。ごく普通に業務の報告を受け、新たな指示を下すだけだ。
 ひょっとして艦内に、違法組織の手先がいると思っているのかもしれない。あるいは、艦隊の管理システムそのものが、違法組織に乗っ取られていると思っているのかもしれない。
 その場合、あらゆる軍艦内の会話が全て、辺境のどこかにいる情報分析者の元へ送られるわけだ。機械的システムが整理・分類した会話の中から、横のつながりを発見することは、手間さえかければ、不可能ではない。そして一人一人、その結節点にいる者を殺害していくことも。
 表面上、穏やかな日々が続いた。定期航路を飛ぶ民間船は、それぞれの目的地に向かって超空間転移を繰り返す。軍艦が航路を巡回していることで、彼らは安心する。
 ぼくは当直をこなし、部下を指揮して艦や小型艇の整備を行い、訓練室で空手の稽古をした。空いた時間には、厨房でケーキやクッキーを焼き、紅茶を淹れて、艦内のみんなに振る舞う。
 母がささやかなレストランを経営しているので、ぼくも子供の頃から料理を覚え、ちょこちょこ店を手伝っていた。本格的に店のシフトに入った夏休みなど、アルバイト料も出してもらったものだ。
 プロの料理人になろうとは思わなかったが、気分転換として厨房に立つのは好きだった。学生時代、数学や物理学の勉強に飽きると、台所に入って料理を始めたものだ。パイ生地を練ったり、シチューを煮たり、グラタンを焼いたりしていると、精神のバランスが整う。
「フレイザー少尉が軍を辞めて、お店を開くんだったら、わたし、雇ってもらいたいなあ」
 と、整備班のアイシャ・ハイレディン二等兵に言われたこともある。
「おやおや、アイシャ、きみは料理なんか、興味ないだろ」
「ただ、誰かさんと一緒にいたいだけなんだよなあ」
 というからかいが周囲から飛ぶと、彼女は赤くなって反撃していたが。
「違うわよ!! 本当に、お店に憧れてるの!!」
 ――それも後日、ジュンから、ため息と共に言われたものだ。
『エディ、あんたって鈍すぎ。せめて一度くらい、デートしてあげればよかったのに』
 いや、ぼくだって、アイシャの好意はわかっていた。でも、ぼくとしては、部下と個人的にどうこうするつもりはなかった。まずは一人前の士官になる、それが最優先だったから。
 それでも、ジュンと出会った時は、職務の方を『ジュンに近づく手段』にしたのだから、やはりぼくは、ジュンに会うまでは、本当に女性に心を動かされたことがなかったのだろう。

 平穏が破られたのは、救難信号が入った時だった。
 惑星開発局の輸送船《オリエンタル・ローズ》が、違法艦船に襲われている。定期航路からは外れているため、無人の護衛船が付いていたが、例によって、役に立たなかったらしい。輸送船の船長も乗員たちも、本格的な戦闘訓練を受けたわけではないからだ。
 クレール艦長は《アル=ラート》の艦隊本部に報告を送ると同時に、現場に急行することを命じた。僚艦である《ペンドラゴン》や《イゾルデ》にも救難信号は届いたが、ぼくらの《トリスタン》が一番、現場に近かったのだ。
 それでも、全速でほぼ六時間……
 現場到着時には、全て終了していた。無人星系の外縁をかすめる不定期航路上に残っているのは、乗員・乗客を拉致された、空っぽの船だけだった。
 おそらくは、乗員たちを違法都市で売り飛ばすために、あるいは、自分たちの組織内で働かせるために、誘拐目的で襲撃をかけたのだろう。
 巨大な船体の数箇所に砲撃の跡があったが、随所にある非常扉が閉まったおかげで、空気の流出は止まっていた。隅々まで捜索はするが、おそらく、生存者は一人も残っていないはずだ。
 物質的には十分に豊かなこの現代、『本物の人間』こそ、最も価値のある獲物だからだ。人体実験に使ったり、洗脳して組織に組み入れたり、スパイに仕立てたり、用途は色々ある。
 襲った違法艦船は、とうに姿を消していた。民間船が行き交う正規航路なら、警備ブイや探知ブイが密に設置されているが、いったん航路から外れてしまえば、探知網は隙間だらけになる。無人星系の外縁に漂う小惑星にでも紛れていれば、違法艦船は滅多に発見されることはなく、軍の警戒がゆるむのを待って、辺境に楽々と離脱できる。
 頻繁にあるわけではないが、珍しい事件ではなかった。中央星域の外縁近い航路では、年間、何千回かの侵入事件が起きる。実際には、もっと多いのかもしれない。
 善良な(はずの)一般市民の船が、こっそり違法艦船と接触する事例も、少なくはないのだ。そこで、違法な薬物を受け取ったり、バイオロイド美女の接待を受けたり、目立たない若返り処置を受けたりする。その見返りとして、職務上の秘密を売ったり、政治家暗殺の手伝いをしたりするわけだ。

「ラミレス中尉、船内の捜索の指揮をとって。最初は機械探知でね。フレイザー少尉は、交替チームの用意をして待機を」
 クレール艦長から指示を受け、戦闘小隊を率いるラミレス中尉は、まず、アンドロイド兵だけの小型艇を送り出し、罠の有無を探らせた。広い船内のどこかに、爆発物や危険物が仕掛けられていないかどうか。
 たまに違法組織が、新兵器の実験を行うことがあるからだ。遺棄された船内に踏み込んだ捜索者を、装甲服を腐食させる微生物や、発狂レベルの超音波兵器や、体内にウィルスを仕込まれた生存者が待ち受ける。
 機械探査で異変がなければ……それでも、絶対安全とは限らないが……初めて人間が出向くことになる。最後はやはり、人間が現場を確認しなければならない。
 一応は安全と判断して、ラミレス中尉のチームが偵察ロボットやアンドロイド兵の部隊を連れ、小型艇で大型輸送船に取り付いた。五箇所から《オリエンタル・ローズ》の船内に入り込み、生存者の捜索を開始する。
 結局、砲撃で亡くなったらしい遺体が一人分、発見されただけだった。
 開発局の制服を着ているから、乗員の一人だろう。上半身が瓦礫で潰されているので、身元はとりあえず、腕の端末から確認するしかない。
 遺体は簡単な検査の後、密閉袋に入れられ、小型艇で《トリスタン》に移送された。詳しい検査は、艦隊基地からの指示を受けてからになるだろう。それまでは、艦内で低温保存されることになる。
 三時間後に、ぼくの率いる技術小隊がラミレス隊と交替した。ぼくたちは本来、艦や装備の保守管理が任務だが、こういう場合には、戦闘チームと協力する。軽巡航艦である《トリスタン》には、最小限の人員しかいないからだ。
 ぼくたちはラミレス隊の捜索に見落としがないか、三時間かけて船内を再調査した。たまに、怯えきった生存者が、貨物コンテナなどに潜り込んで、隠れ続けていることがあるのだ。
 しかし、それも探し尽くした。じきに《イゾルデ》が到着するから、後を頼めばいい。
 夜中から続いた長時間の緊張に、部下たちは疲労しきっていたから、彼らを先に母艦へ引き上げさせた。小隊長であるぼくの艇だけが、《イゾルデ》への引き継ぎのため、《オリエンタル・ローズ》の船体付近に残る。
 その時、それが起きた。
 まだ生きていた《オリエンタル・ローズ》のセンサー群が、けたたましい警告を発したのだ。小型艇の通信機も、バリバリと激しい雑音を立てる。
 ぼくは最初、《オリエンタル・ローズ》に仕掛けられていた爆発物を、自分たちが見逃したのかと思った。
 だが、そうではなかった。
 爆発の中心は、《オリエンタル・ローズ》から十五キロもの安全距離を置いていた《トリスタン》だった。
 通常装備である艦内の核ミサイルが、勝手に自爆したのだ。
 いかなる軍艦も、内部での核爆発には耐えられない。
 複数の核爆発が《トリスタン》の船体を内側から引き裂き、蒸発させた。暗黒の宇宙に灼熱のプラズマが広がり、大量の中性子と強烈な電磁波を振り撒きながら薄れていく。
 クレール艦長以下、十六名の命が失われた。既に母艦に収容されていた小型艇の部下たちも、プラズマの中に飲み込まれた。
 助かったのは、《オリエンタル・ローズ》の陰になっていた、ぼくの艇だけ。溶けて変形したわずかな破片だけが、あたりに飛び散っていく。
 最初、自分の見たものが理解できなかった。
 頭ではわかっても、心が受け付けない。
 あたりが静まってから、小型艇を飛ばして、漂う残骸の中を探し回った。船体の破片を一つ一つ改め、誰か張りついていないか調べた。せめて、小型艇にいた部下だけでも助かっていないのか。
「誰か!! 誰か、いないのか!!」
 繰り返し、通信機で呼びかけた。
「バークレイ。ショルティ。ヤング、ハイレディン……クレール艦長!! リン大尉!! ハキーム曹長!!」
 だが、どれだけ飛び回っても、応答はなかった。溶けた構造材を調べても、生存者は隠れていなかった。変形した小型艇の残骸はあったが、気密が失われ、中身は全て宇宙空間に吸い出されていた。
 後から到着した複数の僚艦が捜索しても、無駄だった。《トリスタン》で生き残ったのは、ぼく一人だったのだ。

(やられた。罠だったんだ……)
 他には考えられない。クレール艦長が、軍の改革を目指す若手将校の中の、リーダー格だったからだ。
 〝連合〟は《トリスタン》の巡回予定を調べ、それに合わせて、手頃な輸送船を襲ったのだ。真っ先に現場に到着する《トリスタン》に対し、何らかの方法で破壊工作を行えるように。
 たとえば、艦内に収容した遺体に、何か仕掛けられていたのかもしれない。
 あるいは、前回の艦体補修の時に、何か仕込まれていたのかもしれない。
 もしくは、艦内の誰かが、洗脳されて動いたのかもしれない。
 目的は、クレール艦長ただ一人。しかも、その狙いを一般には知られないように、なおかつ、同志たちには伝わるようにすること。
 急行してきた《イゾルデ》に拾われたぼくは、艦隊基地に帰還後、調査委員会に身柄を拘束され、徹底的に尋問された。
 軍艦が内側から、通常装備の核ミサイルで破壊されるなど、あってはならない不祥事だからだ。
 深層心理検査も、薬物尋問も受けさせられた。関係ありそうなことは、全て聞き出された。過去の女性体験も、残らず暴かれた。
 もし、ぼくが何かの恨みで、母艦の管理システムに細工し、安全装置を解除したのなら……たとえば、クレール艦長に失恋した腹いせのためとか……話は単純だ。ぼく一人を軍法会議にかけ、処罰すればいい。
 だが、もちろん、ぼくから出るものは、一つの真実しかない。
 ぼくは何も隠せなかった。
 隠す気力もなかった。
 クレール艦長から聞いた話を全て、証言してしまった。腐敗を正そうとする若手将校の中に、密かなネットワークが作り上げられている途中であることを。
 それは調査委員会の面々にも、衝撃を与えたらしい。若手将校の間に、そこまで危機感が広まっていたのかと。そしてまた、違法組織が危険視するほど、そのネットワークは大きくなっていたのかと。
 ベテランの将官と、中堅のエリート将校から成る委員会は、調査結果を伏せ、ごく内輪だけで処理してしまった。
 といっても、軍の情報部では、誰がそのネットワークの参加者なのか、密かな調査が始まったのかもしれないが。
 表には、何も出なかった。対外的に公表されたのは、違法組織が《トリスタン》を破壊工作の実験に利用したらしい、という推測だけだった。
 爆破現場の調査報告からは、どのような手法で核ミサイルの安全装置が外されたのか、断定できないままだった。何種類かの可能性が示唆されたが、結局は、
『軍艦を内側から破壊できるかという、違法組織の実験と推測される』
 という形で落着した。
 連邦軍の全ての軍艦を管理するシステムが見直され、幾つかの防衛手段が講じられ、それで終わりになる。
 ぼくは解放された。容疑者扱いは終わり、哀れな被害者として。
 艦隊司令やその周囲の幹部たちからは、心の籠もらない慰めを言われた。
「大変だったな、フレイザー少尉」
「しばらく休暇を取って、休養したまえ」
「その間に、新たな配属先を決定する」
 だが、ぼくはもう、全ての気力を失っていた。軍という組織に、何の未練もなくなっていたのだ。

 《トリスタン》の乗員たちの死は殉職とされ、二階級特進の上、厳粛な合同葬儀で弔われた。クレール艦長は、死して大佐になったわけである。
 整然とした軍用墓地に、新しい墓標が並んだ。各植民星から、遺族たちが集まっている。
 三人の子供を育て上げたリン大尉……いや、リン中佐の家族がいた。十二歳から十八歳の少年少女三人が、喪服を着て、悲しさよりは怒りで震えながら、肩を寄せ合っている。その後ろに、髭を生やした大男の父親が付いている。放心したような頼りなさで。
 ラミレス中尉……いや、ラミレス少佐の遺族の中には、妊娠中の奥さんが、大きなお腹をして混じっていた。しわくちゃのハンカチを握りしめ、涙も枯れた様子で呆然として。
 だめだ。ぼくはどうしても、元の階級でしか彼らを呼べない。
 男らしくて頼もしかった、ラミレス中尉。
 軍事ジャーナリストに転身するはずだった、皮肉屋のバークレイ軍曹。
 大学を出たばかりで、みんなのアイドルだったアイシャ。
 陽気で気が利くショルティ。
 婚約者と二人して、店を持つための資金稼ぎをしていたヤング。
 別の艦で、やはり貯金に励んでいたヤングの婚約者は、すっかり打ちのめされた様子で、
「もう、わたし、軍にいる意味がないわ」
 と泣きながら家族に話している。
 降り出した雨の中、ぼくはマスコミの取材陣を避け、片隅でこっそりと葬儀に参列していた。そして、儀式が終わってから、建物の中で休息する遺族たちに頭を下げた。ただ一人生き残って、申し訳ありませんと。
「そんなこと、言わないでちょうだい」
「きみ一人だけでも、生き残ってよかったよ」
「うちの子の分まで、生きてちょうだい」
 そういう慰めを言われることすら、耐え難い。ぼくは彼らに、真実を隠したままなのだから。
 宿舎に戻って礼装用の軍服を脱ぐと、他の制服や備品と一緒に事務局に返却し、逃げるように基地を出た。手荷物一つを持って、自動運転のタクシーで。
 既に、退役願いは受理されている。調査委員会で証言した内容を、生涯秘密にすると誓約したから、解放された。
 心配されなくても、友達やジャーナリストに真実を話したりしない。そんな勇気があるくらいなら、軍を辞める必要もない。
 ぼくが慰留されることはなかった。いったん怖じ気づいた者は、無理に引き留めても意味がない。他の者に恐怖が伝染する前に、切り捨ててしまった方がいいのだ。
 それにまた、ぼくが軍に残って新たな不穏分子になったりすれば、軍の上層部としても〝対処〟を迫られる。
 鉛色の雲の下、広大な地上基地は、たちまち雨の幕の彼方に消えた。ぼくはそのまま民間宙港に向かい、《アル=ラート》を離れたのである。

 故郷に帰るつもりはなかった。相談もせずに軍を辞めたことで、父からは勘当を宣告されている。
「軍人に戦死があるのは、当たり前だ。死んだ仲間の分まで、生きて働こうという覚悟がないのか、おまえには!! そんな情けない男、もう息子とは思わん!! 二度と、家には戻ってくるな!!」
 クレール艦長たちの決起計画のことは、現役の艦長である父にも、退役間近の祖父にも言っていないのだから、仕方ない。二人とも、腐敗などしていないと思うが(単純すぎて、嘘や演技などには縁がない)、だからこそ、余計なことは知らない方がいい。
 それに、母艦を核爆発で失った恐怖は、忘れられるものではない。数時間ずれていたら、ぼくも消滅していた。骨のかけらも残さずに。
 そんなのは嫌だ。死後も長く覚えていてもらえるのは、ほんの一握りの偉人だけ。ぼくのような庶民は、あっという間に忘れ去られる。
 結婚して、子供を作って、孫の顔を見て……せめて、そのくらいは生きないと、この世に生まれた甲斐がないではないか。
 ……自分が悪いのだ。深い考えもなく、うかうか軍に入った自分が。
 世界のために命を投げ出す覚悟がないのなら、最初から、軍服など着る資格はない。
 そうですよね、クレール艦長。
 ぼくは英雄にはなれません。残る人生、自分だけの平穏を求めることを、許して下さい。いつか子供ができたら、その子には、あなたのことを伝えますから。

 それから半年、ぼくは星から星への旅を続けた。船から降りて、地上の観光地を歩き、山や海を眺め、また船に乗って、次の星へ行く。
 郷里の家は母の持ち物だから、帰ろうとすれば帰れたが、艦隊勤務から戻った父とぶつかったら困る。
 祖父母の家にも、寄り付かなかった。軍勤務の叔父や、大伯父も避けた。
 いずれ、何らかの職を探そうとは考えていたが、どこかに落ち着くことができないのだ。温泉に浸かったり、知らない土地を延々歩いたり、繁華街のカフェテラスでぼんやりしたりはするが、それ以上の何かをする気力が湧かない。
 そもそも、人と話をしたくないのだ。
 笑おうとしても、ひきつった愛想笑いしかできない。就職の面接など受けて、軍を辞めた理由を聞かれたくない。
 いつからか、サングラスをかけることが習性になった。世界との間に、防壁を作っていたいのだ。事件から半年も経った今、誰も《トリスタン》の生き残りの顔なんか、覚えていないだろうに。
 親戚や友達からはあれこれと励まされ、親切な申し出も受けた。
「うちの伯父さんの会社で、エンジニアを募集してるんだけど」
「田舎の別荘が空いているから、好きなだけ使っていいよ」
「知り合いの店で、シェフの助手を探しているんだけど」
 有り難く感謝して、全て断った。心配してもらう資格などないことは、自分が一番よく知っている。
 それでも、郷里の母にだけは、定期的に連絡を入れていた。そうしないと、私立探偵に尾行を頼むと脅されているからだ。
 自殺なんか、しないのに。
 命を捨てる勇気があるくらいなら、軍に留まって、周囲に真実を訴えていただろう。
 ぼくにはできない。もっと勇気のある、他の誰かがいるはずだ。ぼくなんか、ぼく一人の命しか考えられない小心者なのだから。

「ご搭乗のお客さまに、お知らせします。本船は一時間後に、終着地の《キュテーラ》に入港いたします……」
 いつもの悪夢を見た翌朝、手狭な船室のベッドの上に起き上がって、そのアナウンスを聞いた。
 とうとう、こんな僻地の中継ステーションまで来てしまって。この先にはもう定期航路はなく、企業の採掘基地や、科学技術局の観測基地が点在するだけだ。
 クレール艦長が今のぼくを見たら、何と言うだろう。
『何て情けない子なの。いい加減、立ち直って、世のため人のために、何かしたらどうなの!?』
 しかし、何をすればいいのだ。人とまともに口をきかず、どんな仕事ができる? 昨夜も夢の中で、爆発の残骸の中を飛び回り、みんなを探していたというのに。
 小惑星の外周桟橋に停泊した客船を降りて、シャトルバスに乗り、0Gの長い連絡トンネルを抜けて、新緑に輝く1G市街区に降り立った。
 こういう小惑星都市は、地球本星の北半球に合わせた標準暦を採用している。道路沿いの花壇にはポピーやパンジー、アネモネやフリージアがこぼれ咲き、白や黄色の蝶が舞っていた。人々は笑いさざめき、軽い服装で、銀灰色のビルの間を行き交っている。
 ホテルにささやかな荷物を置いたぼくは、サングラスをかけて市街を歩き回った。チューリップの咲く公園、噴水のある広場、アイスクリームやクレープの店。
 世界は明るいはずなのに、ぼく一人だけが、灰色の膜に包まれている。音も光も減衰させてしまい、外界から隔離されたように感じられる膜。今ではもう、元の世界の見え方を忘れてしまったようだ。
 ふと気がつくと、公園に隣接した市民体育館に、大勢の人が流れ込んでいた。家族連れ、指導者に引率された子供たちの一団、若者のグループ、デートらしきカップル。
 案内板には、『流派を問わない格闘技大会』とある。
 参加者らしい屈強な男たち、骨太の女たちが笑いながら通り過ぎるのを見て、ちらと気持ちが動いた。空手ならば、ぼくも大学時代は、惑星選手権に出た腕前だ。子供の頃から、父に道場通いを強制されていた成果である。
『強くなければ、男ではない』
『男が強くなければ、誰が女子供を守る』
 というのが父の口癖だった。信念を持つのは自由だが、今の時代、軍人の三分の一は女性なのに。
 この半年、稽古を怠けているが、だからこそ、出場して怪我でもしたら、少しは目が覚めて、しゃっきりするかもしれない。貯金はまだ残っているが、このまま何十年も、さすらい続けるわけにはいかないだろう……
「えっ、本当に出るの!?」
 すぐ横で、若い男が叫んだ。思わずぎくりとしたが、ぼくのことではない。茶色い髪を肩まで伸ばした白いシャツの青年が、小柄な女性の連れに向かって、懇願するように訴えている。
「無茶だよ、その骨折、まだ治ってないんだろ!? しかも、男女無差別の試合だよ!!」
 言われた女性は……いや、まだ少女だ……冷淡な声で応じた。
「出るのはあたしで、あんたじゃないよ。見たくないなら、帰れば!?」
 驚いて、まじまじ少女を眺めてしまった。
 背丈は百六十五センチに届くかどうか、すんなりした骨細の体格で、やや癖のある短い黒髪に、健康そうな小麦色の肌。オリーブ色の厚手のシャツに迷彩柄のワークパンツという姿は、男の子のようだ。右の手首には、白いギプスをはめている。
 何かを睨むような黒い目に、強情そうな黒い眉、熟す前のさくらんぼのような唇。顔立ちは整って、美人と言っていいが、飾り気がないのが勿体ない。その少女が、冷然として言い放った。
「怪我をしてたって、違法組織は手加減してくれないからね。この状態だから、どこまでやれるか、試す意味があるんじゃないか」
 ぼくは落雷のようなショックを受け、その場に立ち尽くした。
 まさに、天からの一撃。
 こんな細身の少女がここまで言うのに、大の男のぼくは、何をしているのだ!?
 呆然としているうち、黒髪の少女はすたすた歩いて、体育館の正面入り口に消えた。お供らしき青年も、慌てて後を追っている。
 ぼくは頭が痺れたまま、糸で引かれるように、ふらふらと少女を尾けた。彼女はいったん個室の洗面所に消えたが、出てきた時は、手首からギプスが消えている。代わりに巻いているのは、白い布製のサポーターだ。お供の青年が繰り返し止めても、相手にしない。
「いいからもう、余計なこと言わないで」

イラスト

 少女は一人で受付に行き、澄ました顔で出場の手続きをした。
「もう、お怪我は治ったんですか、お嬢さん」
 受付の男が、親しげに尋ねている。
「ええ、もうすっかり」
 と少女はにっこり答える。必要なら、平然として、嘘もだまし討ちも採用するのではないか。
 ぼくは迷った挙句、出場を申し込んだ。柱に隠れて見物するわけにはいかない気がしたのだ。あの少女の戦いぶりを見届けるには、自分も戦う立場でないと。
 更衣室で渡された道着に着替え、軽く準備体操をした。試合場に出ると、白い道着を着て、女性用のプロテクターを着けた少女が片隅にいる。
 そこだけ、光が当たっているように見えた。
 改めて見ても、毅然とした美少女だ。しかも、他の出場者と、笑顔で挨拶を交わす余裕がある。出場者の中では一番小柄だというのに、少しも委縮していない。
 やがて、開会の宣言があり、試合が始まった。広いフロアの四箇所で、四つの試合が同時進行していく。勝ち抜いた者同士で、次の試合が組まれる。
 じきに少女の出番が来て、大型モニターに名前が出た。
 漢字で矢崎純。
 アルファベットでジュン・ヤザキ。
 観客席から、大きな拍手と声援が上がった。他の出場者とは、明らかに違う扱いである。
 そうか。そうだったのか。
 何度もニュースで見た映像と、目の前の少女が重なった。彼女が、あのヤザキ船長の一人娘なのだ。
 翔・ダグラス・矢崎は輸送船《エオス》のオーナー船長であり、長年の戦歴から、辺境航路の英雄として知られている。
 本当の辺境を飛ぶわけではなく、中央の外れに近い、辺鄙な航路を仕事場にしている、という意味での呼び名だが。
 ヤザキ船長と《エオス》のクルーたちは、幾度も違法組織がらみの誘拐事件や襲撃事件にぶつかり、戦って生き延び、多くの市民を救ってきた。その活躍のおかげでヤザキ船長は、違法組織の〝連合〟から、首に巨額の懸賞金をかけられている。
 このステーションは、輸送船《エオス》の母港であることも思い出した。
 ジュン・ヤザキは連邦一若い船乗りであり、英雄の父に従って、既に幾度もの戦いを経験している。あの怪我もおそらく、最近の事件の時に負ったのだろう。ぼくはしばらく、ろくにニュースも見ない日々だったから。
 違法組織との戦いは、彼女にとって、日常なのだ。

 黒髪の少女と対戦した青年は、明らかに、やりにくそうだった。ジュン・ヤザキはこの街の人々の自慢であり、アイドルなのだ。手加減しようかどうしようか、青年は迷っているように見えた。
 だが、そんな迷いは無用とばかり、少女はすぐさま攻撃に出た。そして、巧みな蹴りで三ポイント先取し、堂々たる勝ちを決めた。
(本物だ)
 相手に骨折を悟らせないよう、うまく蹴りを使い分け、右手を使わずに済ませている。
 ぼくが見ている前で、彼女は順調に勝ち進んでいった。他の女性参加者は、全て初戦で敗退しているのに。
 ぼくもまた、勝ち進んでいった。すっかり鈍ってはいたが、一戦ごとに、肉体が勘を取り戻していく。
 相手が二メートルを越す巨漢でも、隙を突けば、蹴りは届いた。幼い頃から稽古を重ねてきた肉体は、考えなくても、勝手に動くのだ。
(いや、でも、これはまずいかも)
 もし、ジュン・ヤザキと決勝で当たることになったら、本気で戦うのか。それとも、手加減するのか。
 彼女はよく我慢しているが、治りきっていない手首が痛んでいるのは、見て取れた。下手をしたら、ぼくが新たな骨折をさせてしまうかもしれない。
 でも、わざと負けるなんて、かえって失礼ではないか。一度でも軽蔑されるような真似をしたら、それきりもう、二度と振り向いてもらえない予感がある。
 そしてとうとう、ぼくたちは、決勝戦で対峙したのである。

2 ジュン

イラスト

 あたしは憂鬱だった。
 せっかくの上陸休暇なのに、右手が使えない。
 大体は治っているのだが、主治医のバシムは、まだギプスを外してくれない。このざまでは、乗馬は無理。水泳もテニスも無理。
 文句を言いたくても、この手に蹴りを入れてくれた相手は、既に死んでいる。

 あれは先週、地球型惑星《セグレン》にある、科学技術局の第497基地に寄港した時の事件だった。
 地球型とはいえ、大気は硫黄分が多くて呼吸不可能。火山活動も激しくて、人類の居住には適さない。
 ただし、固有の微生物や、単純な植物が存在するので、それらを調査研究するための基地がある。
 あたしたちの船《エオス》が生活物資や研究用資材を積んで寄港する直前、その497基地は、職員誘拐を企む若い馬鹿者たちに乗っ取られていた。
 技術者や研究者をさらって、辺境の違法都市で売り飛ばせば、新しい組織を立ち上げるための資金ができる、というわけ。
 男ばかりの犯人グループは、『貨物の中の危険物が爆発してしまった輸送船』という体裁で、《セグレン》基地に立ち寄りを求めた。そして、許可を得て衛星軌道上のステーションに接岸すると、そこから地上基地にシャトルで降下し、無警戒だった研究者たちを襲ったのだ。
 彼らは見せしめに数人の職員を殺すと、残る百名あまりの職員たちに麻酔をかけて、シャトルに詰め込もうとした。
 そこへちょうど、《エオス》が来合わせた。本来は二日前に寄港するはずが、工場の都合で貨物待ちになり、遅れが出たのだ。むろん、497基地には遅延の連絡を入れてあったけれど、間抜けな犯人たちは、そこまで確認していなかったらしい。
「こちら《キュテーラ》船籍、輸送船《エオス》。荷下ろしのため、上陸艇の着陸を求めます」
 あたしの父、ヤザキ船長が通信を送った。
 娘の口から言うのも何だが、黒髪に黒い目の渋いハンサムだ。
 しかも、妻を亡くして独身のままだから、どこの寄港地でも、女性たちが熱烈に接待する。一度だけでも親父と深い関係になれたら、一生自慢できると思う女性がたくさんいるのだ。
 もちろん親父は、一人娘の手前、簡単に誘惑に負けたりしないけれど。
 あたし自身は、親父が再婚を願うのだったら、邪魔するつもりなど毛頭ない。デートにだって、にこやかに送り出してあげる。天国のママだって、きっと許してくれる。
 それなのに、みんな、
『ファザコン娘が張り付いてちゃあなあ』
『親父さんも気の毒に』
『娘の自立が先だよ』
 だなんて、失礼な。
 あたしは、とうに自立している。ただ、賞金首の親父が心配で、放っておけないだけ。
 通信を受けた地上基地の方では、犯人たちが慌てふためいた(と後でわかった)。そして、うまくごまかして追い払うしかない、と決心した。
 彼らは、まだ麻酔をかけていなかった職員を銃で脅し、返答させた。
「ようこそ、船長。いつもの西滑走路へどうぞ。お待ちしています」
 しかし、いつもは東滑走路なのだ。それに、ベテラン職員が眉で何かを訴えようとしている。新種の顔面体操ではあるまい。
「わかりました。では後ほど」
 穏やかに通話を切ってから、親父はあたしたちを振り向いた。
「様子が変だ」
 辺鄙な田舎基地では、たまの訪問者は大歓迎されるものだ。普通は所長室に通話が回され、お茶や食事に誘われる。それに、通信席の背後から、女性職員たちのキャアキャア、くすくすが聞こえなかったのが、最大の異変。
「事件ですかね」
 副長のジェイクが、技術主任のルークに視線を向けた。ルークは即座に記録を調べ、親父に報告する。
「貨物船が事故を起こして、寄港中です。しかし、このクラスの船で、乗員が十四名というのは多すぎですね。しかも、全員男。おまけに、出来たばかりの小さな会社の船です。船は、大手の払い下げ品」
 いかにも怪しい。田舎回りの輸送船には確かに男が多いが、それだけいたら、数人は女性が混じっているものだ。
 警備主任のエイジが報告した。
「現在、衛星軌道の貨物船から、シャトルが降下しています。事件なら、既に地上基地は制圧されている、と見るべきですね」
 親父は少し考え、あたしを振り向いた。
「ジュン、行けるか」
「はい!!」
「おまえが一番、警戒されない。上陸艇で降りて、様子を探りなさい。その結果次第で、我々が援護に入る」
「はい!!」
 斬り込みを任されたあたしは、単純に張り切った。あたしだって、いつまでも、みそっかすじゃない。今度こそ、それを証明してみせる。

 《エオス》が《セグレン》の周回軌道に乗ると、上陸艇で降下し、指示された西滑走路に降りた。東滑走路も空いているのに、やはりおかしい。こちらに、東側の貨物倉庫を使わせたくないのか。
 誘導されるまま艇を滑らせ、西側の大型倉庫の一つに向かい、貨物用のエアロックを接続した。あたしは気密防御服を着たままエアロックをくぐり、ヘルメットだけ外して倉庫内に降り立つ。本当は戦闘用装甲服を着たいが、それでは向こうを油断させられない。
「やあ、ご苦労さまです」
 基地職員の制服を着た若い赤毛の男が、貨物のチェックリストを手に、にこにこして待っていた。
「いつもの担当者は、生憎、腹具合が悪くて。ミス・ヤザキをお迎えできて、光栄です」
 あたしが基地の職員全員の顔を知らないと思って、油断したな。立ち寄った貨物船の乗員の顔は、ちゃんと確かめてきたぞ。
「どうも。貨物の確認、こちらでしていただけます?」
 あたしはいつもより五割増しくらい、愛想よく笑ってみせた。自分では〝闘士〟のつもりだけれど、他人からは〝ただの女の子〟にしか見えないことは知っている。
「ええ、もちろん」
 赤毛男がエアロックを通って艇内に入り、基地の警備システムから死角に入った途端、あたしは彼の顎を蹴り上げて昏倒させた。
「後ろ手に手錠!」
 待機させておいたアンドロイド兵士に命令し、艇内の貨物コンテナを開けていく。中にはぎっしり、アンドロイド兵と重機械兵を詰めてある。
 上空の《エオス》に戦闘開始の合図を送るのと同時に、目くらましのミサイルを乱射した。倉庫や格納庫があちこち吹き飛ぶ。
 炎と煙で基地の警備システムを混乱させた隙に、兵を率いて中枢の建物に突入した。あとは乱戦だ。外部の有毒ガスが爆破孔から入ってくる中、犯人たちは慌てふためき、必死になって反撃してくる。
「来るな!! 人質を殺すぞ!!」
 という脅しも聞いたが、無視して兵を進ませ、犯人たちを狩り立てさせた。人質が辺境まで連れ去られては、それこそ救いようがない。
 犯人たちの持ち込んだアンドロイド兵は、こちらの兵に倒されていく。兵そのものの性能は同等でも、指揮する人間の練度が違う。
 あたしが船乗り見習いとして《エオス》に乗り込んでから、そろそろ一年。もう、正規のクルーとして認めてもらってもいい頃だ。そうしたら、お給料だって上げてもらえるし。
 上空の《エオス》からは、ジェイクとエイジが援護に降りてきて、逃げようとする犯人たちの上陸艇を撃墜した。親父は《エオス》を動かし、逃亡しようとする貨物船を足止めする。
 戦闘が終了した時、生き残った犯人は、あたしが最初に昏倒させた赤毛と、貨物船内に残っていた一人、地上で捕虜にした三名のみ。
 あたしは吹き抜けのロビーに立って、ほっと息を吐いた。
 あちこちで気密扉が閉まり、有毒な外気の侵入を最小限に抑えている。薬で眠らされた職員たちは、建物内かシャトル内にいて無事らしい。
 目覚めているわずかな職員たちは、気密防御服を着て建物内を回り、仲間の無事を確認したり、怪我人に応急処置を施したりしている。
 すぐに、軍艦が集まってきてくれるだろう。《エオス》が飛ぶ時は、軍の方でも親父の安全に配慮してくれて、近い位置にパトロール艦を配備しておいてくれる。
 その時、手錠をかけて転がしておいた三人の犯人たちが、一斉に起き上がって、あたしに飛びかかってきた。
 逮捕されれば終身刑――その絶望が、彼らに捨て身の戦法を採らせたのだろう。乱戦だったとはいえ、後ろ手に手錠をかけろと、兵に念を押しておかなかった、あたしの過失だ。
 あたしは床に押し倒されながら、何とか二人は射殺した。彼らも防御服を着てはいたけれど、強力な銃弾は防げない。
 けれど、三人目があたしの手首を蹴って、銃を飛ばした。防御服には緩衝機能があるけれど、彼の靴先に何か仕込んであったらしく、手首の骨が砕けた。
 苦痛というより、ショックで動きが止まった隙に、首を抱えられ、ヘルメットの頭に銃口を突き付けられた。あたしの銃だ。
 生憎、手の大きさも判別してくれる個人ロックはしていなかった。体格と腕力では、大の男に敵わない。このヘルメットも、銃弾直撃には耐えられない。
「お嬢ちゃん、おとなしく俺たちの艇まで行ってもらおうか。他の人質は効かなくても、一人娘なら、ヤザキ船長も気弱になるだろう」
 まずい。その通りだ。
 親父はあたしが人質になったら、あたしの命優先の判断しかできない。精々、自分があたしの代わりに、人質になるくらいだろう。
 そんなこと、させられない。
 周囲には、こちらのアンドロイド兵が何体もいたけれど、《エオス》の管理システムの末端にすぎない彼らには、自発的な判断はできない。あたしがこの男を撃てと叫んだら、機械的に撃つだけだ。こいつも死ぬけれど、あたしも死ぬだろう。
 その時、上から声が降ってきた。
「おい、忘れ物だぞ!!」
 男がそちらを見た瞬間、上階の回廊にいたジェイクが連続して撃った。あたしの首を抱えていた男は、まず銃口を撃たれ、次に頭を吹き飛ばされて即死した。名人芸、と言っていい。
 あたしは手首の痛みがじんじん広がってきて、情けなさに涙がにじんだだけ。
 やがて軍が到着して、後始末を引き受けてくれたけれど、あたしはジェイクに厳しく叱られた。
「犯人を捕まえたら、後ろ手に手錠、足にも手錠と教えただろうが!! それができない時には、肩でも足でも撃っておけ!! しかも、目を離しやがって!!」
 言い訳できない。
 今度こそ、完璧に役目を果たしてやるつもりだったのに。
 それでも、現場に降り立った軍人たちには、賞賛されてしまった。
「さすが、素晴らしいお嬢さんですなあ!!」
「これでまだ十五歳とは、信じられない!!」
 けれど、後始末に立ち会った親父は、あたしが褒められて、天狗になることを恐れている。
「とんでもない、未熟者でして。不始末をしましたが、職員の方たちに、新たな死者が出なかったのは幸いでした」
 あっさり受け流して、あたしを《エオス》に戻らせた。
 天狗になんか、なりようがないのに。ジェイクがいてくれなかったら、どうなっていたか、よくわかっている。
 船で留守番していた医師のバシムが、骨折の治療をしてくれた。
「しばらく、空手の稽古は休みだ。その分、勉強すればいい」
 しますとも。利き手の右手に、ペンが持てなくてもね。
 親父からは、勉強を義務付けられている。大学に行かないのなら、通信講座で単位を取っておきなさい。教養は一生の財産だから、と。
 今は教養より、戦闘力の方が大事だと思うんだけど。

イラスト

 《エオス》は予定通りの航路を回って貨物を届け、母港の小惑星都市《キュテーラ》に帰還した。人口十五万の田舎都市だけれど、この辺りの宙域に点在する研究基地や開発基地に、物資と人員を送り出す拠点になっている。
 朝、あたしは桟橋に停泊している《エオス》から降りて、広大な回転居住区にやってきた。公園は新緑に輝き、赤やピンク、白や黄色やオレンジのチューリップが咲き揃っている。週末なので、アベックや家族連れも多い。
「はあ……」
 あたしはベンチに座り、ため息をついた。親父は何かの記念式典に招かれているから(有名人の宿命!)、親友のバシムと共に、司法局の護衛付きでそちらに向かった。
 あたしにも護衛チームは付いているけれど、目立たないよう、遠巻きにしてもらっている。
 ただでさえ顔を知られていて、あちこちで振り向かれたり、握手や写真撮影を頼まれたりするのに、この上、目立ちたくはない。あたしは、普通に喫茶店に入ったり、公園の芝生に寝そべったりしたいのだ。
 ジェイクとルーク、エイジの中年三人組は(彼らはまだ若者だと主張しているけれど、あたしの二倍以上の年齢のくせに、図々しい)、それぞれガールフレンドの所へ行っているはず。
 彼らに一体、何十人のガールフレンドがいるのか、あたしは知らない。本人たちも、数えていないかもしれない。《エオス》のクルーだといえば、どこでもモテ放題なのだ。
 まさに『港々に女あり』。
 いいよね、男は、お気楽で。 
 郷里に奥さんがいるバシムですら、時々は〝お楽しみ〟の時間があるらしい。
 女性たちの誘惑に負けないのは、親父くらいのもの……デートくらい、してきていいよと、あたしは言っているのに……
「あの、お嬢さん?」
 声をかけられ、顔を上げたら、知らない青年が立っていた。輝くような白いシャツに、肩まである茶色の髪、ハンサムな顔立ち。大学生だろうか。
 連邦政府は〝中央星域〟を縮小させまいとしているので、こういう周縁区域の大学に通う者には、気前のいい奨学金を出しているのだ。大学があれば、教員や職員、関係のある研究機関の人間も住むから、彼らを相手にする店が維持される。定期航路も維持できる。
「失礼……ミス・ヤザキですよね」
「はあ」
 《セグレン》の件はニュースで流れたし、他の事件でも、あたしの存在は報道されている。親父の元へは、あたしを映画に出したいとか、何かの宣伝に使いたいとかいう申し出が、何百も来た。親父が全て断ってきたので、最近は、新たな申し出はあまりないけれど。
「その怪我は、この間の事件の怪我ですよね。お疲れさまでした。今日は休日ですか?」
 遠巻きに輪を作る司法局の護衛チームが、この青年の接近を止めなかったのは、経歴に怪しい点がないと確認し(この若さなら、真っ白の経歴で当然だ)、危険物を隠していないと探知した上でのこと。
 たぶん、何の悪意もない一般市民だ。親父ならこういう時、にこやかに応対する。サインでも握手でも、求められれば断らない。それが、英雄の義務だからだ。
 でも、あたしはまだ、みそっかすの見習い船員。
「何かご用ですか」
 と冷淡に応じた。
 本当は、学校時代の友達に声をかけて、プチ同窓会をすればよかったかも。でも、骨折を抱えた姿で会うのは、情けなかった。みんなはまだ学生だし、青春を楽しんでいる最中だから、人を殺した悩みなんて持ち出せないし。
 殺したこと自体を、悔やんでいるのではない。無意味に殺したことが、問題なのだ。
 あの三人は、あたしがきちんと押さえておけば、殺さずに、軍に引き渡せた。そうすれば、事件の背景が、もっとはっきり解明されたはず。
 軍の誰も、あたしを責めたりしなかったから、反省は自分でしないといけない。
 長髪のハンサムは、あたしの不機嫌に一瞬たじろいだ後、努力する笑顔になった。
「よかったら、お茶でもいかがですか。パフェでもケーキでも、お好きなものを奢ります。それとも、ドライブの方がいいですか。牡丹の庭園が見事なホテルがあるんですよ。そこのレストランの和菓子も、評判いいんです」
 あれ?
 もしかして、ナンパなのか。
 だとすれば、いい度胸なのか、それとも現実認識が甘いのか。あたしといたら、いつ命を狙われるかわからないのに。
 親父が賞金首だということは、娘のあたしも、誘拐や狙撃の危険にさらされるということだ。
 だから、《エオス》から降り立ったら、すぐに司法局の護衛チームが付く。あたしがどこへ行こうと、周囲には偵察虫が飛び回り、上空にはサイボーグ鳥が待機する。司法局員たちも、近くの車から、物陰から、こちらを見守っている。子供の頃からのことなので、すっかり慣れっこだが。
「どこへも行きません。一人でいたいので」
 しかし、青年は熱心に食い下がる。
「せっかくの休日に、公園のベンチで一日過ごすつもりじゃないでしょう。ぼくは怪しい者じゃありません。前から憧れていた貴女を見たので、当たって砕けるつもりで声をかけたんです」
 彼は名前や大学の学部を言ったけれど、あたしは聞き流した。すぐに、追い払うつもりだったから。
「ナンパ男と付き合って、何の役に立つんですか。あたしは強くなりたいので、何か教えてくれる人でなくてはお断りです」
 青年は、びっくりしたようだ。すぐに逃げ去るかと思ったのに、少し考えてから、ぱっと顔を明るくする。
「じゃあ、役に立つ所に行きましょう。今日、市民体育館で格闘技の大会をやっているはずですよ。それなら、貴女の勉強になるでしょう!」
 おかげであたしは、気分が変わった。いい機会だ。利き手を使わず、どれだけ戦えるか、試してみようではないか。

 決勝戦の相手は、そこそこハンサムな金髪の青年だった。
 身長は百八十センチ少々だろう。男としては普通の体格で、それほど闘志がみなぎっているわけでもないのに、するすると勝つ。
 準決勝の様子では、対戦相手が見上げるような大男でも、金髪青年は流れるように動いて、無駄のない攻撃を決めていた。
 本格的な修行の成果だ。
 しかも、頭がよくて、冷静な見切りができるタイプ。
(これは、敵わないかも)
 あたしの方は、既に、手首がずきずき痛んでいる。試合の合間に、こっそり冷やしてはきたけれど、さすがに、ギプスを外したのは早すぎた。でも、ここまできたからには、何とか勝ちたい。
 決勝の試合開始と共に、積極的に攻めた。右手の攻撃はフェイントだけだと、どうか見抜かれませんように。
 ところが、金髪青年は、最小の動きでかわすばかりで、いっこうに反撃してこない。
 あたしの攻撃を全て見切っているのだから、明らかに、あたしより強いのに。
 もしや、小娘相手に、本気は出せないとでも!?
 やがて観客席からも、真面目にやれ、という声が飛び始めた。なのに青年は、まだ攻めてこない。あたしの攻撃を受け流すだけ。これではそのうち、審判からも注意を受けるだろう。
 ところが、野次に交じって、馴染みのある声が叫ぶではないか。
「おい、兄ちゃん、そいつは右の手首を骨折してるぞ!!」
「弱点を狙うのは当然だ、遠慮するな!!」
 ジェイクたち三人組が、観客席にいる。しかも、それぞれ美女連れで。
 くそう、誰かが注進したな。あたしが試合に出場していることを、《エオス》では承知なのかと。
 しかし、あたしの対戦相手は逆に、自分の右手を背中に隠した。自分も右手を使わずに戦う、という意思表示なのか!?
 手加減されたんじゃ、この大会に出た意味がないのに!!
 あたしはつい、怒りで突進してしまった。しかし、相手はするりとかわす。何度も攻撃を繰り返したけれど、蹴りも、左腕の攻撃も、全て読まれている。
 ほとんど自棄で、右の突きを出した。無論、フェイントだ。
 彼も、それがフェイントだとわかっていたのだろう。左手であたしの突きを慎重に払い(あたしの右手に衝撃を与えないように!!)、脚の攻撃を脚で防御しつつ、左手を滑らせてあたしの喉を狙ってきた。
 寸止めにしてくれたけれど(ルール上は、急所以外なら打撃を加えても問題ない)、ポイントを取られてしまった。
 くそ、リーチの差だ。
 続く二回は、前蹴りと回し蹴りを決められた。それも、寸止めで。向こうはあくまでも、右手を使わないまま。
 三ポイント連取されて、完敗だった。
 仕方ない。こちらの右手が万全であっても、勝てる相手ではなかった。
 審判が、金髪青年の優勝を宣言した。同じ時間帯に三位決定戦が行われていたから、これで大会は終了だ。
 こんな田舎のお祭り大会でさえ、あたしは勝ち残れない。
 違法組織の戦闘用強化体が相手だったら、瞬時に殺されるだろう。いつも親父やバシムに言われるように、頭を使うしかない。その頭だって、すぐ感情に負けてしまうのに。

 優勝した金髪青年は、なぜか表彰式の間、ちらちらこちらを見ていた。けれど、あたしが睨むと、慌てて視線をそらす。
 何か言いたいのだろうか、変な奴。
 表彰式の後、あたしは主催者である道場主や商店主たちに挨拶してから(うちの親父も商工会のメンバーだから、みんな子供時代からの顔見知り)、女性用の控え室に戻りかけた。セコンドを務めてくれた長髪青年が、自分のことのように喜んでいる。
「二位なんて、すごいよ。お祝いしなきゃ。どこかで乾杯しよう」
 こんなの別に、自慢にならないのに。実戦では、あらゆる武器、あらゆる戦法が入り乱れる。ルールのある試合なんて……しかも、あんな覇気のない奴に負けるなんて。
 ところが、その金髪青年が追いかけてきて、あたしたちの前に回るではないか。
「失礼、お嬢さん……ミス・ヤザキ。ちょっといいですか」
 あたしは警戒した。試合内容に文句をつけるとしたら、あたしの方だと思うぞ。右手を使ってくれてよかったし、積極的に攻撃してくれたら、もっとよかったのに。
「あの、この後、お茶でもどうですか」
 はあ?
「つまり、その、武道を志す者同士、心構えとか、修行法について、その、お話をしたいと思って」
 あたしより格段に強い奴が、あたしなんかと『お話』して、何の役に立つ!?
「それに、よかったら、その右手が治ってから、再試合をしませんか。今日の試合は、不本意だったでしょう。ぼくも、万全の状態の貴女と対戦したいですし」
 何を言ってる、こいつ。
「そんな必要、ないですよ。もう、勝負はつきました」
 勝った側に気を遣われるなんて、屈辱だ。勝ったら素直に喜ぶのが、敗者への礼儀ではないか。負けた方は、何くそ、と奮起すればいいのだから。
「問題があるとすれば、あなたがあたしに対して、手加減したことですね。あなたは本気になれば、一分であたしに勝てたはず」
 と言ってやったら、まごついている。
「いや、それは……」
 どうせ、女の子相手に、本気で戦うなんて大人げない、とか思っているんだろう。そういう考えこそ、思い上がりなのに。
 たとえ今は勝てなくても、あたしは経験を糧にして成長する。こいつには一生勝てないかもしれないけれど、それでも、今よりは強くなる。そのためには、本気で戦ってくれることこそが親切なのに。
「骨折はこっちの事情なので、あなたはそんなこと、気にする必要はなかったんです。どのみち、骨折がなくても勝てなかったし。再試合なら、もう何年か経って、あたしがもう少し強くなった頃に、お願いします」
 すると金髪青年は少し考え、それからぱっと顔を明るくする。
「だったら、ぼくと稽古しませんか。ぼくが、練習相手になります!! いつでも、あなたの都合のいい時に!!」
 こいつ、もしや、親父を暗殺する機会を狙っているんじゃないだろうな。このまま、司法局のチームに引き渡そうか。
 その時、青年の肩に、後ろから大きな手がかかった。
「兄ちゃん、そういう話は、俺たちを通してもらおう」
 いいタイミングだ。ジェイクとエイジが左右から、金髪青年の腕をがっしり捕らえて、あたしから引き離す。
「ジュン、帰っていいぞ。こいつは、俺らが引き受けた」
 それなら、任せる。あたしはもう、腫れ上がった手首が痛くて、我慢の限界だから。
「何をするんですか!!」
 抗議する青年は、ずるずる引きずられて、体育館の外に消えてしまう。あたしの護衛たちも、見ないふりをするだろう。
 あたしはほっとして、長髪青年に手を振ってから、女子更衣室に入った。今日の戦いは、これまで。完璧ではなかったけれど、まあまあ、よくやった。
 道着を脱いで、シャワーを浴びた。使った道着やプロテクターなどは、体育館の備品なので返却する。
 二位の賞金は、有り難く貯金させてもらおう。いつか、あたしが《エオス》の二代目船長になる頃には、新しい船に買い替える必要があるだろうから。
 元の服を着たあたしは更衣室から出て、あたりを見回した。もう、他の選手や観客は残っていない。ロビーと通路に、あたしの護衛をしてくれる司法局員の姿と、後片付けのスタッフの姿があるだけ。
 ソファで待っていた長髪青年が近づいてきたので、礼を言った。
「今日はありがとう。おかげで、いい勉強になった」
 すると、彼はさわやかな笑顔で言う。
「どういたしまして。少しでもきみの役に立ったなら、よかった」
 ナンパ青年だからといって、頭から馬鹿にしてはいけないのだ。こうして修行の場に導いてくれたし、お昼だの飲み物だのと(護衛チームが安全確認したけど)、あれこれ気遣ってくれた。
 本当は、賞金で何か奢るのが、礼儀なのかもしれない。でも、それじゃまるでデートみたいで……気詰まりだ。
「それじゃ、あたしはこれで……」
 と言いかけたら、彼に遮られた。
「まずは医務室、それから打ち上げパーティだよ。きみの護衛にも、了解を取ったから」
 あたしが顔馴染みの護衛たちを見ると、彼らはにやりとする。
「お父上に、言われているんですよ。〝修行〟と〝青春〟の邪魔はしないようにと」
 うわあ、出た。
 親父のおセンチ。
 あたしに〝普通の青春〟なんて、無理だと言ってるのに。
「寂しい場所に行かれるのは困りますが、繁華街の店なら問題ありません」
「ちゃんと、護衛はしますから」
 だなんて、あんまりだ。ここは是非、止めてほしかったのに。

 結局は、近くのレストランで、長髪青年と向き合うことになってしまった。左手だけで食べられるものは、だいぶ限られているのが残念。
 でも、狼みたいに空腹だったから、豆のサラダと生春巻きと、チキンカレーをがつがつ食べた。飲み物は、ミルクを入れたアイスティ。
 十八歳になるまで、お酒は飲まないと、親父に約束させられている。別に、飲みたいとも思わないし。
 以前、バシムにちょっとだけ、ビールを味見させてもらったけれど、ただ苦いだけだった。あれが美味しいなんて、大人のやせ我慢としか思えない。
「当たってみるものだね。まさか一日、きみとデートできるなんて」
 と長髪青年は嬉しそうだ。
 これってやっぱり、デートなの?
「こんなことを言っても、迷惑だとわかっているけど、前から、きみのファンだったんだ。もっとも、ここの大学にいる男は、大抵そうだけどね。街できみを見かけると、みんな、はしゃいで写真を撮ったりして、互いに報告し合うんだ」
 あたしは珍獣か。
 写真は苦手なのに。
 だって、あたしは色気も洒落っ気もない格好で、街をうろついている。たまに学校時代の友達に会うと、
『ジュン、年頃の乙女が、その格好はないわよ!』
『せめて、髪くらいきちんと整えて!』
 と叱られるくらい。
 だって、ちゃらちゃらしていたら、ジェイクたちに何て言われるか。奴らを瞠目させるくらい強く有能になったら、初めて、それ以外のことにエネルギーを振り向けられるようになる。
「いや、ごめん。勝手に写真を撮るなんて、本当はよくないことだとわかっているけど。きみは、ぼくらみんなの憧れだから」
 だから、そういうのをやめてほしい。
 親父は確かに英雄だけど、あたしはまだ、見習いのみそっかすにすぎない。
「わかってる。つきまとったりしない。今日一日だけで満足する。いつか結婚して、子供ができたら、自慢するよ。若い頃、あのミス・ヤザキと一日だけ、一緒に過ごしたんだって」
 えっ? そういうもの?
 どこか有名な観光地へ旅行して、記念写真を撮って、それで満足、もう二度と行かなくていいみたいな話?
 あたしを本気で口説くとか、毎日薔薇の花束を届けてくるとか、そういう方向には行かないわけ?
「今日、間近できみを見ていて、よくわかったんだ。骨折を隠して戦い抜くなんて、その覚悟からして、ぼくらなんかとは格が違う。この世で何かを成すために選ばれた、特別な人なんだって」
 ちょっと待って。格って何。
 あたしはただ、親父を守るために、強くなりたいだけ。
 誰だって、家族のためなら努力するでしょ。
「あたし、普通だよ。特別な能力なんか、何もない。ただ、できる努力をしているだけ」
 ママは違法組織で創られた超人的な実験体だったけれど、その遺伝子を残すことは、惑星連邦の法律が許さなかった。生命の操作は、市民社会の禁忌だから。
 結局、親父は、他の女性から卵子をもらい、それで受精卵を作った。あたしは親父の遺伝子と、どこの誰か知らない女性の遺伝子を受け継いでいる。ママとの血のつながりはない。
 卵子提供者のことは、調べるつもりになればわかるけれど、あたしの母親は一人だけだから、あえて知らないままでいる。その提供者も別に、あたしに何かを要求してくることはない。単なる善意の卵子提供だったと、親父から聞いている。何でも、親父の軍時代の知り合いだとか。
「ううん、その努力がもう、普通じゃない」
 と断言された。
「十五歳で義務教育を終えるなんて、並大抵のことじゃないよ。それですぐ、お父さんの船に乗り込んで、大の男と同じに働いているんだから」
 確かに、義務教育修了には普通、十七か十八までかかるけれど、それはみんな、のんびり学校生活を楽しんでいるからだ。夏休みや冬休みに集中して単位を取れば、年限の短縮はできる。
 あたしは一日でも早く学校を終えて、親父の側に行きたかった。あたしがいないうち、親父が暗殺されたりしたら、悔やんでも悔やみきれないもの。
 まあ、それが普通ではないと言われれば、確かにそうかもしれないけれど……
 デザートが済むと、彼は席を立って、礼儀正しくあたしの手を取り、うやうやしく口づけした。
「どうか、これからも元気で、活躍を。いつも、きみの無事を祈っているからね。今日は本当に、ありがとう。一生の思い出にするよ」
 そして、あたしを護衛の包囲陣の中に残して、引き上げていった。
 残されたこちらは、考えてしまう。
 あたしって、一生の記念にされるような存在?
 世の女性たちが、一日でいいからヤザキ船長とデートしたいって言ってる、あれと同じ?
 そりゃあ、この人に、何か期待していたわけではないけれど……何か、ぐったり力が抜けてしまった気がするのは、なぜだろう。
「帰りますか、お嬢さん。車を回しますよ」
 護衛チームの班長が、声をかけてきた。その声に、理解と慰めが籠もっている。
「はい、そうします」
 確かに疲れた。自分の船室に帰って、ぐっすり寝よう。そうしたら明日には、親父と街へ出る元気が戻っているだろう。

3 エディ

 ぼくは屈強な男たちに左右から引きずられ、暗くなった駐車場に連行された。
 試合の観客はほとんど引き上げていて、車は数えるほどしか残っていない。周囲のビルには、ぽつぽつと明かりが灯りだしている。
 左右の男、どちらも武道の高段者だ。
 片方は、ぼくより一回り大柄な、金茶の髪の無精髭男。
 もう片方は、細い目と黒い髪をした、ずんぐり型の闘士。無駄に肥っているのではなく、太い骨格に鎧のような筋肉をまとっているのだ。
「おい、兄ちゃん、いい度胸だなあ。ジュンの稽古相手になりたいって?」
 先に待っていた三人目の男、縞シャツを着た、浅黒い肌、黒髪の伊達男が、場所を選定しながら言う。
「ここらでいいだろ。野次馬もいない。通りからも見えない」
 こいつは高段者ではないが、やはり油断のないたたずまいだ。おそらく、三人とも《エオス》の関係者。さっき、骨折を曝露する野次を飛ばした男たちかもしれない。ぼくはリンチに遭うのか?
 金茶色の髪をオールバックにした無精髭の男が、ぼくをどんと突き放す。
「ジュンに用なら、俺たちを通せ。あいつは、俺たちの妹みたいなもんだからな」
 逆に安心だ。こういう兄貴分がいるなら、つまらない男が、彼女の周りをうろつくことはできない。
「つい焦って、失礼しました。ぼくはただ、ミス・ヤザキに尋ねたかったんです。なぜ、骨折していて、あんな無理をしたのか……」
 すると縞シャツの男に、厭味たらしく言われた。
「まさか、一目惚れとは言わないだろ。あんな、やせっぽちのガキに」
 自分で驚いたことに、かっと全身が熱くなった。膝に震えがきたのは、この男たちが怖いからではない。
 今の自分が、自分で信じられない。
 クレール艦長に憧れてはいたが、切実な気持ちではなかった。学生時代にも何人かの女性に誘われたが、心底夢中になることはなかった。いつも、勉強や空手の修業の方に頭が向いていて。
 でも今は、黒髪の少女のことで頭が一杯になっている。声を聞きたい。間近に行きたい。もっとよく知りたい。あの厳しい目で、真正面からぼくを見てほしい。他のことは全て、どうでもよくなっている。
 つまりこれが……『恋に落ちる』というやつなのか。職も展望もない身で、よくも。
 三人組は顔を見合わせ、何かの意志を交わしあった。無精髭男が、ぼくに言う。
「おまえ次第で、機会をやらんこともない。そうだな。俺と戦って勝ったら、ジュンとデートさせてやろう。俺はジェイク。《エオス》の副長だ」
 あまりの単純さに、驚いた。
「本当ですか!?」
「司法局の護衛は付くがな」
 そういうことなら、この三人相手に戦ってもいい。いつものぼくなら考えられないことだが、今は、かっかと燃えている。震えも収まった。むしろ、期待でそわそわしている。
 そういえば、自分を包んでいた灰色の膜が消えたようだ。試合中からか。これは、気分がいい。昼間の試合で、戦いの勘も戻ってきたし。
「怪我をしたくなかったら、逃げてもいいぞ」
「とんでもない。勝負させてもらいます。喜んで」
 三人組は、驚いたようだ。彼らから見れば、彼女はほんの子供なのかもしれない。でも、ぼくには、俗世に舞い降りた天使に思える。そう、純白の百合が似合う戦いの天使だ。
「おい、何か楽しそうだな」
「見学させろよ」
「腕試しか?」
 ぞろぞろと七、八人の男たちが登場して、大きく円陣を作った。鍛えた肉体、精悍な顔つきからして、船乗り仲間らしい。
「俺らは立ち会いだ。手は出さん。安心して戦ってくれ」
 と一人が両手を広げて言う。あとは、互いに笑いあっている。
「賭けようぜ。何分保つか」
「俺はジェイクに賭けるぞ」
「俺もだ」
「誰か、この坊主に賭ける奴はいないのか?」
 丁度いい退屈しのぎらしい。ジェイクと名乗った男が、上着を脱いで仲間に放った。
「よし、来い」
 ぼくより上背があり、体重もある。しかし、楽には勝たせない。ぼくも上着を脱ぎ、植え込みの茂みに放った。軽く構えて立つ。
 しばし睨み合った後、ジェイクが試しの蹴りを放ってきた。それをかわし、向こうの軸足に蹴りを飛ばす。浅く当たっただけだ。
 また向き合い、今度はこちらから攻撃する。やはり、かわされる。ほぼ互角ということか。突きと蹴りが幾度も交錯した。腕が腕を払う。蹴りが蹴りを止める。組み付いて関節を極めようとし、失敗して撥ね飛ばされる。
 体格では向こうが有利、若さではぼくが有利。
 しばらく戦ううちに、これは長引くとわかってきた。体格と技術、経験と気迫の総合力が拮抗しているのだ。
 せめて毎日、稽古を続けていれば。いや、いま悔やんでも仕方ない。
 あたりは夜の闇に沈み、体育館の明かりも消えた。その向こうで、繁華街のビルが華やかに輝いている。
 ぼくとジェイクは相手の隙を窺い、飛び込んで攻撃し、離れて態勢を立て直すことを繰り返した。全身に打撲が重なっている。特に、左の臑が痛い。ひびが入ったかもしれない。だが、向こうの肋骨にも、まともな蹴りを入れてやった。こうなったら、夜明けまででも粘ってやる。
 やがて、見物の輪の中から、黒髪に丸顔のずんぐり男が出てきた。
「ジェイク、代われ」
 言われた男は、困ったようだ。
「約束違反になる」
 だが、ずんぐり男は、ぼくに呼びかけてきた。
「このままでは、夜明けまでかかるだろう。こちらの都合ですまないが、条件を変えさせてもらう。おまえが俺に一撃でも打ち込めたら、ジュンと一日デートさせてやる」
 ぼくは空腹と疲労でへたばりかけていたが、思わずにやりとした。
「いいでしょう。選手交替ですね」
 このずんぐり男は、ぼくより体重があるが、わずかに背が低い。体格面での不利はなくなると思い、向き合いながら、ほんの少しだけほっとした。
 その瞬間、重い蹴りを腹にまともにくらう。
 凄まじい速度だった。かわすどころか、見えもしなかった。本物の達人だ。ぼくはそのまま倒れ、気を失った。

 意識を取り戻した時は、走る車の中だった。ぼくは、後部座席でシートを倒して横になっている。
 身動きしようとしたら、隣の席からそっと手で押さえられた。
「動くな。医者に見せる。俺も、肋骨が折れた」
 負けたのだ、と思い出した。このジェイクと交替したずんぐり男に、完敗した。つまり、デートの資格は失った。
「せめて……せめて五分……いや、三分でも、ミス・ヤザキに……」
 かすれ声で訴えたら、車内の男たちはむせび笑った。ずんぐり男は前の運転席。その横には、細身の黒髪の男。
「おいおい、本気で、あのじゃじゃ馬が気に入ったのか」
 他の何だというのだ。ぼくの視野ではずっと、彼女だけが光り輝いていた。他の人間には、あの輝きが見えないのか。
 それから、はっとする。
「もしかして、彼女には、もう決まった相手がいるんですか……」
 彼女に付いて回っていた青年は、下僕にしか見えなかったが。
 男たちは、軽く笑った。
「そんな物好き、いるわけないだろ」
「世間じゃアイドル扱いだが、実際に付き合うのは命がけだからな」
 それなら、ぼくにも希望がある。ほんのわずかでも。
「とにかく、度胸試しは合格だよ。俺はルークだ、よろしくな」
 そう自己紹介してくれたのは、縞シャツを着た黒髪の伊達男である。
「でも、勝てなかったのに……?」
「ジェイクを相手に、よく粘ったよ。エイジが出なきゃ、まだ戦っていたところだ」
 ずんぐり男がエイジという名で、名門道場の息子だということがわかった。強さを極めることが生き甲斐で、以前は軍の特殊部隊にいたという。ジェイクは軍の情報部出身だとか。さすがに《エオス》、優秀な男が揃っている。
「ジュンには会わせる。ついでに、親父さん……ヤザキ船長にも紹介しよう」
 その名を知らない者はいない。ぼくも少年の頃、船長をモデルにした映画を見た。違法組織から脱走してきた改造体の美女を助け、協力して追っ手と戦った人。その二人の間に生まれたのが、あの美少女。
「おまえにその気があれば、試験採用するように、親父さんに提案してみるが……」
 ジェイクに言われ、驚愕のあまり起き上がって、苦痛に身を折ることになった。やっと苦痛が薄れてから、卑屈に尋ねる。
「ぼくなんかを、《エオス》に乗せてくれるんですか……?」
 そんな道があるとは、思わなかった。
「《トリスタン》の事件からこっち、半年も放浪してたんだろ。いい加減、飽きたんじゃないか」
 とルークに言われた。既に、身元は確認済みか。
「その通りです……」
 貯金を食い潰すだけの生活は、自分を腐らせる。なのに、そこから抜けるきっかけがなかった。今朝、落雷のようなショックを受けるまでは。
「しかし、採用されたかったら、〝ジュン狙い〟だということは黙っていろよ」
 とエイジが笑いを含んで言う。
「あんなじゃじゃ馬でも、親父さんにとっては、大事な一人娘だからな」

 車は連絡トンネルを抜け、輸送船の停泊する桟橋に出た。何十という船が並ぶ中に、一隻の中型船がある。船体に、《エオス》という光の文字が浮かんでいた。ギリシア神話の、暁の女神の名前だ。
 ぼくはこうして、女神との出会いを果たしたのである。もっとも、ジュンに伴侶と認められるまでは、何年もかかったが。

 船内の医療室では、二メートル近い身長の、縮れた黒髪、褐色肌の中年男が待ち受けていた。物静かで威厳があり、重量級の哲学者というたたずまいだ。
「この船の医師だ。バシムと呼んでくれ」
 彼はぼくを診察台に寝かせ、左足の骨折と、全身の打撲を治療してくれた。内臓が無事で、ほっとする。骨折が治るまで、車椅子か歩行ユニットを使うかと聞かれ、慌てて断った。そういう動力付きの補助装置は、老人か病人が使うものだ。
「片足の補助具で十分です」
 それなら何とか、ズボンに隠せる。
「ま、若いからな。すぐ治るだろう」
 ジェイクもまた、ぼくが殴った顎と、ひびの入った肋骨の手当を受けた。勝てはしなかったが、それなりの損害を与えたことに、内心で満足する。
 子供の頃から、道場通いをしていた成果だ。
 最初は父が怖くて、空手や剣道を強制されることが辛かった。姉のアリサは好きな音楽に没頭することを許されていたのに、ただ一人の息子であるぼくは、強くなることを当然視されていたのだ。
 学校が休みの時は、サバイバル・キャンプにも連れ出された。滝に打たれたり、崖をよじ登ったり、捕まえた猪を解体したり。
 強くなる面白さがわかるようになったのは、十代半ばになってからだ。あの頃のぼくより、今のジュンの方が強い。
「メシにしようぜ。腹ぺこだ」
 ルークに案内され、慣れない補助具で体重を支えつつ、食堂に向かった。この船内居住区は、二十人ほどが楽に暮らせる設計だとか。
 今は船長を入れて総勢六名というから、余裕がある。何人ものクルーが、結婚をきっかけに辞めていったそうだ。家を留守にする時間が長い船乗りは、理解の深い女性が相手でないと、結婚生活を維持するのが難しい。
 まあ、軍人もそうだ。
 だから母は、二人の子供を育てながら、レストラン経営という、自分の仕事に打ち込んでいた。万が一、父が戦死しても、母はすぐに立ち直れるだろう。
 エイジが先に食堂に来ていて、大きなテーブルに、料理やビールを並べてくれている。既に飢え死にしそうな空腹だったので、とても有り難かったが、その前にジェイクに尋ねた。
「あの、船長にご挨拶しなくていいでしょうか?」
「明日にしろ。もう遅い。食ったら寝ろ。今夜は、この船に泊まればいい」
 骨折を抱えてホテルに戻るよりずっといいので、厚意に甘えることにした。男五人でビールを開けて乾杯し、遅い夕食にする。
 タンドリーチキンにタラモサラダ、魚介のピラフ、チーズにオリーブ、ソーセージにフライドポテト、餃子に春巻き、トマトとモッツァレラのピザ。
 いずれも美味だが、不統一な品揃えだった。どうやら、レトルト物ばかりのようだ。
 既に夕食を済ませたというバシムは、ビールだけ付き合っている。ルークが昼間の試合のことを説明した。バシムが頷く。
「それでわかった。ジュンがこそこそ、わたしの目を避けていたわけが。わたしがはめたギプスでないことを、隠そうとしていたんだな」
 彼女はもう自室に引き上げているというから、就寝しているのだろう。一年前から見習い船乗りとして、この《エオス》で暮らしているそうだ。
 明日になったら、会える。それだけで、胸が高鳴る。ゾンビだったものが、青空の下に蘇った気分だ……
「あんた、なぜここにいるの!?」
 鋭いソプラノの声が降ってきて、ぼくははっと身をねじった。食堂の戸口に、ほっそりした黒髪の少女が立っている。灰色のシャツに、モスグリーンのスパッツという飾らない姿で。
 やはり、香り高い白百合のような美少女。
 だが、明らかに、不快な様子をしている。ぼくは急いで立ち上がり、慣れない補助具のせいで転倒しそうになった。ズボンに隠すのは明日でいいと思っていたので、腿から下を支える補助具が丸見えだ。慌てて椅子の背に掴まり、体勢を立て直す。
「あの、ミス・ヤザキ……」
 男たちは食べるのをやめ、険悪な顔の少女を眺めた。ジェイクが一同を代表して言う。
「エディ・フレイザーだ。元軍人。職探しをしていると言うんで、明日、親父さんに会わせることにした」
「職探し?」
 少女は露骨な疑惑の声だ。ルークが横から言う。
「《エオス》も、新しいクルーを補充していかないとな。親父さんにも、前から言われてるんだ。良さそうな若いのがいたら、引っ張ってこいと」
 ぼくは左足の補助具を使って可能な限り、迅速に動いて彼女の前に行った。
「昼間は失礼しました。ぼくはこの船に採用してもらいたいので、どうか、お父上に口添えをお願いします」
 彼女は黒い眉をひそめ、納得しかねる顔をしている。
「採用を決めるのは親父だから、あたしの口添えなんて関係ない。それに、あんたのことを何も知らないし」
「あ、もちろん、そうですよね。でも、これから知ってもらえたら……」
「そういえば、稽古相手をしてくれるとか言ってたよね?」
 すると、横からエイジの厳しい一声がかかる。
「おまえの師匠として、それは当面、禁止する。エディ、覚えとけ。ジュンを甘やかすだけの稽古じゃ、却って害になる」
 ぼくはかっと熱くなった。その通りだ。こんな立派な兄貴が付いているのに、ぼくなんかが稽古相手になる必要はない。
「はい、わかりました」
 黒髪の少女は、改めて、ぼくに疑問の眼差しを向けてきた。
「それより、あんた、その足はどうしたの。あたしと対戦した時は、何でもなかったでしょ」
「あ、ええと、その、これは」
 貴女とのデートを賭けて兄貴分と戦った、などと言っていいものか。自分の知らない所で、勝手に取り決めた約束など無効だ、と言われるかもしれない。
 まして、〝一目惚れ〟の告白など、できる雰囲気ではないし。
 すると、バシムが助け舟を出してくれた。
「腕試しの結果だ。その青年は、ジェイクと互角に戦った。これならダグに推薦できると、みんなで認めたわけだ」
 ジュン・ヤザキは、まじまじぼくを見直した。明らかに、気に入らない顔だ。
「そんなに強いのに、あたしが相手の時は、ずいぶん時間をかけてくれたね」
 試合の時、積極的に攻撃しなかったことで、彼女を侮辱したように受け止められているのだろう。
「それはただ……最初に貴女を見た時、右腕にギプスだったので……」
「そんなこと、手加減の理由にならないよ。こっちは、自由意志で出場したんだから。あんたは、一分であたしをぶちのめしてくれて、よかったんだ」
「まさか、そんなことは……」
「それより、元軍人が職探しってことは、軍艦暮らしが合わなかったんでしょ。それなのに、船乗りを志願するわけ?」
 思わず、ひるんだ。しかし、もうゾンビには戻りたくない。
「半年前、乗っていた船が爆破されて、同僚たちが死んでしまったので、怖くなったんです。だから、軍を辞めました」
 言いながら、これでは軽蔑されて当然だと、自分でも思う。ぼくが女だったら、ぼくのような男には、絶対、好意を持たないだろう。
「だけど、半年放浪していて、根なし草の生活に耐えられなくなったんです」
 それは本当だ。今日、思い知った。
 逃げている限り、ぼくは生きていない。
 この世界に、居場所がない。
 もう一度、やり直したい。できるものなら、この少女の側で。
「どうせ死ぬまでの人生なら、燃焼してから死にたい。そう思いました。この船でなら、やっていけると思うんです」
 だが、美少女は冷然としたままだ。
「何か、勘違いしてるんじゃないの。有名な船だからって、特にいいことがあるわけじゃないよ」
 あ、そうか。ミーハーだと思われているんだ。
「それどころか、賞金目当てに、親父を殺しに来る阿呆がたくさんいるんだから。そいつらを警戒するだけでも、神経使うんだ。軍も務まらなかった奴なんかに、半端な気持ちでうろつかれたくないね!!」
 厳しいが、その厳しさが爽快だった。この少女は、常に戦闘態勢なのだ。ふやけた男なんか、見ることすら不愉快なのだろう。
「今回は、本気です。本気で《エオス》に乗りたいと願っています」
「じゃ、軍に入ったのは、本気じゃなかったんだ?」
 ああ、最高に痛烈だ。痛さが快いなんて、ぼくはマゾかもしれない。
「たぶん、そうです。代々軍人の家系だったから、つい、何となく……」
 いきなり、ぱんと頬が鳴った。平手打ちをくらったとわかったのは、じんわり痛みが広がってからである。ジュンは、頬を紅潮させて怒っていた。
「あほかっ!! そんな軍人ばかりだから、軍は腐ってると言われるんだよ!!」
 よかったと思ったのは、ジュンがちゃんと左手でぼくをぶったからだ。痛めた右手を使わないでくれたことに、まず感謝する。
「仲間が死んだから、軍を辞めた!? 軍は、仲良しクラブだとでも思ってたのか!! 戦死があるのなんて、当たり前だろ!! そんな半端野郎、親父に近付けるのはごめんだね!! どうせ、足手まといになるに決まってる!!」
 ぎゅっと魂を絞られる気がした。
(クレール艦長)
 艦長と同じ、高貴な魂が、この少女を動かしている。
 ジュン・ヤザキは自分を鍛え、父親の盾になるつもりなのだ。それなら、ぼくが彼女の盾になればいいではないか。
(泣き言をいう暇があったら、努力しろ)
(男の命は、女子供を守るためにある)
 幼い頃から繰り返し、父に言われてきた言葉が実感を持った。男の人生は、『この人のためなら死ねる』と思う相手を見つけてから、ようやく始まるのではないだろうか。
 それは同時に、『無駄には死なない』ということでもある。ぼくは、石にかじりついてでも生きよう。この少女を、どこまでも守り抜くために。
 その時である。少女の後ろから、よく似た黒髪の男性が登場したのは。
「お客さんかね?」
 張り詰めていた食堂の空気が、一度にゆるんだ。寛いだ部屋着姿の、四十代のダンディな紳士。ほくは反射的に、軍隊式の敬礼をしてしまった。片足が効かないせいで、いささかバランスが悪かったが。
「初めまして。エディ・フレイザーといいます。勝手に船にお邪魔して、すみません」
「いや、遊びに来てくれるのは構わんが……今、うちの娘が何か、失礼なことをしなかったかね?」
「いいえ、とんでもない。ぼくが間抜けだっただけです」
 娘の憤然とした顔を見て、ヤザキ船長は、深く追求しないことにしたらしい。部下を見回して言う。
「みんなで宴会かね? わたしが混じってはまずいか?」
 ルークが立ってきて、船長を席に導いた。
「とんでもない、どうぞ。もう寝たかと思って、声をかけなかったんです」
 その間に、エイジが新しいビールのグラスを用意する。
「明日、親父さんに、こいつの面接をしてもらおうと思ってたんですよ。船乗り志望です。元は軍人なので、基本はできてます」
「ほう」
 船長はぼくを眺め、娘と同じ疑問を発した。
「その足は、骨折かね? どうしてまた?」
「はい、ええと、その……」
 ジェイクが説明してくれた。
「俺のせいですよ。腕試しをしたんでね。俺の肋骨にも、ひびが入ってます。エイジに代わってもらって、やっと勝負がつきました」
 船長は驚いたようだ。
「強いのだな。で、きみらは、このエディ君が気に入ったわけだな」
「はい。どうですか、見習いとしての試験採用は?」
 心臓が飛び出しそうなほど、どきどきしてきた。船長は娘にそっくりの黒い目で、じっとぼくを見る。
「フレイザー? もしかして、あのフレイザー一族かな?」
 あの、と言われることは珍しくない。惑星連邦軍創設の頃からの軍人家系だから、常に一族の誰かが軍にいる。だいぶ昔だが、将軍も何人か出している。ヤザキ船長とも、どこかで誰かが会っているのだろう。
「はい。父が302艦隊の重巡航艦にいます。《ヒュウガ》です」
「ああ、フレイザー大佐か。直接の面識はないが、軍時代の友人から、お噂は伺っている」
 たぶん、がちがちの頑固親父という噂だろう。
「ぼく自身は、軍から脱落しました。半年前、《トリスタン》の事件で生き残ったのですが、怖くなって軍を辞めたのです」
 だが、辞めたことで、ここへ導かれた。天国のクレール艦長が導いてくれた、と思ってはいけないだろうか。天国なんて、本当に信じているわけではないが。
「そうか。《トリスタン》……あれは不幸な事件だった。軍艦があんな風に破壊されるとは、誰も思っていなかったからな。きみ一人でも助かったのは、不幸中の幸いだ」
 軍から逃げたことを責められなくて、ほっとしたが、もちろん、それでは済まない。
「しかし、危険度なら、この《エオス》も変わらない。いや、組織行動できる軍艦より、はるかに不利だろう。わたしが賞金首なので、それなりの護衛はあるが、いつ何が起きてもおかしくない船だ。どういうわけか、普通に飛んでいても事件にぶつかる。つい先日も、この子が危ない目にあったばかりだ。どこかの植民惑星で、地上の仕事を探した方がいいのではないかね」
 弱虫と思われて当然だ。事実なのだから。しかし、自分で自分を軽蔑するというのは、この世の生き地獄である。どこにいても落ち着かなかったのは、そのせいだ。
「いえ、お願いします。是非とも、この船に乗せて下さい。軍では技術士官でしたが、出来ることは何でもします。たとえば、そう、料理とか」
 ほんの思いつきの提案だったが、船長は驚いた。
「料理?」
「ええ、母がレストランを経営しているので、ぼくも手伝っていました。一流シェフには遠いですが、家庭料理のレベルなら、十分な腕前だと思っています」
「そうか、そういう特技か……」
 船長は、横にいる少女を振り向いた。
「一人娘のジュンだ。実を言うと、この子に毎日レトルト物を食べさせているのは、忍びなかった。この子の母親を亡くしてからというもの、家庭料理には縁がないままでね……」
「料理くらい、あたしだってできる」
 黒髪の少女は不服げに言い張ったが、父親は首を横に振った。
「おまえは、勉強と雑用だけで手一杯だ。本当なら、こんな所にいないで、大学に通っていてほしいのだがね」
 少女はむっとしたように、反論した。
「あたしが親父の命を助けたこと、何度もあるはずだよ!!」
 さもありなん。
 船長は副長たちの方を見て、視線で何か確認した。再びぼくを見て、穏やかに言う。
「では、仮採用ということにしよう。仕事内容は、三度の食事の支度だ。それと、手が空いている限り、他の部署も手伝ってもらう。細かいことは、ジェイクたちに聞いてくれ。きみが本当にこの船でやっていけるかどうか、三か月後に、改めて話をするとしよう」
 ぼくは再び敬礼した。
「はい!! ありがとうございます!!」
 こうしてぼくは、《エオス》の末席に加わることとなった。ただし、
「これは大人の宴会だから、おまえはもう寝なさい」
 と親父さんに言われたジュンは、去り際、ぼくに聞こえるように言い残した。
「いいけどね。こんな奴、一回何かあったら、ここからも逃げるんじゃないのかな……」

イラスト

 その晩は、船内の空き部屋に泊めてもらった。ジュンの船室はすぐ近くと聞いて、無駄にどきどきしたが、さすがに疲れていて、ベッドに入ると、あっという間に沈没してしまった。
 ぐっすり眠って、朝は気持ちよく目覚めた。全身が痛んでぎくしゃくしたが、心理的に浮かれていたので、辛いとは感じない。注入されたマイクロマシンのおかげで、骨折もかなり回復していた。治癒したら、ちゃんと稽古をやり直そう。
 セルフサービスの朝食の後、改めて船長室に呼ばれた。
「まあ、座りたまえ。少し話をしておこう」
 ぼくと向き合って、紺のスーツ姿のヤザキ船長は穏やかに言う。
「昨夜は遅かったので、深く追求しなかったが……他の船ではなく、なぜこの《エオス》なのかね」
 やはり、きた。
「何だったら、他の船に紹介してもいいのだよ。フレイザー家の息子なら、どこでも歓迎されるはずだ」
 親切心からの勧めだったが、ぼくには、ここでなくてはならない理由がある。昨日、ジェイクたちに忠告されたことは覚えていたが、どうせ、この気持ちを隠し通せるはずがない。
「あの、船長。失礼ですが、恋愛をなさったことはおありですか……」
「!?」
「あるはずですよね。亡くなった奥さまとの出会いが、映画の通りなら」
 もちろん、事実を脚色して映画化されているのは、知っているが。出来事の本質は、歪められていないはず。
「実はぼくも、昨日、そういう出会いをしました。いえ、向こうは、何も感じていないと思いますが……お嬢さんは、ぼくの女神です」
 言ってしまったら、すっきりした。自分の本心だからだ。本当のことを言うのは、何と爽快なのだろう。
「たとえ《エオス》に乗せてもらえなくても、ぼくはお嬢さんの周りをうろついて、求愛するでしょう。でも、どうせなら、乗せていただく方が……ぼくは役に立つつもりです」
 船長は驚き、狼狽したようだ。
「あの跳ねっ返り娘が……きみの理想だとでも言うのかね!?」
「はい。あんなに美しくて凛々しい女性は、他にいません」
 亡くなったクレール艦長を除いては。
「どうかぼくに、チャンスを下さい。必ず、信頼していただける部下になりますから」
 そう言えるくらいは、自分の能力に自信を持っている。いや、持っていたことを思い出した。軍でも、最短の期間で士官になった。超一流とは言わないが、まずは一流の人材と言っていいはずだ。
 船長は額を押さえ、思い悩む様子だった。
「エディ君、きみはまだ若い……これから先、他の女性に惹かれることも、あるだろう。そうなっても、別に咎めはしない」
 どちらかと言うと、ぼくがジュンをあきらめて、立ち去ることを望んでいるようだ。
「とにかく、三か月は様子を見させてもらうが……娘に求愛するのは、待ってもらいたい」
 え。
「あの子はまだ、十五歳だ。本人は一人前のつもりだが、とんでもない」
 ああ、そういう意味か。もちろん、十五歳ではまだ、大人であるはずがない。父親としての心配は、よくわかる。ぼくの父も、姉のアリサに恋人ができた時は狼狽し、あれこれと文句をつけて、母にいなされていた。姉が結婚した時は、密かに泣いていたし。
「当面は、仲間として接してくれたまえ。節度を持ってな。その方がたぶん、きみのためでもある」
「はい。わかりました。節度を持って接します」
 でないと、平手打ちが来るか、蹴りが入るか。ジュンから受けられるものなら、何でも受けるつもりだが、軽蔑はされたくない。
「いずれにせよ、お嬢さんは、つまらない男など、足元にも寄せ付けないでしょう。ただ、船長には、ぼくの気持ちを話しておくべきだと思いましたので」
「ああ……それはわかった。確かに聞いたよ。しかし、きみも物好きな……」
 船長には、哀れな者を見る眼をされた気がする。しかし、ぼくは空に舞い上がるほど幸せだった。
 見ていて下さい、クレール艦長。
 ぼくはここで、きっと居場所を築いてみせますから。

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